第37話 再会(2)

 オフィスに出社すると、先輩社員の許さんが、心配そうな顔をしながら、おそるおそる声をかけてきた。


「最近怎么样?」

最近、調子はどうかと聞かれ、

「很好」

 いいですよ、と無理に笑顔で答えた。


 不思議そうな顔をした許さんが、更に何かを言いかけた時、桜木社長が現れた。


「おはよう」

「あっ、おはようございます。桜木社長。すみません、少しお話ししたいことがあるのでいいですか?」

「えっ、ああどうぞ、部屋に入って」

 そう言うと、社長室を開けて、私に入るよう促した。


「失礼します」

「どうぞ、そこに座って」

 社長席の前にあるレザー調の黒いソファに座るよう促された。

 

 桜木社長も荷物を机に置いた後、私の向かいに座り、にこやかな顔でたずねてきた。

 私は、ここまでの事のあらましを話した。

 それは、建華や吉岡さんに伝えたのに比べるとはるかに短かった。

 だが、話を聞き終わった後のリアクションは、他の二人と比べものにならないほど狼狽し、ひっくり返りそうになっていた。


 さすがの私も、桜木社長に話す時は、泣いたり、喜んだりといった感情を表に出さないようにしていた。

 例えて言うと、日本の能面になることに徹したのだ。

 それが、桜木社長には、逆にどう接していいかわからなくさせたようである。


 しどろもどろしながら、私に嬉々とした表情を見せたり、悲運を嘆く言葉をくれたりと大忙しである。

 私自身、この不幸な身の上を悲しむ気持ちと、家族が見つかってうれしい気持ちが、現在も同居している。


 桜木社長は、この十六年間に起こったことを一気に聞いたため、混乱するのも仕方ないのだろう。 

 居づらくなったこともあり、ひと通りいきさつを話し終えると、部屋をでた。

 そこには、不思議そうな顔をした許さんが待っていた。


「なんか、大変な問題でもあったの? ま、まさか、結婚の報告とかではないよね」

「まさかあ、実はですね……」

 周りに他の人もいるため、廊下の方へ手招きして、小声で話した。


 桜木社長に話したよりも、更に短く簡潔に話そうと思ったが、中国語で話したせいか、自然と声が大きく早口になっていた。

 中国語を小さな声でゆっくりと話すこと自体、無理な話だったのだ。

 ただそのせいか、話はすぐに終わった。


 許さんは、桜木社長のように動揺していない。

 逆に、あ然とした表情で、固まっている。

 少したってから、ようやくたった一言を、絞り出すように言った。その言葉は、


不可能ブカァノン……」

 ありえない、とつぶやいて押し黙った。


 私は、事務所の中に戻ると、許さんもついて戻る。

 何か聞きたそうにしているが、わざと、忙しそうにして聞く間を与えなかった。

 そうしているうちに、吉岡さんが入って来た。


「リーチンいる? 昨日、協力会社から送られてきた品質対策書だけど、大急ぎで日本語に訳してほしいんだ」

「それでしたら、先ほど終えて、いつものフォルダに入れておきました。いつでも、目を通せます」

「おっ、早いな。もう出来ているとは、ありがたい。じゃあ、昨日、打ち合わせた樹脂加工の貴翔社からきたコストアップの回答だけど……」

「それも、既にメールを返信してあります。この厳しい経済環境の中、お客様にコストアップなど申し入れるわけにもいかない、と厳しく打ち返しました。恐らく、近く何かしら言ってくるでしょうから、その時、どう返すかですね」

 急にバタバタとした会話が繰り返されるうちに、許さんは、私に話しかけるのをあきらめたようだ。


 後日、冷静になった状態で聞かれるだろう。いつもの許さんの淡々とした調子で。

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