第8話 トラブル初体験(4)

 私の毎日は、このように協力会社をまわって、納期・品質・コストの管理に終始した。

ものづくりの現場に行って、図面や現物の部品を見ながら、日本人と中国人の間で通訳・翻訳を行う。

専門用語が多く、覚える事は山ほどあるが、自分なりの成長を感じている。


 帰りは、車の中や日本食店で、ほぼ毎回のように吉岡さんのグチを聞かされる。

お酒が入ると、酔っぱらっているせいもあって本音が垣間見える。

日本人が、異国の地に来て大変だなあと思う。

私は、吉岡さんの話にいつも引き込まれ、そのひと時がいつの間にか楽しみとなっていた。


 結局、得利金属での急ぎの部品は、ギリギリで間に合った。

吉岡さんは、賠償金を払わずに済んだので、ほっとしているのは表情からもわかった。

入社して初の大きなトラブルは、こうして無事に乗り切れた。


 蘇州で働き出してから、親友の表建華ともなかなか会えなかったので、久しぶりに会うことになった。

建華も大学の授業が忙しく、ようやく会えたのは、クリスマスが終わった直後だった。


 今回、私たちは蘇州で会うことにした。

どうしても、建華が有名な庭園を見たい、と言うので決まった。

その代わり、次回は上海で会うことを建華は約束してくれた。

私も大都市上海に行ってみたい。

上海には工場訪問で何度も行ったが、有名なテレビ塔や豫園ユーユエンのある中心地へは行ってない。とても楽しみである。


「静、ひっさしぶり~」

 相変わらず、建華は明るい。


 待ち合わせ場所の新幹線の駅改札前で待っていると、以前と変わらぬぽっちゃりした体を、ゆすりながらやってきた。


「建華、変わらないね。勉強ばかりして、やせ細ってるかと思ったのに」

「なに、それ嫌味。静は、ただでさえ細くて小さいのに余計にやせたんじゃないの。静のお母さんは大柄なのに、静は逆に小さくなってくねえ。働き過ぎじゃない?」

 建華はケタケタと笑いながら、私をいじる。


「ところで、今日は庭園に案内してくれるんでしょう。楽しみなんだ。早く行こうよ」

「うん、蘇州の四大名園と言われる有名な庭園があるの。そのうち、中国の四大名園でもあり、ユネスコの世界文化遺産〈拙政園〉〈留園〉の二か所に行くつもりだよ」

 そう言って、建華を引っ張っていった。


 私たちは、バスを使って、庭園巡りをした。

世界文化遺産だけあって、観光客は中国人だけでない。

いや、むしろ海外からの観光客が多いくらいだ。


 庭園は、緑・水・石のコントラストが織りなすハーモニーに思えた。

建物のつくりが歴史を感じさせるのも素晴らしい。

これらの景観は、どこから見るかによって見え方が全く違う。

それが庭園での楽しみ方らしい。


 私たちは、色々な場所に立ち、スマホで写真を撮った。

今まで名所観光などしたことのない私にとっても、これが初めての観光であった。

子供の頃からの親友と過ごしたことは、ずっと張りつめていた心の疲れをいやしてくれ、久しぶりに心の底から笑えた。


 庭園を見た後は、私の職場を見に行った。

中には入らないが、外からオフィスのあるビルを眺めた。

建華は、感心しながら私のオフィスを見上げている。

その後ろ姿を見て、私は初めて蘇州に来た時を思い出した。


 建華の姿に自分を重ね合わせ、なにか心にジンと来るものを感じていた。

そして、近くのカフェに行き、おしゃべりに興じた。


「建華、頑張ってるね。すごく勉強してるんだ」

「でも、さっきの静の話聞いてると、絶対静の方が日本語に触れてるよね。単語や文法の勉強しなくても、一日中リアルな日本語に触れてるもの」

 建華は、感心したように言う。


「大学は勉強の時間は多いけど、聴いたり、話したりの時間は少ないよ。日本人の生徒や先生もいるけど、話す機会は多くないからね」

「学校の外には、日本人いないの?」


「うん、今度、上海に来ている日本人に、中国語を教えるアルバイトを始めるんだ。そこで、日本人と接する時間が増えれば、私の日本語も今より上達するかなって思ってる。そうしないと、静に日本語まけちゃうからね」

「そんなことないよ。優等生の建華に私がかなうはずないでしょう。日本語がうまくなったのは確かだけど、まだ敬語の使い分けがうまくできないよ。専門用語も難しいしね。いつも吉岡さんに怒られるもん」

 これは本音だ。中国語は、こんなにスラスラ話せるのに、日本語だと、急にたどたどしくなる。 


「専門用語なんて、私だってわからないよ。でも、今の静の日本語力もなかなかのものみたいだから、今なら日本語検定で一級だって合格するかもよ」

「二級ならまだしも、一級は無理でしょう。でも、会社で検定試験を受けるように言われてないから、必要ないんだと思う。それよりも、吉岡さんには敬語を使えるようになってくれ、と言われる。せめて日本からのお客さんの前だけでもって」


「その吉岡さんって、静の上司でしょう。静のことなんて呼んでるの? 『リさん』それとも、『リセイさん』まさか『セイさん』とか?」

 キラキラした目でたずねてくる。何を期待してるんだろう。


「ううん、『リーチン』って、中国語の発音でフルネームで呼ばれる」

「うそ、中国語読みなんだ。日本語読みしないんだ。中国に李の苗字は多いから、フルネームで呼ぶ中国人は多いけど、日本人にとって、リーチンの発音は呼びやすいのかな?」


「どうなんだろう。でも、中国に来る日本人は、それなりに中国語の勉強してるから、簡単な中国語を話せる人は多いみたい。桜木社長は『リーさん』て呼ぶし、この間あった来栖代表も同じだった。でも、なんで吉岡さんは『リーチン』なんだろ。やっぱり呼びやすいのかな?」

 二人でそんな他愛もない話をしていると、向こうから見た顔がやってくる。


「げっ、吉岡さんだ!」

 突然の吉岡さん登場で、私は、動揺を隠せずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る