第21話 真実への旅路(1)
長い春節休みも終わり、十日ぶりに出社した。
延吉から戻って、出社までもう一日あって良かった。
そうでなければ、一晩中泣き明かした、ひどい顔で出社していたに違いない。
延吉から戻った翌日は、何も手がつかず、考えることもしたくなかった。
最初は、怒りが先に立ち、その次に本当の両親を探すように心を奮い立たせたが、少し時間を置くと、母さんへの思いがふつふつと湧いてきた。
ほんの数日前、山へ行った話や冷麺を食べた話で懐かしんだことを考えると、母さんが恋しくなった。
本当の両親を探す決意はしたが、そう簡単に心の整理は出来ず、母さんを思い泣いていた。
春節明けの初日は、日本が休みでなかったため、メールや電話がじゃんじゃん入ってきた。
事務所の中は戦場さながら、怒声と謝罪の声が飛び交っている。
「リーチン、日本からの見積り依頼、全て今日中に協力会社に割り振っておいて。明日からひと通り、納期と品質の確認に行くから」
「はい、わかりました。どっち方面ですか?」
「今週は、蘇州と無錫をまわるけど、来週は上海方面に行くからアポとってくれ。訪問する会社は、主だったところ全てな」
とても休み明けとは思えない、ハードな日常に戻った。
今日中に全てのメールを返信し終え、図面を協力会社へ送って見積りを依頼しなければならない。
十日分たまっているので、私は昼食もとれず、作業にぼっとうした。
夜も遅く暗くなり、最後の一人が帰る頃、私の業務もようやく終わった。
自分の人生をひっくり返すような、とんでもない事があったのに悩む余裕もない。
今日、会社では、ぼうっとしていて、何度か吉岡さんに叱られた。
仕事に打ち込むことで忘れようとしたが、集中しきれなかった。
そう簡単に割り切ることはできない。
だからと言って、ありのままを会社の皆に話す訳にもいかない。
この状態を脱するにはどうすればいいのだろう。
母に電話して、「本当は嘘だよ」と言ってもらいたい気持ちもある。
この状況で、そんなむしのいい話があるわけないと思いつつ、何度もスマホの母さんのアドレスを開いた。
ボタンを押す寸前までは行くが、最後の一押しが出来ない。
怖くて押すことを躊躇しているうちに、あきらめてアドレス画面を閉じる。
スマホを机の上に放り投げるが、しばらくして、また拾ってアドレス画面を開く。
同じ行為を何度も何度もリピートした。
とうとう観念して、寝床に入ったが眠れない。
そんなことの繰り返しで、もんもんとしているうちに、いつしか朝になった。
「おい、リーチン、いいかげんにしろ。頼んだ翻訳、一体いつになったら出来るんだよ。しかも最近の翻訳は、前より中身が雑だぞ! 休み明けから一週間もたつのに、まだお休み気分かよ」
「すみません。すぐやります」
「それに打ち合わせの時、よくうとうとしてるよな。夜更かしでもして寝てないのか? 以前は出来ないなりに一生懸命だったけど、休み明けから、全くそれが感じられないんだよ。しっかりしてくれよな!」
吉岡さんは、私のふがいない仕事ぶりにおかんむりである。
プライベートでの大変さを仕事に持ち込まないように頑張ろうとするが、気持ちと体がからまわりする。
正直言うと、一週間たった今でも、眠れない日々が続く。
頭では割り切ったつもりが、夜寝ようとすると、感情がたかぶり寝付けない。
翌日も眠気誘う朝だった。
私はマンションの正門前に立っていた。吉岡さんが、王さんの運転する車で、迎えに来てくれることになっている。ブッブッーと大きなクラクションと共に、通りの向こうからホンダの白いオデッセイが見えた。徐々に近づき目の前に
停まった車に、私は急ぎ乗り込んだ。
この日は数社訪問したが、全ての会社をまわり切れなかったので、残りは明日に持ち越しとなった。
その日、最後に訪問した会社に、美和貿易の来栖代表もいた。
「あ、来栖代表、こんにちは」
「李さん、こんにちは。休みはどうでした。故郷に帰りましたか?」
来栖代表は、いきなり聞いてほしくないことをたずねてきた。
「リーチンは、休みぼけですよ。今日も車の中で爆睡です。毎日どんだけ夜更かししてるのかって、聞きたいですよ」
吉岡さんは、あきれ顔だ。
まさか、車の中で寝ていたことまで言われるとは……。
かと言って、本当のことを言う訳にもいかないため、ただ調子を合わせて、笑うしかなかった。
この日、最後の打ち合わせも無事に終わり、吉岡さん、来栖代表と一緒に夕食を共にした。
「今日の最後の会社、二人は夫婦でしたね。多くの会社を訪問して思ったのですが、どうして夫婦で会社やっている人たちが多いのでしょうか?」
私は、仲の良い夫婦や家族のことが無性に気になる。
つい、疑問に思いたずねた。
「日本もそうだけど、中小企業にはありがちよね。家族が一番信頼できるからじゃないのかな。特に経理はお金を扱うから、血のつながりを大事にする中国人は、身内に任せる傾向にあるんだと思う」
来栖代表は、多くの企業を見ているからよく知っている。
何も知らない私に対して、丁寧にわかりやすく教えてくれた。
確かに中国人は、血のつながりを大事にする。
会社を家族で経営することも納得できた。
そう考えた時、私が、母さんと血のつながりがないこと、最近心が離れ離れになってきたこと、などを考えあわせて合点がいった。
「でも、得利金属の謝社長は一人ですよね。中国では、日本より女性の社会進出が進んでいるとはいえ、女性一人で会社経営するのはすごいですよ。色々と問題あるのも、男性以上に大変だからかなって思いました」
「だからって、やっていいわけじゃないからな」
吉岡さんにきびしい一言を釘刺された。
「うーん、謝社長のところはちょっと複雑なのよね。実は、彼女離婚してるの」
「えっ」
私と吉岡さん、二人の声が重なった。
「元だんなはやり手だったので、もう一つ会社を持っていたの。離婚する時に慰謝料として、徳利金属を謝社長に譲った、と言うわけ。それに徳利金属は、離婚前から実質、謝社長がし切っていたし、もう一つの会社は元だんなが経営していたからね。特にもめなかったみたい。十二歳の息子は、謝社長の両親が面倒を見ているそうよ」
「謝社長は子供いるんですか?」
「えっ、いるわよ。もう四十歳くらいだし、子供がいてもおかしくないでしょう」
来栖代表は、軽く笑いながら言った。
「もちろん、そうだけど……。謝社長、たくさん仕事をして、社員の面倒見もいいから、きっと子供のこともかわいがりますね」
私は、謝社長を好意的に見ていた頃を思い出し、愛情たっぷりのお母さんぶりを想像した。
「うん、もちろん息子さんのことはかわいいだろうけど、娘さんを亡くしてるからね。色々と苦労してるのよ」
「ちょっと待ってください。謝社長、娘さんがいたんですか?
だって中国は最近までひとりっ子政策とってたでしょう。
二人目は持てないはずじゃないですか?」
吉岡さんは、不思議そうな面持ちで来栖代表へ問いかけた。
「娘さんが亡くなったのは、もう十五年くらい前なんです。息子さんが出来たのは、娘さんが亡くなって数年ほどたってからです」
「十五年ほど前に娘さんが亡くなった……。謝社長って上海出身?」
私がいきなり大声を発したので、来栖代表は驚き顔で答えた。
「確か、上海市内の方だと思うけど……」
「本当にその女の子は、亡くなったのですか?」
謝社長の娘は亡くなったのではなく、さらわれたのではないかと考えた。
刹那、私は謝社長のことを本当の母親ではないか、と思った。
「ええ。 確か病気で亡くなった、と聞いてるけど」
「リーチンどうしたんだよ、亡くなってなければ何があんだよ。休み明けから、なんかおかしいぞ。遊び過ぎて寝てないんじゃないのか」
吉岡さんと来栖代表は、そう言って笑う。
私も一緒に笑ったが、心の内はとても笑う気分ではなかった。
母さんのことを思い出し、なんか自分がひどく不誠実な人間に思えた。
そして、泣きたくなるのを、ぐっとがまんした。
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