第3話『学生最大の敵と、港のミミとハナ』


 先日のお花見から一週間近くが経った、土曜日の朝。


 あたしはパジャマ姿のまま、しまねこカフェのウッドデッキから島を見下ろしていた。


 このデッキは本当に見晴らしがよくて、住宅地から港、その海の向こうまで一望できる。


 港に入ってくる縞模様の船の汽笛を聞きながら、手にしたコーヒーを一口飲む。

清々しい朝の空気も相まって、最高のひとときだ。


「……ユウスケちゃんの家、また布団が干してあったよ。あれは立派な島の地図だネ」


「そんなに立派だったの? ボクも後で見に行こうかなぁ」


 ……そんなあたしの足元を、ネネとココアが通り過ぎていく。


「朝からなんの話をしてるの。せっかくの気分が台無しじゃない」


 あえて視線を向けずに小声で言うも、彼らは特に気にする様子もない。


「小夜、少し本土に出かけてくるよ。15時の船で帰ってくるからね」


 その矢先、おじーちゃんが靴を履きながらそう言ってきた。


「買い物?」


「ああ、色々と足りなくなってきたからね」


 ……佐苗島さなえじまは離島ということもあって、島民が注文したものを本土から届けてくれるサービスがある。


 けれど、これは一週間に一度だけ。食料品や早急に必要なものがある場合、船に乗って本土まで買いに行く必要があるのだ。


「今日は11時の船で島猫ツアー希望のお客さんが来るから、頼んだよ」


「関東から女性二人だっけ。まかせといて」


「カフェで待っていれば大丈夫だよ。携帯電話は持っているから、何かあったら連絡するようにね」


「はーい。行ってらっしゃい」


 猫たちと一緒におじーちゃんを見送ったあと、あたしは部屋に戻って着替えを済ませる。


 それから簡単な朝食をとって、宿題に取り掛かる。


 宿題こそ学生最大の敵。この土日も、担任の高畑たかはた先生がたっぷりと宿題を出してくれていた。


「えーっと、まずは英語を片付けようかしら。それとも数学……?」


 肩ほどの髪をポニーテールにまとめて気合を入れ、あたしはカフェの店番をしつつ、和室で教科書とノートを開く。


 いくら猫の言葉がわかっても、頭は良くならない。猫が英語や数学を教えてくれるわけではないのだ。


「人間は大変だネ。英語なんて勉強して、サヨは外国でも行くの?」


「そんなつもりないわよー。この島にも猫目当てに外国の人が来たりするから、まったく役に立たないこともないし」


 ノートにシャーペンを走らせながら、ネネと話をする。


「……語学は大事。意思疎通できるからこそ、解り合える。サヨと僕らみたいに」


 その時、玄関先から声がした。視線を向けると、そこには大きな茶白猫がいた。


「トリコさん、おはよー」


 あたしに続いてその姿を見つけたネネが挨拶をする。トリコさんは返事をせず、特徴的なかぎしっぽをぴょんと動かした。


 この子はしまねこカフェ一番の古株で、おじーちゃんによると5年以上前から住んでいるらしい。年の功なのか語彙も豊富で、どっしりとした謎の貫禄がある。


 一方で、その独特なしっぽがとってもチャーミングだったりする。


「まー、あたしとあんたたちの関係は、語学云々の問題じゃない気がするけどねー」


 あたしが猫たちの言葉を理解できるのは、それこそ神様の力なのだし。学ぼうと思って学べるものではない気がする。


「それでも、語学は大事。対話することは、解り合うこと。その手段を学べるなら、学ぶべき」


「結局は勉強頑張れってことね。わかったわよー」


 あたしは笑顔で親指を立ててから、視線をノートへと戻した。


 ……それから一時間ほど、集中して机に向かう。


 真剣に勉強しているのを察したのか、ネネたちはいつの間にかいなくなっていた。


「……あなた、昨日はすごかったわ。まるで獣のようでした」


「ふふ、褒めてもマタタビは出ないよ」


 少しの間をおいて、どこからか猫の声が聞こえてくる。


 話の内容からして、昨夜お盛んだった猫たちのようだ。


「あんたら元々獣でしょー……」


 誰にともなく呟くも、その瞬間に集中力が切れてしまい、あたしはノートを閉じる。


「はぁ……結構頑張ったし、気晴らしに散歩でも行こうかしら」


 背伸びをしながら言い、立ち上がる。


 壁の時計を見ると、11時の船にはまだまだ余裕があった。


『現在無人開放中。ご自由におくつろぎください』


 そう書かれた看板をデッキに置いて、あたしは島へと繰り出した。


  ◇


 島特有の細い路地を縫うように歩き、村長さんの家の前を通り過ぎる。


 少ししたら戻る予定だし、目的地も特にない。


「……あれ? なっちゃん?」


 その先で、大きなダンボール箱を運ぶなっちゃんと見つけた。重たいのか、ふらふらしている。


「その箱は何? ずいぶん重そうだけど」


「昨日泊まったお客さんの荷物が入ってるの。お土産買いすぎて持って帰れなくなったから、まとめて送ってほしいんだって。思ったより重くて……」


 彼女は苦笑しながら、両手で抱えた箱に視線を送る。


「じゃあそれ、港の郵便局まで持っていくの? 手伝うわよ」


 言ってすぐ、あたしは箱の反対側を持つ。何が入っているのかわからないが、ずっしりと重い。


「まったく、人間のくせに計画性がないネ。持てないほど買わなきゃいいのに」


 その時、なっちゃんの後ろからネネの声がした。姿が見えないと思ったら、さくら荘に行っていたらしい。


「小夜ちゃん、ごめんね。重くない?」


「これくらい平気よー。それじゃ、港に向けてしゅっぱーつ!」


 自らを鼓舞するように言って、ゆっくりと歩き出す。


 ここから港までは比較的平坦だけど、相変わらず道は狭いし、道路に軒がせり出した家もあるから頭上注意だ。


「……そういえば哲朗てつろうさん、今日はいないの?」


 歩幅を合わせながら、なっちゃんに尋ねてみる。


「お父さん、朝から寄り合いで漁協に出かけてるの」


「それならこの荷物、ついでに持っていってくれたらいいのにねー。漁協と郵便局、近いんだしさ」


「きっと忙しくて忘れちゃったんだよ。今日も夕方には新しいお客さん来るし」


「全く。テツローも朝のカリカリを用意してくれる暇があったら、荷物くらい持っていってあげればいいのにネ」


 ……あたしたちの後ろをついて歩きながら、時々ネネが会話に入ってくる。


 なっちゃんと一緒にいる手前、あたしも反応するわけにはいかないけどさ。


「この荷物、男子二人には頼めなかったの? どうせ暇してそうなのに」


「二人とも今日は釣りに行くって言ってたから。島のどこかにいるんじゃないかな」


「そうなのねー。こういうときに限って使えないわねー」


 ……そんな話をするうちに路地を抜けて、港に到着した。


 その先の郵便局でなっちゃんが発送手続きを終えるまで、あたしは表の階段に腰掛けて待つ。


 いつの間にかネネの姿は見えなくなっていて、辺りには猫の子一匹いない。


 防波堤のほうを見てみるも、釣りをしているという男子たちの姿もなかった。


「……ここじゃないとすると、漁港かしら」


 漁港は島の東側にあるのだけど、普段から漁師さんが出入りしていることもあって、釣り目的の観光客は近づかない。船の下に大きなチヌがいたと、以前新也が教室で騒いでいた気がする。


「でもチヌって昼間はなかなか釣れないわよね。そうなると灯台か……」


「あ、サヨだー」


「こんにちは」


 ……そんなことを考えていたとき、二匹の猫がやってきた。


 すぐさま足にすり寄ってきた茶白の子がミミで、その後をついてきたサビ猫がハナ。彼女たちは姉妹で、この港周辺で暮らしている。


 どちらも元は捨て猫なのだけど、なかなかに人懐っこく、今は観光客に絶大な人気を誇っているのだ。


「あんたたち、元気? ミミはまた太ったんじゃないのー?」


「ごちそうもらってるからねー」


 言いながら、ゴロゴロと喉を鳴らしてお腹を見せてくる。相変わらずサービス精神旺盛だ。


「ミミのおかげで、わたしもおこぼれにあずかってる」


「ハナは愛嬌振りまくの苦手だしねー」


 そう言いながら、続いてハナの背中を撫でる。この子はミミが大好きで常に一緒にいるのだけど、人に対してはかなりクールな子だ。


「あー、ミミとハナだー」


 足元の二匹の猫を交互に撫でていると、郵便局の扉が開いてなっちゃんが出てきた。


 彼女はその姿を見つけると、猫なで声を出しながらその場にしゃがみ込む。


「なっちゃん、荷物無事に送れた?」


「うん。お昼の船には載せられるって。んー、相変わらずミミはかわいいねー」


 あたしとの会話もそこそこに、なっちゃんはミミと戯れ始める。一方で、ハナはしれっと距離を置いた。


 「ああ、小夜ちゃんたち、いいところに」


 その様子を微笑ましく眺めていると、頭上から声がした。


 顔をあげると、そこには港で係員をしている士郎しろうさんの姿があった。


「士郎さん、どうかしたんですか?」


「この魚、もらってくれないかな?」


 そう言って、あたしたちに袋を差し出してくる。中を確認すると大きなサワラが入っていた。


「仕事前に釣りしてたら、今日は思いのほか大漁でさ。港にある冷蔵庫に入れてたんだけど、邪魔だって言われちゃって。もらってくれる人を探してたんだ」


 そう続けて、困った顔で頭を掻く。この人、仕事前に釣りしてたのね。さすが新也のお父さん。親子そろって釣り好きだわ。


「そういうことなら、遠慮なくいただきますー」


「ありがとうございますー」


 なっちゃんと二人、サワラの入った袋を受け取る。その直後、船の汽笛が聞こえた。


「おおっと……まずい。仕事に戻らないと」


 それを耳にした士郎さんは足早に去っていった。もう11時の船が来たのねー。


「……はっ、11時?」


 反射的に港に設置された時計を見る。あと15分もなかった。


「やっぱりサワラは味噌焼きが一番だよねー」


 のほほんと言うなっちゃんに対して、あたしは内心穏やかではなかった。これは一刻も早くカフェに戻らないといけない。色々と荷物も出しっぱなしだし。


「な、なっちゃんごめん! あたし、急用を思い出したから帰るね!」


 そう言うが早いか、あたしはしまねこカフェに向かって駆け出したのだった。

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