第6話 トラブル初体験(2)

 二社目の打ち合わせが長引いて、三社目の徳利金属に着くのは、三十分遅れの四時半になりそうだ。


「吉岡さん、三社目は徳利金属と言ってたね。何の会社?」

「ああ、三社目に訪問する会社は、板金の加工会社で得利金属(上海)有限公司さ。うちは、日本人の経営する美和(杭州)貿易有限公司を通して部品を仕入れてる。だから、現地で美和貿易の代表、来栖さんが待っているはずなんだ」


「そうか。他の協力会社は直接取引しているのに、どうして得利金属の場合は美和貿易と取引するか?」

「美和貿易の来栖代表は、上海経験が長いのでたくさん工場を知ってんだ。得利金属を紹介してくれたのも、美和貿易の来栖代表さ。困った時は来栖代表に頼むと、どんな難しい加工でも、加工できる会社を探してくれる。困った時の美和貿易さん頼みなんだけど……なあ」

 最後の渋い顔をしながらの『……なあ』はどういう意味だろうかと思ったが、ちょうどそのタイミングで、車が大きな建物の正面で止まった。


 看板には、〈得利金属(上海)有限公司〉と書かれている。入場の手続きを済ませ、車を敷地の中に乗り入れると、一人の女性が出てきた。

女性は、私たちの前に来ると、軽く微笑みながらあいさつした。


「吉岡課長、こんにちは。いつもお世話になります」

 女性は、私の方を見ると続けて言った。


「初めまして、美和貿易の来栖と申します。どうぞ宜しくお願いします」

「彼女は、最近入社した李静です。私の通訳で一緒にまわってます。李静、こちらは美和貿易の来栖代表」

 吉岡さんは、来栖代表に私のことを紹介してくれた。


「初めまして、今年九月に入った李静です。よろしくお願いします」

 年齢は五十歳くらいだろうか。化粧っけはなく、メガネの奥の細い眼からは、寡黙そうだが強い意志を感じた。


 日本人の女性はきれいな服装をしている人が多いけど、来栖代表は少しよれた作業着である。

日本人女性にしては背も高く、髪もショートカットなので、最初、遠くから見た時は男性かと勘違いした。


 来栖代表は、上海に来て十五年以上になるそうだ。

日本人ひとりで、十人ほどの中国人スタッフを使って、会社を経営しているらしい。よほど精神的・肉体的にタフでないとできない。

あらゆる苦労を乗り越えて来た来栖代表は、自分を魅せることに時間を費やす余裕もなかったのだろう。

来栖代表の日本人らしからぬ装いは、私の中の日本人のイメージとはギャップがあり戸惑った。


 蘇州では、買い物をしたり写真を撮ったりしているおしゃれな日本人女性たちをよく見かける。

それを見て、私の日本人に対するあこがれの気持ちはより強くなった。

当然、全ての日本人があてはまる訳ではないが、そのことからも、来栖代表の化粧っけのなさに少し幻滅した。


 私と来栖代表の自己紹介に時間をとられていたが、ひと区切りついたところで吉岡さんは真面目な表情で話しだした。

「ところで来栖さん、例の部品が間に合わないと、本当にまずいんですよ。多少の遅れならいいけど、二週間遅れはないですよね」

「本当にすみません。今、謝社長が現場に行ってますが、もうすぐ戻って来ると思うので」

「注文は二か月前から入れてあって、絶対に遅れないようにと、何度も念押しましたよね」

 吉岡さんは、強い口調で来栖代表を問い詰める。


「はい。謝社長にも言ってたのですが、途中で大口の注文が入ったらしく、急に間に合わないと言い出して……」

「そんなふざけた言い訳、日本のお客さんに説明できると思いますか? とても言えないですよ。なんとしても、間に合わせて下さい。とにかく、二週間の納期遅れは、絶対に了承できないので、謝社長にもきちんと伝えて下さいね」


 謝社長は、中国人の中でも特に押しが強いとされる上海人女性で、遠慮せずに言いたいことをはっきり言い、誰もがたじたじになるそうだ。

中国で強い女の代名詞、〈西太后〉の異名を持つ謝社長には、誰も勝てないらしい。


 来栖代表も謝社長を管理しきれないようで、今回は私たちが、直接謝社長と交渉することになり、得利金属を訪問した。

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