第35話「失望」

「八束さん!」


 赤鴇のことが気になり、引き返してきた春河が見たのは地面に倒れ込む赤鴇と側でしゃがみこむ八束だった。春河はそれだけで状況を察する。


「春河君! いいところに来ましたね!」


「何をすればいいですか!」


「私では軽くしか応急手当てができません。このままだと確実に危険ですので……この魔道具の治療が終わり次第すぐに連れて行ってあげてください。これ、魔道具が動きを止めたら使ってください。多めに渡しておきますから」


 口早に八束はそう言って春河に押し付けるようにして何かを渡す。春河が押し付けられたそれを見てみれば、それは赤黒い宝石だった。


(これって……魔力の塊だったっけ)


 以前赤鴇が言っていたことを春河は思い出す。


「私は安全確保をしに行きます。戻って来るとは思わないで、すぐに運ぶように」


 真剣に話すその顔はいつもの穏やかさの欠片もない。春河は若干気圧されながらも大きく頷いて、八束と交代をする。


(……オレ、ホントなんもしてないな)


 無理を言って、自己責任ということでついてきたのはいいが、何一つできた記憶が無い。派手に足を引っ張っていないという事実だけが今の春河を支えている。……春河自身にはそんな気がして仕方がない。こんな状態ではあるがここは敵地のど真ん中だ。それにそこそこ山頂に近い場所でもある。


「あ! お前……!」


 物音がした方を見た春河の視界に見覚えのある人物が飛び込んでくる。白い霧の中でも目立つ銀髪だ。


「春河さん! こ、れは……⁉」


「見ての通りだっての」


 赤鴇の様子を見た三笠は酷く動揺し始めた。春河は彼のことをあまり知らないが、ここまで動揺するような人だとは思っていなかった。むしろ赤鴇に対してドライな印象を受けていたから余計にだ。


「……」


 二人して黙り込んでいる間に魔道具がその動きを止める。赤鴇の傷口の止血ができているところを見ると、魔道具の仕事は終わったらしい。春河はすぐさま下山するための用意を始めた。その横で赤鴇は薄らと目を開けて三笠の方を見る。それでも喋る元気は無いのだろう。黙り込んだままだ。


「よし。行くしかないか……!」


 春河は赤鴇を抱え上げる。何度目かの横抱きだが、毎度のことながら「軽い」と感じてしまう。


「ぇ、待って、下りるの⁉」


 三笠は蒼い顔でそう言う。あまりのなよなよしさに春河は少し顔をしかめた。


「こんなところにいつまでも居られるかよ。オレは逃げるしか能が無いんだぞ」


「そ、それは確かに……」


 三笠も少し思考が追い付いてきたのか、小さく控えめにそう頷く。それでも自我は追いついていない様子だった。そんな中で、不意に赤鴇が口を開いた。


「先輩、ぼくは平気なのであっちに……行ってください」


「おい、喋るなって。元気ないんでしょー?」


 春河は嗜めるようにそう忠告する。弱々しく息をするその顔に、いつもの少し慇懃無礼な感じは一つもしない。


「む、りだろ……せめて安全なところまで連れて行くくらいはッ」


 段々と焦りが出てきた春河の横で三笠も少し声を荒げた。すると赤鴇はゆるゆると首を横に振って一言、こう口にする。


「駄目です。ここまで来たんですから、行ってください……それに、先輩は回復魔術は苦手じゃないですか」


 赤鴇の指摘に三笠は唇を噛む。それでも先へ行こうとしない彼へ、赤鴇は悔しそうに目を細めてから追撃を放つ。


「お願いですか、ら……失望させないでください。こんなところで」


「──あ、ご、ごめん」


 ふら、と彼が離れた。


「いい?」


「お願いします」


 春河が行ってもよいか、と確認をすれば三笠は俯いて小さくそう返した。


「そうだ。これ。使わなかったから八束さんに返しといて」


 そう言って春河は持っていた赤い石を半ば押し付けるようにして雑に渡す。


 三笠が受け取るなり緩やかに春河は駆け出す。ここからは純粋に賭けとなる。いかに戦闘を避けられるか。いかに早く仮拠点にたどり着けるか、だ。

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