第3話 旅立ち(3)

 アニメと言えば、私には、子供の頃から不思議な記憶がある。

それは、人の言葉を話す猫たちが、楽しそうに女の子と話しているのである。

彼らが、何を言ってるかはわからないが、歌を歌っているのか、あるメロディが頭の中でリフレインする。

私がアニメを見過ぎてるせいか、猫も女の子もアニメのイメージで現れる。

思い出すだけで、ウキウキと気分が楽しくなってくる。ただ、未だになんなのかはわからない。


 もう一つある。

こちらは、先ほどのアニメとは全く違う。

すごくリアルだ。

私は、広く青々とした芝生の上にいる。

周りに誰かいる気がするが、誰だかわからない。


 正面には、壁一面鮮やかなピンク色をした大きなお城が見える。

そのお城のてっぺんには、三角形で帽子のような赤い屋根がのっかっている。

その下には、小さいのから大きいのまで無数の窓がある。


 まるで絵本に出て来るお菓子のおうちみたいだ。

その大きなお城の前で、多くの子供たちが大声ではしゃぎ遊んでいるのを、私は離れたところから見ている。

この記憶を思い出すときは、とてもあたたかい気持ちになる。


 小さい頃の記憶なのか、夢なのかわからない。

母さんに聞いても、「知らない」と言うだけで何も教えてくれない。

この話をすると、いつも嫌そうにするため、今では聞かないようになった。

改めて、私自身でも考えてみるが、本物のお城を見に行ったことなどない。

海外旅行など行ったことないからだ。

記憶のお城は、中国のお城とは外観が全くちがう。

遊園地のお城はどうかと言えば、延吉市には遊園地などない。

中国の大きな都市に行けば遊園地はあるが、私は延吉市をでたことがない。


 やはり、この記憶は夢なのかもしれない。

しかし、なんでこう度々、思い出すのだろう。

よほど、この記憶だか夢だかわからないが、強烈な何かを訴えているのだろうか。

そう思いながら、少女時代を過ごしてきた。


 二〇一八年七月、私は無事に高校を卒業した。

中国の学校では、通常九月入学、七月卒業である。

九月からは、新たな生活が待っている。

心機一転頑張るつもりだ。


 私は、中学・高校で第二外国語で日本語を選択したこともあり、日本語を生かせる蘇州の日系企業に、九月から入社する。

日系企業とは、日本資本の企業のことである。

わざわざ二千キロ以上も離れた蘇州の日系企業に入った理由はいくつかある。


 一つは、田舎の延吉を出て、都会で暮らしたかったこと、もう一つは日本人が多い都市で働きたかったことである。

これらの理由だけであれば、もっと近くの北京や大連でもいいのではないか、と言われるだろう。

会社の面接でも聞かれた。


 延吉から比較的近い北京や大連でなく、更に北京から飛行機で二時間もかかる蘇州の会社を選んだ理由は単純だ。

大の親友 表建華が上海外国語大学に入学するためである。


「建華、大学受験するんでしょう?」

「うん、お姉ちゃんが上海で働いてるから、ちょっと遠いけど上海の大学に行くつもり」

「えっ、そうなの?」

「うん、一緒に暮らせると家賃も助かるからね」

 健華は、うれしそうだ。


「それに上海には上海外国語大学があって、日本語学科もあるの。レベル高いから、入れるかわかんないけど、絶対合格するつもり」

「へえー、でも、ずいぶん遠いんだね。離れ離れになっちゃうとさみしくなるね」

「静は? 大学行くの? それとも就職?」

「私は、就職するつもり。おそらく、あと数年で父さんは韓国へ帰任することになるから、家族で韓国へ引っ越すみたい」

「ええ、静、韓国行ったら、会えなくなるじゃん」

「自分だって、上海行くくせに」

 健華は、照れたように笑う。

「静、行くんだ?」

「ううん、私は、一緒に行きたくないから、延吉を離れて一人暮らしするんだ。まだ、どこを受けるか決めてないけど。日系企業に絞って受けようと思う」

「じゃあ、上海で就職しなよ。そしたら、今までみたいに会えるよ。そうだ、そうしようよ!」

 突拍子もない建華の思いつきだったが、その時のひとことで上海へ行くことをきめた。


 私は建華に押されるような形で、華東地域と言われる上海・蘇州・無錫にある日系企業に絞って就職活動を行った。


 就職活動は厳しく、独学で学んだつたない日本語では、受けても落とされるだけの日々だった。

十社以上受けて途方に暮れていた頃、ようやく、一社だけど合格の連絡をうけた。


 それは、蘇州の会社だった。

他の就職活動している人たちは皆、日本語検定を受けて一級や二級を持っている人たちがほとんどである。

逆に今回、合格をもらえた会社は、資格もない私をなぜ選んだのだろうか、いつか聞いてみたい。


 とにかく、蘇州は上海まで車で二時間、新幹線だと三十分で行ける。

卒業しても、また建華と会えることがうれしかった。


 蘇州に立つ前に、母さんに別れを言いに行った。

「母さん、もうすぐ蘇州に行くから、しばらくは離ればなれになるよ。寂しくなるね」

 ここ何年かは会話も減り、とてもいい関係とは言えなかったが、さすがに別れが近くなるとしんみりした。


「そうだね。私たちもあと二、三年したら、いなくなるからね」

「知ってる」

 少し涙腺が緩んだ。

「あの人が韓国へ戻ることになったら、簡単には中国には戻れないから。 離れ離れになるけど、時々、韓国に遊びにくればいいさ」

 もう今までのように会えなくなるかもしれないのに、母さんはさらっと言う。


 でも、言い方は冷めてるが、「遊びにくればいい」と言ってくれただけでも救われた。


 その一週間後、私は延吉を後にした。

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