第17話 デジャブ(1)
この日は、いつものように吉岡さんと上海の協力会社を訪問していた。
最後に訪問を予定にしていた会社が、急に都合悪くなったため、仕事は早めに終わった。
吉岡さんは、せっかくここまで来たからと言って、日本人が多く住む新南地区に連れて行ってくれた。
新南地区に入ると、すぐ左手に大きなドイツ系スーパー ジャトフルが目に入った。
多くの人が出入りしている。中には、金髪や赤毛の人も見える。
多様な人種が出入りするのを見て、外国を疑似体験している気持になった。
「吉岡さん、なんかここ外国みたい。私、こんなところ初めて。ほら、あの女の人の髪、黒くない。金、金髪ね」
「ちょっと、はしゃぎすぎ。ここをどこだと思ってんだ。上海だよ。その中でも、このあたりは特に外人が多いから。日本で言えば東京の青山のようなところ、と言ってもわからないか」
私のテンションが高いのに対し、吉岡さんは冷めた様子である。
街中の喧噪を横に見つつジャトフルを抜けると、その先には大小様々な日本語の看板が見える。
日本食店や日式スーパーが至る所にあるのに驚いた。
「この新南地区には、多くの日本人が住んでいる。昔からこのあたりに住む傾向にあるらしいんだ。あと韓国人も多いかな。ほら、日本食屋だけでなく、韓国料理もたくさんあるだろう。もっとも最近は、他にも便利なところが増えて、広範囲に散らばってるけどね」
吉岡さんは、時々このあたりに来るようで、右に左に寄り道しながらいくつもの店を案内してくれた。
私たちは、ジャトフルがある延中路と水雲路を南へ十分ほど進んだ。
すると、突き当りにある大きな物体に目がいった。
眼前に広がるフランスの凱旋門のような巨大な門をくぐると、敷地の中には多数の高層マンションがある。
どれも十階以上、大きいものは二十階以上もある。
近づくと、広がる芝生の上には恐竜や動物のモニュメントがいくつか見られる。
そのまわりでは、お母さんに連れられた子供たちが、口が裂けてしまいそうなほど、大きな奇声をあげて遊んでいる。
よほど楽しいのだろう。
「ここは何? 他に比べて、すごく広いですね」
初めて、延吉から蘇州に来た時でさえ驚いたのに、上海のスケールの大きさには、改めて圧倒される。
「明仕城と言う巨大な高級マンション群だよ。五十万平米の敷地に四十棟以上のマンションが入ってるっていうからすごいよ。中には病院、銀行、スーパー、レストラン、ジムまで、何でもあるんだよ。ここは、第一期エリアだけど、この向こう側には第二期エリアもあるんだ。ほんと大きいよね。日本では、ここまで規模の大きなマンションエリアなど考えられない。元々、この地区は日本人が多いけど、明仕城は特に多いらしい」
そう言いながら、吉岡さんは、ずんずんと敷地の中へ入って行った。
正面に大きなクラブハウスがあり、その脇にテニスコートやプールが見える。
眼前に広がる芝生には、子供向けの遊具もたくさんある。
こんな快適な環境に住めるなんて羨ましい。
どんな人たちが住むんだろう。
やはり上海の富裕層は違う。
物珍しさにきょろきょろと視線を移しながら左の方に目をやった時、あるものにくぎ付けになった。
と同時に、私は凍り付いた。
「うそ……でしょう」
視線の先にあるものは、ピンク色のお城だった。
私は、お城へ向って一直線に駆けだした。
一気にお城の前まで走ったため、息が上がって顔を上に向けられなかった。
少し経って視線をゆっくり上にやると、一目見て確信した。
記憶のような艶やかさはないが、壁一面にくすんだピンク色が広がる。
そのてっぺんには、ところどころ色が黒ずんだ赤い三角帽子の屋根。
下の壁には大小無数の窓が見える。
間違いない。記憶の中のお城だ。
なんで、あのお城がここにあるの?
私は、少しパニック気味になっていた。
急に駆けだしたせいか、吉岡さんが後ろからゆったりとした足取りでやって来た。
不思議そうな表情をしている。
「どうした。何かあった?」
吉岡さんに聞かれたが、彼の顔を見つめたまま、しばらくは何も言えなかった。
再び、吉岡さんが口を開こうとした時、私はようやく言葉を発した。
「前に話したことありますよね、お城の話」
「ああ、真っ赤な三角帽子の屋根がある城ね。あっ、これ! この城がそうなの? これって、お城風の建物だけどレストランだよね。なんか、高そうなレストランだね。まさか、子供の頃にリーチンは家族で食べに来たとか?」
「記憶の中のお城と全く同じですけど、こんな高級なお店、私と母さんには来れないです。私たち貧乏だったから……。でも、どうしてここに。夢じゃなかったんだ!」
私は、今まで上海どころか延吉すら出たことはない。
母も上海に行ったことはないはずだ。
それなのになぜ、私はこのお城を知っているのだろう。
頭の中に、もやのような何かが渦巻いているのを感じ、気分が悪くなった。
蘇州に戻りたい、と吉岡さんに告げると、私の気持ちを察してくれたのか、すぐ車を呼んで帰路についた。
部屋に戻ってからも、今日見たことが引っかかり、心を揺り動かし続けた。
スマホを前にずっとにらめっこを続けていたが、とうとう抑えがきかなくなり、実家の母さんに電話した。
しばらく乾いたコールは鳴り続けた。
やがてそれは留守番電話に切り替わる。
何度か試みたが、なかなか出ない。
待っている間も、気持ちがじりじりする。
いくらかけても出る気配がなかったために、これを最後にあきらめようとした矢先、母さんの声が聞こえた。
話している母さんをさえぎり、今日見たお城についてたずねると、その後しばらく無言の状態が続いた。
「なんで、黙ってるの母さん。教えてよ、ねえったら。母さん、いつも『夢でも見たんでしょう』って言うじゃない。どうして今日は言わないの?」
私は、矢継ぎ早に母さんへ問いかけた。
「急に色々言われたら、何も言えないよ。私はわからないねぇ。だいたい建物のてっぺんに赤い三角の屋根って、テレビにも出て来そうな外国の城じゃないか。外国だけでなく遊園地や動物園など、どこにでもあるんだろ」
「ううん、違う。ピンクの色で、大小たくさんの窓もあった。それに赤い三角屋根も窓も、記憶の中と位置が同じだったし、絶対に間違いないよ」
「そうかい。ああ、ちょっと待って、あの人が呼んでいる。遅くまで電話して怒ってるんだ。行かないと、またうるさいから切るよ」
父さんの声なんて、電話の向こうから聞こえてこなかった。
なんか、母さんは動揺している気がする。
この話をした時から、声がうわずったり、変に間があったりしていた。
このままやりとりしても、お互いの話が平行線のままでキリがない。
時計の中で、日が変わろうとする長い針を見ながら、仕方なく「おやすみ」を告げ、電話を切った。
翌日、建華の部屋を訪ね、お城を見たことから、母さんとの電話の一部始終に至るまで全て話した。
「えっ、ほんとに~、あの話って夢じゃなかったの? でも、お母さんの言うようにピンクの壁で赤い三角屋根の城なんて、どこにでもありそうだよね。城に窓があるのもあたりまえだしさ」
昔から建華は、子供の頃の記憶の話をすると、テレビで見た何かと勘違いしてるんじゃないか、とからかってくる。
この日も、またか、と言った顔つきで見ている。
「建華まで信じてくれないならいいよ。もう話さない!」
「ごめんごめん、信じるからさ。もう怒らないで、ねっ」
したり顔で私の手を握って、子猫のようにすり寄って来る。
建華の軽さは、わざとらしいのだが憎めない。
「私、今度の春節(旧正月)、延吉の実家に戻るから、その時もう一度聞いてみる」
「うん、それがいいよ。きっと、小さい頃に遊園地に行ったとかテレビで見たとか、何かしら思い出してくれるよ。まあ、実家でゆっくり休んできなよ。私も延吉に戻るから、時間があったら会おうよ、ねっ」
本当は、今年の春節は実家に戻るつもりはなかった。
しかし、今回のことでお城のことが無性に気になり、急遽、帰省することを決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます