第34話 真実への道(3)
私たちの話がひと区切りつくと、来栖さんは両親に電話することを提案して来た。
事実が判明したばかりなのに、実の両親と話すなんて、まだ心の準備ができてない。
私が躊躇していると、既に来栖さんは電話をかけている。
日本語で興奮しながら話すその相手は、どうやら母のようだ。
最初に、『沙羅さん』と呼びかけていた。
ひと通りの説明を終えたようで『じゃあ、代わるね』と言って、SNSの動画の映るスマホを私に手渡した。
そこには、五十歳前後に見える、柔らかな面持ちの女性が映っている。
一目で本当のお母さんだとわかった。
顔がそっくりなわけではない。
でも、戸惑っている時の表情、笑った時に目が線のように細くなるところなど、なぜか懐かしく感じる。
私は、相手を見たその瞬間に、言葉で言い表せない何かを感じた。
その女性は、穏やかな口調で話しかけてきた。
『你是美南吗(美南なの)?』
日本の母は、私が中国で生まれ育ったことから、日本語を話せないと思ったらしく、中国語でたずねてきた。
『はい、みなみです……、東中川さんですか?』
私は、日本語で答えることを意識しすぎ、母に対して思わず苗字で呼び、すぐに後悔した。
とっさのことで、なんと呼んでいいかわからなかったせいでもある。
『ああ、日本語話せるのね。私は、東中川沙羅です、あなたの……母よ』
妙にぎくしゃくしたやりとりになった。
お互い、次の言葉が継げずにいる。
『思ってたとおりの声。とてもやさしい声。いつも楽しそうに話しかけてくれた、あの頃のままだわ』
そう涙声で話す母の言葉に、私の涙腺も呼応した。
それでも、話している間は、ずっと泣くのをこらえた。
『私の声は小さい頃と変わらないですか? やさしい声だったんですか……、今のこの声と同じなの? もっと、教えてください、お、お、おかあさん!』
私は、言いたくて言いたくて、ずっと待ち望んでいたひと言を告げた。
どれだけこの日を待ちわびただろうか。
この後のお母さんの言葉が怖い。
そんな呼び方しないで、などと言われないだろうか。
受け入れてもらえるだろうか。
胸が太鼓のバチでたたかれてるように、どん・どん・どんと大きな鼓動を響かせた。
『お母さんて呼んでくれてありがとう、美南』
『美南って呼んでくれてありがとう、おかあさん』
私たちは、同じような言葉を繰り返すことしかできなかった。
だが、この何でもないやりとりは、今までの十六年間を埋めるに充分であった。
その後、私たちは、たくさん話をした。
十六年もの間、どのように生きてきたか、友達はいるか、など色んなことを聞かれ伝えた。
おかあさんは、うれしそうな声で何度もうなずいてくれる。
このまま時がもっと続けばいいと思えた。
そのくらい、我を忘れるほどに話し込んだ。話続けて一息ついたところで、おかあさんがたずねてきた。
「中国での美南の名前は、なんて言うの?」
「李静です。日本人には言いやすい名前らしく、上司からもリーチンと、いつも呼ばれています」
「呼びやすくて、いい名前ね。育ててくれた中国のお母様に感謝しないとね」
おかあさんが、中国の母さんにも感謝する、と言う言葉を聞いて、無性にうれしくなった。
「あと、その上司は、さっきも話に出てた吉岡さんでしょう。美南は、その人を心から信頼してるのね」
「いい人ですけど、仕事だとすごく怖いんです。でも、おかあさんを捜している時は、やさしかったな。いつもやさしいといいのに」
私が、吉岡さんのことを話している間、やさしい笑みを浮かべながら静かに聞いてくれている。
気が付くと、二時間近くたっていた。
電話の充電がまもなく切れそうなため、とりあえず、一度切ることにした。
その後、来栖さんは、私の携帯から父と兄にも順に電話をかけてくれた。
母の時と同様に、動画で話をした。
二人とも、初めは驚き、その後泣いて喜んでくれたのは、母の反応と同じである。
いや、母よりも泣いていた。
いつもだったら、男性が声出して泣くなんてありえない、と思うところであるが、この時は、これ以上ないくらいありがたく感じ、心がほっこりした。
初めて聞く父の声は、想像以上に力強かった。
包容力のある低い声は、信頼できるものを感じた。
大地から響くような口調で
『ミナミ元気だったか、生きてて良かった。今すぐにでも会いたい』
と言ったのを聞き、初めて心の底から、父親がいる実感を得た。
兄は、若くてハキハキした明るい声が、印象的だ。
男性版の建華のようである。
小さい頃の私を面倒見ていただろうと、自然に想像できた。
それに何より、イケメンなのに驚いた。
父と母のいいところを受け継いでるように見える。
私は、部分的に似ているが、美人ではない。
だからと言って、悪くもない……と思う。
十人並みである。
そんなことを考えながら、ふと思った。
こんなに心が弾み、ウキウキした気持ちは初めてだ。
きっと、これが〈家族〉と呼ばれるものなのだろう。
翌火曜日、会社に行くと、吉岡さんが近寄って来た。
月曜日、会社を休んだため、心配してくれたようだ。
SNSで何度も連絡をくれたが、詳しくは会ってから話したいので、まだ何も伝えていない。
建華からも、幾度となく連絡がきていた。
この数日間、色んなことがありすぎて疲れた。
正直、どのように伝えていいのか、頭の中が整理できていない。
「土曜日は、一日中ありがとうございました」
「そんなことどうでもいいから、で、どうだった?」
「そのことなんですが、仕事が終わってからって空いてますか? きちんとお話ししたいので、今晩お時間ください」
吉岡さんは、すぐにでも、その後の展開を知りたいようでせかしてくる。
私も、伝えなければいけない、との思いはある。
そして、その晩、上海と杭州の警察であったことの全てを報告することにした。
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