第13話 予期せぬでき事(1)
入社して、既に一年がたった。
仕事にも、だいぶ慣れてきた。
毎日のように吉岡さんと一緒に協力会社を訪問し、品質・納期の確認を行っていく。
何度も何度も、協力会社の人たちを指導して、良くなったと思えばまた問題が起きる。
これをまた指導しても、違った問題が起こる。
もぐら叩きのような毎日が続いている。
ふと、顔を上げると、先輩社員の許さんが、私の視界に入った。
許さんは、三十代半ばくらいで、この天達で八年勤務している。日本人と中国人の間にはさまれ、やりにくいことも多々あっただろう、と思うと、なぜか感心した。
私が、許さんをずっと見ていたため、気がついたようで、話しかけてきた。
「何、なんかよう?」
「いえ、ただ許さんはすごいなあと思って。普通中国では、キャリアアップのために転職していく人が多いのに、許さんはもう八年も勤めていますよね」
「面倒だから」
「えっ、どういう意味ですか?」
元々、許さんは言葉少ない。
私は、意図を理解できずに聞き返した。
「新しい会社で一から始めるのって大変じゃない。僕の友人たちも、より給料のいい会社に転職を繰り返すけど、イケイケドンドンも疲れると思うんだ。それに、この職場は居心地いいし、上の人たちも信用できるしね。あと、僕はこの会社が初めてじゃないよ。中国の地場企業も二社経験しているから」
「へー、変わってますね。中国では、政府も会社も信用ならない、って言う人多いじゃないですか。許さんは違うんですね」
日本では、履歴書の記載に過去在籍した企業数が多過ぎると、信用されにくいと聞く。
採用しても、また転職されるのではないかと、敬遠されるらしい。
中国では在籍した会社が多ければ多いほど、経験があるとみなしてくれる。
その意味では、中国で許さんの考え方は珍しい。
日本の集団主義と違い、中国は個人主義が色濃いからだ。
いつも、ありきたりの会話しかしてこなかったが、許さんの考え方は同じ中国人として、とても興味深かった。
「中国五千年の歴史の中、民衆は国から裏切られ続けたからね。自然と、自分の血のつながりしか信じなくなったんだ。でも血のつながりがなくても、それに相当する相手と判断した場合は、血のつながりがあるのと同じくらい、濃い信頼関係を築けるのも中国人のいいところじゃない? 僕は、天達では、濃い信頼関係が築けると思った。だから、ずっとこの会社にいるのさ。おかしいかい?」
「全然、おかしくないです。許さんがそんな深く考えてるなんて、思わなかっただけです」
「えっ、それって、僕は何も考えてない人間だと思ってたの?」
「ち、違います。すみません、失礼な言い方でした」
私は、おっちょこちょいだ。
また言ってしまった。
許さんは、笑っている。
気にしてないのが救いである。
最近、中国の歴史は六千年と言う人もいるが、五千年でも六千年でも、長いことに変わりない。
その長い期間に根付いた考え方がある。
日本人は、仕事の考え方・やり方などにおいて、中国人に日本式を教えようとする。
やり方は学べるだろうが、考え方を変えることは難しい。
他の中国人に歩調を合わせるわけではなく、自分の考え方を貫いてる許さんは、やはり個人主義の中国人であり、まわりに合わせる集団主義の日本人とは違うことを確信した。
変わらぬ日々が続く中、思いがけない大事件が起きた。
その日、オフィスの中は、定時を過ぎたこともあり、物音ひとつしない静寂に包まれていた。
ほとんどの社員が帰宅して、残っているのは私と吉岡さん、許さんの三人に加え、事務のスタッフが二人いるだけだった。
そこへ、一本の電話がけたたましい音を響かせ、静寂を打ち破った。
「はい、天達です」
許さんが電話にでた。
いつもなら私が受話器をとるが、電話から離れたコピー機の前にいたため、席に座っていた許さんが、先に受話器をとった。
「あっ王さんですか、許です。えっ、はい……。それでその後は……」
許さんは、真剣な顔で、ひたすら相手の言うことに相づちを打っている。
最初、突拍子もなく大きな声を出したので、私も吉岡さんもただ事ではないことは想像つく。
何か、予期せぬことが起こってるようだ。
「吉岡さん、大変です。とんでもないことが起きました」
受話器を置いた許さんは、真剣な顔で吉岡さんに切りだした。
「吉岡さん、得利金属と美和貿易の間で不正が起きてます」
「えっ、どういうこと。詳しく教えてくれ」
吉岡さんも、予想だにしなかったのか、許さんの言葉に大声で返した。
許さんは、理路整然とした説明をしてくれた。
つまり、こういうことらしい。
得利金属の謝社長が、美和貿易の購買担当の
通常、得利金属で製造したものを、美和貿易が検査をし、良品だけを天達に納品することになっている。
それを美和貿易の購買担当は、数量をごまかし水増しをしていたのだ。
しかもそれだけでなく、検査後の不良品を後で書き換えて、不良の一部を良品と偽って天達貿易に納入していた。
その報酬として、得利金属からお金を受け取っていたらしい。
しかもこの話は、謝社長の方から、美和貿易の購買担当 胡さんに持ち掛けたようだ。
一年以上も続いてると聞き、吉岡さんは真っ青になった。
「この件、来栖さんは知ってるの?」
「はい知ってます。私に電話をくれたのは、うちの経理の
経理の王さんは、日本語ができないこともあり、事実関係を確かめた上で、現地中国人で一番役職が高い許さんに連絡したのだ。
もちろん、日本人の桜木社長か吉岡さんへ、伝えてもらうためである。
私は、はっきり物を言う謝社長のいい面だけを見て、一方的にあこがれていたので、ぼうぜんとした。
未だに聞いたことが信じられなかった。
そんな私の心情に気づいた許さんが声をかけてくれた。
「李さん、ショックかもしれないけど、中国ではこのような話はよくあるんだ。特に、今の四十代以上の人は、不正が行われてあたりまえの時代を経験しているので、悪いことをした、といった感覚が薄いんだよ」
「中国では、よくあることかもしれないけど、日本では許されないから。うちとの取引においても、絶対あってはならない。ちょっと俺、来栖さんに電話してみる」
そう言うと、吉岡さんはスマホを取り出した。
来栖代表との電話は長い。
時々、興奮して、声を荒げている。
ようやく電話を切ると、私に告げた。
「リーチン、明日の予定、全てキャンセルして。得利金属に行くことになった。来栖代表とも現地で落ち合うことにした」
「わかりました。すぐ調整します」
私は、吉岡さんの指示を受け、ただならぬ緊張感に包まれている自分を感じていた。
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