第48話「エピローグ」

 三月十日、富士は事務所で書類整理をしていた。机の上に並べられているのは、急ぎで募集した登録魔術師と未登録魔術師のプロフィールだ。年末の事件があってから、魔術師の起こす事件に対する対応の粗雑さが明らかになった。人員も技術も足りていないという現状に、上からまずは人員を増やせとお達しがあったのだ。すぐに雇えるものなのか、と思っていた富士だったが想定よりも多い数の魔術師が募集に乗っかってきた。


(やっぱ、少しでも給料が上がったからか)


 お世辞にも十分とは言えない額だが、それでも嬉しいことに変わりはない。人手不足プラス給料の値上げ。好条件が重なった今がチャンスだと思ったのだろう。


「それ、次採る魔術師?」


「うわっ、びっくりした。なんだよ松島かよ」


 富士は肩を跳ねさせて顔を上げた。デスクのちょうど向かいには松島月子が立っていた。彼女は何でもないような顔をして小さくため息をついた。


「人に向かって『なんだ』って……。まぁいいけどさ」


「急に現れる方が悪い。どうかしたか」


「少し様子を見に来たの。こっちも新人が入るからすり合わせも兼ねてね」


「あぁ、悪いがこっちはまだ誰を採るかも決まってないぞ」


「え、そうなんだ。思ったより多かったって聞いてるけど」


「そうだよ。この時期に出してこんなに来るとは思ってなかった。まぁ嬉しい悩みなんだろうけどな」


 書類をまとめ、立ててその端を整える。


「あ、そういえばー……大社の方の結界はやっと完全復帰したみたいだよ。意外とかかるもんなんだね」


 松島は急に思い出したようにそう言った。


 それを聞いた富士は嫌なことを思い出したと言わんばかりに顔をしかめた。


「そりゃそうだろ。素材は特注で、術式も一気に組めるような代物じゃないだろうし。壊すのは簡単だけどな?」


 少しだけ嫌味っぽく富士は松島にそう言った。あの後、富士たちは大社の救援要請に応じてその復帰の手伝いをした。そのせいで、富士はしばらく家に帰ることもできなかった。


 大社の魔術師の横柄な態度に耐えながら手を動かし続けた日をうっかり思い出してしまった。松島はそんな富士の事情を知らないようで、肩をすくめながら不満そうに口を尖らせた。


「魔術師としてはやっぱあり得ないかー。そこそこ怒られたんだよ」


「……つってもアレ以外どうしようもなかったのは事実だしな。おれもそうするだろうし。どうせ乗っ取られてたんだからぶっ壊す必要はあったし」


「でしょ。そういえばウチの浦郷君なんだけど、掃討戦で活躍したからって上の人に目を付けられたんだって」


「そりゃまた……よかったな」


「いやいや。それがぜーんっぜんよくないのよ。もっと駆除とかしに行けって言われたんだってさ。でも彼魔術師嫌いだし、魔道具も使いたくないって言ってるじゃん? まだ立ち直ってないみたいでさー」


「あー……まぁ、確かにそうだったな」


 富士は掃討戦の時のことを思い出しながらそう言った。鯨が三笠によって撃破された後、日が昇り切ってから取り巻きの掃討が行われた。動ける者で急ごしらえの戦闘部隊を作り、ひたすらに残った取り巻きスペクターを叩いて回った。富士も休息を取ってから参加したが、浦郷の活躍は文字通り群を抜いていた。恐らく掃討隊の中で一番スペクターを狩ったのは彼だろう。戦闘特化の魔術師である富士から見ても素晴らしい戦いぶりだった。


「複雑な人だよねー。変に首が絞まらなきゃいいけども」


「そんなの個人の努力の範疇だろ。放っておけ」


「はいはい」


 松島は肩をすくめながら富士の言葉を流した。そしてふと、富士の手元に目をやって小さく「あ」と声を上げる。


「その節は……本当に残念だったわね。実はもう籍は入れてたんでしょ?」


 彼女が誰のことを、何のことを言っているのか富士にはすぐ分かった。


「あぁ、どこから聞いたのかは知らんがそうだ。というかな」


 富士は松島の言葉に頷いた後に一言こう付け加えた。


「話題が古い。いつの話してんだ」


「あぁ、はいはい。そうだわ。あとそう、鯨について分かったことがいくつかあるからこれもついでに報告していい?」


 富士の返しに松島は肩をすくめて笑う。


「別にいいけど、おれはこれから休憩するぞ」


「いいよ。お茶片手に話しても問題ない内容だし」


 そう言って松島はソファーに腰掛けた。ちゃっかりお茶も飲んでいくその姿勢に、富士は呆れながらも茶の用意をした。


「あの鯨なんだけど、異様に硬かったじゃん」


 湯気を上げるマグカップ片手に松島は話を切り出した。その言葉を起点に富士の脳内にあの鯨と対峙したときの記憶が呼び起こされる。


「そうだな。三笠も『なんでできたか分からない』って言ってたくらいだしな」


 前哨戦での話だが富士の打撃でもほとんどダメージが入らないほどの硬さだった。敷宮探偵事務所きっての火力の持ち主である三笠ですら、富士の『硬かった』という感想に賛同したのだ。そんなのに有効打を与えられるわけがない、と富士は辟易したのを思い出す。


「アレ、解体したら御神体が出てきたんだってさ」


「御神体? どこのだよ」


「それが確定してないんだよね。ただまぁ、一つだけ仮説があって。船って乗ったことある?」


「いや、あまりないな」


「どうも船上に小さな神棚を作ることがあるらしくて。航海の安全祈願とか。だから住吉さんが多いらしいんだけど」


「ふーん。じゃあ沈没船のそれを食べたってことか」


「そうそう。問題はその沈没船でさ。どうも軍艦だったらしくて」


「軍艦だったら何なんだよ」


「それが不慮の事故で味方に衝突されて沈んだ軍艦でさ。船体の引き揚げはされてないっぽいし。魔術師ならもう分かるでしょ」


「あぁ、そういうことか。怨念とか、あの辺も一緒に食ったってことか」


 強い感情は魔力に性質が似ている。代替エネルギーともなれるそれが、鯨の形成に影響を及ぼすのはごく自然なことだろう。強い感情は様々な形で留まることがあるからだ。


「そういうこと。要するに大戦時代の置き土産だったかもってわけ。残念なことに神棚で祀られていた神様の名前も分からずじまい。資料が無いんだってさ」


「そういう肝心なところは分からずじまいかよ。まぁでも、そういうことがあるって分かっただけでも収穫か」


「解剖もかなり慎重に行われてるしね。まだまだ結果待ちだよ。なんでそんなのが海岸に流れ着いていたのかとか、調べるべきことも多いし」


「長くなりそうだな」


 松島はゆるゆると首を横に振った。これからどんなにゆっくりでも確実に事件の詳細が判明していくだろう。松島が調べたところ、鯨を持っていたのは海辺に住む元魔術師の男性だった。元々は漂着物だったらしい。使い魔にするために拾ったはいいものの放っておいても勝手に成長していくために、魔術師を引退した身での管理に苦戦していたという。そこへ現れた幸嗣が完璧に抑え込んだのだ。


 彼は驚いて厄介ごとを押し付けるようにして鯨の幼体を売り渡した。それが昨年の夏の話だったそうだ。竜冥会が竜骨を炙り出そうとする動きを見せ始めたのは秋ごろ。そして実行が今月。迅速な動きがあったところを考えると、竜冥会は相当根に持っていたらしい。


(んでもそういうところを見ると、季節限定という縛りはあるが初瀬幸嗣はかなり優秀な魔術師なんだろうな……)


 幸嗣が鯨を利用したのは竜骨に直接接続した際のクッションとするためだと考えられている。生贄とも言えるが、想定以上に生命力が強かったのだろう。結果、力を失わずに強化されてしまった鯨が富士たちの手によって放たれたということになる。


 元より富士の手を離れている一件ではあるが、一度触った事件だ。気になるのは魔術師ゆえの強い好奇心のせいだろう。


「そういえば三笠君は?」


 急な話題転換に驚き、富士は思わず「は?」と言いかけて留まる。


「……なんでそれをお前が訊くんだよ。初瀬を借りてきたのはお前じゃないのかよ」


「いやぁ。あはは。それがねー……クビになりました」

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