第39話「辺境にて」
高校生の頃だった。竜守の、魔術師の修行と言い張って。そして学生としてこの地に一人でやって来たのは。十月事件の後、十二月ごろのことだった。
田舎も田舎。僻地に等しいこの場所。故郷からの距離は往復十時間はかかる。あらゆる都市から山地で隔絶された、遠い世界。行き止まりの場所。
二十歳になる前の三笠冬吾にはあまりにも遠い場所だった。ここにいるのは遠い遠い親戚がひと世帯だけだ。学校が始まるまでの間、酷く寂しい思いをしていたのを三笠はよく覚えている。冬休みが明けて学校が始まったら始まったで、大変な日々が待っていた。
それでも半年、一年が過ぎ、三笠は高校三年生になっていた。その頃は忙しかったせいでまともに魔術の練習をしていなかった。三笠にしてみれば異常事態だった。それから大学へ進学した。この地方での生活に完全に慣れ、魔術の練習も再開できた。その後、少しばかり人間関係でごたついて、落ち込んでいた時期がある。
赤鴇と出会ったのはそんな時、ちょうど夏の水郷祭直前のことだった。
「……あ、あの、もしかして」
本当に偶然だった。魔術の試運転をしようと、久々にスペクターを駆除しに出た時のことだ。それを目撃されてしまった。目撃者は、小さな子供だった。小学生だろうか、中学生にしては小さすぎる気がした。赤い瞳が特徴的な、可愛らしい顔立ちの子供だった。
「ま、魔法使いですか……⁉」
想像通りの言葉が少年の口から飛び出す。やってしまった、三笠の頭はそれでいっぱいだった。不審者として通報されたら、色々と──主に社会的に三笠の人生が終わってしまう。
「そ、そうだね……魔法使いだね……だから、その……秘密に、ね…………」
と、適当にごまかしながらその場を去った。
しかしどうだろう。翌日、たまたま少年と三笠は出会ってしまった。その時に。
「あ、魔法使いのお兄さん」
人前でこう言うものだから、三笠は酷く焦った。今と同じように魔術師は肩身が狭い。大っぴらにしていいことなんて一つもないのだ。三笠は慌てて訂正しようとしたが、諦めた。あんな純粋な目を向けられたせいか、その気が起きなくなってしまったからだ。開き直っていたとも言う。
それから少年は三笠を見かけるたびに声をかけた。
「あ、あのさ! 僕に何か用事かな。そのー、世間的に見たら僕は不審者になっちゃうんだけど……」
ある日、とうとうしびれを切らした三笠は少年にその行動の意図を訊いた。すると彼は、少し迷ったような顔をしてから答えた。
「あの、あの。おりいって、お願いがあります」
恐らく小学生であろう少年は、たどたどしく小難しい言葉でこう切り出した。
「僕を弟子にしてください。魔法使いになりたいんです」
三笠は面食らった。
※※※
「えっ、す、すみません」
三笠は意識が戻るなり潮田に怒涛の文句を浴びせられた。昼ちょうど、正午を少し回った頃だった。三笠が担ぎ込まれたのは、八束家に臨時で開設された捜査本部だった。その隅、雑に積み上げられた段ボールで仕切られた内に三笠は寝かされていた。
困惑しながらも三笠が謝罪の言葉を口にすると潮田は大きくため息をついた。
「お前さァ。いくら回復魔術が使えないからってこういう荒療治をするこたねェだろ」
腕を組んだまま潮田は三笠の傷を指す。そこは最後の最後、深い傷を負ったところだった。刺し傷は酷い火傷の痕に覆われている。
「あ、あはは……こうでもしないと血が止まらなかったので……」
「それはそうだろうがよ、よく意識飛ばさなかったな?」
「いや、飛びましたよ。すぐ起きれたんですけど」
「お前……」
潮田はそれ以上文句を言わず、ただひたすらにドン引きしている様子だった。それに対し三笠はどう返したらよいか分からず、眉を下げて笑う。
「呆れた。ここまでだとは思ってなかったぜ。富士もとんでもない奴を後輩にしたもんだ。頼むからもう二度とするなよ? 魔術で治すにしても限りがあるんだからよ? なァ?」
青筋を立てながら潮田はそう言う。
「は、はい……すみませんでした」
「判断の速さだけは褒めてやる。即座に焼いたからだろうな、呪いは回っていなかった。ホントよくやろうと思ったな。こうやって帰ってこなければ俺はどうすることもできん。それだけは褒めてやる。でもやり方は絶対に認めないからな」
最後、潮田はそう言って部屋を後にした。三笠はもう痛まなくなった傷跡を手で押さえる。すっかり塞がっているという事実がまだなんとなく受け入れられていない。
(やっぱりまだ魔術治療に慣れないなぁ)
そんなことを思いながら立ち上がって己の身体を確認する。ところどころ若干の痛みは残っているが、動くのには何の問題もないほどに回復していた。……どうしても痕は残ってしまうようだが。それでもいつもより効果の高い魔術が使われたのだと分かる。潮田がいつもの二倍文句を言っていたのは恐らくこのせいだろう。
そのまま仕切られたそこを出て軽く歩き始める。お目当てはすぐに見つかった。
「……面会謝絶、かぁ」
三笠のいた広間のすぐ向かいにその部屋はあった。襖には付箋にマジックペンで『赤鴇』と書かれている。その隣にはコピー用紙にでかでかと『面会謝絶』をこれまた黒いマジックペンで書かれていた。
「なんだ、もう起きたのか」
「ふ、富士先輩」
辺りをどうするか、とうろつく三笠に声をかけたのは富士だった。彼もまた手当てを受けた後らしく、身体の節々にガーゼが当てられている。
「結構重傷だったと思うんだが……無理すんなよ?」
「あ、はい。すみま……じゃなくて、ありがとうございました。麓まで運んでくださったんですよね」
「当たり前のことだから気にするなって」
富士は右手をひらひらとさせて快活にそう答えた。
「あの、その……」
「あぁ、赤鴇はまだ意識が戻ってない」
『面会謝絶』の文字を眺めながら富士はそう言った。
「……八束さんは」
「駄目だった」
淡々とそう答える富士の顔を三笠は見ることができなかった。声はいつもと変わらない調子だ。それが逆に異様に感じられて仕方がない。恐る恐るその顔を見上げる。
「そんな顔するなって。お前らのおかげでモズはやっと捕まったんだぜ。仇に逃げられるよかマシ。そうだろ? 第一、生命線を人に譲った……あー、いや、何でもない。とにかく、悪いようにはなってないから」
「そう……ですね」
見上げた富士の顔、その左頬が赤くなっているのに気が付いた。それがどうしてなのか、三笠にはなんとなく予想がつく。
「もう少し回復したら追って指示を出す。二十二時くらいまでは休んでくれ。悪いが今はそういう時間は無いから、な?」
「分かりました。なら、少し散歩してきます」
「ん。それがいい。寒いからちゃんと上着は着ろよ」
そう言って廊下の向こうへ行く富士の背を三笠は見送る。彼の背中は酷く薄く見えた。
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