第24話 真実への旅路(4)

 そんな日々を送っていると、当然のごとく仕事にも支障をきたした。

 私の体も悲鳴を上げ始め、周りに迷惑をかけることが増えたため、一緒に仕事をしている吉岡さんの我慢にも限界がきたようだ。

 今まで見たことないくらいの勢いで、吉岡さんに怒鳴られた。


「おまえ、何やってるんだ! さっき日本のお客さん、佐久商事の立花部長から、桜木社長に連絡があった。本当に何考えてるんだ」

「何かあったのでしょうか?」

「立花係長が言うには、昨日提出した見積りと一緒に原価表も送られてきたそうだ。『結構、儲けてるんだね』って、桜木社長はいやみ言われたそうだ。うちがいくら利益乗せてるか、全てばれてるよ」

「すみません、メールに添付する時、間違って原価表も送ったのかもしれません」

 きっと今、私の表情は青ざめていることだろう。私の過失だ。


 本当の両親を捜すために、ほとんど週末出歩いており、寝る時間も数時間しかないが、そんなことなど言い訳にもならない。

 すぐに私は、自分のパソコンをチェックした。


「やはり、原価表まで見積書と一緒にデータ化して送ってました。どうしよう。すみません、すみません」

 私は、「すみません」と言う言葉以外、自分の不手際を詫びる日本語を知らなかった。


ただひたすら、頭を下げつつ繰り返した。


「もう遅いよ。まあ、教えてくれただけ、立花係長は良心的だ。

桜木社長と学生時代の同級生だから教えてくれるんだ。普通だったら、黙ってるよ。でも、桜木社長は、かんかんに怒ってるぞ」

「ああ、そんなに怒ってるんですか。どうしよう、今から社長に謝ってきます」

「いいよ、行かないで。桜木さんは、すごく怒ってる、俺にな。『何を指導してるんだ、吉岡!』って、すごい剣幕で言われたよ」

「それは、私のせいで吉岡さんが怒られたってことですよね」

 私は、自分が怒られるよりも、吉岡さんが私のミスのせいで叱られる方が心苦しい。


「リーチン、春節が明けてから、たるんでるよ。なにかあったの?」

 私はこれ以上、仕事で迷惑をかけるわけにもいかないと思い、全てを話す決意をした。


「吉岡さん、これ以上迷惑かけられないので全てお話しします。私にとって、大事な話で、ちょっと長くなるのですが、お時間いいですか?」

「ああ、もちろんいいよ。もうすぐ定時になるから、場所変えて聞こうか。その顔見てると、お酒も多少入った方がよさそうだな。じゃあ今晩、ちゃんこ鍋屋 〈謙信〉に行こうか。あそこは個室もあるからゆっくり話せるよ。十八時半でいいか?」

「はい、それで構いません」

 その後、残り少ない時間で仕事をこなし、約束の時間に店へ行った。


 既に吉岡さんは、着いているようで、お店の人に個室まで案内された。


「すみません、遅くなりました」

「おう、俺も今来たところだよ。ビールでいいか?」

 私が座ったとたんに聞かれたため、小さくうなずいた。


 ビールが運ばれてくると、小ビンに入った青島ビールを手にとって吉岡さんのグラスにそそいだ。

 吉岡さんもビンをとり、私のグラスへ返してくれた。

 二人で日本式の乾杯をし、からっからに乾いたのどの渇きをうるおすことができた。


「ところで、話と言うのは……」

 吉岡さんが切り出した。


「実は、春節に延吉の実家に帰った時ですが、ショッキングなできごとがあって……、それ以来、何をしても、そのことが脳裏から離れないんです」

 一拍置いて、少しためた。


「私、母さんの娘じゃないことがわかったんです」

「えっ、なに、どういうこと?」

 予想だにしなかったのか、吉岡さんは、一言発しただけで押し黙った。


 私が、次に何を言うのか、待ち構えているように見える。

 そう感じとり、話を継いだ。


「実家の部屋でくつろいでいた時、つい懐かしくなって昔の思い出話を母にしたんです。小さい頃に山へ行ったことやおいしい冷麺を食べたことなどを思い出しつつです。でも、私にとって懐かしい思い出は、母には思い出したくない記憶のようでした。母は、自分の心を偽ることに、限界を感じてたようです。ただ、直接話す勇気はなかったみたいです。帰り際に、母は、おみやげを持たせてくれ、その袋の中に手紙を同封しました。手紙に書かれていたことは……」

 ここまで来て、どう伝えればいいのか逡巡(しゅんじゅん)した。


「いいよ、ゆっくりで。待ってるから」

 吉岡さんは、戸惑っている私に気づいてくれた。


 そのさりげない気遣いは、私が話しやすいように導いてくれる。


「すみません、その手紙の中に書かれていたことは……、〈拐带(グァイダイ)〉だと」

 話しているうちに涙が出てきた。


 見られないように、うつむいて話した。


 吉岡さんは、〈拐带(グァイダイ)〉の意味がわからないので、つぶやきながらスマホで調べている。


「拐带……、グ・ア・イ・ダ・イ……。えっ」

 吉岡さんはそう言うと、私の方を見た。


 人は、思いもよらぬことに遭遇すると、何も言えなくなる。

 今の吉岡さんが、まさにそうである。

 スマホと私の顔を何度も見返す。


「そうなんです。そこに書かれている通りです」

「拐带、〈子供の誘拐〉ってあるけど……、うそだろ!」

 吉岡さんは、あ然とした表情で、私の顔をまじまじと見た。


「普通考えられないですよね。私も初めて聞いた時は、嘘かと思いました」

 涙があふれ出てきた。


 うつむいて泣き顔を隠していたが、とうとう隠し切れなくなった。

 嗚咽が漏れ出る。

 それでも、話すことを止めてはいけないと思った。


「これ使ってくれ」

 ぶっきらぼうに言い、何かを差し出している。


 見ると、日本のポケットテュッシュだ。

 そんなものを持ち歩かないタイプと思っていただけに笑ってしまう。

 泣きと笑いが入り混じった変な感情が交差した。


「大丈夫か?」

 吉岡さんが、おそるおそる聞いてきた。


「吉岡さん、イメージじゃないです。こんなもの持ち歩くの」

ポケットティッシュを受け取ると、涙をぬぐった。


「余計なお世話だ」

 ふてくされた表情である。続けて言う。


「少し落ち着いたか?」

「うん。吉岡さん、ごめんなさい。仕事と個人の話は関係ないのに、皆に迷惑かけて反省してます」

「いや、それは集中できなくて当然だよ。俺も……悪かったな、そんな事情があったとは知らずにさあ。その、なんて言っていいか……」

 吉岡さんは、言葉に詰まっていた。


 私もこれ以上どう言っていいかわからず、お互い無言のまま視線を下に置いた。


 お酒が入ってたはずだが、全て抜けてしまった気がする。

 いや、最初から酔えなかったのかもしれない。


 私は、その後についても、事細かに話した。

 真実を知って、ひどく心が動揺したことや本当の家族を捜す決意をしたことなど、順を追って話した。

 吉岡さんは、真摯なまなざしを私へ送る。

 最後まで話し終え、ようやく一息ついた。


「俺も土日の捜索手伝うよ」

「えっ」

「リーチンの家族捜しを友達の表さんとやっているんだろ。毎週末というわけには行かないかもしれないけど、出来る限りのことはするよ。これ以上、仕事に差しさわりが出ても困るし」

 強いその口調は、断ることを拒否するかのようだった。


「ほんとにいいのですか? 休みなのに」

 私は、悪いと感じつつも、吉岡さんの誠意がうれしかった。


 そして、その好意を素直に受け取ることにした。

 少し間を置いて、私はかすかな、消えてなくなりそうな極小のトーンで、「ありがと」とかすれ声を絞りだした。


 部屋に戻ってから、吉岡さんが手伝ってくれる話を建華にSNSで伝えた。

 すると、すぐに建華から返事がきた。『強い味方だね』と書かれていた。

 スマホの向こうで、ほっとしたような顔が想像できる。


『男手が欲しい時もあるから、助かったよね。』

『そう、賛成してくれてよかった。本当のところ、毎週末、私の家族捜しを手伝うことに疲れていた?』

 私は、本音を知りたかった。


 建華は、相手の気持ちを思いやれる人だ。

 元々、性格的に明るいが、相手の気持ちに合わせて、わざと明るくふるまう時もある。

 この時も、そうではないかと気になった。


『疲れてるわけないでしょう。何、変なこと聞くの。ところで、吉岡さん入れてのミーティングいつやる? 明日会社で話してきてよ。吉岡さんが加わるとなると、部屋でやるわけにも行かないよね。カフェとかどうかな? 長居できるようにランチでも食べながらやってもいいね』

 確かに、今までのように部屋でやるわけにはいかないだろう。

 私は、建華の提案に同意した。


『うん、わかった。明日聞いてみる』

 行きがかり上、二人には家族捜しを手伝ってもらうことになった。


 特に、建華は何も言わずに、ずっと手伝ってくれて感謝している。

 吉岡さんも仕事に関係ないのに、週末手伝ってくれると言う。 

 二人とも本当にいい人達で感謝しかない。


 吉岡さんは、仕事でも一緒のため、ほとんどの時間をともに過ごしている。

 ハードな仕事なのだから、週末くらい休みたいはずだ。

 その休みを使って、私を手伝うと言ってくれる。

 

 彼の誠実さが心に染みた。

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