第22話 真実への旅路(2)

 春節明けから一か月たつと、仕事の忙しさからも解放されつつあった。

 週末は、久々に建華と近くのカフェで待ち合わせた。

 母校の校庭で会って以来だ。

 私は母さんの手紙について、全てを話した。


「うそでしょう! 私をからかってる?」

 建華は、予想通りの反応をした。

 顔と同じまん丸の目を見開いている。


「私もそう思いたいよ。今でも信じられない。母さんが、本当の母さんじゃないなんて……」

 力一杯、涙声をのど奥から押しだした。


 一連の話をするだけでも、平静を保つのがつらい。

 延吉から帰って、初めて、事の全てを話した。

 一か月がたって、ようやく少し心の整理が出来たからだ。

 建華は、共感してくれているのか、目をうるませながら話を聞いてくれている。


「でも、信じられない。あのお母さんが本当の母親じゃないなんて。静、泣きたいなら泣いていいよ」

 そういうと、目の前に座っていた建華は、すくっと立ち上がり、対面にいた私の席に周るとお尻を滑らして、大きな体で抱擁してくれた。


 建華の心のぬくもりが、私の体の奥までしみ込んでくる。

 そのまま、声にならない声を出しながら、建華の胸に顔を置いた。

 五分くらいは、そのままでいただろうか。

 私は顔を上げると、建華に向かって語り始めた。


「それでね、始めようと思うの」

「何を始めるの?」

 私の言葉が足りなすぎるせいか、不思議そうな顔をしている。


「本当の両親をね、探そうかなって……」

「探すって。だって、延吉のお母さんのことを吹っ切れてないじゃない。そんな状態で探せるの?」

「うん、だからこそ探そうかなって思う。母さんへの感謝の思いはあるし、急に本当の母親じゃないと言われても割り切れない。でも、本当の両親に会いたい気持ちもあるの。正直、気持ちが落ち着かない感じ。早く前を向かなきゃかなって思う」

 私は、複雑な心の内を建華に伝えた。


 母さんへの断ち切れない想いがある反面、本当の両親への想いもある。

 それなら、前へ進む方を選ばなければいけない、と自分自身に言い聞かせた。


「でも、どうやって探すの?」

 建華は、不安気な顔をしている。


「一緒に考えてよ。手掛かりは、新南地区の明仕城で見た赤い三角屋根のお城と、くつに書かれている〈三十三〉の文字。つまり……」

「つまり……」

 建華は、私の後に続き、繰り返し言うと、息を止めて次の言葉を待っている。


「明仕城の三十三号に住んでいたんじゃないかと思うの。ねぇ建華、行こうよ。今から明仕城へ!」

 私は、建華を押しのけて立ち上がると、早足でスタスタ出口の方へ向かった。


「ちょっと待ってよ、静。そんな短絡的な決め方でいいの~」

 あわてた様子で、建華も追いかけてきた。


 気持ちの整理がつかない中、余裕のない私は、建華の言葉を寄せ付けなかった。

 というよりも、受け付けないようにしていたのである。

 そうでないと、また母さんへの寂寥感に、再び包まれそうだったからだ。


 明仕城に着くと、すぐに三十三号へ向かった。

 広すぎる敷地に戸惑ったが、途中で見つけた看板をたよりに進んでいった。

 どうやら右の奥の方にあるようだ。

 正門から、てくてく五分くらい歩くと、〈三十三〉の大きい文字が見えた。

 玄関の前に警備員が立っているのでたずねた。


「すみません、十七年くらい前、この建物に住んでいた子供が、誘拐された事件について知りませんか?」

 警備員のおじさんは、不審者を見るような目つきをしている。 

 めんどくさそうに言葉を返してきた。


「いやあ、知らないよ。俺は、ここに来て、三年しか経ってないから」

「そうなんですね。私たち十七年くらい前に別れた幼なじみを探しています。急にいなくなったので、母にたずねてみたところ、当時誘拐された噂があったと聞いたのです。他に当時のことを知っている人っていませんか?」

 建華は頭がいいから、おじさんが答えやすいように話を創作している。

 私のような単細胞とは違うので頼もしい。


「ちょっと待って、聞いてみるから」

 そう言うと、おじさんはトランシーバーで、仲間に聞いてくれた。

 やりとりを待つ少しの時間でさえ、もどかしく感じる。


「聞いたけど、子供がさらわれた話は聞いたことないみたいだなあ。子供が遊んでてベランダから落ちた話はあったみたいだけど。このマンションは外国人の賃貸が多いから、ほとんどの人が数年で引っ越していくんだよ。もしそのような人がいたとしても、とっくに引っ越してるだろうね」

 おじさんの話に肩を落としながら、私たち二人は、その場を離れた。

 せっかくなので、敷地内にあるお城を見に行った。


「これが噂のお城ね」

「そう、これが噂のお城です。私の記憶だと、この辺から見てたんだと思う」

 私は、記憶と同じ位置から見れば、何か思い出せるのではないかと思ったが、記憶にある以上のものは何も出てこなかった。


 しばらく眺めていたが、建華のおなかがぐうっ、と音を立てた。

 建華は恥ずかしそうにこちらを見た。

 私もおなかが空いてることに気付き、私たち二人レストランを探すことにした。

 赤い三角屋根のお城もレストランであるが、高級そうな雰囲気だったため、もっと安い店を探すことにした。


「ザリガニの店、あったよね」

「あった、あった。途中で見かけたよね。あそこ行く?」

「行こう。吉岡さんと一緒だと、なかなか行けないんだ。日本ではザリガニ食べないらしいから。日本人エビは大好きなのにおかしいよね」

「えー、味も似てて、おいしいのにね」

 私たちは、嬉々として、はねるように歩を進めた。


 その日の晩は、建華の部屋に泊まらせてもらった。

 色々あり過ぎたため、改めて私自身、頭の中を整理するつもりで、建華に向かってゆっくりと話しかけた。


 私は子供の頃に誘拐されて、夫と娘を亡くしたばかりの今の母さんへ売られた。

 上海でお城を見たことがあると言うことは、恐らく上海で生活していたのだろう。

 それと、母と会った時に私が履いていた靴には、〈三十三〉の文字が書かれていた。

 これは私が住んでいた住所の番地か、それとも建物の棟番号かもしれない。

 中国は、巨大なマンション群が多いため、三十三号棟もたくさんある。

 いや、電話番号の可能性もある。

 可能性を考えていくときりがない。

 結局、お城の近くの三十三番地から探そうとなった。

 先ずはそこから始めよう、と建華も同意してくれた。


 翌日、建華と地図を開いて、一つ一つ探していったが、上海市の中に三十三番地は予想以上に多くありそうだ。

 小一時間ほどたった頃、今度は、二〇〇〇年~二〇〇三年までに上海で起きた子供の誘拐事件について調べることにした。

 母さんの夫と娘が、二〇〇三年に亡くなったと聞いている。

 正確な年齢はわからないが、今の私は一応二十歳となっている。

 見た目もそのくらいに見える。

 その期間を調べれば、私の誘拐事件が見つかるはずである。


 中国では、毎年何万件にも及ぶ、子供の誘拐事件が起きているらしい。

 本当であればとんでもない数である。

 しかも、その子たちは、およそ三~十万元(約五十~百七十万円)ほどで売られていくそうだ。ひどい話だ。

 延吉の母さんも亡くなった父の遺産全てを売り払って用意したのだろうか。

その後の貧乏暮らしを考えると、そうとしか思えない。

運よく、裕福な韓国人である父さんに見初められたから良かったものの、そうでなければあのひどい極貧の生活が続いていたに違いない。


 今考えてみると、母さんは、父さんとの結婚をあらかじめ計算していたのかもしれない。

父さんと知り合ったのは、母さんが韓国料理店で働いている時である。

 高級なお店だったため、接待にもよく使われる店で有名だ。

 常連だった、韓国人の父さんと知り合う機会を狙っていたともとれる。

 私を人買いから買うような人だから、充分あり得る。


 そのように考えているうちに、我に戻り、はっとした。

 私の頭の中は、どんどん母さんを悪い方へ考えてしまう。

 以前は、ケンカしても、そんなにひどいことは想像しなかった。


 そんな自分が、最近は嫌になる。

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