第31話 急展開(3)
「そうか、でも高い生活水準の家庭とわかっただけでも、だいぶ探しやすくなるさ。あ~あ、いっそのこと、本当の家族が日本人なら、もっと簡単なのになあ」
私と健華は動きを止めた。
「静が、日本人? そ、そんなことあるわけないですよ。吉岡さん、ちょっと飛躍しすぎだと思います」
建華は、引きつった表情で、舌をもつれ気味にして言う。
言葉では否定しつつも、ぎこちない口調が、発言の可能性の高さを示している。
私は、何も言えなかった。
それどころか、頭の中が整理されずに混乱している。
今まで中国人として考えていたのが、急に日本人じゃないか、と言われても、素直に受け入れるには無理がある。
「そんなこと考えたこともなかったです」
「信じられない。〈猫の恩返し〉は中国でもDVDが出回っているし、ネットでも見ている人はいくらでもいますよ」
「表さんの言う通りだと思う。だから、両方の可能性を追いかけてみてはどうだろう」
建華の驚愕の表情に対し、吉岡さんは、何気なく放った自身の発言を確かめるように、ゆっくり話す。
「なんか、頭が混乱してきました。色んなことがあり過ぎて……」
「そうだよね、この短い間に色々あり過ぎたんだ。一度話を整理しようか」
吉岡さんは、私と建華が動揺しているのを感じたようで、仕事同様、仕切り上手なところを見せた。
すっくと、立ち上がって腕を組みながら、気難しそうな表情で話しだした。
「ポイントは、四つあると思うんだ。一つ、小さなリーチンは、二〇〇三年に人買いの男から、今のお母さんに売られた。二つ、記憶の中にあるお城を見つけた。それは、上海の新南地区にあり、ピンク色で赤い帽子のような屋根をつけたお城である。三つ、お母さんから送られた手紙と一緒に、子供の頃、履いていた靴が入っていた。そこには、〈三十三〉の文字がうっすらと書かれている。他にも書かれていたようだけど、文字は消えていて読めない。およそ十文字くらいと思われる。最後の四つ目は、これも記憶の中にある歌が、中国や台湾・日本で何人かの歌手によって歌われていた。記憶のあいまいさから二〇〇六年とは考えにくい。日本と台湾では二〇〇二年である。ただもう一つ、この歌が頭の中に浮かぶ時、必ず女の子と猫たちの映像も浮かぶ。その映像は、日本のアニメ映画〈猫の恩返し〉であることがわかった。しかも主人公の女の子の名前が、〈ハル〉と日本語で覚えていることから、日本で映画を見たのか、若しくは日本語のDVDを見たかのどちらかだと思う」
吉岡さんは、わかりやすく四つに分類して説明してくれた。
建華も大きくうなずきながら聞いている。
吉岡さんの話から、新たにわかったことがある。
〈日本〉と言うキーワードである。
一つは、日本のアニメ映画の主人公の名前を日本語で覚えていたこと。
もう一つは、お城のある場所は、日本人が多く住む、新南地区にあることだ。
今まで思いもしなかった可能性を、強く意識しつつも、そんなことはありえない、とすぐに自身の心の中で打ち消す。
そう逡巡(しゅんじゅん)していると、頭の上から声が聞こえてきた。
「二人ともある共通点に気づいたと思う」
吉岡さんが、自信たっぷりに話している。
「主人公の名前が日本人の名前と知っていたことと、新南地区は日本人が多く住むことの二つですね。だからと言って、日本人とは言えないでしょう。新南地区に住んでいたら、日本語のDVDを置いてる店は多いから、買う機会はあったでしょうね。だから、日本人でなく、中国人じゃないかと思います」
吉岡さんがもったいつけて言おうとしていたことを、建華はさくっと言ってしまった。
吉岡さんは、ちょっとしょげた様子である。
建華は、吉岡さんの日本人説には反対のようだ。
一番の親友が、いきなり中国人でなく日本人と言われても、受け入れがたいのであろう。
私には、わかる気がする。
もし私が同じ立場で、突然、建華が日本人だ、と言われても、簡単には受け入れられないであろう。
それに、そんなこと言われると、きっと寂しくなると思う。
「あと、靴には〈三十三〉と中国語で書かれてるでしょう。絶対、中国人ですよ」
「いや、表さん、〈三十三〉は日本語でも同じだし……」
「中国語か日本語か、はっきりわかるように書かれてればよかったのになあ。〈三十三〉だと、どちらかわからないよね」
私は、打つ手なしの状況にうなだれた。
「そうだよな、ひらがなで書かれてればまだしも、漢字じゃわからないなあ。はっきりわかれば……。そうだ、リーチン、ち、ちょっと、その靴見せてくれる?」
「今、現物はないですが、スマホに写真が入ってるので、ちょっと待ってください」
本物の靴は、部屋に置いてあるため、スマホに撮ってある写真を見せた。
吉岡さんは、写真を引き伸ばして、真剣な顔つきでじっと見入っている。
「ちょっと見にくいですよね。もう古いから、文字が消えかかってるんです。何か目新しい発見ありますか?」
「やっぱりそうだ、間違いない。リーチンは日本人だ!」
「え、吉岡さん、どうしてそう思うんですか?」
建華は、気になるのか、すぐに問い返した。
「うん、二人とも、これ見て。先ずは、〈三〉の字。左から右に向けて、少し下がっているよね。これは、日本語のカタカナの〈ミ〉と同じ。それに〈十〉の下の方が少し左にはらわれてる。これは、カタカナの〈ナ〉だと思うんだ。最後は、再び〈ミ〉の字。つまり、つなげて読むと、〈ミナミ〉となる。これは、まさしく日本人の女の子の名前だよ」
吉岡さんは、自身の考えを披露した。
私の思いも知らずに、勝手に推理を進めて、結論づける。
あまりの展開の速さに頭がついていかないが、話は具体的であり、否定する要素はない。
今では私も、日本人説を掘り下げる必要を感じていた。
中国人という前提で考えていたため、文字がナナメになっていたり、下の方が左にはらわれたりなど、全く気にしなかった。
中国人でも悪筆な人は、そのような文字は普通に書くからだ。
横で建華が、口を開けて何か言おうとしているが、なかなか言葉にならないようだ。
「静、日本人かもしれないんだ……。決まったわけじゃないけど、吉岡さんの推理は、信ぴょう性あるよね。ちょっと、私の気持ちは複雑だけど、静の家族捜しが前に進んだことは、正直うれしいよ」
建華は、言葉を振り絞るようにして、言葉を紡いでくれている。
うるんだ眼は、純粋に喜んでくれているのか、それとも同じ中国人と思っていた親友が、日本人とわかった寂しさからなのか、どちらかわからない。
ただ、このひと言で、建華が心の底から、私の幸せを想ってくれていることは伝わって来る。
改めて、親友のありがたさを感じた。
「うん、建華ありがとう。でもこれって、いいことなのかどうか、わからないよね」
涙声で、心のままに返した。
女二人に泣かれて、吉岡さんは困り顔である。
しばらく、何も言わずに二人を泣かせてくれた後、口をはさんだ。
「まだ、家族が見つかったわけじゃないけど、大きく前進したのかな。中国で日本人が誘拐された事件となれば、かなり絞られるだろう。あと一歩だな」
私の頭の中は、未だ、もわっとしていた。
それでも、吉岡さんの話を聞きながら、本当の家族に近づいてきたことを実感していた。
部屋に戻った後、独り静かに考えた。
私が日本人かもしれないと言う。
それは大好きな日本の一員である嬉しさと同時に、今まで当たり前に感じていた中国人・朝鮮族としてのアイデンティティを失った気がしての喪失感もあった。
この両方が混ざり合う不思議な感覚だった。
私の眼からは、自然と涙がボロボロ溢れ出て、しばらく止まらなかった。
その涙が、うれしさか悲しさかはわからないが、本当の家族に会えることだけを単純に夢見ていた昨日までとは違う気持ちであることはわかった。
漫然としていた警察担当官や周佳の言葉に隠された意味に、ようやく気づいた。
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