第28話 突然の別れ(4)
土曜日の午前中の便で、延吉行きの予約を入れた。
延吉空港には午後に着くため、夕方までには実家に着けるだろう。
最後に母に会って、今まで育ててくれたお礼を言いたい。
最近、変なわだかまりが出来て、話しづらくなってしまったが、本音で話をしたい。
そんな一途な気持ちを抱きながら、蘇州の部屋を出た。
空港でチェックインをした時、カウンターの女性から、飛行機が遅れているため出発時刻も遅れる、と聞かされた。
私は、少しくらいの遅れならと思い、ゲートの方へ向かった。
一時間、二時間と待つが、度々遅れのアナウンスが繰り返される。
心配になって聞いてみると、延吉ではかなりの雷雨らしく、飛行機が飛ばないらしい。
もしかしたら、土曜日の便は、全て欠航になるかもしれない。
「困るんです。私、今日の便に乗らないと母や弟と会えなくなります。どうにかなりませんか?」
「申し訳ございません。延吉からの便が着かない限り、出発できません」
「他の便はありませんか? 経由便でもなんでも構いません」
「午前にもう一便ありましたが、そちらも同様に飛行機が延吉を出れません。他の曜日であれば、午後の便もあるのですが、土曜日は午前便しかありません。重ね重ね、お詫び申し上げます」
ベテランらしきグランドスタッフの女性は、心の底から申し訳なさそうな声をだす。
私も彼女の言いたいことは理解できるが、母に会えなくなるかもしれない状況が、冷静に対応する余裕を奪っていた。
しばらく食い下がって頼みこんでみたが、どうにもできない、と言い切られた。
土曜日の出発はあきらめ、日曜日の朝早い便を探した。
日曜日の午前便に乗れれば、昼過ぎに着くようだ。
うまくいけば、三人が韓国へ出発する前にギリギリ空港で会える。
再び私は、チェックインカウンターに行き、担当の女性に説明した。
エコノミー席だけど、一番先に飛行機から降りられるように頼みこんだ。
その女性は、とろけそうなほどの笑顔で了承してくれた。
吉岡さんもこういう女性に弱いのかな、と思いつつ、時間の調整がなんとかなりそうなことに安堵した。
翌日私は、余裕を持って空港へ向かい、便が到着していることを確認した。
昨日のこともあるので、少し神経質になっている。
飛行機は予定通りに離陸した。
他の乗客は旅慣れているらしく、皆落ち着いている。
私は、母に会って何を伝えるかを考えた。
ここまで何度も思い描いたが、最高のひと言が思い浮かばない。
一度、決めても、また打ち消す。その繰り返しである。
キャビンアテンダントからのアナウンスが聞こえる。
あと、三十分ほどで着陸らしい。
私の胸の鼓動は、だんだんと高まっている。
鼓動が高鳴る理由は二つある。
一つは、母さんに会える最後となるかもしれないこと。
もう一つは、過去の私への訣別であり、再出発の始まりである。心の中で、今も緊張感が続く。
ガッガッガッとの大きな衝撃と共に、飛行機は地面に降りた。
十分ほど地上を移動した後に、機体はエンジンの音を静止させた。
皆、立ち上がり、荷物を降ろし始めている。
私も急ぎ荷物を降ろし、出口へ行こうとした。
すると、前方にいたキャビンアテンダントの女性が体をすべらすようにして、私の行く手をさえぎる。
「すみません、昨日もカウンターの女性に伝えましたが、私は人と待ち合わせをしているので、一番最初に降ろして下さい」
「申し訳ありません。そのような話は承っておりません。エコノミーの方は、ビジネスクラスの次の順番となりますので、もうしばらくお待ちください」
「困ります! 母は、四時半の便で韓国へ立ちます。遅くても三時半には出国手続きに行くでしょう。今、もう三時過ぎています。すぐに行かないと二度と会えないんです。どうかお願いします」
私は、目に涙をためながら、にじり寄った。
私の目をじっと見つめていたキャビンアテンダントは、先ほどとは態度を百八十度変え、ビジネスクラスの人たちを抑えて、出口の方へ案内してくれた。
機体の外へ出ると、一目散に駆けた。
到着出口を出ると、そのまま出発ロビーへむかった。
息が出来ないくらい苦しかったが、それでも走った。
もうすぐ母さんに会える。
その思いだけで一気に駆け抜けた。
出発ロビーに着いた。
まわりを見まわしたが、母さんの姿は見えない。
まだ三時半にはなっていないが、短気な父さんが、『早く入ろう』と言い出したのかもしれない。
これっきり会えないと思うと、私は色々なものを恨んだ。
雷雨で遅れた飛行機を恨んだ。
頼んでいたのにキャビンアテンダントに伝えてくれなかったチェックインカウンターの笑顔の素敵な女性も恨んだ、私を機内で引き留めたキャビンアテンダントの女性も恨んだ。
でも一番恨むべきは、私自身だ。
手紙を受け取った後、すぐにでも連絡することはできた。
そろそろ韓国へ行くことも予想できた。
それなのに、敢えて目をそむけていた。
これ以上、傷つきたくなくて、自分を守るつもりが、より深い傷を負うことになっている。
私は、悔やんでも悔やみきれないでいた。
「おねーちゃん」
声とともに、いきなり後ろから抱きつかれた。
「賢友! 驚いた。まだ母さんもいるの?」
「うん、これから三人で韓国へ行くんだ。お姉ちゃんも行くの?」
「来ないでいいって言ったのにお前は。こうと決めたら、止まらないのは相変わらずだね。賢友、そろそろ時間だから行くよ」
「母さん!」
一度はあきらめた母さんとの再会に、私の声は弾んだ。
「会えて良かった。母さんも元気そうで安心したよ。韓国でも健康に気をつけてね。中国と違うからって、ホームシックにかからなければいいけど」
「そんなもん、なるわけないだろ。言葉も食べ物も変わらないんだから、中国の他の省へ行くようなもんさ」
母さんは、以前より表情が柔らかい。
久しぶりに見た笑顔である。
これからは、母さんの憎まれ口が聞けなくなると思うと、少し寂しい気もした。
「おーい、早くこないと間に合わないぞ」
変わらない父さんの太い声が、保安検査場の向こうから聞こえる。
「本当はね、お母さん『静が来るかもしれないから』って、ずっとここで待ってたんだよ。最初に見つけたのもお母さんで、『僕に先に行ってこい』と言ったんだ」
賢友が小声で教えてくれる。
「何、こそこそ話してるんだい。父さんが呼んでるから行くよ、賢友!」
賢友の手を引いて行こうとする母さんに、最後の声をかけた。
「母さん、私、本当の両親を捜すことにした」
「過去にとらわれるなって言ったのに、勝手にしな。お前の人生なんだから、お前の好きにするがいいさ」
母さんなりに応援してくれているのがわかった。
以前は気づかなかった母さんの本音が垣間見える。
「それで、それでね。最後に言わなきゃ後悔するから言わせて」
ここで敢えて、一呼吸置いた。
「今まで育ててくれてありがとう。母さんはどう思ってるかわからないけど、私は母さんのこと大好き、愛してるよ」
突然、大声での率直な告白に驚いたようだ。
母さんは、すぐに背中を向け歩き出した。
そして、言った。
「何言ってんだい、そんな恥ずかしいことをよく言えたもんだね」
そう話す母さんの顔は見えないが、ビブラート掛かった声のトーンから、どんな表情でいるかは想像できた。
歩きながらも、後ろを振り向き手を振る賢友の横で、背中を向けたままの母さんから、
『
と、確かに聞こえた。
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