第36話 再会(1)
一つ気がかりなのは、未だ建華に伝えられていないことであった。
建華には、大事な話なので、会って伝えたい、とSNSで送った。
家族を捜し始めた頃から、自分の時間を犠牲にして手伝ってくれたため、すぐにでも伝えなければいけない。
それも電話やスマホではなく、目の前で建華の顔を見ながらしっかり話したい。
今日、水曜の夜、建華と会う約束をした。
木曜は大学の授業が午後からのため、今夜、私の部屋に泊まりに来てくれる。
すぐに会えるのに、早く真実を伝えたい、との思いで気が急いた。
陽も落ち、暗闇が蘇州の街を支配した頃、建華が訪ねて来た。
私は、いつも以上に、できるだけの笑顔をつくって出迎えた。
これからする話を、建華がどう思うか気になった。
この間も吉岡さんの部屋で、日本人である可能性の話がでた時、建華は、私の出自について、必死で拒否の姿勢を示していた。
今まで中国人として延吉市で育ち、朝鮮民族として同じ言葉や習慣を持っていた。
中学・高校では日本語専攻クラスで、大の日本好きとして仲良くなった。
将来のことを語り合ったこともある。
朝鮮民族として、結婚式のチマチョゴリはどんなのを着たいか、笑いながら教えあった。
仕事も、日本に関わる仕事をして、いつか日本へ行きたいね、と同じ希望を持った。
それが、急に、私は日本人です、と言ったら、建華はどう思うだろう。
親友が、まさか中国人でなく日本人だとは、にわかに信じられないであろう。
私自身、今まで築き上げてきたものが、根っこからひっくり返されたようで、どうしていいかわからない。
建華との今までの時間が、なくなるようで怖かった。
様子がおかしい。建華は、いつも部屋に入ると、すぐ本棚にある新しい日本語の本をあさる。
なぜか、今日はそれをしない。
押し黙ったまま、何も言わず、ずっと下を向いている。
沈黙を破るように、建華が切りだした。
「それで、どうだったの? なんとなく、想像はつくんだけど」
そう言って、建華は軽い笑みを浮かべる。
私は、包み隠さず話すことにした。
吉岡さんにも伝えたように、建華にも一つ一つ丁寧に説明した。
来栖さんの話のくだりでは、吉岡さん同様驚いたが、吉岡さんほどのリアクションではなかった。
建華は、直接来栖さんを知らないからであろう。
若しくは、私が日本人とわかったことの衝撃に比べれば、その程度のことは、驚くべきことでもないのかもしれない。
「静、日本人だったんだ」
全ての話が終わった後、建華はぽつりと言った。
表情から気持ちが読めない。
いつも明るい建華の表情と違い、見たことない顔である。
私の出生の秘密が全て解かれ、喜んでくれているのか、それとも同じ中国人でなくなった寂しさの表れなのか、全くわからない。
「うん、そう……」
私もどう答えていいかわからず、半端な言い方しか返せなかった。
しばらく静寂が続いた。
お互い、無音の壁を破るのが、怖いのだろう。
私が、何を言おうか考えていると、再び、建華が静寂を破った。
「よかったね。本当の家族がわかって。早く日本の家族と会えるといいね」
建華が、満面の笑顔で言った。
見たことないくらいの笑顔が、胸に突き刺さる。
「でも、日本から家族が会いに来たら、一緒に戻っちゃうのかな。そうしたら、離れ離れになるね」
考えたこともなかった。
本当の家族が見つかって、もうすぐ会えることを楽しみにしていた。
心は浮き立つけれど、それは私自身の過去と決別することに他ならない。
この二つが、表裏一体となっていることに、改めて愕然とした。
「そんな、建華と離れ離れになるの? 日本へ行くと、建華と会えなくなるのかな」
今は、家族と会えるうれしさよりも、建華との別れの寂しさの方がまさった。
同時に、心の声が抑えきれずにあふれでた。
「やだよ。建華と別れるなんて。おとうさん、おかあさんに会いたい、おにいさんにも会いたいよ~。でも、建華とも別れたくない。どうしよう……」
「静、ありがとう。静の気持ちは伝わったよ。先ずは、家族と会いなよ。それで日本に暮らすことになっても、私が日本に遊びに行くよ。住む国が別々になっても、私たちの気持ちが離れ離れになるわけじゃないでしょう……。だって、私たち小さな頃からの友達だもんね」
建華は、一生懸命に涙声を押し殺しながら話している。
それが余計に、熱い想いを感じさせる。
私は、顔を下へ向けて、ひたすら「うん、うん」とうなずいた。
翌日の朝、もやっとした気持ちのまま目覚めた。
心の中に広がっていたぼんやりした薄霧からは、未だに解放されない。
ただ、建華と吉岡さんに、全てを話すことができた。
二人に感謝を持って伝えられたと思う。
これからどうなるのか、私自身はっきりとはわからない。
でもきっと、今よりいい未来が待っていると信じたい。
そう考えるうちに、自然と笑みがこぼれでた。
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