第46話「最終決戦」

 霧を抜けて広い交差点に出る。海に、稲佐の浜に面したその場所は、他よりいくらか霧が薄いように思えた。真冬だというのに、緊張からか三笠の頬には汗がにじんでいる。あらかじめ決めておいた時間になれば、結界の穴あけがされる。それまで待っていなければならない。


(ぱっと見霧は薄く見えるけど──魔力が吸われている気がする)


 術式の維持や組み立てに使う魔力が、明らかにじわじわと削られていく感触がする。三笠はてっきり、八雲山にかかっていた霧と同じだと思っていたが違うらしい。それに富士も気が付いたのだろう。嫌な予感に顔をしかめている。不安が伝染しないようにと皆努めてその顔をお互いから背けている。


 暗闇の中、宙を泳ぐのは青白い光を放つ魚だ。あれは目が悪いのか、感覚が鈍いのか三笠たちに気が付くことなく、ただそこを泳いでる。


 秒針を見る。


「……これは」


 鷦鷯が苦々しく呟いた。定刻になっても霧が晴れる様子はない。見当が外れたか、それとも失敗したかのどちらかだ。その呟きを合図にその場を割れそうなほど強い緊張感が走る。


 夜明けまではあと十五分もない。それを理解したうえで各々動き始めた。


 三笠が先陣を切る。それに続いて出た鷦鷯と富士が、目の前を遮る遊魚を力づくで退かす。叩き、蹴飛ばし、串刺し、両断。ありとあらゆる、持てる全ての手段を使って血路が切り開かれる。氷が散る。飛沫が舞う。銀の風が前髪を流す。静形は魔力を断つ。


「八雲立つ──」


 鷦鷯の詠唱と共に霧の向こうへ魔力の波が押し寄せる。それに乗って三笠たちは段々と大きな影へと近づいていく。


 それに向こうも気が付いたのだろう。霧の中から微光を放つ小さな腕が現れた。それは一直線にそれぞれの元へ伸びていく。


「させない!」


 東が薙刀を振るい、一気にそれを薙いでいく。千切れ飛んだ腕は霧に溶けるようにして消えていった。


「集符、『金剛富士』!」


 乱反射する魔力と光がありとあらゆる意識を集める。それを合図に三笠は足を止め、詠唱を始める。


「一陣の風、鳴動するは星の脈動──」


 組み替えた術式が励起される。熱く脈打つ魔力はすぐさまエネルギーへと変換される。起動済みの魔力炉の回転は最大だ。二度とない盛り上がりが、昂ぶりが訪れる。全貌が明らかにならないソレを、撃ち抜くべく照準を慎重に合わせる。そんな三笠の視線を誘導するように、災害の目は瞬いた。


 まずは一つ。光が飛び出す。飛び出したそれは何かに当たって派手に散った。それを目安に三笠は照準を修正する。そして。


(当たれ、ぶち抜け──!)


 どこからか生まれた風が唸る。霧をかき乱してどこかへ連れて行く。放たれた一矢は真っすぐに巨大な標的へと向かっていき──そして当たった。


 傷物であっても、その権威を示すかのように光は派手に散る。


「──────!」


 音が奔る。悲鳴のような、怒号のようなその音は一瞬でその場を駆け抜けていく。まだ生きている、まだ相手は動ける。手ごたえの分からない状況ではあるが、それだけは確かだった。


「やっぱ無理か! まだできるか⁉」


「まだ、まだいけます!」


 いつ壊れてもおかしくない炉心を見やりながら三笠は声を張り上げる。もう一度。予備も保険も全てつぎ込んで放つ。片道切符は容赦なく消費される。


 それでもまだ抜けない。霧はかなり薄まっている。徐々にその全貌が明かされていく。溶け落ちた脂肪が三笠たちの足元にまでやって来る。どろりとした感触のそれが這って来る。


 大きく焼けただれた皮膚が見えた。


 異臭を放つ肉に空いた、大穴が見えた。


 腕がある。半身は水に浸かっていた。ぬらりと鈍く銀に輝くその背には、艦底の竜骨のようにディープブルーの突起が波打っている。大きく開かれた口の中には、本来持ち得ないだろう、臼状の二重になった歯があった。そして渦巻き、揺蕩う喉元からは木の根のように無数の小さな細い手が触覚のように伸びている。身体を持ち上げるヒレには指のようなものも付いていた。ひゅう、ひゅう、と大穴を風が通る音がする。大きな肉の塊がそこにある。


「……」


 質量を持った咆哮が辺りを圧倒する。三笠たちも思わずその身を屈めた。複数展開された魔術障壁でさえ、意味を成さない。まるで意味がない。脳が、身体が、視界が震える。これが災害級か、とその場にいる全員が唾を飲み込む。


(それでも)


 もう一度、と顔を上げる。ここまで来て引き下がるわけにはいかない。というか、下がる道も無い。もう一度、もう一度と手を動かす。最早周りが何をしているかなんて認知すらできなかった。その場の誰もが己のできることをと必死に足掻く。


 一人で前に出る。術式を活性化させていく。次から次から、装填したものを撃ち出す。無我夢中だった。


 宙に展開された術式を通り抜けた光は、一斉に放射状に散っていく。それが弾幕のように大きく広がって次々と着弾していく。確実なダメージを狙ってもっと、もっとと攻撃の手を変えていく。



「⁉」



 装填した魔導弾は、放たれることなくその場で爆発した。その爆風を真正面から受けた三笠は、思い切り後ろに吹き飛ばされる。恐れていたことが起きてしまった。全身の痛みよりもその意識が強かった。


『やらかした』


 想定の範囲内、いわば防げたかもしれない事故の範囲だ。クールタイムが不十分だったらしい。焦りすぎたのだ。冷静さを欠いた当然の結果と言うべきか。


「……あ」


 膝をついてふと、指がかけていることに気が付いた。途端に冷や汗がどっと噴き出る。心臓の鼓動が耳元でし、脈打つたびに痛みが右腕を走った。


 ──右手小指の第二関節から先と薬指の先が無くなっていた。


 それを知覚すればするほど、痛みは増し後悔が波のように、際限なく襲ってくる。


「っうぐ……!」


 泣こうが喚こうがどうにもならない。回復魔術は使えない。せいぜい痛みが和らぐよう縛っておくくらいだろうか。冷静さを欠いている今はそんな小さなことも叶わない。身を屈めて痛みを堪えようとするが効果はない。誰かが叫んでいる声がするが、誰のものかはもう分からない。


 その時初めてこうしたことを後悔した。


 思考が何度か空周る。


 再び霧が煙る中、鯨は大きくその身を揺らした。凍てついた魔力はどんどんとその場の気温を下げていく。幸か不幸か、無くなった指の痛みは激しいその冷気にかき消された。絶望が迫る。枝葉のように幾重にも別れて伸ばされた腕は、真っすぐに炉心を狙って伸ばされる。死への恐怖が涙を、震えを誘った。


「      」


 誰かの声がした。


 その途端、伸ばされた腕が力づくでねじ伏せられる。今ではすっかり慣れてしまったあの独特の魔力はが青白い腕をねじ切り、弾く。火花のように弾けるそれが、沈む意識を少しずつ照らす。絶望で投げ出されかかった肩を、誰かが支えた。


 強い風が吹く。


「やるよ」


 霧が、冷気が押し流されていく。風が回り始める。淀んだ空気が流れ出ていく。揺らいでいた視界はきんと冷えた風が拭い去っていく。


「な、んで⁉」


 そこにいるはずのない彼女に、三笠は目を丸くした。星を霞ませる月光がその場を照らし出す。東の空はすでに赤くなっていた。


 払暁の時間が差し迫る。


「ひっどい顔。早くしなよ。死ぬよ」


 肩を支えるその人は大真面目な顔でそう言った。強く吹く風は旗色を変えていく。


「わ、分かった」


「これ使って。一発限りだってよ」


 そう言って差し出されたのはいつぞや写真で見たことのある魔道具だった。一気に感情が噴き出して言葉が生まれそうになったが、それを飲み込む。


 月は煌々とその場のものを浮き彫りにしていく。


 晴天が訪れる。風が強い。晴朗な空気が勢いよく吹き抜けていくのが分かる。


 もう目は眩んでいない。顔を上げる。


 ……目の前の大きな的を睨みつけた。


「──一陣の風、鳴動するは星の脈動」


 鼓動が耳元でする。これが限定的な力であるとはっきりと理解する。無くなったはずの指先がうずいた。


 傷口が熱く痛む。


「暁の竜は我が胸に! 我が魂、喰らえて奔れ!」


 どこからか火の粉が舞い、前髪をいたずらに焼いていく。身体の内から内から熱くなる。視界に入る炎はあの記憶とは違う、熱意に溢れた赤を持っていた。拡大していた術式が収束し、槍のような形を形作る。


「いっけぇえええええええええ! 貫け──『竜哮一閃』!」


 全霊の咆哮と共に光の矢が放たれる。閃光が辺りを駆け回る。巨竜の咆哮のような爆音波が大地を、街を、高い空を駆け抜けた。


 逆さに走った流星は、まっすぐに核へとぶち当たる。


 核そのものはとんでもない硬さだった。ほんの一秒ほどだったが鯨はなんと、魔導砲を押し返してきたのだ。それでも、この勢いと貫通力には劣るものだった。前哨戦のおかげか体力はだいぶ消耗されていたようだった。核に突き刺さったであろう小刀は莫大な量の魔力に触れてその身を弾けさせた。榴弾のように細やかな、キラキラとした何かが飛び散る。鯨が致命傷を受けたのは間違いない。


 一瞬だけ掻き消すような強い光が、全ての星を上塗りする。




 真っすぐに核を貫いた光は勢いあまって、満天を駆けた。




 どこか遠くで人の声が聞こえる。


 それが誰のものかは分からない。はっきりと聞こえない。それでも薄っすらとした意識の中、こんな言葉が聞こえたのは分かった。


『お疲れさん、よくやったよ』


 それが誰のものかはやっぱり分からない。それでもその言葉に込められた意味が、悪いものではないという確信だけはあった。


(──あぁ、欲しかった言葉が)


 視界の端には空を焼く赤が映り込んだ。

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