第29話 急展開(1)
母さんと別れた後も、私の両親捜しは、何の進展もないままであった。
週末になると、子供を誘拐された人々をたずねていた。
いつも本当の両親かも知れないと期待して行くが、その期待はすぐにかき消される。
そんな日々のくり返しであった。
心情的にもきつかった。
当時を思いだした被害者家族に泣かれたり、罵声を浴びせられることもある。
もっと困ったのは、私が本当の子供かもしれないと希望を持たせてしまうことだった。
すぐに違うことは判明し、顔いっぱいに広がる笑顔から、失意の涙顔への落差が、私の心をしめつける。
彼らの表情を見る度に罪悪感を覚える。
もう家族捜しもあきらめた方がいいのか、とも考えた時、ある人の顔が頭に浮かんだ。
周佳である。以前、家族かもしれないからと、実際に会ったひとりだ。
姉を見つけられないでいる中学生の周佳とは、お互いに親近感を覚え、時々SNSでやりとりをしている。
多くの被害者家族と語り合ってきた、今の私の気持ちを素直にSNSで送ってみた。
『家族捜しを続けるべきかどうかの意見を聞きたい』
と書いた。
弱気になっている自分自身の気持ちを、周佳に後押ししてもらえるのではないか、と暗に期待した。
だからこそ、
『本当の家族を捜すためにあきらめないでほしい』
と、返事がくると思っていた。
戻ってきたコメントを見ると、予想に反したものだった。
『李静さんがつらいのであれば、やめてもいいと思う』
と書かれていた。
すぐにその真意を問うコメントを送る。
『どうして、そう思うの?』
私は、意外な言葉に動揺しつつ、短いコメントを返した。
次のコメントが来るのを、今か今かとスマホを両手で持ち、待っていた。
数分たったであろうか、周佳からコメントがきた。
たった数分だが、私には数十分にも感じた。
『私が小さい頃、母はいなくなった姉を思って、いつも泣いていました。それを見ていた私もつらかった。大きくなった今でも、そのことは忘れられません。今だったら母に、もうあきらめてほしい、と伝えられますが、子供の頃の私は、ただ見ていることしかできませんでした。それに……、見つかったら、全てがハッピーになるとも限らないと思うし……』
『ごめん、周佳の気持ちも考えずに、自分のことばっかり……』
周佳からのコメントを見て、苦しいのは私だけではないことに気づいた。
被害者家族の中でも当人である自分が、一番不幸な境遇であると勘違いしていたかもしれない。
意識していたわけではないが、他の人たちの気持ちをないがしろにしていた。
相談に乗ってくれている周佳も、被害者家族として、人には言えない経験をして今がある。
普通に接してくれているが、人に言えないほど心の重くなるような日々を過ごしてきたに違いない。
『私たちが初めて会った日から、李静さんの気持ちが日に日に沈んできているのを感じています。私の思いは一つだけ、李静さんには、これ以上つらい思いをしてほしくないだけです』
この一連のやりとりから、私の独りよがりな行動で、周りの人に迷惑をかけているのではないかと考えた。
建華と吉岡さんにしても、自分は不幸だから協力してもらえると、甘えていた部分があるのではないのだろうか。今更ながら、そう感じた。
建華や吉岡さんに、いつまでも甘えてはいけない。
今年中に見つからなければ、来年は自分一人で探そう。
それでも見つからなければ、きっぱりとあきらめよう。そう決意した。
季節の移り変わりは早い。既に肌寒い初秋であった。
いつのまにか、社会人生活も一年を超えていた。
この日は、協力会社をひとりで訪問していた。
訪問先は、南京の郊外にある。
蘇州から車で三時間ほどかかるので、朝早くに家をでた。
最初の協力会社との打ち合わせが終わり、次の訪問先へと向かった。
約束の時間まで、まだ余裕がある。
ちょうど、お昼も近づいてお腹も空いてきた。
食べる店を探すため、車から降りて街中をぶらぶらと歩いた。
赤茶けたレンガ造りの古いお店や、歴史を感じさせる古民家が立ち並ぶ街路を歩いていると、向こうの方から幼稚園児の一行がやって来た。
先生らしき大人と一緒に、楽しそうに歌を歌っている。
とても、ほほえましい光景に心が弾む。
段々と、私たちの距離は縮まってくる。
ようやく、一人ひとりの顔がはっきりと見えるくらいに近づいた時、子供たちの歌が、私の耳に触れた。
刹那、耳を疑った。
「え、この歌は!」
頭の中で考える間もなく、口からついてでた。
突然、素っ頓狂な声を上げたために、先生と生徒たちは驚いたようだ。
けげんそうな顔をしながら後ずさりしている。
先日、地下鉄の中で女性がハミングしていた曲である。
私の記憶にある曲で間違いない。
頭の中に、女の子と猫の映像が現れる。
初めて記憶に色がついた。
子供たちを引率している先生に、興奮した状態でにじり寄った。
「教えて下さい! 今子供たちが歌っているのは、何という曲ですか?」
「えっ、何ですか」
引率の先生は、いぶかしげな目で私を見る。
不審者に対するような態度をとられたことから、少し正気を取り戻した。改めて、ゆっくりと口を開いた。
「すみません、驚かせてしまいました。先程、皆さんが歌っていたのは、小さな頃から私の記憶の中にある曲なんです。まさか、本当に存在する歌だなんて思ってなくて、つい驚いて大声をだしてしまいました」
相手に誤解されないように、詳しく事情を伝えた。
引率の先生は、一応理解してくれたようで、気を取り直し答えてくれた。
「この歌は、梁靜茹(リャン・ジンルゥ)の『小手拉(シャオショウラ)大手(ダーショウ)(小さな手で大きな手を引いて)』と言います。昔から子供たちに人気の歌なんです」
「ありがとうございました。助かります」
手短に礼を言うと、すぐにスマホで検索した。
梁静茹なら有名な歌手なので、私も知っている。
でも、この歌は、……。いつ・どこで聴いたのだろう。
先生は、『昔から人気の歌』と言っていた。やはり、私が、子供の頃に聞いているのだろう。
梁靜茹の『小手拉大手』を調べていると、動画が出てきた。
動画の中には、ビーチで過ごすさわやかな男女が出てくる。
二〇〇六年の歌で、当時台湾・中国で人気だったようだ。私は、七歳くらいだ。
ぼんやりとした記憶は、もっと古いような気がするが、この頃なのだろうか。
この歌は、幼稚園でもよく歌われていたそうだが、二〇〇六年頃、既に私は幼稚園を卒園していた。
どこでこの歌を聞いたのかがわからない。
幼稚園ではないとすると、他の場所で聞いたにちがいない。
小学校だろうか。それとも、テレビか何かでやっていたのを聞き流していたのかもしれない。
私は、何度もくり返し、動画を見た。
そのせいか、頭の中で曲のサビであるフレーズがリフレインされた。
軽快なテンポの曲で、とても楽しくなる。
今週は、一人で協力会社をまわっていた。
そのため、一人で考える時間も多く、移動の間中、曲のことだけが私の頭を占めた。
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