第36話「決戦」

 斜面を駆け登る足はすでに限界を感じ始めていた。ここに来る前に見えないスペクターを避けて通るなど、神経はすり減らされている。こんな状態で山頂へたどり着いても果たして意味はあるのか。悶々としたどうしようもない考えが過る。


 駆けて行くその先、薄霧の向こうで、何かが燃えているのが見えた。


 風に乗って漂って来る酷いにおいに三笠は思わず咽そうになる。そのにおいには覚えがあった。そんなことを思い出しているうちにその横に差し掛かる。倒れ掛かっている八束らしき人、そして富士がいるのが一瞬だけ視界の端に映った。そして目の前、ちょうど眼前を横切るようにして誰かが走り去っていく。


「先輩! 追います!」


 一言叫んでからその横を駆け抜ける。八束のことも気になるが、三笠が心配するほどか弱い人ではない。ここで取り逃がせば今度こそチャンスは巡ってこないだろう。


 勇ましく「追います」と言っておきながらも、その内心は不安でいっぱいだった。そのうちに上り坂が緩やかになる。山頂が近いことはもう、足裏でも察することができる。


 霧でよく見えないなかを必死に見ようと目を凝らす。


 木の影は一つも見当たらない。ここが山頂であると三笠は確信する。慎重に、それでも確実に前に歩を進めていく。うっすらと霧の中から小さな鳥居が浮かび上がった。そしてその奥には、小さな祠と──青白い光を放つ井戸がある。


 その鳥居の前に立ちふさがるようにして一人分の影が立っていた。


 背格好は三笠の古い記憶に重なる。そのことを理解すると同時に緩みかけていた緊張感が、ぴんと張り詰めた。まだらの雲が雪をより一層強く降らせる。その光景こそ三笠が待ち望んでいたものだった。


「モズ……」


 小さく口にする。男は小さく身体を揺らした。


「お前みたいのがここまで来るとは思わなかったな」


 以前遭遇したときと違う雰囲気に三笠は息を飲んだ。あの恐ろしい魔力量は感じられない。むしろ、八年前に近い雰囲気の彼がそこにいると言うべきだろう。


「竜脈を返してもらおうか」


「富士先輩!」


 いつの間に追いついたのだろう、富士が三笠の後ろからそう言った。


「今さらそんな言葉だけで、返すわけがないだろうが!」


 当然ともいえる答えを返ししてモズはその手を振るう。それを合図にちょうど三笠の真横から黒い大きな蛇が立ち上がった。蛇はその大きな口を開いて二人を地面諸共飲み込もうとする。


 下からすくい上げて来るかのようなその動きを後ろに下がることで回避する。


「で、でかい……」


「景気がいいなこりゃ」


 迫り来る巨躯を躱しながら富士はそう呟いた。地面が大きく揺れる。体勢を立て直しながら彼は叫ぶ。


「とにかく叩け! 竜脈との接続は切れてるから、ずっと戦い続けることもできんだろうよ! 数の有利は取れている!」


「わ、わかりました!」


「おれは手札開帳したからな!」


 富士の指示を合図に三笠も温存していた術式を開く。


 冷たい空気を三笠の魔力が温めていく。一切の手加減をするつもりはない。竜脈との接続が切れているとはいえ、格上であることに変わりはない。三笠が手加減をしていい相手ではないのだ。初瀬の怒号がチラついたが、それを振り払うように頭を振った。


「魔力漸増術式展開!」


 手に馴染んだ術式はすぐに光を放つ。少しだけではあるが、三笠に合わせて調整された術式は活性化していく。


 形勢逆転、今度は三笠たちが魔力量で殴るターンだ。完全に魔力が増え続けるようになるまでには、六十秒ほどかかる。それまで術式の維持と活性化をし続けなければならない。


 重ねて魔術を使えない三笠の前に富士が躍り出る。蛇はその瞳孔を細くした。


「何秒要る!」


「六十秒です!」


 短いやり取りを裂くように長物が飛ぶ。それを丁寧に富士が素手で叩き落としていく。


「ッ! 面倒な! 憂かりける──『山颪やまおろし』!」


 モズが声を張り上げると共に、黒蛇はその身体を一瞬で溶かした。出来上がった黒い海から大きな波が立ち上がる。


 それを見た富士は素早く札を切る。銀の海風と飛沫の様な、細やかな魔力が駆ける。


「まだまだァ! ナメるなよ『涛符・沖波裏』!」


 大波が斬り返されたかに見えた。が──。


「ナメているのはそっちだろうが!」


 富士の真正面だけでなく、横に広がるような形で波は迫る。富士の沖波裏では真正面しか弾き返すことができないものだ。


(クソ、欠点重すぎんだよ!)


 富士は唇を噛みながら高波を睨み上げる。このままだと三笠の方へ確実に手が届くだろう。そうとなれば術式の維持どころか呪いを受ける可能性がある。それだけで済むならばいいものだが。


「『春日雨』!」


 富士が判断するよりも早く、後方から光が散る。熱を持った光弾は派手な爆炎を上げて着弾していく。


 それでも波の勢いは止まらない。モズの口角が吊り上がったのが、三笠の目に入った。


 できることはやっていくしかない。その一心で春河に託された赤い宝石のうち一つを握り込んだ。宝石に流れ込んだ魔力は赤い光と炎に変換される。三笠はそれを無心で放った。放たれた赤い光は追尾弾のようにモズ目掛けて真っすぐに飛んでいく。

 三笠の狙い通りにはいかない。モズは迫り来る赤い光を防ごうともせずに、大きく波を立ち上がらせた。


(漸増術式解除!)


 行き場を失くした魔力をかき集めて一気に着火する。


「な、最悪だ──!」


 モズの狙いのその先、行きついた結果に三笠は顔をしかめた。それでも手を止めることはできない。勢いに任せて生み出された炎は迫り来る黒波をことごとく焼き尽くす。火の勢いは余って、土と枯木を焼いていく。あまりにコントロールのされていない魔術に、富士も目を丸くする。


「そうか霧か! クソ、これでもジリ貧なのかよ!」


 麓よりも確実に効果の高い霧に気が付く。富士の魔力の質であれば相性不利になることはないが、三笠の魔力の質では真っ向から対立してしまう。


「次だ」


「三笠! 場所が悪すぎる、離脱だ!」


「逃がすかッ! 『波風花なみのかざはな』!」


 行先が思いつくよりも早く三笠は踵を返す。しかしモズも上手で飛び道具を使ってその足を止めようとする。木枯らしが吹き抜けたかと思えば、あちらこちらに黒い花が咲いた。尖った花弁は手当たり次第に周囲のものを突き刺そうとする。


「高さが無いのなら!」


 三笠は力むのを避けるために、詠唱を飛ばして春日雨を励起する。術式にセットされたパチンコ玉は勢いよく飛散していき、黒い花を撃ち落とす。大きく穴の空いた花たちの間をすり抜ける。時にはその下に滑り込んで攻撃を回避する。それでも花は次第にその数を増やしていく。


(本当に竜脈との接続が切れてるのか⁉ いや、違う。切れてはいるんだ!)


 巡った思考は一つの可能性にたどり着く。が。


「冬浅き、つとめて散りゆく──」


 詠唱が始まる。氷のように凍てつく魔力が辺りに満ち満ちる。


「咲け、『山茶花さざんか』。続け──『ふゆざくら』!」


 危険信号が三笠の背筋を駆けた。それは恐らく寒さのせいではないのだろう。全身を包み込んでくる冷気に加え、大量の魔力の気配。そして、純粋な殺意。それが三笠の方へまとまるようにして集まっていく。


「しまっ」


 魔力の動きを見てやっと、その魔術の正体を掴み取る。が、その対策はできない。


「させ、るか! 『笠雲かさぐも』!」


 富士が黒い花に身を貫かれながら魔術式符を切った。三笠の頭上に傘のような幅広の雲が現れて、モズの術式を塗り潰そうとする。


「ッ! 氷⁉」


 作り出された雲は片っ端から冷気に触れて小さな氷の塊に姿を変えていく。上塗りをするにはあまりにも相手が悪すぎる。


(消耗が仇になったか!)


 痛恨の手違いに気付いた富士が顔をしかめる。


 何かが弾けるような感覚が三笠の肌を襲った。


 酷く既視感のある光景が三笠の目の前に展開される。眼前に飛び出して来たその人は、白刃を翻す。それと同時に花火のような、細やかながらも莫大な量の魔力が一気に弾け飛ぶ。その魔力と熱気に当てられて一瞬眩暈がするほどだった。それでも痛みを誘うような寒さの中では、これがとても心地よい。


 笠雲も、霧も薄らいだその場で、ただ一人彼女は長い後ろ髪を揺らしながらモズを睨む。


「貴方が──貴方が、いいや、貴方は初瀬幸嗣なんだな」


 思わぬ言葉に三笠は目を丸くしてその後ろ頭を見る。その表情がどんなものなのか、さっぱり見当がつかない。それでも、冗談ではないのは確かだ。白刃が鞘に納められる。


 改めてモズ、もとい幸嗣の顔を見てみる。言われてみれば確かに、初瀬と似ている部分があった。特に目元だ。その色は初瀬のものと寸分違わぬ美しい浅縹色をしている。三笠の嫌な予感は見事的中してしまっていたのだ。



          ※



 兄のことは、正直あまり記憶が無い。


 父と同じでほとんど関わることがなかったからだ。それでも、幼い頃はよく遊んでもらっていたらしいのだが……物の分別が付く頃には、すでに別居が始まっていた。母に兄のことを聞いても、機嫌が悪くなるだけだ。それでもわたしは、兄という人が気になって母に黙って彼らの家に何度か訪れていた。それについては、父も兄も、特に咎めることはなかった。


 会話は一つも無かったけど──自室の無かったわたしにとって、父たちの家は心地の良い場所であった。


 そんな関係がだらだら続いていた。今思えば、その中で確実に悪いものが芽を出していたのだろう。ちょうどギフトが収まった頃、高校一年生になる前だったか。兄と喧嘩をして「二度と来るな」と言われてしまった。それ以来、二人の元へ行ったことは無い。


 次に兄の話を聞いたのは八年前だった。


 そう、あの事件の後に兄は消息不明となった。


 それについて母に聞かされた時、どうにも実感が湧かなかった。けれども、母としては心配でたまらなかったらしい。わたしはここで初めて母が兄のことをちゃんと愛していたのだと知った。


 一課に配属されたのちに個人的に調べてみたものの、兄の足取りは掴めなかった。もうこの世にいないと考えるのが妥当だろう。使う魔術が似ているからって、兄がモズと決まったわけではない。数年前、そう結論付けてこの話は終わるはずだった。


 八年後、どういうわけかこの街にモズは現れた。


 それが偶然かどうかはモズ本人に聞かなければ分からないだろう。わたしとしては、そうであってほしくない、というのが本音だ。


 モズではない別の誰かと言う可能性もある。魔術という証拠のないものを使っているのだ。模倣犯である可能性は否定できない。


 そう、結局モズが捕まるまでは分からないことだ。分からないはずだったのだ。兄の生死も、モズの正体も。その二人が重なることも、知る由が無かったはずだったのだ。



          ※



「なんで……」


「わたしが唯一知っている魔術だったからな。アレは」


 三笠の言葉に彼女は振り返らず、静かな声で答えた。


「二森さんも『珍しい』って言ってただろ。なら、モズと兄が同一人物だと予想するのは難しくない」


「……」


 彼は黙って初瀬の言葉を聞いている。少し遠いせいで、三笠はその感情が全く読み取れない。激高するのではないか、という少しの不安があったが彼もそこまで感情的ではないらしい。


「わたしが兄を探すために調べていた情報と、モズの捜査記録は合致する部分がある。信じたくはないけど、こうして目の前にいることが何よりも強い証拠だ」


 三笠は言葉を失った。


「それでどうするつもりで?」


 幸嗣は打って変わって優しく問いかけた。誰もがその答えを黙って見守る。


「どうするも何も、その場で両手を上に挙げて。膝をつきなさい」


 初瀬はそう返す。それでも彼女の手は柄へと伸びていた。向こうも無論、降参する気はないのだろう。三笠も体勢を立て直す。仕切り直しのチャンスだ。先ほど解除してしまった漸増術式をもう一度起動させる。幸嗣もそれに気が付いたのだろう。そうはさせまいと魔力を走らせる。生み出された黒い槍はすぐに二人目掛けて飛来する。


 それをこれまた大胆に初瀬は力任せに叩き折っていく。


「三笠、わたしはどうすればいい」


「時間が欲しい。あの人はたぶん、まだ竜脈と繋がってるんだ。それを切らないと。それから──これも予想だけど、霧はどこかしらにシンボルがあると思うから、これを壊せばなんとか」


「注文が多い、な! とりあえずシンボルの破壊はおれがやろう」


 富士が会話に割り込んだかと思えばすぐに離脱する。


「なら、盾役は任せて」


 唸る風と共に第二波が飛来する。


「伏せて!」


 さすがの初瀬でもあの数は捌ききれないだろう。荒々しく三笠は術式を開き、セットしたままになっていた弾を全て撃ち出す。穴のある弾幕だが数を減らすのには有効だ。横に広い光の雨は黒槍を相殺していく。勢いあまって飛んできた破片や穂先は初瀬がほとんど叩き落とした。出来上がった隙の無い二段構えに幸嗣は焦りを覚えたのだろう。三笠にはその目が細くなったのが見えた。


「──魔力漸増術式、開帳」


 炉心の回転数が上がっていくのをその身で感じる。必要な時間は六十秒。それまでまともに反撃をすることはできないだろう。最前線に飛び出した富士、そして護衛役の初瀬。これでも不安はあげればきりがない。幸嗣の今の状態を見るにあと二、三人は欲しいところだ。それでもそんな贅沢な希望はかなぐり捨てなければならない。有効な反撃の手は今や三笠ただ一人しか持ち合わせていないのだ。


(今はできることを!)


 息を吸う、全集中力を足と目に集める。


「そこだ!」


 第三、第四の槍の雨が到来する。


「く、こんなの無茶だ……!」


 初瀬は奥歯を軋ませながら刀を振るう。撃ち落とせずともその軌道を逸らしていく。己の魔力に当てられた槍が結晶化して砕けていくのが視界の端に見えた。


(こっちが術式しか消せないのはもうバレてるのか……それとも白兵戦を避けているのか分からない、けど)


 長い遠距離攻撃魔術に初瀬は焦りを覚えた。このまま守り入っていても凌ぎ切れる気は全くしない。リスクはどちらにもある、そう自分に言い聞かせて初瀬は呼吸を整えた。また迫って来る槍を、鞘を上手く使って受け流す。


(次だ)


 真冬だというのに、緊張感で痺れた脳は寒さを感じていない。それどころか頬を汗が滴っていく。幸嗣が先ほどと同じように手を振るった。


(来た! 第五波!)


 地を蹴る。


 大きく足を伸ばして、その裏で地面を掴む。


 風を裂く鼻先が冷たくなっていくのが分かった。幸嗣も予想していなかったのだろう。己が負傷することも厭わずに突っ込んできた初瀬を完全に止める手立てを用意していなかった。


「特攻のつもりか!」


「お互い様だ!」


 流星のように白刃が奔る。


(根元から術式を消してやる!)


 光が咲く。


 錯綜する魔力は目の前にいる幸嗣の魔術式を上塗りしていく。既に生み出された槍は消せないものの、次発を用意させはしない。今までの最大出力を大幅に上回っている。明らかな強い手ごたえに初瀬の口角が上がった。


 が、相手も相手で、それで黙り込むほど軟弱ではない。


 彼はすぐさま最後に形作られた槍を手に取り反撃に出る。強化魔術が施されたその一撃は鎬を削り、峰を唸らせた。


「本当に腹が立つな」


 怒気のこもった声が初瀬の耳に届いた。ぞくりとするような冷気が汗で冷えた肌を刺す。


 琴線に触れた。




 三笠の後方に回り込んだ富士は早速その目を凝らす。


 八束から譲り受けた魔術式と魔道具を使って糸口を探る。正直あまり扱いなれてはいないが、使わないという選択肢はない。残り少ない魔力を、上手くセーブするようにしながらモズの出方を探る。


(そもそも竜脈との接続が切れている割には羽振りがいい。元々持っている方なのかもしれんが……)


 一つ一つ可能性を検証していこうとする。第二波が撃ち出される。それでも糸口は見えない。


(違う。そもそも前提が間違ってるんじゃないか。竜脈と接続していたのは確実だろうが、本当にパスが残ってるのか? 八束が全部切った可能性が──)


 初瀬と三笠が懸命に攻撃を凌いでいるのが見える。滲みだした焦りを消し飛ばすように富士はさらに目を凝らした。それでも見えない。


 そのうちに第三、第四の槍が波となって襲い来る。富士は自らに飛んでくるものを叩き落としにかかる。これだけでかなり体力が消耗される。身体の頑丈さに自信はあるが、体力は突出して優れているわけでもない。逆転し切れない劣勢に不安があふれ出てくる。その時だった。初瀬が飛び出した。


「は⁉ 何を──⁉」


 思わず暴言を吐きそうになるも、そのエネルギーを足に回す。すぐに三笠の元へ駆けつけた富士はその顛末を見る。


 勢いよく炸裂した魔力の奔流は、上手くモズの術式を上塗りした。それでも彼は白兵戦に切り替えて反撃をする。


「ッ!」


 三笠は何かに気が付いたらしく、眉間に皺を刻んだ。


「なんだよ! おれにはさっぱり分からん!」


 富士が説明を求めると三笠は恐る恐るといった様子で口を開いた。


「僕はものすごい勘違いをしていました。竜脈の他に魔力を手に入れる手段があったんですよ、あの人には!」


「だからそれが何だって⁉」


 先に答えを言わない三笠に富士は焦りを露わにしながら問う。すると三笠は二人の方を見ろと言わんばかりに指す。


 初瀬の生み出した大量の魔力が消えていく。あまりにも膨大な量だったために、肉眼でもその動きを捉えることができた。相手としてもこれは不本意だったのだろう。それくらいに規格外の能力であることは違いない。そして、その魔力が消えた先は──黒い波だった。


「ヒルコは、他者の魔力を奪うことができたんだ!」


 先の赤い宝石も、恐らく喰われていたのだろう。とんでもない悪食だ。



「白兵戦に切り替えたのは悪くなかったな」


 幸嗣は槍を振るって初瀬を突き放す。刀の間合いからはじき出された初瀬は息を飲んで体勢を立て直した。


「だが、お前のその特性は知っている。対策済みだ」


 心底憎らしそうに幸嗣はそう言い放った。先ほど初瀬が生み出した魔力は、粗方ヒルコが食ってしまった。


「それでも術式を消せばあんたは魔術が使えないんだろう⁉」


 噛み付くように初瀬は再び肉薄する。槍の欠点である間合いの内の内へ潜り込もうとする。当然、それを阻止するように穂先が初瀬を薙ぎに来る。


 目でギリギリ捉えられるほどの速さで迫るそれを、寸でのところで受け止める。相手は長物だ。滑る刃先を抑え込みながら前へ進む努力をする。


「このっ!」


 穂先を上へ跳ね上げるように弾く。そうして作り上げた隙間に身体をねじ込んで、隙を穿つ。開かれた魔術式を片っ端から己の魔力で上塗りしていく。


「食い切れるものなら食ってみろ!」


 飽食が迫る。


 幸嗣はそれに負けない速さで、大量の魔力を魔術式へ昇華していく。


 その様子はさながら連発する花火の様だった。


「っく! 冬浅き、つとめて散りゆく……『山茶花』、咲け!」


 短い詠唱と共に最大出力の山茶花が花開く。初瀬もそれを上塗りしにかかるが、術式は即座に硬貨を発揮するために追いつけない。一気に外気温が下がる。凍てつく魔力が彼女の身を刺す。


「……!」


 酷い頭痛が初瀬を襲った。波のない断続的な強い痛みに、思わず膝をつく。


 それでも武器を手放さぬようにと、震える手で握り込む。相手から目を逸らさぬように努めて顔を上げる。音も途絶えた激しい痛みの中、その意志は保たれる。


 無慈悲にも幸嗣はその手を振るおうとする。槍の穂先が初瀬を捉えた。その刹那に割り込んだのは一条の光だった。


「どいつもこいつも! 厄介な!」


 幸嗣が食いかかる。光の発生源である青年は己を落ち着かせるように息を吐いた。


「術式構成、接続完了。──行きます!」

 光が散る。


 魔力弾は無効であることは解り切っている。三笠は手持ちの弾全てを使い切る勢いで術式を展開していく。


「サポートは任せろ」


 富士も状況が変わったと見るやいなや前へ飛び出していく。


「『春日雨』!」


 励起された幅広の術式から無数の光の弾が放たれる。先ほどとは違い、美しく等間隔に並んだ弾幕が幸嗣の元へ降り注ごうとする。それを幸嗣はヒルコの形状を変化させて上手く防ぐ。壁のように進路を塞ぐそれを退かすべく、三笠は重ねて魔術を使う。


(春日雨はもう無理だ)


 新たに開かれた魔術式『流星』は星座を模るように順次活性化していく。二つ、四つと開帳された魔術式は魔力の流れに接続され熱を帯びていく。術式にセットされたのは、魔力の塊ではなく特別製の竜鋼だった。


 前に出た富士は勢いをつけて幸嗣に殴りかかる。大ぶりで酷く隙のある攻撃だ。三笠は幸嗣の動きを予測して四つの術式から一斉に光を放った。ばらばらと光は弧を描き、地に向かっていく。


「その手の攻撃が通用すると──!」


 黒い波が一気に食いかかる。一瞬のうちに光は黒に飲み込まれた。が。その直後、破裂音がしたかと思えばヒルコから火が噴き出る。


「⁉」


 幸嗣は声もなく驚く。三笠の頬には緊張感から汗が流れ出していた。上手く決まったことは喜ばしいが、次はそうもいかないだろう。次は、次は!


「やってみろ!」


 挑むような彼の声に指先が震えた。それでもやるべきこと、できることは変わらない。ただひたすらに撃って追い詰めるだけだ。富士が駆ける。


「させるか!」


 動き回る富士の足を止めようと、薄く広く、足元に黒い海が広がっていく。


 それをさせまいと三笠は再び術式を指向する。駆け込んでいく富士を囲むように光が落ちて行こうとする。それを幸嗣は無数の黒い花──波風花で相殺していく。派手に光と爆炎が上がる。ヒルコには強い可燃性がある様だ。


「借りるぜ!」


 そんな中を持ち前の身体能力と勘で、文字通り潜り抜けて彼は駆け抜ける。一瞬にして初瀬の元へ行ったかと思えば、彼女の持っていた刀をすくい上げて構える。これでちょうど挟撃するような形になった。


 そのままじりじりと二人は距離を詰めていく。三笠の魔術はその飛距離にリソースが割かれている。それが利点でもあるが、どうしても至近距離で放った場合の威力は越せない。そのまま激しい撃ち合いに入った。背後を富士が塞いでいるからだろう。幸嗣はその場から一歩も動くことなく、気丈に反撃に出た。


 黒い矢が、槍が飛ぶ。氷の礫が舞う。霜柱が立ち、溶けだした氷から水が流れ出る。


 熱に当てられた神の落とし子は黒く艶光りする欠片に姿を変える。それが気温変化に呼応するように、きらきらきらきらと輝くさまは命のやり取りさえしていなければ美しいと思えただろうか。


(次!)


 幸嗣の動きに合わせて次弾を装填する。しかし、その次弾が放たれることは無かった。強い爆風が三笠を襲う。


「三笠!」


 じわりと得体も知れぬ感情が湧いて出た。


 ──過熱し切った術式によって込めた竜鋼が暴発したのだ。一緒に術式までその形を失う。相手の元で放たれるはずの榴弾が自身を襲う。対人戦を想定し、殺傷能力は低めにされている。それでも暴発によって解放された細やかな塊は、容赦なく術者を襲った。


 魔術式は一つを残して損傷した。修復しなければまともに使うことはできないだろう。


「ッ、取り乱すな……!」


 暴れ出そうとする不安を、胸を叩いて鎮めようとする。幸嗣はその隙を容赦なく刺し止めようと腕を振るった。


 先の撃ち合いで疲労した身体は、上手く反応できずにその矢の雨に当たる。


 勢いに意識を刈り取られそうになりながらも、執念が掴んでそれを許さない。


(──絶対に逃がさない、絶対に負けるわけには!)


 脳裏を過る嫌な思い出を糧に膝を立てて睨み上げる。流れる血も汗もそのままに、クールタイムを稼ごうとする。それでも膝が震えて立ち上がることすら難しい。出血が酷すぎる。一番深い傷から命が流れ出していく感覚に、思わず嫌悪した。

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