第33話 真実への道(2)
翌月曜日の朝、来栖さんに電話をして、十一時に美和貿易の事務所で会うことになった。
当然、この日は会社を休んだ。
体調が悪い、と許さんに伝えたところ、すごく心配してくれ、少し罪悪感を感じた。
約束通り、朝十一時に事務所の中に入ると、すぐに来栖さんが現れた。
そして、いつもの生まじめな顔で、椅子に座るように勧めてくれる。
「急にどうしたの?」
突然の訪問に、きょとんとした顔でたずねてきた。
私は、正直に話した。
「私は小さい頃に誘拐されて、本当のお母さんを捜しています」
端的に、ひと言で伝えたつもりだったが、あまりにも突然過ぎたのか、意味を理解してないようである。
上海と杭州警察での話、吉林省の延吉市で過ごした日々のことなどを、最初から微に入り細に入り、事細かに話した。
聞き始めは、何を言うのか、と不思議そうな顔をして聞いていたが、話が進むうちに事情を呑み込めたようで、表情が変わり始めた。
左手で口を押さえ、嗚咽するのを必死に抑えているのがわかる。
それでも、あふれる涙は抑えられないようだ。
私も話しているうちに、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていった。
話が終わる頃には、お互い泣きくずれていた。
あまりにも大声で、人目をはばからずに泣いていたため、事務所にいる中国人スタッフは不思議そうな顔をして見ている。
きっと、何が起こったんだろう、と思っているに違いない。
気持ちが落ち着いてから来栖さんに、
「私のお母さんを知ってますか?」
とたずねると、来栖さんは、大きく首を縦に振った。
「お父さんも、お母さんも、お兄さんのこともよく知っているわ。ご家族とは、とても近しい関係なの」
そう言うと、パズルの最後のピースを埋める話を、ゆっくりとした口調で話を始めた。
「あなたの本当のお父さんの名前は、東中川吾郎、お母さんは沙羅、三つ上のお兄さんは陸くんと言うの。誘拐された女の子、つまり、李さんの本当の名前は、美南ちゃん」
来栖さんの言葉は、予想していたとはいえ、ショックだった。
そう〈ミナミ〉だ!
私に真実を告げると、来栖さんは、メモ帳を取り、家族全員の名前を漢字で書いてくれた。
初めて見る家族と自分の名前に違和感を覚えた。
見慣れたはずの漢字なのに、なぜか無機質でいて、でも、目を離せない不思議な力を感じる。
来栖さんは、話を続けた。
彼女は私の父の同僚だったそうだ。
当時、二〇〇〇年初頭の中国は、海外からの進出ラッシュで、会社を設立する日本企業が多かったと言う。
二〇〇一年、来栖さんと父は、ある中堅商社の駐在員として、上海に事務所を設立し、ビジネスを立ち上げるために赴任した。
その翌年、二〇〇二年に、父の家族も上海へ引っ越して来た。
二人は、大きなビジネスを作ろうと、中国に夢を見た。
とても希望に満ちていたそうだ。
仕事で忙しかった父は、平日も夜遅く、土日も仕事で家にいないことが多かった。
そのため、来栖さんは、忙しい父に代わり、私たち家族の相手をすることも多々あった、と懐かしそうに話してくれた。
来栖さんも仕事で忙しかったはずなのに、時間の空いてる時は、私たち家族の相手をしていたらしい。
来栖さんは、独身なので時間を割きやすかったとも言っている。
当時から、細やかな気づかいのできる人柄であったことが想像できる。
そのようなことから、プライベートでも私たち東中川家と付き合いが深く、時々皆で、郊外へ遊びに行っていた。
私のことも『ミナミちゃん』と呼んでいた、と教えてくれた。
「私、来栖さんに、かわいがってもらってたんですね……、ありがとうございます」
ずっと、仕事の付き合いをしてきたせいか、頭の中が小さな頃の話とうまくつながらずに、なんか妙な感じだ。
そのような日常を過ごす中、ちょうど家族が上海に来てから一年くらいたって、例の事件が起きた。
来栖さんが言うには、海外慣れした頃が、一番危ないそうだ。
海外で生活することは、日本と違う怖さがある。
最初は皆、気を張っているが、住んで一年経つくらいが、そういったことを忘れてしまう時期でもあるの、としみじみ話す。
来栖さんは、誘拐された時も、私たち家族と一緒に杭州にいた。
三歳の私は、初めて見る背の高い六和塔や山のように大きな大仏のある霊陰寺で、見たことないくらい大はしゃぎしていた、とおかしそうに話す。
日頃、忙しい父と、久しぶりに遊ぶ私たち家族の姿を見て、喜んでくれてよかった、と思ったそうだ。
そんな矢先の出来事だと言いながら、顔色も暗くなっていく。
事件のあったおみやげ店でも、最初は一緒に行動していたが、皆、見たいもの、買いたいものが違うため、別々に行動することにした。
この日も、度々、仕事の電話を受けていた父は、血相を変えて、建物の表に出て行った。
それを見て、来栖さんも、父の受けた電話が、ただ事ではないことを悟った。
何のトラブルかと確認するため、一緒に建物の外に出たそうだ。
そのような経緯からも、来栖さんは責任を感じているようである。
「仕事の心配ばかりせず、もっとミナミちゃんたちに注意を払っていればよかった。それが私の役目なのに……。トラブルの電話だって、今となってはたいした話ではなかったわ。なのに……」
とくやしそうな面持ちで話してくれた。
誘拐事件の後も、私の家族は、上海に住み続け、週末を杭州に行っては捜す日々を送っていたらしい。
それから、四年たった頃、父に会社からの帰任辞令がでた。
兄である陸の教育も考えた上で、泣く泣く日本へ帰国することを決めたそうだ。
来栖さんにも同じタイミングで、帰任辞令がでたそうだが、独り身であったことと、中国でのビジネスにおける魅力を捨てきれないことから、日本の会社を退社して、自身で新たに会社を立ち上げた。
中国で外国人が起業するには、それなりの資金が必要となるため、中国人のビジネスパートナーと一緒に立ち上げた。
それが今の美和貿易である。
もう一つ、中国に残った理由があると言う。
それは、自分が残って、誘拐された女の子を捜すことである。
「それが、私の使命だと思ったの」
と、来栖さんは伏し目がちに語った。
母の沙羅は、家族で帰国すると決まった時、一人残ると言い張ったそうだ。
父や来栖さんが、陸のためにも帰国するよう説得したのに、頑なに帰ることを拒否していたらしい。
『美南がかわいそう。誰があの子を捜すの? 今でもつらい毎日を送ってるかもしれないのに』
と母の沙羅が言うと、誰も何も言い返せず、来栖さんは、とっさに何か言わなきゃと思い、口を開いたそうだ。
『私、今の会社を辞めて、自分で一から会社を立ち上げるつもりです。事務所は、上海に近くて、工場が多いところ。歴史があり、経済的にも成長している豊かな街、杭州にするつもりです』
と皆に向かって言い放った。
『うちの家族のためじゃないのか? 会社まで辞めるなんて……、そこまでして君が犠牲になる必要はない。辞めるなら、僕が会社を辞めて上海に残る』
父は、そう言ったようだが、来栖さんは、きっぱり否定した。
前々から、独立は考えていたことを説明した上で、家族は離れ離れになってはいけない、と諭したそうだ。
父は、何もできないふがいなさに忸怩たる思いだったのか、『すまない』と、絞り出すように言った。
来栖さんは、十六年経った今でも、その時の表情が脳裏に浮かぶと言う。
母も泣きながら、来栖さんの両手をとって握りしめた。
来栖さんは、その手から伝わる思いは今でも忘れない、と言い、目をギュッとつむっている。
それ以来、週末のたびに誘拐された女の子を捜していた。
十六年もの間、ずっと……。
私は、話をしている来栖さんの姿を見ているうちに、来栖さんの心の内に、贖罪の心を垣間見た気がした。
全てが来栖さんのせいではないのに、日本にいる私の家族の想いを一身に背負ってきたことを考えると、返す声も自然と潤んできた。
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