第43話「決戦前」

 午前三時。全ての作戦会議、そして偵察や前哨戦、準備が完了したのがその時間だった。


「これ、結界を壊せば霧が流れませんか」


 この初瀬の指摘が膠着状態の会議に大きな波紋を生み出した。大社側は苦々しい顔で「そんなことできるか」と口々に言い、少し前まで竜脈のことで対立していた竜冥会や自治会の魔術師たちも返事をしなかった。彼らとしては、街の防衛の要である結界を壊したくないのだ。その作成・維持には膨大なリソースが必要となる。壊せば当然、周遊しているスペクターが雪崩れ込むだろう。そんなことになって、対応し切れるのか。それが論点となっていた。


(竜脈のことであんなに争ってたくせに、こういうところは一致団結するんだよなぁ)


 それでも富士の説得や状況の切迫具合から一部破壊を許された。


「だから作戦としては……突入部隊と破壊工作・修復部隊、それから突入部隊を護衛する護衛部隊の三つに分かれて行動することになるワケだな。問題はアレをぶっ飛ばせるような攻撃力だが──なぁ」


 富士の視線はゆるりと彼の方を向く。


「例の炉心はまだ使えるのか」


 視線の先の三笠は少し瞳を揺らがせた。


「使えます、が……かなり無茶をさせましたから……」


「規模も考えると使えて一回か。一時的に竜脈の制御を奪って使えるようにしても、やっぱりそれが限界か?」


「はい。これ以上は」


「そうか。じゃあ、そうと解った上で訊くんだが、お前を突入部隊に編成していいか」


 三笠は目を丸くする。


「もちろん断ってくれてもいい。元々お前がウチに入ったのはそれを見つけ出すためだったしな。ここで壊したら、元も子も無いんだろう?」


「そう……ですね。確かにその通りです」


 三笠は目を伏せる。脳裏に浮かぶ父の顔は、もう思い出せない。それくらいに古い記憶なのだろう。持ち帰ればきっと、これまでの評価を覆せる。


 それだけではない。後継ぎ問題も解決するだろう。選択肢が消えるからだ。それでも三笠には今ここで、富士の提案を断る勇気はなかった。


(誰にも失望されたくないというのはわがままか)


 鷦鷯は評価をしてもらう人間を選んでもいいと言ってくれた。それでもやはり、選び出すのは難しい。結局のところ誰にも嫌われたくないという意識を消すことができない。


「あの、お願いがあります」


 口を開く。時間が無いことを分かっているのだから、ここで悩むわけにはいかない。


「なんだ」


「僕を突入部隊に編成してください。この力、必ず役に立ててみせます」


 橙の瞳は少し灯りに眩んでいる。


「……いいのか? おれが提案しておいてなんだが」


「お願いします」




 決断から数時間。後から後から湧いて出てくる後悔を塗り潰すように、三笠は準備に集中した。初瀬のあの時の言葉を噛み砕きながら、執拗に魔道具も魔術式もチェックする。作戦の流れも、細やかなやり取りも。状況に応じて枝分かれした作戦も全て頭に叩き込んだ。それでも時間は余った。今日だけは酷く頭が冴えていたらしく、物覚えもいい。



 仮眠を取った。



 夢見が悪くてすぐに目が覚めた。夢の内容は忘れた。



 時計を何度も見た。秒針を眺めていた。





 ──人生で一番長い三時間だった。



 立ちはだかる真っ白な世界を睨みつける。あと三分だ。そこからはもう何も考えなくてもいい。ただ一つ問題だったのは──


「師匠遅いな」


 同じく出ていく護衛部隊の富士がそう呟く。


「調整に時間がかかるって言ってましたよね」


「つってもあの人、こだわりが強すぎるからなぁ。完璧主義だし」


 少し辟易としながら富士はそう言う。富士の師匠、日の出堂の店主に急ぎで仕事を持ち込んだ。というよりは、向こうが勝手に首を突っ込んできたというのが正しい。


「災害級を相手にするなら! このワシが特注品を拵えてやろう! あ、もちろん安全性に配慮したオールグッドな魔導弾をな! 今回は特別価格で渡してやろう! どうじゃ?」


 と、いった様子でいきいきと売り込んできたのだ。実際問題、三笠の魔術は装填したものによってかなり効果が変わる。かの日の出堂の店主が用意したものであるのなら、信頼ができる。値段もそれなりにするのだが。


「やっぱり前払いをした方がよかったのでは……積んだお金で速度が変わるんでしょう?」


「お前、それマジで言ってる? 口座空になっても知らないからな」


「……で、ですよねー。さすがに厳しいです」


 提示された金額を思い出すだけで胸が痛くなる。確か肋間神経痛と言うのだったか。とにかく見たことも無いような桁を提示された。


「間に合えばいいが……いや、無理だな。仕方ない。大社と用意したヤツを使うしかないな」


 時計をちらりと見た富士がそう言う。三笠も腹を括る時が来たようだ。


「僕はこれでも十分すぎると思うんですけどね……」


 薄闇で鈍い光を放つのは、深緑色をした勾玉だった。かの有名な三種の神器の劣化コピー版だが、元になったものがビッグ過ぎるゆえに他とは桁違いの魔力量を保有する。大社はこれを「傷物だから、こういう場合は致し方ない」と言って差し出してきたのだ。


(これ、失敗したら大社からいくら請求されるんだろうな)


 天文学的数字を思い浮かべながら三笠は苦笑いをする。きっと酷い末路が待っているだろう。帰る家はもう無いも同然だ。お金は使い切った。たった一つ手元に残った魔道具は今日寿命を迎える。


「いいんだな?」


 念を押すように富士はそう言った。


「大丈夫です」


 自分のため、というよりは人のために。そうありたかったのは、あの時からずっと変わらない。もちろん、今しがた捨てたものが惜しくないとは言わない。


(これでいい)


 時間が来た。決意が揺るがないうちに歩き出す。



「行きましょう」


 白い世界へ一歩、三笠は踏み出した。

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