第13話 生の価値



「――メイ、この子が新しい家族だよ」


――ボニタが家に来たのは、私が7歳の時だった。


配達に使用するために購入したその小さい栗毛の馬は、まだ小さかった私には大きく見え最初はとても怖く感じた。


「触ってごらん」


そう言ってボニタの額に触れるお父さん。ボニタはひし形の白い模様になっている部分を撫でると、気持ちよさそうに嘶いた。


お父さんに習い、私もおそるおそる触れてみる。すると、温かな体温が伝わってきた。


「生きてる」


ふいに出たその言葉に、お父さんが笑った。


「ああ、生きてるよ。メイと同じだ」


気がつくとボニタがこちらを見ていた。ガラス玉のようにキラキラしている瞳。それからボニタと仲良しになった。


畑の花に水やるときも、配達へ行くときも。学校に連れて行こうとして、お母さんに止められたときもあった。


嫌なことがあった日もボニタを抱きしめれば落ち着いた。


そんなある日来たお父さんへの招集命令。


その頃は敵国の動きが活発になっきていて、時折こうして町民が集められていた。数での優位を見せるだけで威圧して牽制する、その為だけの要因。


「......戦うことにはならないと聞いているからね。きっと大丈夫さ」


お父さんが所属する部隊はトラジルダ将軍というお方の統率する所だった。その人は戦果をあげる為には手段を厭わない事で有名で、嫌な予感しかしなかった。


でも、お父さんが約束をしてくれた。


「絶対帰ってくるよ。それまでお母さんとボニタをよろしくね、メイ」


お父さんは約束を破らない。いつもと違って視線を合わせてくれないけど、きっとちゃんと帰ってくるはず。


そう自分を言い聞かせて、泣くお母さんをなだめてボニタを抱きしめながらお父さんを送り出しもう数年。


トラジルダ将軍は敵の部隊へ奇襲し戦果をあげたと町の人々が嬉しそうに話していた。予感していた通り、お父さんが帰ることはなかった。


ベースキャンプで待機中に奇襲され殺されたと聞かされたが、なんとなくトラジルダ将軍がお父さん達を囮にしたんじゃないかなと思っていた。


町に報告で訪れた兵士がそう町民にぼやいていたから多分間違いない。


国へもたらされた光と比例して、私達家族に落ちる影は濃く思えた。


世界が敵に思えた。


そんな中、お母さんが花屋を再開させた。全てが嫌になっていた私はそれが不思議でならかった。


「お母さん、もう花はやめたら」


お父さんを思い出して辛くなるから、と。そう思った。


「でも、これはお父さんが生きた証だから。お店を続けていれば皆があの人のこと、忘れないでしょう」


......思い出して辛いのは、本当に大好きだったから。


だったら忘れようとするのは、ダメだ。


私も頑張る。お父さんが生きた証、約束を繋いでいく。


「ぶるる」と私の気持ちを察したのか、ボニタが嘶く。私はその温かいからだに頬を寄せた。


「ああ、生きてる」














――ドチャッ



「キヤキの兄貴。ほい、殺ってきたぜぇ」


「ああ、はい。ご苦労さん」


裏口から入ってきた大男が、黒い塊を投げた。それは私の目の前に落とされた。水のような、しかし妙に温かい液体が飛び散り顔にかかった。



......これは、なに?


触れるとぬるっとするそれは、暗い部屋では何なのかわからない。


借金取りの名はキヤキ。そしてあの大男は部下のマレドッチ。




「......?」




目の前に投げられたそれがなんなのか暗い店内ではよく分からず私は目を凝らす。


しかし、やがて、ゆっくりと月明かりが室内をみたすように照らしていき、それが何かがわかる。


「......ボニタ......」


愛馬の......ボニタの首から上だった。


額に触れる。好きだったガラス玉のような美しい瞳が、光を失っていた。


「おおおー、正解っ!喜べ今夜は馬刺し食い放題だぜ!ぐははっ!!」


マレドッチが楽しそうに言う。


私はボニタの寂しそうな表情から目が離せずにいた。


「......な、なんで......こん、な」



声が震える。



「もう配達用の馬は要らないでしょう。花屋は終わりですもん」


「......まだ、期日まで......」


「いやあ、でも利息分しか返せないでしょう?花での売上ではもう返済不能と判断しました」


にこり、と笑うキヤキ。私は言葉が出ない。


「さあ、約束通りあなたには働いてもらいますよ。幸いあなたは容姿がとても良い。それに、年の頃も食べ頃です......そうだ、オークションにかけるも良いでしょう!初物で幼女で顔も可愛いとなると数億は下らないんじゃないですか?」


ぱん、と両の手をあわせ、彼はうんうんと頷く。


「......」


私は言われている事がわからず呆けていると、マレドッチが笑いながらこういった。


「ぐははは!お前はこれから汚えジジイ共の奴隷ってこった!」


......え?


「私達もねえ、お金......無いんですよ。けれど貴方がどうしてもってお願いするから、ここまでお貸ししたんです。私達は誠意を見せました......次は、あなたの誠意を見せてくれませんか?」


ガンッ!とお母さんの頭を踏みつけた。


「!?、や、やめ......いやだ」


誠意?誠意って......ナニ?ボニタが殺されて、お母さんが頭を踏まれている。私、どうしたらいい?言うこと聞いたらやめてくれるの?


(でも、ボニタはか帰ってこないよ.......ッ)


お母さん、どうなるの......もしかして、ボニタと同じに?いやだ......私、ひとりになっちゃうの?


ボロボロと流れ出る涙が惨めに思える。泣いてもどうにもならない。それはわかっている......なのに、勝手にこぼれ落ちてしまう。


「ああ、混乱してんですかね。では簡単に説明しますね?貴方がこれからどうすれば良いのか」


「は、はい」


......が、がんばらなきゃ。お母さんを助けなきゃ。


お父さんが言っていたんだ。


『それまでお母さんとボニタをよろしくね、メイ』って。


だから、私がたえれば......頑張ればいいんだ。


「これから貴方は闇オークションという競りにかけられます。まあ、要するに人身売買、奴隷になるということですね。色々な趣味嗜好の富豪が集まる場で、その殆どが歪んだ性癖を持っています......奴隷を愛玩具として改造し遊ぶ者、家畜のように飼う者、中には人体収集家や殺しが目的のヤバい人もいますが、そいつらに買われたら諦めてください」


......え?


「......い、いや......」


あまりの内容に反射的に首を横に振ってしまう。すると、にこにこ笑っていた彼の表情が冷たくなる。


「......嫌?なぜです?あなた、お金借りましたよね?返せませんよね?」


「......そ、そんな、話......聞いてない、です......」


体が恐怖で震える。まともに口が聞けない。


「はあ......子供、ですねえ。聞いてない、は通じないですよ。どうやら貴方には覚悟が足りないようだ」


呼吸がしにくい。心臓がばくばくと動いている。


「あっ――!?」


ドン、といつの間にか後ろに回り込んでいたマレドッチが私を床に這いつくばらせ、押さえつけられた。


そして、キヤキは気絶し動かないお母さんを引きずり私の前に連れてくる。そのままお母さんの顔を私に向け、背を足で踏みつけ抑える。


「覚悟......貴方はこれから奴隷になるんです。奴隷としての命を全うする覚悟をしてください。これから貴方の母親の首を落とします。そうすれば人として普通の幸せを生きる希望も潰える......奴隷として生きる覚悟が固まるはずです!これはそのための儀式だ!さあ、ほら.....お母さんの顔をよく見て」


ニタリと不気味な笑みをみせるキヤキ。腰にあった短刀を抜いた。


「......やだ、お母さん」


キヤキは私の顔を舐め回すように観察し、そしてその短刀の切っ先をお母さんの首筋へ当てる。


「はい、サヨナラして」


「......お母さん、おきて......」


「まあ、いっか。カウントダウ〜ン......はい、さん、にい、いち、ぜろっ!」


「いやあああああーーーッッ!!!」




ドッ




カウントがゼロになり、お母さんの首に深々と短刀が突き刺さる。


天井にかかる赤と床に広がる赤。


......ボニタと同じく、首だけに







――なったと、錯覚した。







......カウントダウンがゼロになったのにも関わらず、お母さんはまだ刺されていない。キヤキはナイフを突きつけたまま動きを止めていた。


「.......?なんだ、これは」


切っ先をお母さんの首に当てたままキヤキは固まっている。


「兄貴?早く殺せよ」


「......いや、動けねえ......なんだ、これはッ!?」


その時、キヤキの背後から聞き覚えのある声がした。


「――覚悟っていうならさ」


瞬間、キヤキの顔が蹴り飛ばされる。「――がッ!?」ゴロゴロと床を転がり植木鉢を薙ぎ倒し、やがて壁に当たって止まった。



「お前らも......殺される覚悟、あるんだよな?」



そこには、碧い魔力を全身に漲らせる、シオンくんが立っていた。



――ビシッ、と途轍もない魔力圧に床が破れ鳴く。




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