第7話『島猫たちと、少女ヒナ』


「おじーちゃん、ただいまー。村長さんもつれてきたわよー」


 しまねこカフェに戻ると、目を覚ましたという女の子はココアを膝の上に乗せ、撫で回していた。


「ひえぇぇ……サヨ、助けてー」


 そういう割には、ココアは心地よさそうな声を出している。彼が直接村長さんの家に来られなかった理由がわかった気がした。


「いや、物怖じしない子だよ。目覚めてすぐ、ココアと遊びだしたんだ」


 少し離れたところで女の子とココアが戯れる様子を見守りながら、おじーちゃんが言う。


 女の子の見た目は小学校低学年くらいで、細かいフリルがついた真っ白な洋服を着ている。その肌も洋服に負けないくらい白く、肩ほどまである髪はウェーブのかかった銀髪だった。


 そんな見た目も相まって、まるで外国のお人形さんのような印象を受ける。


「んー、お嬢ちゃん、ちょーっといいかなー?」


 その矢先、村長さんが女の子に声をかける。


 それに反応するように、その子は透き通るような青色の瞳を向ける。そこでようやく、あたしたちの存在に気づいたようだった。


「お嬢ちゃん、お名前はなんていうのかな?」


「ヒナです!」


 村長さんからの質問に、少女は底抜けに明るい声で答えた。その声に驚いたのか、彼女の膝の上にいたココアが飛び退き、おじーちゃんへとすり寄った。


「どんな字を書くのかな? わかるかい?」


 村長さんは続けて問いかけるも、ヒナと名乗った少女は首をかしげた。


「名字は? 上の名前はわからない?」


「むー、わからないです」


 続いてあたしがそう訊いてみるも、同じように首をかしげる。その顔にはわずかに不安の色が見て取れた。


「あ! でも、この手紙を持ってました!」


 その直後、ヒナは心底嬉しそうに言って、ポケットから一枚の手紙を取り出した。


 一番近くにいたあたしがそれを受け取ると、そこに書かれていたのは『この子をよろしくお願いします』の文字だけ。それ以外には何の連絡先も書かれていない。


 その手紙を村長さんに手渡すと、おじーちゃんも一緒になって目を通す。


 二人は手紙をひっくり返してみたり、光に透かしてみたりするも、特段新しい発見はないようだった。


「うーむ……この際、この子の面倒はしばらくこのカフェで見てもらうってのはどうかねぇ?」


「はい!?」


豊村とよむらさん、いくらなんでもそれは……この子の親も心配しているでしょうし」


「いやいや、何もずっとってわけじゃない。少しの間だ」


 あたしとおじーちゃんはそろって驚きの声を上げるも、それをなだめるように村長さんは言い、話を続ける。


「それに村役場に相談しようにも、明日は休みだからなぁ。日曜日だ。はっはっは」


 これは仕方ないよなぁ……と付け加えながら、彼は笑う。


 正直、笑いごとじゃないと思うけど、これが島のおおらかさ……なのかもしれない。


「これだけたくさんの猫の面倒を見ているんだし、女の子一人増えたって変わらないだろう? ここには小夜さよちゃんもいるし、わしの家で預かるより、あの子も安心だ」


 それはそうかもしれないけど、人と猫では話がまったく違うような……。


「ヒナちゃん、今日からしばらくここで泊まることになると思うが、いいかい?」


「ハイ! ありがとございます!」


 そうこうしているうちに、村長さんはヒナにそう伝えてしまった。


 彼女は立ち上がって、深々と頭を下げる。すごく礼儀正しい子だった。


「というわけだ。敏夫としお、島民たちにも協力するように言っておくから、しばらく頼んだぞぉ」


 村長さんは困り顔のおじーちゃんの肩をぽんと叩くと、鼻歌まじりに帰っていった。


 そして残されたあたしたちの間には、なんとも言えない空気が漂う。


 それを感じ取っているのか、カフェにいる猫たちもやけに静かだ。


 ……それを壊すかのように、可愛らしいお腹の音が響く。


「えーっと……ヒナ、ちゃん?」


「はい! ヒナでいいです!」


「それじゃあヒナ……お腹、空いてる?」


「ペコペコです!」


 おずおずと尋ねてみると、彼女は両手を上げて、飛び跳ねんばかりに言う。


 まるでこの子の周りだけ太陽が昇ったかのような、満面の笑みだった。


 それを見て、あたしとおじーちゃんは顔を見合わせて苦笑してしまう。


「……まぁ、なるようにしかならないか。そろそろ晩ごはんの用意をしよう。ヒナは猫たちと遊んでいるといい。小夜、準備を手伝っておくれ」


 おじーちゃんがそう言うと、一気に空気も緩んだ。


「ボクたちもごはんがほしいなー」


 それは猫たちにも伝播したのか、ココアが再びヒナの元へ向かいながらそう呟いた。


  ◇


 それからは、おじーちゃんと一緒に夕食を作った。


 この島の子どもは、わりかし早いうちに料理を覚える。


 理由は分からないけど、本土みたいに出来合いのものを買うこともできないため、せめて料理だけは……という、親心なのかもしれない。


 あたしもその例に漏れず、おじーちゃんに料理を教え込まれていた。学校での調理実習の時、アジをあっという間に三枚おろしにして見せたら、新也に本気で驚かれたし。


「……あたしってそんなガサツに見えるのかしらねぇ」


「見えるネ」


 なんとなく呟くと、いつの間にか背後にいたネネが反応した。


「……ネネ、うっさい」


 冷蔵庫を開けるおじーちゃんに聞こえないような声で言うと、ホントは優しいのにネ……と付け加えながら逃げていった。


「ご飯がほしいのかな。ネネには夕方に缶詰をあげたんだけど」


 おじーちゃんは冷蔵庫の中から視線をそらさずに言ったあと、島味噌を取り出した。


 ……やがて完成した料理を和室に運び、三人で食卓を囲む。


 今晩のおかずはサワラの味噌焼きと、野菜のおひたしだ。


 どれももらいもので、材料費はほとんどかかっていない。


「いただきます!」


 食事の挨拶をすると、ヒナは箸を上手に使って食べ始めた。


 小さいのに箸使いが達者だと感心していると、玄関に人の気配がした。


「敏夫さーん! 小夜ちゃーん!」


「はーい!」


 反射的に返事をして箸を置き、開け放たれたガラス戸に目をやる。そこには近所に住む、佐藤のおばさんが立っていた。あたしは挨拶をしながら近づいていく。


「親戚の子が急遽泊まりに来たんだって? ウチの娘のお下がりで悪いんだけど、これ、使っておくれよ」


 突然差し出された手提げ袋を受け取り、中身を見てみる。そこには子供服が何着も入っていた。


 どうしてこの人はヒナがうちにいることを知っているんだろう。村長さんが帰り際に話をつけてくれたにしても、対応が早すぎる気がする。


「他にも何か困ったことがあったら、いつでも言いに来るんだよ」


「えー、あー……ありがとうございます」


 内心困惑しつつもお礼を言うと、おばさんは笑顔で去っていった。


「……この島で噂が広まるのはネコの逃げ足より速い」


 ウッドデッキに設置されたテーブルの上で丸くなったトリコさんが、独特の言い回しでそう呟いた。どこか的を射ていて、あたしは苦笑するしかなかった。


 ……食事を終えたあとはヒナと一緒にお風呂に入り、疲れていたこともあってすぐに布団を敷く。


 いつもなら自室で眠るのだけど、今日はヒナのリクエストで猫たちと一緒に和室で眠ることになった。


「……この子たち、時々大きな声で寝言言うから、あまり一緒に寝たくないんだけど」


「サヨ、何か言いましたですか?」


「な、なんでもないのよー。明日は日曜日だから、島の中を案内してあげるわねー」


「それは嬉しいです! 楽しみです!」


 はぐらかすようにそう伝えると、彼女は布団の上をゴロゴロ転がって喜びを表現していた。


「もー、ホコリが立つからゴロゴロしないのー。ほら、もう寝るわよ」


「ハイ! ココア先輩、一緒に寝ましょう!」


「いいよー。やったぁ」


 ヒナからご指名を受けたココアが喜び勇んで布団に飛び乗ってきた。


 この子は人と寝るのが大好きだし、たぶん朝まで同じ布団にいることだろう。


「ヒナはボクが守るから、サヨは安心して寝ていいよ」


 布団をふみふみして自分の寝場所を確保しながら、ココアが何か言っていた。


 人一倍……いや、猫一倍弱虫なくせに、随分な自信だった。


 夜中に入ってきた虫に驚いて叫び声を上げないでよね……なんて考えつつ、あたしは部屋の明かりを消したのだった。


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