第33話「赤鴇の奮戦」

 赤鴇は横になった春河の傷に素早く正確な応急手当を施す。傷はそこまで深くないらしく、一見派手に見えた出血はすぐに治まった。それに春河も赤鴇もほっと息をつく。斥候部隊として活動していた二人だったが、見えないスペクターからの強襲を受けてしまった。


 雪は止んでいるものの、底冷えする山の寒さは相変わらずだ。赤鴇は無意識のうちに春河の方に寄ってしまう。


 それに気が付いた赤鴇はハッとするが、春河が特に気にかけていないらしいので気が付かなかったことにした。


「……具合はどうです?」


「あー、トキくんが可愛い女の子だったらな、ぁ!?」


 春河がぼそりと呟いたその言葉を赤鴇は聞き逃さなかった。油断し切っていた彼の脇腹に赤鴇は容赦なく肘鉄を叩きこんだ。


「トキさん……すみませんでした……調子に乗りました」


「何言ってるんですか本当に。でも軽口が叩けるなら大丈夫そうですね。動けます?」


「いやぁそれが……なんか痺れて動けそうにないんだよねー……」


「……は」


 赤鴇はぽかんとするが、すぐに心当たりがあるらしく手を叩く。


「もしかして毒でしょうか。それで……ていうか、さっきまで動けてましたよね?」


「うん。オレもびっくりしてる。もしかしたら遅効性だったのかなぁ」


「ですね……できれば誰かと合流したいのですが……難しそうですね。このまま行きましょう」


 きょろきょろと周囲を確認し、赤鴇は春河を担ぎ上げようとする。腕を肩にかけ、背中を使って春河を持ち上げようとする。しかし、赤鴇が想定していたよりも春河の身体は重く、濡れた落ち葉で足を滑らせてしまう。


「あの、トキさん」


 春河が微妙な顔をしているのが、赤鴇にはなんとなく感じ取れてしまった。


「……」


 それでも赤鴇はそれを無視してもう一度背負うようにして担ぎ直す。魔道具などを入れているリュックは鞄の部分を胸の前へ持って来、救助用に持って来たロープを使って春河の身体と己の身体を繋ぎとめる。


「よし、急ぎましょう。いったん撤退です」


「あのさ、トキ、オレは置いて行って──」


「ぼくは、優秀なので貴方程度を引きずっていようが、何の問題もありません」


 己を鼓舞するように赤鴇は強い口調でそう言った。春河のことだ。置いて行けというつもりだったのだろう。赤鴇もそれがいいのではないか、という気はしている。それでもそれは置いていきたくないという気持ちに勝てなかった。


 両手が使えないのを危惧して、赤鴇は攻撃魔術に使う用のナイフを一本だけ口にくわえた。


(不安がないわけではない、けど!)


 ナイフの冷たさが唇に染みる。目の覚める寒さの中、赤鴇は再び歩き出した。現在は七合目手前くらいだろうか。もう少し下れば仮拠点が見えてくるはずだ。そこへ行けばちゃんとした手当ても受けられる。獣道ですらない山の中を、慎重に一歩一歩降りていく。雲の隙間から時折顔を出す太陽を目印に方向を定める。


「トキくん。あっち誰かいない?」


「んえ?」


 不意に春河が赤鴇に耳打ちする。


「ほら、右」


 赤鴇は咥えていたナイフを取り落としそうになりながら春河の言う右を見る。確かにそちらの方に、黒い影が見える。その正体は霧のせいで不明瞭だが、存在は確からしい。


「……」


 二人してその影を見つめる。もしかすると味方かもしれない。


 赤鴇は近くの木の根元に春河を降ろす。ナイフを構え、術式を待機させる。しゃがんだまま息をひそめて様子を伺う。


(でも、こんな所で一人で歩き回っているのは変か……)


 手に持ったナイフをぐっと握りしめた。


(ぼくより弱いってことはないだろうし……)


 付け焼刃の魔術の知識、技量、そしてスペクターの知識でどこまで対抗できるのか。じわりと不安が滲みだす。天才だともてはやされてはいるものの、それで調子に乗って慢心はしない。肝に銘じた言葉を反芻する。


 足音は次第に二人のいる方へと近づいてくる。ぴんと張ったような空気を飲み込む。足音の数は一人分だ。


(一人なら──)


 赤鴇は腰を浮かせ、戦闘態勢を取る。しかしその袖を誰かが引っ張った。


「!」


 続けて口が塞がれる。赤鴇は思わず身を固めたが、ふわりと漂った血の香りでその手が春河のものであると確信した。赤鴇は浮かせた腰を地面の上に落ち着かせ、様子を伺い続ける。春河はもう動けるのか、一緒になってそちらの方を見つめている。


 霧の中から姿を現したのは、中肉中背の黒髪の男だった。


「……」


 赤鴇はその人物のまとう魔力から、格上であることを察する。先ほど、一人ならいけるかもしれないなどと思ったが、相手が悪すぎる。それは今、鳥肌が立つほどに理解した。


 黙ってやり過ごすのが吉だろう。挟撃を実行するにしても向こう側に味方がいるという確証もない。そう考えた赤鴇だったが、その人物の行く先が気になり目で追ってしまう。その人はどうやら上へ向かっているようだった。


「なあトキ、あれってもしかして、噂のモズか?」


「……さぁ。目の色までは見えなかったので……手がかりがそれしかないっていうのも問題ですけど、背丈とか体格はそうっぽいですね」


 登っていくその人の背を見ながら赤鴇は分析する。どうする? と春河に目で問いかければ、春河は勢いよく首を横に振った。


(当然か)


 赤鴇自身も疲労している今、単独で深追いするのは危険だ。それならば早く、この付近にモズがいることを仲間に伝えなければならない。少し離れれば安全に連絡もできるだろう。二人はほぼ同時に振り返り、元来た道へ足を踏み出した。


「進一! 下がってください!」


 踏み出してすぐに赤鴇は危険を察知した。下ろうとした身を翻し臨戦態勢をとる。


「ッ! 『星羅』!」


 赤鴇が迎え撃ったのは鋭く尖った黒い槍だった。撃ち出された魔力の塊とぶつかり合った槍は大きくその軌道をずらす。


「気づかれた!?」


「いいから早く走ってくださいって!」


 足を止めようとする春河を赤鴇は叱咤する。春河は唇を噛みながらもその指示に従って駆け出す。


 赤鴇の背後だった方、槍が飛ばされたであろう地点に、あの男がいた。


(……話し声が聞こえていたのか。だいぶ離れていたのに)


 もっと気を付けるべきだったと臍を噛むがもう遅い。男は畳みかけるようにして魔術を使う。身体の芯から凍るような冷気が、波となって赤鴇を襲った。


「やるしかないですね!」


 一瞬で腹を決め赤鴇も負けじと魔術を行使する。開かれた術式はすっと霧に溶けていく。身体の内で熱が弾けた。


(──大胆不敵に!)


 姿を隠す魔術を盾に赤鴇は一気に男へ肉薄する。その足元へ滑り込み、もう一つの術式を展開する。


魔導雷撃展開ルート・セット! 『三連星みつらぼし』ッ!」


 魔力が細やかな光となって飛び散る。術式に装填されたダガーナイフは勢いよく男に向かって飛び出していった。それと同時に幻影魔術である『星霞』の効果が切れる。男からすればちょうど赤鴇が目の前に突然現れたような形になるだろう。目深に被ったフードのせいでその表情は読み取れないものの、驚いていることは確かだった。赤鴇は奇襲の成功を確信する。


 姿を消した三本のダガーナイフが男に当たる前に、赤鴇はその場から離脱を試みる。先の幻影魔術は連続して使えない。必ず二十秒ほどのクールタイムを挟まなければならない。それを念頭に置きながら赤鴇は勢いよく地を蹴った。


「逃がすか」


 不意に空気が刺すように、冷たく尖る。露出している手のひら、頬、額を削ぐように薄刃となって冷気が辺りに満ち満ちていく。全身で危険を察知した赤鴇は急いで目くらまし用の術式を開く。


「深天に輝く大狗のごとし──」


 小さく早口で詠唱をすれば単純な術式が光を放つ。青白く、見るものの目を潰さんとする勢いで光の矢が四方八方に散る。




「……!」



 覗き込んでしまったその顔は、どこか見覚えがあった。浅縹は冷たく地面に転がり込んだ赤鴇を見下ろしている。その表情からは何一つ感情を得ることができない。ちょうど今、個の身を蝕む寒さのように、薄く強く冴えている。


 じくりと胸が痛んだ。


 男の反撃が急所に直撃することは避けられたが、回避し切ることはできなかった。


 呼吸と共に痛みが吐き出される。焦りよりも、男に対する恐れよりも先に赤鴇の中に一つの感情が芽生える。


「──これじゃ、先輩に顔向け、できません……!」


 伏していた体を起こそうとする。重力に従って一気に体温が流れ落ちた。ぐらりと視界が歪む。必死に目を凝らしながら目の前の標的を、少しでも足止めしようと手を伸ばした。


 男は少し悲しそうな顔をする。


「魔導雷撃展開っ! 『星霞』!」


 歯を食いしばる。血の味が口内いっぱいに広がった。軋む背を震わせて二つの術式を同時に展開する。普段ならば考えられないほどの無茶だ。それでも今は、この程度なら許されると赤鴇は感じていた。諦めで冷えかかった心に火を入れる。


 一寸のタイムラグも無く男の視界が綺羅星に奪われる。ちかちかと明滅する何かが思考を分断していった。


「! そう来るのなら!」


 男が初めて声を出す。そしてそのまま手当たり次第に周囲に魔力で黒い矢を生成していく。赤鴇の術式を無理やり塗り潰そうとしているのだろう。耳元を唸りながら矢が飛んでいった。


(チャンスだ)


 見開いた目でしっかりと男の姿を捉える。軌道を確定し、一本のダガーナイフを撃ち出した。


 直後赤鴇の腕を、足を何かが貫く。男が手当たり次第に発生させたであろう黒い矢だった。雨のように降り注ぐそれを防ぐ術を、赤鴇はもう持っていない。皮肉るように雲の切れ間から薄い太陽の光が差す。すでに動かせなくなった手足は、最期の抵抗と言わんばかりに小さく震えた。


「……!」


 不意に己の上が翳る。


「待たせたな」


 自分の何倍も大きな背に、あちらこちらに巻いた墨色の髪。地面からは遠くて見えないがその藤色の瞳が輝いたのを、薄れゆく意識の中で赤鴇は察した。


「ここからはおれに任せておけ」


 ハッキリとそう口にした人物は──富士龍生だった。

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