第20話 デジャブ(4)
静へ
この間は、ごめんなさい。
昔の思い出話をしているうちに、色々と懐かしく楽しかった想いがよみがえり、それでこらえきれなくなり、泣いてしまいました。
前にも話したように、私と賢友は数年以内に、韓国へ帰任する父さんと一緒に韓国へ行きます。
恐らく、今の家も処分します。
そうなると、静の戻る場所は延吉にはなくなってしまいます。
それが気がかりではありました。
でも、静が赤い三角屋根のお城を見たことで、過去の記憶が蘇ってきているのならいい機会かもしれない、と思うようになりました。
これから、ここに書くことは事実です。
今まで隠してきましたが、本当のことを伝えることにしました。
二〇〇三年、私は、前の夫と三歳になる一人娘の三人家族で暮らしていました。
その娘は、名前を静と言いますが、あなたではありません。
その年のある日、二人は、信号が赤にもかかわらず、横断歩道に突っ込んできたトラックにはねられ命を落としたのです。
私は、それを聞いた時、突然すぎる二人の死をとても受け入れられませんでした。
しばらく、茫然とした日々を過ごしていました。
ただ息をしているだけで、まるで抜け殻がらのような状態でした。
私が、毎日泣き暮らしていたことは、村でも噂になっていたようです。
そんな時、地元でも悪評高いチンピラがやって来て、妙な話をしていきました。
小さい子供をさらってはその子供たちを売買している、とんでもない悪党がいると言うのです。
二〇〇三年頃は、中国もまだ近代化しておらず、中国国内至るところで、子供の誘拐が行われていたようです。
そのチンピラに興味あれば紹介する、と言われましたが、私はすぐに断りました。
人の子供をさらって売買するなど、親の気持ちをどう考えているのか、と憤慨しました。
ただ一人でいると寂しい気持ちは、日に日に増していきました。
ある日、チンピラから電話があり、人さらいの男が、華東地域(上海・浙江省・江蘇省等)から延吉に来ている、と言うのです。
今、小さな女の子と一緒に車の中に待たせているから、すぐに出て来れないか、と言います。
私は拒否したのですが、会うことを勧める男のしつこさから、最後は押しに負けた形で、待ち合わせ場所へ行くことになりました。
いえ、その時点で、小さな女の子を見てみたい気持ちを抑えきれず、自分の意志で向かったのでしょう。
〈小さな女の子〉と言われ、死んだ娘が脳裏をよぎりました。
私は拒否する勇気をなくしていたのです。
車の中にいた子は、私を見るとにっこり笑みを浮かべました。
女の子の笑顔を見た瞬間、亡くなった娘が戻って来た錯覚を起こしました。
私は、女の子を抱かせてほしい、とその子の横にいた男に頼みました。
すると、無愛想な男は、ひょいと女の子を抱き上げて私の方へ渡してくれたのです。
抱き上げると、柔らかくはかなげなその感触は、亡くなった娘と何も違わないように思えたのです。
亡くなった静が、もう一度、姿を変えて戻ってきたのだと考えました。
私は、女の子を抱くと、寂しさに負けて手放すことが出来なくなったのです。
迷うことなく、女の子をわが子として育てたい、と伝えました。
それがあなたです。
名前の静は、亡くなった娘の名前をつけました。
体の大きさも死んだ頃の娘と変わらなかったため、同じ年齢として育てました。
今までと同じ家には住めないため、吉林省の中で近隣の街である延吉市に越したのです。
その七年後、今の夫と再婚して、翌年、賢友が生まれたのはあなたも知っての通りです。
今思えば、私のしたことは、決して許されないことです。
賢友を産んで、改めて人の親になることの重みを知りました。
今更ですが、あなたには自分自身で思う人生を生きてほしいと思います。
もうりっぱに社会で働いているのだから、私たちと韓国へ行くより、新しい人生を歩む方がいいでしょう。
それにあなたを見ているとつらいのです。
過去の過ちを攻められているような気がします。
あなただけでなく、亡くなった娘の静にも申し訳ない気持ちになるのです。
罪をつぐなわなければいけないのかもしれません。
でも、夫と娘を亡くし、充分辛い思いをしてきました。
私の心にも平穏がほしいと願うのは、身勝手過ぎるのでしょうか。
先日、あなたは、山に行ったことや冷麺を食べた時の話をしてくれました。
でも私は、死んだ静とも山に行ったり、冷麺を食べに行ったりしていたのです。
今となっては、あなたとの過去の記憶自体が苦しいのです。
あなたを見るたびに、楽しかったあなたとの記憶と共に、死んだ娘 静との楽しく、悲しい記憶も蘇るのです。
自分勝手なことばかり言うひどい母親でごめんなさい。
今後、この話を聞いてどうするかは、あなたに任せます。
でも、ここに書いた理由から、私からは連絡出来ない、いや、してはいけない、と思っています。
最後になりますが、出会った時に、あなたが履いていた靴を送ります。
他の物は既に捨てましたが、これだけ残っていたため、あなたへ返します。
これからのあなたの新しい人生が良きものであることを願っています。
過去にとらわれず、未来へ向けて生きて下さい。
不肖の母より
「私は誰?」
思わず口をついてでた。
「なんて、ひどい……。『寂しさに負けて手放すことが出来なくなった』『亡くなった娘の静にも申し訳ない』って、何それ? 私の気持ちはどうなるの。自分が罪の意識にさいなまれたから会うのをやめる、ってそんなひどい話ってある!」
母さんがあまりにも身勝手だと思った。
自分の都合ばかりを言い訳のごとく書いている手紙に憤りを感じると、同時に不安も覚えた。
自分の存在がすうっと、消え入りそうな気がして怖かった。
賢友が出来たことで、改めて本当の子供を持った。
私は実の娘ではないから、愛情も冷めたのであろうか。
以前の中国は、一人っ子政策で子供は原則一人しか持てないことになっていた。
二〇十六年以降、一人っ子政策は緩和されたが、それ以前から朝鮮民族を含む少数民族に関しては二人目も認められていた。
だから賢友のことでは特に何も思わなかった。
でも母さんは、自分の子が欲しかったんだ。
お腹を痛めた子と、買った子の違いの違和感を、ずっと感じていたに違いない。
そう思うと、とめどなく涙があふれ出た。
ほおを濡らす涙は、ふいてもふいても止まらない。
頭で考えれば考えるほど気持ちは沈み、それは嗚咽となって現れた。
私は、とうとう大声で泣いた。
涙も声も出し尽くすまで、ずっと泣き続けていた。
小一時間ほど経つと泣き疲れ、何もせずそのままでいた。
一点をじっと見つめているうちに、視線の先にあるものが、古びた子供の靴であることに気づいた。
私は、手紙と一緒に入っていた、脇に置かれた小さなピンク色の靴に、改めて目をやった。
サイズは十五センチで、三~四歳くらいの子のサイズである。
その小さな靴の内側に、うっすらと消えかけた文字で、何か書かれている。
なんて読むのだろう。
最後に書かれている文字は、〈三十三〉と読める。
〈三十三〉の前にも何か書かれているが、にじんだ文字は、ほとんど消えかかっていてわからない。
中国の住所には、必ず道路の名前の後に番地がつけられている。
その番地が〈三十三〉なのだろうか、それとも電話番号かもしれない。
人売りの男は華東地域から来た、と書いてあった。
私が、お城を見たのも華東地域の上海である。
小さい私は、上海に住んでいた可能性が高いのだろう。
私は、母さんの子供ではない、と知った衝撃と同時に、本当の家族を知りたい、との強い思いが心の奥底からじわりじわりと湧いてきた。
昔から、得体のしれない疎外感は感じていた。
母さんが、よそよそしく思えたのは、再婚した父さんに遠慮しているからだと思っていた。
でも違った。
私は、賢友と違い、母さんの子ではなかったのだ。
母さんは、過去に捉われずに新しい人生を生きてほしい、と書いていたが、そんなこと出来る訳ない。
本当の事を知りたい衝動を抑えられない。
私は、真の家族を探す決意をした。
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