第12話 難しい来訪者(3)

 私たちは、夕食をとってないこともあり、懇親も兼ねて皆で会食することになった。


 最初、吉岡さんは断ったが、押しの強い謝社長の誘いを断り切れず、行くことになった。

中国では、どんなに激しく交渉でやり合っても、終わった後は和気あいあいと食事を楽しむ風習がある。

日本人の吉岡さんには、その気持ちの切り替えが難しいようだ。未だに、むすっとした表情でいる。


 工場を出る時、先ほどのお礼を言いたくて、来栖さんの車に乗せてもらった。


「さっきは、ありがとうございました。黒ぶち……、じゃなく梶さんが言ったこと、そのまま伝えていいか迷ってる時、代わりに訳してくれて感謝してます」

「いいの、よくあるのよ。ああいう時は難しいよね。通訳だからって、そのまま正確に訳せばいいわけじゃないものね。最初は、とまどうことも多いと思うけど、そのうち慣れてくるから、心配しないで」

 初めて会った日の来栖代表のイメージは、服装もおしゃれでなく、生まじめな表情でおもしろ味がない、と感じた。

反面、おしゃれで明るい謝社長に好意を抱き、来栖代表には物足りなさを感じた。

今日見た来栖代表は、今までとは違った一面を見せた。

あの困難な場を、うまく切り抜け、私が窮地に陥ったのを助けてくれた。

その後の打ち合わせでも、私をフォローし続けてくれていた。

そんな気遣いがうれしかった。


 車の中で、何度もお礼を言うと「気にしないで」とさらっと言う。

そんな気取らなさも、私の中の好感度アップにつながった。


 謝社長に関して言うと、逆に感情的になりやすい面が見えて来たため、自分をコントロールできないことがわかった。

もう少し周りに配慮してくれればいいのに、と正直思った。


 夕食は、上海料理の店に行った。

少し薄めの味付けの上海料理は日本人にも合うようで、お客様もおいしそうに食べてくれた。


「せっかく日本から来たんだから、どんどん、飲んで食べてください。遠慮はなしですよ」

 中国では、お客様へのおもてなしを大事にするので、謝社長は、にこやかな表情で、どんどん食事を勧める。


「李さんも飲んでね。もう十九歳なんだから、大丈夫でしょう」

 日本と違い、中国では飲酒に関する法律があいまいである。


 私のまわりでは、十八歳からお酒を飲み始めた人は多い。 

私は、飲む機会がなかったせいもあり、社会人になってから、仕事で初めて飲んだ。

それ以来、時々付き合わされるが、あまり好きな方ではないらしい。

すぐに酔って、顔を赤くする。

それでも、仕事でお客様と飲むお酒は、大人の仲間入りした気分にさせた。


「そろそろ白酒(バイジウ)を頼みましょうか。ビールばかりじゃねえ」

「私は、白酒はちょっと……」

 正木課長は、白酒のことをよくわかっているようだ。

すぐに距離を置こうと、武骨な手を顔の前で振った。


「そう言わずに飲んでください。せっかくだから地元の白酒をぜひ」

 謝社長は、引かずに押してくる。


「それは紹興酒のようなお酒ですか? 日本でも紹興酒は人気ありますよ」

 黒ぶちメガネは、紹興酒を飲みたいのか、前のめりになって聞く。


「いえ、違います。中国では紹興酒よりも、白酒の方がずっと人気あります。初めてであれば、ぜひ飲んでみて下さい」

 謝社長は、白酒が好きなのか、やたらと勧める。


 白酒は、中国の伝統的なお酒で、五十度近くある強めのお酒だ。

店員に言って、持って来させている。


「さあ、来た。飲みましょう。では、干杯(ガンベイ)!」

「干杯!」

 謝社長が音頭を取ると、皆、高らかに言って、小さな杯を飲み干した。


 中国で〈干杯〉と言うと、日本の〈乾杯〉とは違い、杯の中全てを一気に飲み干さなければいけない。

それが中国でお酒を飲む時の常識である。


 謝社長は『お近づきのしるしだから』と言いつつ、何度も何度も干杯をした。

含みのある笑みで勧める。

特に黒ぶちメガネに対して、しつこいくらいだ。


 小さなグラスだがアルコール度数は高いため、黒ぶちメガネはふらふらになっていた。

正木課長は、白酒のことをわかっているため、最初から断っているけど、仕事の場とは違っておとなしい黒ぶちメガネは、断り切れないらしくずっと飲んでいる。

しかも白酒ばかり飲まされている。


「もうこれ以上、飲めないですよ~。あっ、正木課長、白酒飲んでないですよ~。吉岡さんもずるいなあ、俺ばっかり」

 黒ぶちメガネは、かなり酔っており口調が雑になってきた。


「李さん、飲んでるかな~。俺ばっかり飲んでるから、李さんも、もっと飲まなきゃあ。あれっ、よく見ると李さん、カワイイねぇ。いやあ、よく見なくてもカワイイ。ねぇ、吉岡さんも、そう思いませんか~」

 私の方へ視線を向け、言いにくそうに口をモゴモゴさせている吉岡さんを見てると、私も恥ずかしくて、どう反応していいかわからなかった。


 このような状態が続き、酔って手が付けられなくなって来た黒ぶちメガネを、途中で吉岡さんや来栖代表が止めたのでまだよかった。

止めなければ倒れてたかもしれない。

いや、既に立てないで崩れ落ちている。


 謝社長は、そんな黒ぶちメガネを笑って見ている。

黒ぶちメガネに対する仕事での怨みをこの場で晴らしているのか、とも考えた。そんな風には思いたくないが、一見快活そうな謝社長の持つ、普段の見た目からでは見えない一面を垣間見た気がした。


 黒ぶちメガネが、ぐでんぐでんにへたってしまったこともあり、なし崩し的に会食はお開きとなった。

私たちは、皆で支えながら、黒ぶちメガネを車の中に乗せた。


 帰りの車の中、正木課長は、苦笑いしながら話しかけてきた。


「すみません、梶が飲み過ぎて、皆さんにご迷惑をおかけしました」

「いえ、こちらこそ。謝社長が飲ませるのを、もっと早く止めるべきでした」

「彼も疲れてたんでしょう。初めての出張と言うのもありますが、気も張ってましたからね。だから酔いも早くまわったんだと思います。お客様や工場の製造部から、毎回同じような品質問題で叱られてるので、なんとかしたい気持ちが強いのでしょう」

 私は、黒ぶちメガネもプレッシャーを感じながら、仕事に取り組んでいたことを知ると、少しかわいそうになった。


 私たちが叱られているように、彼も叱られていることに気がついたからだ。


「でも、工場での梶君の言動を見た時に、やりすぎだと思いました。ああ、自分も普段はあのように言ってるんだな、と反省しました。今日は、うまく来栖さんがまとめてくれたからよかった。おかげで、無事に終われました。感謝しています。来栖さんにも改めてお礼のメールをするつもりです」

私は、同じことを感じている人がいたことに驚いたと共に、なぜか来栖代表が感謝されてることを、誇らしく感じた。


「本当に、今日は来栖代表に助けられました。李もまだ新入社員なので、今日のような難しいやりとりには対応できません。早く学んでほしいのですが……」

 私は、二人の視線を感じながら、寝たフリをした。

一番前の助手席に座っているため、顔を見られずに済んだ。正直、助かった。


「寝てますね。きっと李さんはすぐに一人前になります。あそこまで一生懸命な人、最近の日本ではなかなか見ないですよ。あの真摯しんしな取り組み姿勢は、今の中国における環境がそうさせるのか、それとも、李さん個人の資質のどちらなんでしょうねぇ」

「うーん、わからないですが、その両方かもしれません」

 私は、目をつぶりながらも、ほめられているのを感じて顔がほてった。

 赤くなってないか心配になる。


 ひと際高い建物が見えると、その門をくぐった。

お客様の宿泊するホテルに着いたので、皆で梶さんを部屋まで運んだ。


 最後は、梶さんの部屋の前で別れの挨拶をして、私たちも帰路へついた。


 日本からのお客様は、無事に帰国された。

色々あったけど、満足して帰国されたらしい。

私の通訳もほめられたものではなかったが、お客様には好印象だったそうだ。


 日本語が評価されたわけではないのだろうが、近ごろ、いい話がなかったこともあり、久しぶりに心がほっこりした。

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