第34話「富士の反撃」
「おれに任せておけ」
富士はそう自分に言い聞かせるように言った。実際のところは想定よりも旗色が悪く、焦りが強く心を揺さぶっている。計画通り挟撃はできたものの、片割れが重傷を負ってしまっている。ここから単独でモズを抑え込めるのか。
「いづみ、赤鴇を頼んだ」
「もちろんです。それじゃ」
背後にいる元相棒に声をかけ、目の前の人物に向き直る。
(いづみがここから離脱するまでかかって六十秒、そこから回復魔術を使って七十秒──)
必要であろう時間を数えていく。そのカウントが終わる前に対峙する男が動いた。
「させるかよ!」
男の生み出した槍をその身で受けに行く。身体強化魔術で能力が底上げされた富士の肉体は軽々と八束らの前に躍り出て、その槍を掴み取る。
「返すぜ!」
富士は掴み取った槍を思い切り投擲した。銀に鈍く光る魔力と共に風が起きる。男はそれを横に転がって上手く回避した。
「やっぱりモズか」
彼の攻撃方法を見、富士は確信する。こんなところにホイホイを出てきているのは不自然だが、出会った以上逃がすつもりはない。長く息を吐きながら装備魔術を次々と活性化させていく。
「『
一息で富士が詠唱を終えると、モズを挟み込むようにしてもう一人の富士が出現する。魔力と組み込まれた術式によって強化された富士の肉体は、軽々と斜面を登り一気にモズを追い詰める。
挟み込まれたモズは強化魔術を使い、一瞬で上に跳ぶ。それに追随するようにして一人の富士が跳躍した。
「来たな」
モズの口角が少し上がる。それと同時に地面から湧いて出た大量の黒い蛇が、束となってその大口を開く。
(スイッチ!)
その口の中に飲み込まれると同時に富士は術式を再活性化させる。
「ッ!」
モズがその目を見開く。地上にいたはずのもう一人の富士が着地しようとする彼を蹴り飛ばそうとその足を上げていた。
(地上が本体だったか!)
臍を噛むより早く、モズは黒蛇の尾を使って薙ぎ払いにかかる。攻撃をする時に生まれてしまう隙を穿つようにして黒蛇の尾が富士の身体に直撃する。
「っ!」
彼は勢いよく跳ね飛ばされたが、補助魔術を上手く行使しながらその体勢を立て直して斜面に着地する。魔術で和らげることのできなかった衝撃が、尾を引くようにして彼の足元に長い轍を作らせた。
(……負傷はナシ)
富士はかがみ込みながら己の身体を確認する。強く薙ぎ払われたものの、負傷するに至っていない。それにモズも気が付いたのだろう。その場を一気に殺意が駆けた。
(来るな)
富士は再び行動すべく『夢之裏不二』を起動させる。
「同じ手を食らうものか!」
モズが吼える。それと同時に、どこからか一気に魔力が雪崩れ込む。富士の行使しようとした幻影魔術はことごとくそれにかき消された。
「バレたか」
装備魔術の維持をしながら富士は立て直していく。
(テレポートができないとなると面倒だな)
消えた己の幻影を惜しく思いつつ、次の策を取る。それはモズも同様で、彼は辺りに余るほど漂っている魔力を収束させ始めた。モズの奥、少し後ろの方で地面が立ち上がった。
「手足を持たぬ、日の目を見れぬモノ、祭られぬ神よ──」
ふつふつと詠唱する声が富士の元に届く。それに対抗するように富士は隠し持っていた紙切れを取り出した。黒地に白のインクで文字が書き込まれたそれに、己の持つ術式を接続していく。
「高らかに謳い呪え! 『
「三十六景『黒符・
両者が術式の名を口にするとともにその場を激しく魔力がかき乱す。立ち上がったのは地面ではなく大きな一塊のヒルコだった。それが大きな波となって立ち上がる。激しく打ち寄せる瘴気は富士の展開した防御壁を着実に蝕んでいっている。
(防御対策済みか!)
ハッとしたときにはすでにヒルコが目の前に迫っていた。飲み込まれるその直前。山下白雨の効果が切れると同時に富士が動く。
「『涛符・
彼が握り込んだ札──魔術式符が光を放ち、向かって来る波の勢いをそのままにモズへ指向する。反射した高波は術者であるモズの元へと崩れるようにしてぶつかる。その勢いは凄まじく、辺りの木々は瘴気で弱っていたのも相まってことごとく根ごと横倒しにされていく。その中にポツンと、立ち尽くす影かあった。
その姿を認知し富士は少しゾッとした。
「無尽蔵の魔力ってか……一応白雨は決戦術式だったんだけどな」
己の切り札の一枚がほぼ不発に終わったことに富士は戦慄する。カウンター系の魔術に二度目は無い。派手な魔術の打ち合いの後でも消耗した様子のないモズに対しどう出るか、考える間を与えることなくモズは次の手を取る。山を覆うように広がっていったヒルコが再びモズの元へと集まっていく。再びあの波濤が形成されようとする。
それが出来上がるより早く、富士は『藤波』を励起して勢いよく地面を蹴った。木枯らしのように疾く駆けて術者の懐を目指す。妨害するように、立ちふさがるように地面から伸びてくるヒルコを蹴飛ばし、殴りつけ、魔力で制圧して血路を拓く。膨大な魔力が立ちふさがるその黒々とした腕の数を増やしていく。それを無視して富士は渦中へ突っ込んでいった。身体を縫い留めようとするそれらを潜り抜けた頃にはほぼ無傷だった彼の身体は血にまみれていた。
「くらって倒れろ!」
血しぶきを飛ばしながら肉薄して強烈な右ストレートを叩きこむ。確実な手ごたえと強烈なカウンターが富士の身体を貫──くはずだった。彼の急所を狙って突き出された黒い槍は赤い糸でその動きを止められている。
「っ! いづみ!」
富士はその術者の名を呼ぶ。見えないが何かがガチリと繋がった。
その瞬間、富士は勢いよく飛びのく。そんな彼に追撃を放とうとするモズの側を火が走った。激しく延焼するそれはヒルコを固く焦がしていく。それを避けるようにしてヒルコが引いていく隙に富士はモズから十分な距離を取る。
『わ、酷い恰好』
「言ってろ。──恐らく奴は魔力源に接続している。このままだと無尽蔵の魔力と持久戦することになるぞ」
富士の忠告に声の主こと八束いづみは小さく唸った。高性能のテレパシーはその小さな声すらも拾う。
「あと赤鴇は?」
『とりあえず無事そうな春河君にバトンタッチしました。瘴気の影響もあって思うように魔術が使えません』
悔し気に呟く八束の声を背景に富士はモズの様子を見る。先の『渡り
「魔力源との接続をどうにかしてくれ」
『分かってますよそんなこと』
八束の返事と共にモズの眼光が鋭くなる。
(バレるか。さすがに)
八束の所在が割り出されぬようにと富士も身構える。多数の小さな傷が冷気に触れて痛むが、その程度が深くないことに安堵する。それでも消耗は激しい。決戦術式の行使に何度かの装備魔術の維持と励起。この霧の中では特に魔力の消耗が激しくなっている。一度であればまだしも回数が重なれば重なるほど不利になっていくのは面白くない。
黒く細い矢が生成され雨のように富士とその後ろ目掛けて降り注ぐ。
富士はそれを『八葉』で見極めて避け、必要があれば叩き折る。
無尽蔵の魔力から生み出される矢の雨に、途切れる訳などない。多少の被弾を覚悟して富士は装備していた残りの魔術式符を取り出した。それをモズは目敏く見つける。
「させない──!」
その声に呼応するように矢は太くなり雨脚は強さを増す。
「決戦術式開帳──『黒波濤・山おろし』!」
重ねられた二枚の魔術式符が横に広く魔術式をいくつも展開させていく。大きく花開いた術式からは強く鋭く光を放つ魔力弾が放たれた。モズの攻撃にタイミングを合わせて撃ち出されたそれは、弾幕を形成して黒い雨を真正面から打ち砕いて行く。カウンターに備えて回避行動をとったモズ目掛けて、先ほどまでの劣勢を押し返すようにして光の雨が降り注いだ。
「避けられるものなら避けてみろ!」
囲い込むようにして着弾していく様を見ながら富士は、次の策を取っていく。
(おれがあいつを庇いに行くわけないだろ)
恐らく次も広範囲攻撃だろう。こちらにカウンターがあると分かった以上、下手に高火力な攻撃はできないはずだ。そう予想した富士は迎え撃つべく魔術式符を使って術式を組み立てていく。
使い魔の一種である式神を通して、八束は懸命にモズとその周囲を見ていた。
(たっちゃんがあそこまで派手に暴れまわっているのに)
旗色がよくないという状況は未だに覆っていない。舐め回すように隅から隅まで八束は視線を走らせる。探し出すのはモズと魔力源を繋いでいるであろう術式だ。
(魔術を使うタイミングでさえも見えないってことは、しっかり隠しているんでしょうね……魔力源が確保されているとはいえ、あまりにも羽振りがいいように感じますが。やはり竜脈が目的だったのでしょうか)
魔術師一人で竜脈を枯らすのはさほど難しいことではない。ああやって魔力を使って有利な状況を作り出したり、装備魔術をいくつも付けたり切ったりするなど使う手立てはいくらでもある。だがやはりそれでも膨大な量であるため、ある程度意識をして浪費しなければ枯れることはまずないだろう。この八雲山の竜脈は特に質がいい。
幻影魔術の維持をしつつ、もう一度モズに注目してみる。もし彼が竜骨と直に接続しているのなら、確実にクッション代わりの魔術か生贄が存在するはずだ。人間が繋がるにはあまりに膨大な量の魔力を竜骨は噴出し続ける。
(そろそろ見つけないと)
富士の負傷も見るたびに増えていく。相手の魔力量に手数の多さとユニークさで逃がすまいと食らいついているが、あまりにも桁が違い過ぎる。
地面から篠竹のように黒い槍が生えていく。
それを左右に躱し、上から挟み込むようにして迫る黒い矢の雨を叩き潰す。手袋に仕込んでおいた強化術式もすでに限界点を超えていた。もう一度組み直したとてその寿命はたかが知れているだろう。
(もっと用意してくるべきだったか──⁉)
怪しい雲行きに富士も笑うしかない。降り注いでくる矢はそこまで強くない。ただ数が多い。
一つ打ち砕けば二本が身体を掠める。二、三本まとめて叩き折れば必ず被弾する。強度がないせいで動けばすぐに矢じりの部分を残して折れる。それが動くたびに酷く痛む。モズの魔術の性質からして、非常によろしくない状態だ。
(そろそろどうにかしないとマズいな)
先ほどより明らかに悪くなっている状況に唇を噛んだ。
「余裕そうだなぁ!」
噛み付くような鋭い声と共に地面から黒い何かが飛び出した。先ほどの蛇か、そう富士が身構える。
「な⁉」
無数の黒い影は細く小さな蛇だった。それが空中を縫うようにして富士の方へ向かって来る。それだけなら回避はなんとか可能だろう。しかしそれをさせまいと被弾した箇所が急に強い痛みを訴え始めた。
「呪いか……」
すぐにその正体を察するも、対処が追い付かない。あの攻撃を受けたとして果たして立っていられるのか。もう一枚の切り札を切るにはそんな余裕がいる。そんなものは当然ない。無情にも小蛇の群れは富士を飲み込まんとする。
「──天下一遍、林立縁起!」
赤が走る。
冷えた空気を裂いて飛び出してきたのは、柔らかな髪を持った女性だった。その光景にモズも富士も目を見開く。富士は驚愕で、モズは歓喜でだ。
富士に群がろうとした小蛇は突如として出現した赤い糸にバラバラに引き裂かれて散る。それがまるで黒い花を一気に咲かせて散らしたかのように見える。
「富嶽三十六景、赤符──『
巻き返す戦況に置いて行かれる前に、富士も温めていた切り札を切る。手にした赤い札はすぐさま開いて術式を模る。朝日のように赤く美しい光は呪いを打ち消し、無数にできた傷を癒していく。
モズも逃がさまいと魔術を行使する。勢いよく炸裂した彼の魔力は大きな蛇を生み出していく。
「諸共飲み込んでやる!」
「させません!」
八束が吼える。赤い糸と共に彼女が動く。その手にはある魔道具が握られていた。富士はそれで八束がこれからどうするつもりなのかを察してしまった。
黒蛇がその大きな口を開く。それに追従するように先の八束の攻撃から生き残った小蛇も口を開いて八束へ向かう。彼女はそのど真ん中、ちょうどモズの正面へ向かって強く地を蹴った。
「邪魔だ……どけぇえええええ!」
食らいつくかのように八束は叫んでその手を動かす。彼女が繰る糸は正確に巨大な
黒蛇の動きを止める。ぐっと握りこめばすぐに崩壊しそうなくらいに締め上げていく。
「同じ手が、何度も、通用すると思うな!」
締め上げられた箇所から黒蛇が崩壊し、溶けていく。そこからまた無数の蛇が模られて動き出す。
「『渡り火』!」
火が迸る。八束は事前に何か仕込んでいたのだろうか、富士が知っているそれよりも火力が上がっていた。出来上がった隙を穿つべく富士も動く。残っていた力を全て攻撃に回す。全身全霊をかけて励起するのは──
「覆符、『
モズの真横に回り込んだ富士は白い札を放り投げた。それを起点に白く濃い靄が出現する。これによってモズのちょうど右横は完全に視界が断たれた。彼が見ることができるのは背後と、左、そして真正面である。
「何を──⁉」
モズの真正面で燃え盛る炎を割って八束が飛び出す。赤い中に見える彼女の翡翠色の目が彼からは嫌によく鮮やかに見えた。飛び出してきた八束は勢いよく右手を突き出す。その手に握られているのは小さな糸切鋏だった。
「これでッ!」
モズは逃げようとするが背後は赤い糸が、真正面には八束、そして左横にはちょうど燃えながら倒れ行く大蛇がある。
両の刃が八束の瞳に映る白い糸を切る。それはいくつかの糸が束になってまとまっていたもので、先ほどまでは霧で隠れていた。近寄らなければ見ることのできないものだった。切断された場所からその白い糸は解けていく。それと同時にみるみるうちに周囲に満ちていた魔力が減退していくのを、その場の全員が感じた。
モズが逃げる。彼は魔力パスが切られたと感じた瞬間にその身を跳び退かせた。その真正面にいる八束はそんな彼と入れ替わるようにその場に崩れ落ちた。
「いづみ⁉」
「先輩! 追います!」
いつの間にこちらの方へ来ていたのだろう。少し遠くで三笠がそう言って駆けて行った。その表情が一瞬気になった富士だったが、すぐに八束の元へ駆けつける。彼女は胸を押さえて丸くなっていた。そのふわふわとした髪はところどころ焦げて縮んでしまっている。膝を付いているその場所には赤と黒の混じった水たまりが広がりつつあった。
「こ、れは……」
「やられましたね……やっぱり肉弾戦は向いてなかったです」
顔を上げずに八束はそう言った。
「……そんなことは知ってる。回復は。魔道具は? 持ってただろ」
「持ってますよ。そんなことより、あの子、着いて行った方がいいんじゃないんですか」
苦し気に呻きながら八束は富士にそう忠告する。素っ気ないその言葉に富士は口をつぐんだ。
八束は血に塗れた手を差し出す。そこに握られていた物を受け取った富士は八束の顔を覗き込もうとした。
「何してるんですか……早く行きなさいよ」
「後輩のサポートをしてやれ」と言わんばかりのその言葉に、富士は屈めていた背を伸ばして立ち上がる。
──
「──最悪。ホント嫌い」
儚い期待が形にならなかったことを、そしてかわいい後輩を妬ましく思いながら、無意識のうちに伸ばしていた手を下ろす。彼のそういうところが好きだし、妬ましい。憎らしいし、大嫌いだ。一つもこちらのことなんて解っちゃいないのだと、何度目かのため息が出る。
その姿が見えなくなったであろう頃を見計らって横になる。悔しさからだろう。涙が溢れる。きっと今は酷い顔をしているのだろう。周りに誰もいないことを確かめようとしたが、もう身体は言うことを聞いてくれはしない。
悔やむ明日がもう来ないことはなんとなく自覚できていた。
「ほんっと嫌……」
それでも。
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