第45話「回顧」

「協力して欲しい」


 友人は強くそう言って右手を差し出して来た。


 どういうつもりだ、と問いかければ


「どうもなにも、さっき話した通りここに羅列されている家が憎いんだ」


 その瞳には一切の揺らぎもない。


「幸嗣にしかできない。助けてほしい」


 そう言って彼が頼んできたのは立派な犯罪だ。しかも押し入り強盗。それでも僕は頷いた。端から見れば僕は、承認欲求に付け込まれて利用された可哀想な人だったのだろう。それでも信じたものを信じたい。その一心で友に付いて行った。初めはサークルと学部が同じだけのただの友人だったのに。後戻りできなくなった頃には友達とは言い難い関係になっていたように思う。


 言われたことはなんだってやった。


 彼が初めて僕を認めてくれた人だったから。


 アイツはいい奴だ。ヒトのことを、その人の立場に立って考えようとする。優しさで傷つくし、大きなものを抱え込む。きっとこれもその一環だったのだろう。目立ったカリスマは無くとも、他人に寄り添うその姿は尊敬に値するものだった。ただ少し、優しすぎるのと過去の傷が深すぎたのが問題だった。


 僕なんかでは補えないことは明白だ。だからだろう。恩返しのつもりで僕は必死に手を動かしていた。


「……どうしてあの人たちが憎いんだ」


 酒を飲んだ時だったか。ふとした好奇心で訊いた。アイツは酒のせいか、それとも計画が滞りなく進んでいたからか。この質問が機嫌を損ねることは無かった。


「幸嗣は魔術師の家だから分かると思うけど、魔術師うちでも上下の差は激しいだろ。水ナシは当然だし、魔力鉱の採掘者はもっと下として扱われる。東日本がどうだか知らないけど、西日本は基本的にそんな感じだろ? 魔術師になることは許されないのに、魔術に関わり続けなければいけない。ウチの家がそれでね。知らなかっただろうけど」


 唐突なカミングアウトに思わず絶句してしまった。


 僕の家は少しではあるが竜脈の利用権がある。当然採掘者のような業者には必ずと言っていいほど世話になる。


 この地方では彼らのような専門職のことを室や穴熊と呼ぶ。それには侮蔑の意味が含まれていることもあるため軽々しく口にすることはできない。彼らを組成するのがいわゆるはぐれものであるかららしい。他に呪いを扱う集団も含まれることもある。それと言っても種類が非常に多いせいで不適切であることが多くなってしまう、というのが正しいか。


 だが結局、大雑把に言ってしまえば僕は、彼の憎む存在の一端だ。


「驚いた? まぁ、意図して言わなかったしね。その点そうだな。最初の方で訊かれなかったのはありがたかったけど」


 「だから俺みたいなのに騙されるんだよ」と、彼は付け加えた。


「騙されてやったんだよ」


 僕はそう返しておいた。どうせ才能もやりたいこともなかったのだ。死ぬつもりでここに来たのだ。今更地獄へ持って行く罪が一つ増えたところで気にしない。そう話した。



          ※



 彼の持つ憎悪を何度か見た。


 その度に、己の立場に疑問を覚えた。もしかすると罪悪感、だったのかもしれない。殺すのにも魔術を使ったから。



          ※



 家宝やら魔道具やらを盗むのは、積み重ねてきたものをぶち壊すため。本当は破壊しなければいけなかったけれど、僕にはそれができずにいた。隠して放置していた。



 だって、アレを作るのにどれだけの命と労力が費やされているのかを知っているから!



 消費された命の中には当然、友と同じ人々もいる。彼はそれを知っているのだろうか。どちらにせよ彼は『壊せ』と言っていた。僕は知っていながら壊すのはできない。裏切っているようで酷く申し訳ない気分になったが、壊したところでそれは同じだったのだろう。


 だから隠しておいた。彼が知らない魔術を駆使して蓋をした。



          ※



 忍び込んで、奇襲して、凍てつかせてから貫く。人様の術式を機能不全にすることにだけは人一倍の自信があった。格上に対しては、完全に停止させることができずともその機能を阻害することはできる。変に力ませてコントロールを奪うのだってお手の物だ。あの時の焦った顔を見るに、僕が殺した魔術師たちはあまりこういう失敗をしたことがなかったのだろう。リソース不足も無いのだろう。



          ※



 友の傷はよくなるどころか段々と悪化していった。最後の方は狂っていたと言っても過言ではないくらいに。


 憎悪と死人の影に取り付かれてただ進み続けるその姿を眺めていた。


「あ、おかえり」


 帰ればそこに彼がいた。


 同居なんてしていないのに。


「何か用事? 急ぎなら電話かメールくれたら……」


 そう言いかけて口を閉じる。


 アイツは明らかな敵意を持って僕を見ていた。それですぐに察した。どうしてかは分からないが、魔道具のことがバレたのだと。もしかしたら、見逃してくれていたのかもしれない。僕が彼の優しさに甘え続けた結果、か。


「どうしたい?」


 そう問われた。


「どうなるの」


 訊き返す。


 答えは無かった。周辺に控えていた元同志の魔術師もろとも串刺しにしたから。硬化したヒルコは、特別な手順を踏むと液化する。死んではいるが形状を変化させることは可能だ。そうして戻したヒルコを彼ごと残っていたヒルコに食わせた。そこそこの時間がかかってしまったが、時間は腐るほどあった。ヒルコ同士の共食いはともかくとして、アイツが彼らにとって異物である事に変わりはない。魔道具類を持ってヒルコを安定させるために山に籠って眠った。


 大体四年くらいだっただろうか。それくらいの時期に活動を再開した。冬ごもりから目覚めた僕の性質はかなり変化していた。以前よりも格段に魔術が扱いやすくなっていた。ヒトを辞めたとも言うべきなのだろうか。


 最初からこうすればよかったのか。今までの努力は何だったのか、と空しくなった。こんなところで正解を見つけるなんて。


 世間ではモズは行方不明扱い。そして僕も行方不明。当然疑われていた。実家に帰れば父は神妙な顔をして僕を出迎えてくれた。入院して記憶が無い、ということにしておいた。大学は辞めた。


 そこから静かに三年ほど暮らした。母とは別居を始めたらしい。本当に静かだった。


 地元を一巡りしてから感じた。


 あ、やっぱりここも、アイツの憎む世界に変わりなかったんだと。


 僕が知らなかっただけで、色々なことがまかり通っていた。本当に色々なことが。



 彼を食べたからだろうか。


 それを見逃そうとは思えなかった。



 血を分けた父ですら相反する考えを持っていた。



「……生きてるとは思わなかった」


 久々に会った雑賀は疑るような目線を僕に向けた。それもそうだ。八年近く前に失踪した人間がのこのことやってきたのだから。初瀬幸嗣を名乗る別の誰かであると疑うのは必至だ。僕だってそうする。しかし僕は紛れもない──か、どうか。ちょっと言い切れない、かもしれない。


「それで? 用件がなんだって?」


「以前、預かっててくれって言って渡したものがあっただろ。それを返してほしい」


「……なるほど。確かにあった気がするわ、そんなもの。でもなんで?」


「それを教える必要がどこにある」


 空気が凍る。こんなことを訊いてくるあたり、もう味方ではないのだろう。こちらの正体がばれていると考えても何一つおかしくはない。雑賀は学生うちでは唯一の魔術師という存在を容認してくれた人だ。僕らのせいで魔術の知識も少しある。


「そりゃ……心配だからだよ。だってさ、急に現れたと思ったらまたどこかへ行こうとするんだよ。あの時だって黙ってどっか行っちゃったし。今度は逃がさないって思うのは普通じゃないの?」


 そう言われれば違和感はない。普通だ。ものすごく。


「そっか。いや。別に」


 そうであるならば仕方がない、と彼らを呼び起こす。



 血に濡れた廊下を見てから少し、だけ後悔した。もし彼女にあの炉心を渡していなければ巻き込むこともなかったのだろうか、と。



           ※



 竜冥会上層部の目的は『もう一つある竜脈を暴き出す』ことだった。


 それならばぼくにとっても都合がいい。どちらにせよ竜脈は乗っ取る必要があったから。この世界をめちゃくちゃにするには、竜脈を壊すのが一番いいからだ。例え彼らを裏切って動いたとしても、竜冥会上層部からの報復は怖くない。見たところ上層部だけが勝手に動いているだけだったようだし。むしろそんなことをすれば内から崩壊するのは火を見るより明らかなわけで。まぁ、もとはといえば大社が独占していたのが悪いんだけど。ぼくは竜脈を押さえたら退去する契約になっている。けど、失うものがない以上、ぼくにはそんなもの別に守る必要なんてないワケで。



 父を殺し、友を殺し──ぼくはこの世界のどこにも寄る辺なき放浪者となった。



           ※



「どういうつもりですか」


 駆け込んでいった先、扉の向こうで寛いでいた兄は少しうんざりしたように肩を落とした。


「……どうもなにも、そこに書いてある通りだけど。嘘はついてないって」


「貴方は利用されていたんじゃないんですか⁉」


「最初はね。でも途中からは確実に自分の意志だったよ」


 兄は告白した。


 彼は自分の意志で八年前、そしてついこの間から今日にかけての事件を計画的に起こしたのだと言った。彼が言うにはモズは八年前の事件の収束と同時に殺したらしい。そして竜冥会に協力したのも自分の意思、彼らを裏切ったのも自分の意思だと話す。


「そ、れは……どうして……」


 初瀬の中に淡い記憶が蘇る。


「勘違いしないで欲しいんだけど。それを読んでもまだ信じてるんだ。でもね、本当に全部が全部憎かったし、モズも嫌いだった。それだけだよ」


 そんな身勝手な理由で、多くの人を害した。彼はそう言った。


「でも、これじゃあまるで──」


「しつこいな。立ち向かってきた奴全員に攻撃したんだ。お前もだよ。お前、僕が攻撃したの忘れたの。いい? 邪魔だったから危害を加えたってワケじゃない。今回に関してはあんたらだったから、お前だったから、渚だったから僕は攻撃した。一部を切り取っていい人認定するのは結構だけど、それだけで出来る仕事じゃないんだろ」


 厳しい口調に鋭い瞳。その姿は一つも、初瀬の記憶にある幸嗣とは一致しなかった。何か事情があって、とか。何かしら信念があって、とか、誰かのためにとか、護るためだったとか。背景によっては、と。初瀬は考えていた。それでも、彼はそれが許せなかったらしい。はっきりと己の意志でその手を動かしたと言った。


「鯨を組み立てたのだってここをぶっ壊してやりたかったからだよ。夜明け前には動き出す算段だ。お前、ここにいていいの? 僕より優秀なクセしてこんなところで足踏みしてていいワケ? いいんだろうな。優秀だもんな。大丈夫なんだろ?」


 幾度となく聞いたことのある言葉の表裏が、嫌に心に刺さった。


「ただの魔導砲で止められると思うなよ。対策はしてあるんだから」


 諦めろと言わんばかりの声に初瀬は首を横に振った。


「そうはさせない。必ず止めてみせる。……一つだけ訊いても?」


「好きにしたら?」


「何故、三笠を狙ったんですか。目撃者だからですか」


 初瀬の質問に、彼は少しだけ考えてからこう返した。


「あの炉心、完全起動には三笠家の血が要るんだよね。正確には──いや、いいか。とりあえずそれだけ」


 答えを聞いてから初瀬は踵を返す。


「あぁ、そうだ。僕も最後に一個、訊いても?」


 その背に向かってぶっきらぼうな声が投げかけられる。


「……何でしょう」


 振り返れば、同じ浅縹色の瞳がじっと、こちらを見ていた。


「お前、別に魔術師側に立つ必要はないだろ。なんでそんなことしてるんだ? 警察の癖に」


「それは──見ていることなら、誰でもできるからですよ。そこまでなら誰でもできます。でも、わたしはこれまで都合の悪いものに蓋をして、無かったことにしていました。あなたのことだって、そうです」


 ぴくり、と彼の眉が動いた。初瀬はそれに構わず続ける。


「わたしは今まで、都合の悪いものを見逃し過ぎていたんです。だから、今度こそ。自分の望む結果を最前線に立って引き寄せる。警察が見逃していたことも、わたし自身が見逃していたことも全部、見つめ直すべきだと思ったからです」


 もちろん最初は不本意だった。見たくないものだったからだ。しかし、その輪郭がはっきりしていくうちに、己の失態を自覚する。それが嫌で避けていた。


(だけどそれでは、意味がない)


 人を守るため。他人に尽くすため。


 この職に就いた理由はたくさんある。


 幸嗣は小さく「あぁ、そう」と呟いて話を締めた。これ以上初瀬に興味はないらしい。初瀬もまた、これ以上話すことはないとして部屋を出ていく。


「渚ちゃん!」


 部屋を出てすぐに勢いよく春河が駆けてくる。


「え⁉ なにご──」


「いいから早く、こっち! 急いで!」


「ちょッ、ま、待って!」


 説明を求めようとする初瀬の手を引っ張って春河は駆け出す。その勢いに乗せられたまま初瀬は足を動かす。何が何だか理解が追い付かない。


 そのままの勢いで初瀬は大社の西側、駐車場の方へ引っ張って連れて行かれる。この際だ。身体の痛みは気にならない。


「トキくん! 連れて来た!」


「ナイスです! 進一にしては早いですよ!」


 駐車場では赤鴇とほか数人が待っていた。その一人一人を認知する前に目まぐるしく状況が変わっていく。


「初瀬さん、今すぐ浜に向かって出てもらいます」


「な、何がどうなってるの?」


「あのスペクター、結界ですら制御下に置いてたんです。だからしめ縄の破壊だけでは間に合わなくて──変だと思いませんか! 霧が晴れていないんです。だから残っている魔術師一同で強行突破をします。それに貴女の力をお借りしたいんです」


「そ、そうか、対策済みって、まさかそういう……!」


 初瀬は赤鴇の言葉を聞き、ハッとする。幸嗣の言う対策がこれかどうかは分からない。これであってほしいというのが、今の初瀬の気持ちだ。


「分かりました」


 返事を聞いた赤鴇はほっとしたように一瞬頬を緩めた。


「──これより、臨時で部隊を編成し結界の完全破壊を行う! 破壊工作部隊は修復部隊へ転身、我々が破壊工作そして先進部隊の掩護を行う。一切の妥協をするな、いいか!」


 松島の一喝が身を引き締める。


「初瀬さん、それからこれを」


 一同が動き出すその最中、赤鴇は初瀬に持っていた物を押し付ける。驚いてそれを見てみれば刃渡りの短い小刀だった。その刃には渦のように巻いた独特の文様と色彩が刻み込まれている。


「これは?」


「お師匠さんから預かった特別製の魔道具です! 本当は先輩に渡す予定だったんですけど、間に合わなかったので……初瀬さん、もうあの魔道具は限界だったのでしょう? ですのでどうぞ! ぼくじゃ扱いきれませんから」


 そう言って赤鴇は何故か得意げに笑ってみせた。重みのあるそれを受け取って、初瀬は息を飲む。真剣の重みだった。脳裏に過るのは『殺す』という言葉。


(でも、そうだ。わたしは、わたしが助けたい人と、戦うべきなんだ)


 見守るだけでは辿り着かない、ハッピーエンドを求めるなら──リスクは背負わなければ。不思議と不安はなかった。これまで積み重ねてきた努力がそれを打ち消してくれたからだろうか。それとも、相方の言葉が脳の片隅にあったからだろうか。


 意を決して初瀬たちは霧の中を睨む。

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