第4話『タコ飯と、島猫ツアー』


 なっちゃんと別れ、あたしはしまねこカフェに戻る。


 士郎しろうさんからもらったサワラを冷蔵庫へとしまい、出しっぱなしにしていた勉強道具やマグカップを片付ける。


「ねー、誰か来るの? お客さん?」


 室外機の上で日向ぼっこしていたココアが近くに寄ってきて、呑気にそう言う。


「そうよー。でもすぐに島猫ツアーに行くと思うから、ココアの相手はしてくれないかもね」


 あたしからそう言われたココアはつまらなさそうにしっぽを垂れた。


 ちなみに島猫ツアーとは、観光客を相手にしまねこカフェが行っているサービスだ。


 島内の猫たちがいそうな場所を巡り、島を訪れた観光客に楽しんでもらうのが目的で、学校が休みの日はあたしが担当する。


 基本無料だけど、あたしがやった場合に限り、おじーちゃんからお駄賃がもらえる。貴重な収入源だし、頑張らない手はない。


「よーし、掃除はだいたいこれでオッケー。身なりも変じゃない。寝癖もついてない」


 あらかたきれいになった和室とウッドデッキを見渡したあと、洗面台の前で身だしなみをチェックする。問題はなさそう。


「あのー、こんにちはー」


「しまねこカフェって、こちらで合ってますかー?」


 すると息つく暇もなく、お客さんがやってきた。


「どーもどーも、こんにちはー」


「いらっしゃーい」


 あたしはできるだけ自然な笑顔を浮かべながら、ココアと一緒にその女性たちを迎えたのだった。


  ◇


「……佐苗島さなえじまは小さな島なので、一時間もすれば一周できます。猫がいるのは島の南にある住宅地で、港と神社周辺に多くいます。時間帯によっては、東の漁港にも集まっていますよ」


 そんな説明をしながら、女性客たちと住宅地を歩く。


 彼女たちの手には、ツアー特典として渡した島猫マップと、ちょ~るが二本握られている。


 中には人が苦手な猫もいるのだけど、おやつがあれば寄ってくるはず……という、おじーちゃんのアイデアだ。


 ……まぁ、あたしがいれば猫と直接交渉することができるんだけどさ。


 そんなことを考えながら神社の下に差し掛かったとき、茶トラ三兄弟のうちの二匹が待ってましたとばかりに石段を降りてきた。


「まぁ、人懐っこいですね」


「かわいいー」


「外の人かな? こんにちはー」


「手に持ってるそれは、おいしいやつだ!」


 やってきた子たちは挨拶もそこそこに、ちょ~るに目を輝かせる。


「あげちゃっていいんですか?」


「どーぞどーぞー。この子たちはこの神社に住む三兄弟のうちの二匹で、こっちが末っ子、こっちが次男、一匹だけ石段の上にいるのが長男です」


 そう解説するも、お客さんたちはすでに猫にメロメロで、あたしの話なんか聞いちゃいなかった。


 苦笑しながら猫を愛でる様子を見守っていると、ネネが近くの塀の上をトコトコと歩いていた。


「……ネネ、いいところに。ちょっと寄っていきなさい」


 それを見つけたあたしは小声で言い、ちょいちょいと手招きをする。


 ネネは驚いた顔で一瞬立ち止まるも、やがて渋々と近くにやってきた。


「あ、ちょうどネネちゃんが来てくれましたねー」


「……自分で呼びつけといて、よく言うネ」


「この子は模様の一部がハート型に見えるので、幸運のハート猫って呼ばれているんですよー」


 ネネの皮肉たっぷりな言葉を全力でスルーして、あたしは笑顔で言葉を紡ぐ。


「わー、本当だー。ハート型になってるー! 写真撮ろう!」


 あたしの思惑通り、そのインパクトのある見た目は観光客に絶賛されていた。


 最初は乗り気でなかったネネも、ナデナデ攻撃とちょ~るの連携攻撃の前に、轟沈したようだった。


 ……その後、二人の観光客は島中を巡ってたっぷりと島猫たちと戯れ、満足顔で今日の宿泊先のさくら荘へと向かっていった。


「はー、喋り疲れたー」


 しまねこカフェに戻ると、あたしは和室の座布団に腰を下ろす。


「サヨ、おつかれー」


 それと同時に、デッキにいたココアがそう言いながらあたしの膝に乗ってくる。


「並大抵のお疲れじゃないわよー。島の外の人って皆オシャレだし、変に緊張しちゃう」


「サヨもかわいいよ」


「はいはい、ありがとー」


 上目遣いでそう言うココアの頭をなでてあげながら、壁の時計を見る。もうお昼はとうに過ぎていた。


 ……それに気づくととたんにお腹が鳴った。


「うわぁ、大きな音」


「うー、膝の上にいるんだからそりゃ大きく聞こえるわよ。悪いけどちょっとどいて。自分のご飯、用意しなきゃ」


 そう伝えると、ココアは軽快に膝から飛び降りた。


「うおーい、小夜ちゃーん!」


 そのまま立ち上がって、簡単に食べられるものがあったかしら……なんて考えていると、カフェの入口から声がした。


「……あれ、哲朗てつろうさん?」


 そこにいたのは、なっちゃんのお父さんだった。


『お食事処・民宿さくら荘』と書かれた前掛けをし、その手にはタッパーを持っている。


夏海なつみの荷物運びを手伝ってくれたそうじゃないか。こいつはその礼だ。受け取ってくれ」


 手渡されたタッパーの中身は、タコ飯だった。しかもまだ温かい。


「ありがとう! あたし、これ好きなの」


「普段は作らないんだが、今日は宿泊客がいるからな。たんと食ってくれよ。がっはは!」


 お礼を言うと、哲朗さんは豪快に笑いながら去っていった。


 それを見送ってから、あたしは好物のタコ飯に舌鼓を打ったのだった。


  ◇


 ……そして15時を過ぎ、おじーちゃんが帰ってきた。


「……おや? この魚はどうしたんだい?」


 調味料や食材といった買い出しの品を一緒に整理していると、冷蔵庫の中を見ていたおじーちゃんが訊いてくる。


「サワラは港で士郎さんにもらったの。仕事前に釣ったんだって」


「そういうことか。立派なサワラじゃないか。これは、今夜は味噌焼きだね」


 袋の中身を確かめながら言う。加藤のおばーちゃんの手作り味噌があったはずだし、これは晩ごはんも楽しみだ。


「……そうだ。後でかまわないから、これを士郎くんの家に持っていってくれないか。サワラのお礼だよ」


 おじーちゃんはそう言いつつ、袋詰めにされたクッキーを取り出した。


「今日は特売日でね。カフェに来るお客さんに出そうと思って、たくさん買ってきたんだ。残念ながら、ここではお洒落なカフェスイーツなんてものは用意できないからね」


 おじーちゃんが笑いながら言う。


 カフェという形をしているけど、このしまねこカフェの主役はあくまで猫たちだ。


 時期によってはおじーちゃんが軽食を用意することもあるけど、普段は簡単な飲み物くらいしか提供できない。このクッキーがあれば、あたしでもお茶請けくらいは出せそうだ。


「小夜も靖子やすこさんや新也しんやくんにお世話になっているのだし、よろしく頼んだよ。片付けのあとでいいから」


高畑たかはた先生はともかく、新也にお世話になってるつもりはないけど」


「そう言わないで。数少ない同級生じゃないか」


 あたしは口を尖らせるも、おじーちゃんにそう説得され、渋々お使いを了承したのだった。


  ◇


 ……最終便が出港したのを確認して、あたしは手頃な紙袋に入れたクッキーを持って家を出る。そろそろ士郎さんの仕事も終わった頃合いだろう。


 彼の住む家は、カフェから歩いて数分。神社のすぐ下にある。


 路地から続く石段を下りて、玄関の前に立つ。呼び鈴なんてないので、引き戸を少しだけ開け、中に声をかける。


「あのー、ごめんくだ……」


「コラ! 新也、宿題もしないで、いつまで釣りしてるの!」


「ご、ご、ごめんなさい!」


 そして扉を開けると同時、高畑先生――靖子さんの声が飛んできて、あたしは思わず身を縮こませた。


「……あら、小夜ちゃんだったの。てっきり新也が帰ってきたとばかり……驚かせてごめんなさいね」


 謝りながら出てきた靖子さんに教師のオーラは微塵もなく、どこにでもいそうなお母さんといった印象だった。


「いえいえ、背筋が伸びました。ところで士郎さんはいますか?」


 ちなみに、学校では『高畑先生』、それ以外では『靖子さん』と呼び分けている。


 それは島に住む子どもたち、皆のルールだった。


「あー、今お風呂入ってるのよー。どうかしたの?」


「昼間、士郎さんにサワラをもらって。そのお礼を持ってきたんです。これ、渡してもらえませんか」


 そう口にしながら、あたしは持っていた袋を差し出す。


「まー、根っからの釣りバカなんだから、そんな気にしないでいいのに。ありがとう。伝えておくわね」


 靖子さんは満面の笑みでそれを受け取ってくれ、その後も玄関先で他愛のない話をする。


 それによると、新也は朝から祐二ゆうじと釣りに出かけて以後、戻ってきていないそうだ。


「祐二君が一緒だから特に心配はしてないけど、どこかで見かけたら早く帰るように伝えといてねー」


 朗らかに言う靖子さんの言葉に頷いて、あたしは高畑家を後にした。


 ……それにしても新也ってば、まだ戻ってないのかしら。


 そう考えながら石段を登り、神社前に戻ってくる。


 港にはいなかったし、どこだろう……なんて考えていると、神社のほうから小さな女の子がふらりと現れた。


 ……女の子?


 思わず視線を向けるも、その子は長い髪をなびかせながらあたしの前を通り過ぎ、路地の先へと消えていった。


 視界に一瞬写ったその姿は、透き通るような銀色の髪に、真っ白いワンピース姿。見た感じは小学校低学年くらいの女の子で、島では見たことのない子だった。


 観光客かしら……と一瞬考えるも、もう今日の最終便は出ている。


 島唯一の宿泊施設であるさくら荘に泊まっているのは、昼間島猫ツアーに参加した女性二人で、子ども連れではなかった。


 土日を利用して帰省した島民の親戚……という線も考えられたけど、それ以前にあの路地の先には灯台へ続く道しかない。


 これから灯台に向かえば確実に日が暮れるし、暗くなればイノシシだって出る。危険だ。


「ちょっと待ってー! 今からだと危ないわよー!」


 あたしはそう叫びながら、女の子が消えた路地へ向かって走り出した。

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