第27話 突然の別れ(3)

 その後も、私たちは上海市内のカフェで打ち合わせをしていた。

 ある時、吉岡さんから、打ち合わせについて提案があった。

 カフェだと他の人にも聞かれるし、毎回費用もかかる。

 家族捜しは長丁場だから、無理なくできるように、部屋で打ち合わせをしないか、とのことだった。


「リーチン、表さん、もしよかったら俺の部屋で打ち合わせやる? カフェにいるより気にせず出来ると思うよ。ちょっと散らかってるけどね。女性の部屋に男性が行くわけに行かないけど、俺の部屋だったら気にしなくていいからさ。日本のDVDもあるから、好きな時に見てもいいよ」

「行きます、行きます。カフェにずっといると、店員や他のお客さんに気を使いますよね。来週から、そうしましょう」

 建華は、やけに乗り気である。


「私のことで手伝ってもらっているから、私の部屋でもいいよ」

「何言ってるの、静。吉岡さんがせっかく言ってくれてるのに」

 そう言って、声を落としてささやいた。

「日本のDVD見たいの!」


「静も同意してくれたので、よろしくお願いします!」

 建華が私をさえぎり答えた。


 これ以上、なにか言うのは、あきらめた。

 建華の日本語への興味には、頭の下がる思いだ。

 それとも、建華は、他に違う目的でもあるのだろうか。

 一瞬、吉岡さんに気があるのではないかとも考えたが、そんなはずはないとすぐに打ち消した。

 それでも、ずっと気になった。


 ただ毎回蘇州だと建華も遠いし、上海の家庭をまわるにも効率が悪い。

 結局、吉岡さんと建華の部屋、双方でやろうとなった。

 建華のお姉さんは、土日も仕事なので、気にしないでいいそうである。

 打ち合わせのみの場合は、吉岡さんの部屋で、上海の被害者家族をまわる時は、建華の部屋で集まることになった。


 初めて、吉岡さんの部屋に入った時は緊張した。

 あまりのDVDの多さに驚いた私と建華は、興奮して見入った。

 なかなか進展しない家族捜しの状況に、気分は滅入っていた。


 その滅入った気分をほぐすつもりで、皆でDVDを見ようとなった。

 吉岡さんは、スタジオジブリが好きなのか、名作がずらりと並んでいる。

 日本語のわかりやすい作品がいいからと、その中の一つを紹介してくれた。


 建華ほど詳しくない私でも知っている〈となりのトトロ〉を選んでくれた。

 建華は、日本の実写映画を見たかったようだが、高倉健や三船敏郎といった私の知らない俳優の名前が出てくる。

 日本語の勉強のために古い映画を見ていたせいらしい。

 なぜか、今風でなく、昔気質の硬派な映画を好んだようだ。

 ただ残念ながら、吉岡さんは古い日本映画のDVDを持っていないため、建華は渋々あきらめた。


 その日は、三人で大笑いしながらDVDを見て、打ち合わせもせずに終えた。

 久しぶりに本気で笑った気がする。


 その後も日々、汗だくになりながら、仕事と両親捜しに時間を費やしていた。

 そんな時、思いもかけない人からショートメールが届いた。

 延吉の母さんからである。

 ショートメールには、驚くべきことが書かれていた。


『静、以前から話していた通り、私たち三人は、父さんの仕事の関係で韓国へ引っ越すことになりました。今後は、韓国での生活となり、今のところ中国に戻る予定はありません。お前の荷物は隣の張さんの家に置かせてもらうので、必要な時は張さんに連絡して下さい。張さんの電話番号は、――』


 あまりにも突拍子もないことが書かれておりまごついた。

 なぜ、そんな急に、とも思った。

 母さんは、自分の本当の子供でないから、今までの関係をなかったことに出来るのだろうか。

 私は、そんな簡単に気持ちを割りきれない。

 なんと言っても育ての親である。

 血のつながりはないが、今までの楽しかった思い出が、走馬灯のようによみがえる。

 私は、いてもたってもいられず、母さんに電話をかけた。


「もしもし、母さん」

「静かい。元気そうだね」

 久しぶりの母さんの声は、何も変わっていなかった。


 私は、あの手紙を読んで以来、一度も連絡をとっていなかった。

 何度も電話をしようと思ったが、聞きたくない答えが返ってくるのでは、と思うと電話をかける勇気がなかった。

 正直言うと、これ以上傷つくのが怖かったのである。


「久しぶり、母さんも元気そうでよかった。ところで、韓国へ引越しする、とのメッセージを見たけど急なんだね」

「前から言ってたろ。父さんの仕事で数年内に韓国へ行くって」

「うん、そうだけどさ。数年って言ってたから、まだ先だと思ってた。手紙でなく電話で言ってくれればいいのに」

「別におかしくないさ。おまえも仕事で忙しいから、わずらわせると悪いので言わなかったんだけど、さすがに荷物のことは言わないとね」

「いつ引っ越すの?」

「次の日曜日だよ」

「えっ、今日、月曜日だよ。日曜日ってもう一週間もないじゃない」

「ああ、そうさ。仕方ないだろ、急に決まったんだよ」

「そんな。私、今週の土曜日に延吉の家に行くから」

「いいよ、来なくても。お金がもったいないし。それに……、別れがつらくなるだろ」

 何気ないひと言だが、母さんのホンネを聞いた気がした。


「ううん、最後は見送りたいから。とにかく土曜日には行くからさ」

 そう言って、その日は電話を切った。


 韓国へ行くと、今までとは違って、母さんとは簡単に会えなくなるため、考えるより先に、言葉が口をついてでた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る