第42話「幸嗣の考え」
時刻は午前零時。潮田は厳重に警備された扉を通り抜ける。付き添いの刑事はどこか気難しそうな顔をしている。
警備をする若い魔術師に軽く頭を下げる。
「……好きに仕事をしてくれても構わない」
「いいのか? 俺が間者の可能性が無いとは言い切れんが」
廊下に差し掛かる。付き添いの刑事──浦郷は少し考え込むように視線を正面から外した。
「患者びいきはすごいが、そういう倫理を外れるようなことをするとは聞いていない」
(……なるほど?)
潮田には浦郷がそう言った理由の見当がすぐつかなかった。それでも信頼されていないよりはマシだ。プレッシャーを受けながら治療するのとそうでないのとではまるで違う。
そうこうしているうちに目的の場所へ着く。
「それじゃあ頼んだ」
浦郷は冷たい戸を引く。紙垂の付けられた異様な扉はするりと開く。その向こう、床の上に座り込む人物がいる。彼が連続殺人犯、モズであることは事前の説明で承知していた。それでも『こんなやつが?』という感想が出てきてしまう。潮田が思っていたよりも平凡な雰囲気をしていたからだ。潮田が入り、治療を始めたことを確認した浦郷は入り口の横で待機している。
「……潮田だ。お前の治療を担当することになった。まァ悪いようにはしないから」
「はいはい。よろしくね」
飄々と笑いながら男はそう答えた。そんな彼の手首には錠が付けられている。おそらくれっきとした魔道具だろう。その拘束をうっとおしく思いながらも、潮田は手当てを施していく。傷の程度はそこそこ深い、中傷寄りの軽傷といったところだろうか。自分で治療魔術を使ったのだろう。そんな跡が見られた。
「……」
それを見つけて思わず手を止める。治療魔術にはいくつか種類があり、術者によってかなり個性が出る。どこか見覚えのあるその痕跡に潮田は思わず目を凝らした。
「……? どうかしたの」
男は首を傾げる。
「いや……俺は魔力が見える方なんだが」
「はぁ」
潮田の頭の中で、あらゆる仮説が繋がり裏付けられていく。
「踏み込むことを承知で訊く。お前の妹のことなんだが」
「渚? もったいぶるね。どうしたっていうの」
「なぁ、初瀬渚は本当にギフト持ちなのか」
潮田の質問に幸嗣の眉が動いた。
「……どういうこと?」
潮田がどういうつもりなのか、幸嗣は探るように質問をする。
「いや、身内なら知っているかと思って訊いてみただけだ」
「ふーん……ちなみに根拠は?」
「お前と似たような治療痕がある。これは治療魔術じゃないと見られないからな。ギフト持ちは魔術は不得手だと聞く。治療魔術なんて最高難易度の魔術だ。そんなものを、ギフト持ちが扱えるとは思えない。それに……意図的に使ったにしてはあまりにも効果が弱いように見えたしな。追加で言うなら、あの能力はコントロールできているように俺には見える。根拠はまだあるが、要るか?」
つらつらと並べられたそれを幸嗣は耳を傾けて聞き入っていた。そして彼は、ゆるゆると首を横に振る。
「いいや。もう十分だ。誇らしいと同時に腹立たしいな」
「……まァいい。俺が治療をするのには関係が無いからな」
「本当に? 気になってるんじゃないの」
「そりゃあ気にはなる。治療魔術を無意識のうちに使うなんて前代未聞だからな」
「そうだね。本当にそうだ。あの子は真面目だから。大概のことは努力して身に付けられる。それが無意識下のこともあるんだから」
ぽつりと一つ、幸嗣は文句を言った。
「じゃあ結局、ギフトじゃないんだな」
「うん。あの子はれっきとした魔術師だ。ヒルコを介して回復魔術を身に着けたんだろうね。すごい才能だ」
「そういうものなのか」
「本来はね。僕は違うから、あまりピンとこないけど」
そっけなく彼は答えた。
「そうか」
それに対し潮田もドライに返す。あまり踏み込むべきではない。彼の直感は危険を察知した。再びの沈黙の中、潮田は手を動かす。少し経った頃に、また幸嗣が口を開いた。
「あの子、たぶんウチに居たヒルコを殺してるんだよね」
独り言は続く。
「殺してその能力だけ奪って使ってる。これだけ聞くと本当に化け物だ」
──真面目で優秀な彼女は、一体どれくらいのものを人から奪ってきたのだろう。生きづらいものだ。潮田は感じた。真面目に生きていれば、敵は必ずできる。逆に、真面目に生きようが敵のない世界で生きていくことはできないとも言える。幸嗣の独り言はまだ続く。
「あの子さ、頭痛持ちでしょ。あれはたぶんねぇ死んだヒルコの呪いだよ。認知してもきっと、呪いは解けないと思う。いやどうかな。渚ならできるのかな。僕にはできないし、あんたにもきっとできないだろうけど」
「俺は無理だったな」
自嘲が零れそうになり慌てて踏みとどまる。幸嗣のペースに乗せられていた。内省しながら手を動かす。
「教えてあげるの?」
「……さぁ。それは俺の仕事じゃないからな。訊かれたら答えるが。これでショックを受けるだろうヤツがいるもんでな」
「ふぅん。苦労してそうだね。医者も大変だ」
「医者が大変じゃないと思っていたのか?」
喧嘩腰の言葉に幸嗣は心の底から不思議そうにこう尋ねた。
「いいや。ただの人間関係に医者が配慮しなきゃいけないのかなーって」
幸嗣の言葉に潮田は鼻で笑ってこう返した。
「これは俺の単なるエゴだ。バレたら謝らないといけないな」
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