第30話 急展開(2)

 週末、私と建華は、吉岡さんの部屋に集まり、梁靜茹の『小手拉大手』について話をした。

 二人にはまだ何も伝えてなかった。

 大事な話なので、二人がいる場で、同時に伝えたかったからだ。


 三人が揃ったところで、話を切り出した。

 建華は、聞くと同時にSNSで調べ始めた。

「静、その歌だけど、他の歌手も違うタイトルで歌ってるようだよ」

「えっ、そうなの?」

「うん、一番古いのは二〇〇二年があるみたい」

「それだと、私が三歳の時だから、記憶があいまいなのも納得できる」

 私は、二〇〇六年の梁静茹の『小手拉大手』が、記憶にある曲と同じとは思えないことを二人に話した。


 もしかしたら、二〇〇二年の台湾の歌手が、私の記憶の中の歌ではないかとも思ったが、あまり中国では有名ではない。

 これだけはっきりした記憶があるのに、それを偶然聞いただけとも考えにくい。

 今ひとつ、決め手に欠けていた。


「ちょっと、話が見えないんだけど?」

 つい、中国語で話込んでいた私と建華に、吉岡さんが問いかけた。


 ひと通り説明し終えると、梁静茹の動画を再生した。

 よく見えるようにパソコンの大きい画面に映し、皆で顔を近づけてのぞき込んだ。


 例の軽やかなテンポの曲が耳に入ってくる。

 三人とも物音一つ立てずに息をのんで聞いている。

 少しして、静寂な空間を壊すが如く、吉岡さんが「えっ、この歌!」と声を発した。


 その表情は、何かとんでもないものを見たかのように、とまどった顔をしている。

「どうしました?」

 私は、吉岡さんの反応に何かあると感じ、反射的に聞いた。


 吉岡さんは、驚きのあまり、すぐには声に出せないようだ。

「い、いや、この歌さあ。これ、俺も知ってるよ」

「吉岡さんは、子供の頃、台湾に行ったことあるのですか?」

「い、いや、そうじゃなくて。とにかく、これ、これ見てよ」


 興奮気味に言うと、DVDの積まれているところへ行き、何か探している。

 奥の方から一つのDVDを引っ張り出してきて、プレーヤーにセットしている。

「とにかく、これ見て」

 吉岡さんはそう言うと、私たちにアニメ映画を見せた。


 ジブリの作品である。

 早送りして最後のエンディングテーマが歌われている。


 それを聞いた瞬間、私と建華は、ほぼ同時に喚声を上げた。

「えっ」

 吉岡さん同様、今度は私と建華が驚く番だった。


「どういうことですか、これ? なんでこの歌が日本語で歌われてるんですか?」

 私は、予想だにしない状況に動揺し、その答えを吉岡さんへ求めた。


「驚いたろう。さっき、俺も中国語の歌を聞いた時は驚いたよ。これは日本のアニメ映画〈猫の恩返し〉の主題歌で、〈風になる〉と言う曲なんだ。日本でもこちらと同じく子供たちに人気のある曲さ」

 この映画を見ていて、更に驚いたことに気が付いた。


 登場人物が、であった。


「これ、間違いない。私の記憶の中に出てくる女の子と猫たち。以前、建華にも話したよね。この映像は、私の脳裏に浮かぶのとまったく同じ。猫が人間の言葉を話すんだよ」

「ジブリのシリーズは、中国でも人気だし、DVDもたくさん出てるからね。きっと、静は、お母さんに見せてもらったのかもしれないね」

 建華は、自分の考えが、さも間違いないと言いたそうだ。


 私は、二人と話をしながらも、時々テレビの方に目をやる。

 主役らしき女の子を見つけると、つい言葉が口をついてでた。

「あっ、ハルだ」

 今まで以上に驚き顔の吉岡さんが、私のことを見つつ、DVDの再生を停めた。


「ちょっと、待って。今、ハルって言ったよね。どうしてリーチン、主役の女の子の名前がハルってわかるの?」

 なぜか、吉岡さんは、怖い顔して問い詰めてくる。


「どうしてって、彼女の名前はハルじゃないの?」

「いや、その通り。彼女の名前はハルだよ。でも、それって……」


「そう言われると、なんで知ってるんだろう。やっぱり私、小さい頃に、この映画見てるってことだよね」

 おかしくて、笑いながら建華の方を見ると、ぽかんと口を開けて、私の顔を凝視している。


 二人のリアクションがおかしい。

 何が起こったかわからないのは、私一人であることを悟った。


 吉岡さんが口を開くと、まるでハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

「リーチン、どうして〈ハル〉という日本人女性の名前を知ってるの?」

 建華も、吉岡さんからリモコンをひったくり、主人公が出てくるシーンを探した。


 言語を日本語から中国語に変えて再び再生ボタンを押す。

「ほら、〈ハル〉と言ってないでしょう。中国語で〈春(チュン)〉と言ってるよね。静は、子供の頃、〈春(ハル)〉と日本語で呼ばれているのを、映画かDVDで見たってことだよ」

「でも、日本語の音声で、中国語は字幕だったのかもしれないよね」

「小さな子と見るのに、普通、中国語の字幕を選ばないでしょう」

 吉岡さんは、私の意見をさえぎるように言葉をはさむ。

 それ以上、一言も発することができなかった。


「私が母さんと二人で住んでいた頃は、家にDVDの再生機はなかったし、テレビでも日本のアニメなんか見せてくれなかった。母さん、はっきり言わなかったけど、日本のことは好きじゃないんだ。私が、第二外国語で日本語選んだ時も、嫌そうな顔してた。建華は、延吉市に日本嫌いな人が多いのわかるでしょう。なんと言っても、延吉市は昔、満州と言われた地域の一部だったんだから」

 私は、同意を求めるように、建華に向かって問いかけた。


「うん、わかるよ。年老いた人たちは、未だに中日戦争の話をするからね。侵略された怨みの意識は根深いよね。考えられるのは、恐らく誘拐される前に見たってことだよね。しかも、吉林省ではないところでね」

 建華は、思案気に言う。


「でもさあ、リーチンのお母さんがいない時に、テレビで見たことも考えられるよね。あと、子供の頃に友達の家に遊びに行って、そこで見たとか?」

「吉岡さん、中国のテレビは、日本の番組などめったに放映しません。二〇〇三年頃であれば、余計にありえません。見れたとしても古い映画です。建華の家みたいに裕福であれば、ケーブルテレビを契約して見れますが、当時、延吉市の一般家庭では、そんなものは見れなかったんです」

「ちょっと静、うちは裕福じゃないよ。普通の家庭だよ」

「そうだね、家にベンツがあるだけの一般家庭だよね」

 建華は、お嬢様だが気取らないところが魅力である。

 ただ、鈍感すぎるのも嫌味だよ、と時々言いたくなる。


「でもさあ、中国の事情はわからないけど、日本のDVDや外国の番組を見れるのが裕福な家庭であれば、だいぶ絞られるんじゃないの?」

「延吉市であれば絞られますが、上海市周辺は生活水準が高いです。DVDを見れる家庭も多かったことでしょう」

 私は、少しうなだれ気味に答えた。


 吉岡さんは困り顔を見せているが、次の瞬間、思いつきからか、とんでもない一言を放った。

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