第35話 真実への道(4)

 蘇州市内の中心から、やや外れたカフェの個室を予約した。

 会社の近くだと、誰に聞かれているかわからない。

 とりあえず、念には念を押し、他の人の耳に入らない場所である。

 小さな民家が立ち並ぶ街並みに、似つかわしくないゴージャスな雰囲気が、なぜか中国らしさを醸しだす。


 吉岡さんは、仕事で少し遅くなるようだ。

 どう説明すればいいか、頭の中で何度も何度も練習したが、うまくいかない。

 そうこうするうちに、吉岡さんが大声で、

『スマン遅くなった』

 と言い、やって来た。


 上海から杭州までの話を、息も切らさず一気に話し切った。

 その間、吉岡さんは、何も言わず聞いててくれた。


「驚いたな、そんなことがあったとは……」

「もう一つ、大事な話があります。家族の事情についてはここへ連絡するように、と言って渡された名前と電話番号です」

 私は、慎重に一言一句を区切って話し、杭州警察の担当官からもらったメモを渡した。


 それを見て、吉岡さんは仰天したようで、個室の外まで響くような大声を上げた。


「嘘だろ、何これ。来栖里絵ってどういうこと?」

「私と同じこと言ってる」

「ん、なんか言った?」

「いえいえ、何も。えーとですね、警察の担当官も古い話で、詳しくはわからないようでしたが、連絡先に指定されていると言われました。あらかじめ、警察から電話しておくから、と言ってくれたのですが、知り合いだから直接連絡する、と断りました」

「で、昨日、突然会社を休んだのは、来栖さんに会いに行ったから?」

「はい、電話だと、どう伝えていいかわからなかったので、来栖さんに会うため、直接事務所へ行きました」

 いつも来栖代表に対して〈代表〉をつけて呼ぶ私が〈さん〉づけであることに、吉岡さんは気づいたようだ。


 一瞬、表情を変えたが、私は気にせず、来栖さんとのやりとりを話し始めた。


 話をひと通り終えると、吉岡さんは、私以上に興奮している。

 いつもむすっとした顔をしているのにやたらとうれしそうだ。

 私の身に起きたことに一喜一憂してくれているのがわかる。


「でも、そんなことが、来栖さんにあったなんて。管理不足だとか、偉そうに言った自分が恥ずかしいよ。そこまで被害者家族の深く悲しい想いを背負いつつ、仕事でも日々飛び回って一切手を抜かない。しかも十六年もの間、誘拐された子供を捜し続けてたなんて……」

 吉岡さんは、以前の賄賂事件に関して、来栖さんを責めたことを後悔しているようだ。


 私も以前にまして、来栖さんへ尊敬の念を抱くとともに、私を捜し続けてくれたことに心から感謝した。


「しかし、東中川美南か、李静と大きな違いだな。しかも中国語読みと日本語読みは全く違う。今後、どちらで呼べばいいのかな、今まで通りリーチン、それとも東中川さん? まさかミナミはないよな」

 吉岡さんは、冗談のつもりかヘラヘラと笑っている。


 ひとり、勝手な想像をしている私は、顔が赤くなるのを感じた。


「李(リー)静(チン)でいいです。急に東中川と言われても困ります」

「そうか、でもそうだよな。不安なんだな。よしっ、家族に会えるまでは、李静だな。今まで通り、リーチンと呼ぶから」

「はい、そうしてください。家族にリアル対面するまでは」

「リアル対面? リアルじゃない対面はしたってこと。えっ、そういうこと?」

「はい、来栖さんが動画でつないでくれて、スマホを通して会いました。皆、いい人たちでした」

「ええっ、そんな大事なこと早く教えてくれよ。でも本当、よかった! じゃあ残るは、リアル対面だな。もうなにも悩むことはなくなったわけだ」

 この間の家族との動画を通しての対面では、本当に幸せを感じることができた。


 吉岡さんは、悩みはなくなった、と言うが、幸せが大きければ大きいほど不安も大きくなる。

 それが率直な、私の本音である。

 正直、怖い気持ちが強くある。

 中国人の母とのつながりが、希薄になった今、本当の家族にまで突き放されたらと思うと、考えるだけで寒気がする。


 無数に持っていた糸が全て断ち切れてなくなり、最後の一本を両手で、必死につかんでいるような気分だ。


 週末、家族が上海へ来ることになっている。

 その日が、近づけば近づくほど、怖気づいた。

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