第32話 真実への道(1)

 次の日、二〇〇〇年から二〇〇三年の間に誘拐された日本人の子供を調べるため、ひとりで警察を訪ねた。

 吉岡さんと建華は予定があり、一緒に行けなかった。

 何かあったらいつでも電話してほしい、と二人とも言ってくれる。

 昨日から、気持ちが張りつめていたため、二人に気を使わせなくてよかった、と心底思った。


 警察へ行くと、いつもの皮肉屋な担当官はいなかった。

 新しい担当官に今までのいきさつを話すと、生まじめな顔で「すぐに調べるから待っててください」と言って奥に引っ込んだ。


 二十分くらいたったであろうか。

 戻ってくると、たった一言、「杭州の警察へ行きな」と言う。

 当時、誘拐された日本人の子供は、たった一人だけだった。

 事件は、二〇〇三年に杭州で起きたそうだ。

 その日本人の子は、女の子で当時三歳。

 日本人の年齢で、三歳だと念を押された。

 つまり、中国式に数えると、四歳となるのだろう。


 詳しいことは、現地の警察で聞いてほしい、と言われた。

 前の担当官に比べて、しっかりと対応してくれるが、何か心寂しさを感じる。

 前の担当官は、口が悪くても、私のことを思ってくれていた気がする。

 この担当官は、能面のような顔をで、業務を淡々とこなすだけである。

 上海のような都会では、普通の思いやりある対応は望めないのだろうか。

 典型的な田舎だったが、暖かい延吉の街を、この上なく懐かしく思った。


 私は、すぐに新幹線のチケットを取り、杭州へ向かった。

 新幹線は速く、一時間もかからずに杭州へ着く。

 私は、そのまま杭州警察を訪ねた。

 杭州の警察は、上海の警察に比べると外から来た人にもやさしい。

 愛想よく、にこやかに応対してくれた。

 こんな普通のことが、うれしく思えた。


「上海の警察で聞かれたように、二〇〇三年に日本人の子供の誘拐事件がありました。いやあ、当時は、かなり大騒ぎになったそうですよ。この十何年もの間、あなたも大変だったでしょう。吉林省とは、これまた遠いところへ連れて行かれたんですねぇ。ところで、今のご両親は、このこと知ってるのですか?」

 この担当官は、人はいいが、聞いてほしくないところまで、踏み込んで来る。どの人も一長一短何かしらあるんだ、とため息がでた。


「教えて下さい。当時、何があったのですか? 家族は今も中国にいるのでしょうか? 私の本当の名前はミナミですか?」

 担当官の質問を無視するように、立て続けに聞きたいことだけを浴びせた。


「ちょ、ちょっと待ってください。順を追って話しますから」

 担当官はあわてている。


 かなりのんびり屋さんのようである。

 上海と杭州、双方の担当者を並べて、ちょうど中間くらいがちょうどいいのに、と思いつつ、ゆっくり進む担当官の話を、前のめりになって聞きいった。


 担当官の話だと、当時、その日本人の被害者家族は、四人だった。

 上海の新南地区に住んでいたそうだ。

 父親は、上海に進出した日本企業の商社に勤めていた。

 母親は専業主婦。子供は二人で、兄と妹。その妹が連れ去られた女の子である。


 誘拐された女の子は、当時三歳だった。

 六歳の兄は、明仕城の敷地内にある日本人向けの幼稚園、上海オリオン幼稚園に通っていた。

 明仕城の敷地内と聞き、私は引っかかるものを感じた。

 と同時に、スマホで調べてると、ピンク色に鮮やかな赤い帽子の写真がでてきた。


 そう、あのお城だ。

 

 その女の子は、毎日お母さんと一緒に、幼稚園へお兄さんを迎えに行っていた。

 いつも、そのことを楽しみにしてたらしい。

 今はレストランとして使われているあのお城が、当時は幼稚園だったというのか。

 私の記憶の中に、はしゃぐ子供たちが見えたような気がした。


 担当官の話すこと全てが、私にとっては大きな衝撃となり、頭の中ではじけていく。

 この後も続く事件のいきさつを、半ば放心状態で聞いていた。

 

 誘拐事件のあった日、私たちは、杭州を旅行していたそうだ。 

 上海から杭州まで、西へ車で三、四時間くらいである。

 世界遺産の西湖はもちろんのこと、霊隠寺や六和塔など、いくつかの観光名所を訪ねた。


 最後に、家族でおみやげ屋に行った時、事件は起こった。

 家族の入ったおみやげ店は、六和塔を模した六階建ての大きな店だった。


 最初は皆、かたまりとなって、一階にある珍しい杭州の名産品を見ていた。

 しばらくすると、父は、仕事の電話がかかって来たため、急ぎ建物の外にでていった。


 母は、子供たちを連れて四階に行き、女性好みのかわいい置物を見ていたらしい。

手に取った商品の素材について、つたない中国語で店員に向かって身振り手ぶり、たずねていたと言う。

 どうやって伝えようか、と一生懸命になっているうちに、すっかり子供たちのことを忘れていた。

 気がついて振り返った時、それまで後ろにいた二人の子供がいないことに気づいた。


 母は、あわてて子供たちを捜した。

 すると、兄が、三階の階段のところで一人遊んでいるのを見つけた。


 妹だけいない。


 屋内を一階から六階まで、いくら探しても見つからないことがわかると、大声で女の子の名前を叫んだ。


 事態を察知した店員が飛んできて、一緒に捜してくれた。

 建物の外で電話していた父も、ただならぬ気配を感じて戻ってきた。

 すぐに店員の機転で、お店の入り口を全て閉め、誰も出入りできないようにした。

 当然、建物の中にいるはず、と考えた。

 しかし、建物の中を隅々まで捜したが、女の子は見つからない。

 後で、他のお客から男が女の子を抱えて出て行ったことを聞いた。

 犯人と女の子を建物内に封じ込めたつもりだったが、既に遅かった。

 

 その後、地元杭州の警察も出てきて、建物の周辺含め捜したが、結局、犯人と女の子は見つからなかった。


 後日、家族が住む上海の日本領事館からも、杭州がある江蘇省の省政府に捜索の継続を要請をした。

 それでも見つからず、数年後、捜査は打ち切られた。


 家族は、日本に戻ってからも領事館と連絡をとっていたらしいが、当時の領事館の担当が代わると、あまり熱が入らなくなったようで、段々連絡がなくなっていったそうだ。

今では、領事館をあてにせず、自分たちだけで女の子を捜しているようだ。


 当時、その女の子の特徴は、身長九十五センチくらいで、髪は肩までのややくせ毛。小柄で細身だった。


 その日は、水玉模様の長そでシャツを着て、無地のピンク色のスカートをはいていた。

 靴は、赤に白のラインが入り、内側に名前が書いてあったそうだ。


 私は、あまりにも生々しい話で、聞いていてつらくなった。

 ただ、本当の家族がわかったことは、素直にうれしかった。


 他にも聞きたいことはたくさんあったが、私が、その当人かどうか、はっきりした証拠もないため、これ以上は話せない、と言われた。


 担当官は、家族の代理人に連絡をとるようにと話しながら、メモを渡してきた。

 全ては、その人が教えてくれると言う。

 私が、その当人かどうかも代理人が見極めるだろう、と言われた。


 そのメモを見た刹那、口から心臓が飛び出るかと思った。

 それくらい、思いもしない衝撃的なことが書かれてあった。


 そこには、代理人の名前と連絡先が書かれてある。

 〈一三九―五四二二―×××× 来栖里絵 〉


 私は、半ば呆然としつつ、杭州警察をでた。

 スマホを見ると、吉岡さんと建華からひっきりなしに連絡が入っている。

 だが、その日はまだやることがあったために、連絡しなかった。

 まだはっきりと、その子供が自分であると決まったわけではないが、話の筋から納得はできる。

 お城が幼稚園であるというのも驚きであった。

 今のレストランとしてのお城しか知らなかったが、大勢の子供たちが違和感なくイメージできる。


 杭州のみやげ物店でいなくなった時の両親の気持ちに寄り添うと、自然と涙があふれでる。

 どんなに悲しい想いをしたことだろう。

 私は、今までそんな辛い気持ちになることはなかった。


 今まで、自分の不幸を呪ってきた。

 他の人に比べ、不幸せな身の上を嘆いた。


 今、この話を聞いた後、私を失った家族の気持ちを思うと、そんな辛い状況にあった家族に、早く会って安心させてあげたかった。


 私は、まだ会わぬ家族を想い「お父さん、お母さん、お兄ちゃん」と小さな声でつぶやいた。

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