第32話「五里霧中」

 少し向こうの木立の影、その根元の方で倒れている人がいる。初瀬は息をひそめながらじっとその周辺の様子を伺っていた。同じチームである魔術師たちがその人の元へ駆けつける。しゃがみこんで治療なり生存確認をしている間、そしてここから離脱するまでの間、安全を確保することが初瀬の役割だ。


「!」


 早速現れた襲撃者を迎え撃つ。鞘から抜き払った白刃は雪のせいか、いつもに増して輝いて見える。煙る霧に一閃、流星が走る。


「外したか……! その人、生きてます!?」


「生きてる。酷い失血状態だから、早く連れて行かないとマズい」


 短く後ろの魔術師とやり取りをした初瀬は構えなおす。今日も不気味なくらいに風が無い。まだ近くにいるであろう襲撃者に警戒しながら、初瀬たちは移動を始める。


(なんとなく直前にどこにいるかは分かるけど、正確な位置が分からないのが痛い! こちらの攻撃が当たらないのはいいとしても、それじゃどうしようもない!)


 駆け出しながら初瀬は考える。必死に次の手を探るがその答えが出る前にことは起きる。すぐ前を行くもう一人の護衛役を務める魔術師の身体が浮き上がった。


 見えない何かが突き上げたのだろう。赤が散る。周囲が雪で白いせいか、それは嫌に目に焼き付く。魔術師の身体から一本の赤い筋が伸びていき、襲撃者の正体を露わにしていく。大きなキノコの笠のようなものと、透明な足をぶら下げている。ひときわ長いそれは、二本あり、そのどちらもが彼の身体を貫いていた。そこから滴る血が、この化け物の身体を縁取っている。


「……ッ!」


 その姿に初瀬は全身の毛を逆立てた。恐らく、昨日初瀬を刺したのもこの化け物なのだろう。嫌悪がこみあげて来る。初瀬は力任せにその化け物を殴りつけた。


 解放された魔術師を受け止め、そちらの方を見て初瀬はハッとする。


(血を吸っているのか!)


 先ほど保護した人も『酷い失血状態』だと言われていた。この化け物が犯人なのは違いないだろう。化け物は得物が横取りされたのが気に食わなかったのか、殴られたことに腹を立てているのかゆらりと不気味に蠢いた。


(血のおかげで見るのに困りはしないな)


 強く一歩を踏み出して一閃。


 今度こそ化け物は真っ二つになって宙に溶けていく。水のようになった化け物は重力にしたがってばたばたと音を立てて地面に吸い込まれていった。


「っ、しまった!」


 初瀬はすぐに挟撃に気が付いたが、回避は叶わずその攻撃を受けてしまう。腕を掠めていった化け物の足は、綺麗な赤い軌道を描いた。


 負傷した箇所を押さえながら初瀬は唇を噛む。この不可視のスペクターの対策は今のところ無い。先ほどの場所よりも数が多い。


(術者は──)


 初瀬は緩やかに駆け出しながら術者の姿を探す。スペクターたちは確実に初瀬を狙って動いていた。八束のアドバイス通り数の多い場所に親玉がいるかもしれない。そんな希望的観測の元、必死に足を動かす。


 すぐ近くを何かが通って行く。初瀬の目には見えないだけで、ここにもたくさんのスペクターがいるのだろう。幸いなことに相手の動きは酷くもったりとしていて、早く動き続ければ早々捕まりそうにない。


(見つけた!)


 勢いをつけてその人物の元へ飛び込む。


 一気に放出された魔力が一斉に弾けていく。初瀬の振るった刃は硬い何かに勢いよく弾かれた。バックステップで上手く衝撃を弱めながらその人を見る。


 天女のように、嫋やかな女がそこに立っていた。妖艶な雰囲気を持つその人は手にしていた扇子を閉じた。


「──もう見つかるとは。でも、貴女魔術師じゃないのね」


「そんなことはどうでもいいでしょう。早くこの山でのさばっているスペクターを止めてください。貴方が術者なんでしょう」


 初瀬は強気に言い返した。女の余裕からして初瀬は完全に舐められているのだろう。好都合ではあるがあまり気に入らない展開でもある。憤る自己を押さえつけながら初瀬は女を睨みつけた。


「そんなことを言われて解く理由がない。もうお金も貰ってしまったし」


「……」


 黙って睨みを利かせる初瀬を見て、女は面白いと感じたのか口の端を上げた。


「貴女は……珍しいものを持っているのね。だからこんな所に?」


「なんのことだ、か……!?」


 冷や汗が一気に噴き出す。思わずついた膝が雪で濡れる。呼吸がどんどんと荒くなっていく。そこでようやく気が付いた。


「毒か──それで、苦戦して!」


 時すでに遅し、後の祭り。そんな言葉が初瀬の脳裏にチラつく。指先から段々と体温が奪われていく感覚がする。時間はほとんど無いだろう。


「……」


 女は毒が回るのを待っているのか、黙ってこちらを見ている。──チャンスだ。初瀬はおもむろに女に掴みかかった。女の方はというと、初瀬が想定よりも素早かったのだろう。避け切ることは叶わずに初瀬にその胸ぐらを掴ませてしまう。


「っ! 思ったよりタフなのね!」


「くっ」


 そう言ってから初瀬の手を持っていた扇子で思い切り殴打した。


(鉄扇か……)


 嫌な色になっていく己の右手を一瞥して初瀬は身構える。刀であれば押し勝てるかもしれないが、まだ何か隠し持っているかもしれない。初瀬は警戒を維持する。


「やっぱり個人差が出るのね! いいわ、起きて!」


 女が叫ぶ。その声に呼応するように、女の背後で何かが起き上がった。巨大な植物のような、半透明の何か。花弁がはらりと落ちる。通常の花の中央、おしべとめしべがある場所には、それの代わりに人の顔のようなものが付いている。それに気が付くと茎も葉も人の手のように見えてくる。


「……な、んだそりゃ」


 初瀬はゾッとしながらそう呟いた。花は笑う。その身をのたくらせながら白い手を初瀬に向かって伸ばしてきた。


 それをまとめて初瀬は斬った。嫌にリアルな白い手は地面にばたばたと落ちていく。城山で遭遇した手とはまた違う、気味の悪いものだと思わざるを得ない。


(でも伸ばしてくるだけなら!)


 痺れ始めた体に鞭打ち、花の猛攻を掻い潜る。そうしてまた女の元にたどり着く。今度は気絶させるつもりで、初瀬は殴りかかる。


「『血旋華』!」


 鉄扇が開いたかと思えば弧を描いた赤い刃がいくつも生み出される。それが初瀬目掛けて飛んでいく。白刃で弾き返された赤刃は勢いあまって近くの木の幹に刺さった。硬さも鋭さもなかなかの物らしい。


(当たるわけにはいかないな)


 戦慄しながら初瀬は女を睨んだ。女までの距離は二十メートルほど。少離れてしまった。


「貴女なかなかの手練れじゃない! ちょっと楽しくなってきたわ!」


「面倒なことを……!」


「『血旋華・六分咲き』!」


 その短い詠唱と共に赤い花弁が乱れ舞う。一つ一つは大きくないものの、その動きはかなり早い。目で捉えられても避けるのは難しいだろう。高い密度の美しい弾幕が展開される。


(ダメだ──近づけない! あの中に飛び込んだら、あの手に絡め捕られる!)


 段々と狭まっていく視界に初瀬は焦りを覚える。打開策は何かないか。覚えたての回復魔術は、安定した状況でないと使えない。まだそこまで上手く扱えないのだ。魔道具を使う場合も同様にだ。初瀬は刀を鞘に納める。キン、と鯉口が鳴った。


(多少の負傷覚悟で、一気に魔力で上塗りするか……?)


 自身の魔力に酔ってしまう可能性もあるが手数のない今、これしか突破方法がない。とはいえ全く隙の無い弾幕の中に飛び込むのは無謀でしかない。どうにかして隙を作る必要がある。


 初瀬はウエストポーチに手を突っ込む。無造作に掴んで取り出したのは三笠から預かっていた宝石だった。乳白色に輝く、半透明な石だ。三笠いわく傷物で宝飾には使えない物を特別価格で譲ってもらったのだという。


 それをしっかりと右手で握り込んで息を吸う。女が魔術を展開し直す、その一瞬の隙を狙って渦中へ飛び込む。


 右手をかざしてスコロライトを放る。そしてそのまま己の魔力を勢いよく解放した。あらかじめ組んであった術式が一気に活性化し宝石が勢いよく砕け散った。本来であれば追尾弾のような役割を持った魔道具だが、初瀬はその通りに扱うことはできない。追尾という過程をすっ飛ばして着弾と爆発という結果を引き寄せる。


 一瞬にして宝石から生み出された白銀の爆炎が初瀬たちの視界を覆う。風のない今、これを一気に流すには何かしらの魔術が必要だろう。


「くっ、小賢しいことを!」


 女は爆炎に怯んだのか鉄扇を開いて新しく術式を展開する。と、そこへ爆炎をものともせず初瀬が飛び込んできた。一瞬の隙を穿った肉薄は大きなチャンスを作り出す。


「も、らったぁ!」


 金属音が鳴り響き、鉄扇が宙を舞う。かなりの質量を持ったそれは、重たい音を立てて少し後ろの地面に突き刺さった。そのまま反撃する余地を与えまいと初瀬はしっかりと女を取り押さえる。


「早くあの辺にいる化け物をどうにかしてください」


 少しでも力を込めれば折れてしまいそうな、女の細い腕を掴む。


「そんなことをしたってどうにもならないと思うけど?」


「……」


「どうするの? あの人を止めるつもり? それとも殺すのかしら。それなら止めた方がいいわ」


「何を急に……」


「親切な忠告よ。貴女魔術師じゃないんでしょう? 役所の人かしら。普通、魔術師ならここで私を殺すと思うけど。そんな貴方にアドバイスってだけ」


 気まぐれなのだろうか、女はうつ伏せに取り押さえられたまま話し続ける。


「術者を殺すのは止めなさい。使役できているとは限らないんだから」


「それは……どういう」


「知りたければ私を殺してみればいいのよ。どう?」


 女は挑発するように初瀬に問いかけた。が、今更こんな挑発に乗る必要は無い。初瀬は目を伏せながらキッパリと返す。


「そんなことはしない。貴方ただって死にたくないでしょう」


 本音だ。が、彼女はそうでもないらしい。少し残念そうな顔をしたのちに自嘲するように顔を歪めてこう言い捨てた。


「さぁ、どうだか。落ちぶれた挙句、貴女みたいな魔術師じゃない人に負けたのだから、特別生き残る理由もないかな」


 こいつもか、と初瀬は顔をしかめた。どうしてこうも魔術師という生き物は一つダメになったら全部ダメという思考になるのだろうか。


「……アドバイスありがとうございます。わたしからも一つだけ訊いてもいいですか」


「なに?」


「魔術師にとって、一人で立つことはそんなに大事なんですか」


 女は少し、目を見開いた。



 ※※※



(やっぱり、もうダメな感じがする)


 女を拘束し、待機組に連絡をしてから初瀬はようやく一息をついた。冷えの厳しい山中でこのまま質ドンなるのがよくないことは理解している。しかしそれ以上に、独による消耗が激しい。女いわく死に至るようなものではないがその分抜けるのも遅いものらしい。付け焼刃の回復魔術は外傷にしか効果がない。解毒方法として温度を上げるというのがあると彼女は話したが、あいにく今の初瀬にそれを実行する手段はない。自分の魔力は火花でしかないし、ライターじゃ全身を温めるには不十分だ。苦しい時間が長く続くことを覚悟しなければならない。できるだけ早く動けるようになって、手助けに行きたいのに身体は上手く言うことを聞かない。


「……」


 嫌な予感にも似た直感が誰かの気配に気が付く。


「誰かと思えば……初瀬さんじゃないですか! どういう状況ですか、これ」


 その人は目を丸くしながら初瀬のもとに膝をついた。八束いづみ、その人だった。柔らかなその表情に初瀬はどこかほっとする。初瀬の説明を聞いた八束はすぐさま魔術式を組み始めた。


「えぇと、とりあえず寒さで消耗した分はあとで回復魔術を使います。先に解毒をしましょう」


 そう言って彼女はてきぱきと用意を済ませ、初瀬の手を握る。あの春風のような、温かい魔力が辺りに満ちる。嫌なしびれも、恐れも全てそれが飲み込んでいく。心地いい。思わず出そうになったあくびをかみ殺した。


「あ、寝ないでくださいね。起こすのが申し訳なくなってしまいます」


「す、すみません。大丈夫です」


「もう少しかかりそうですね……あまり強くすると魔力に酔ってしまいますし、これはしょうがないですね……」


 困り眉で八束は笑う。


「あれ、そういえば八束さんって斥候部隊、ですよね。他の方は……」


 そう、八束いづみは斥候部隊に配属されていたはずだ。向こうも初瀬たちのように別れたのだろうか。それともわざわざ初瀬たちの方へ助けに来てくれたのだろうか。そうであるなら初瀬の胸は申し訳なさでいっぱいになる。これでモズを取り逃がしたら、という焦りもある。


「向こうはまるっきり富士に任せました。こちらで戦闘に入っていることに私が気づいたので手助けに行くと言って抜けてきたんです。モズかと思いましたが……違ったようですね」


「はい。全く別の協力者のようでした」


「もしかして富士とか別の人たちのことが心配ですか?」


「ま、まぁ……」


 どこか落ち着かない様子の初瀬が気になったのだろうか、八束は首を傾げた。


「だぁいじょうぶですよ! 富士は死にませんし、他の方々も、なんだかんだ言って悪運が強いですから。私もすぐ追いつきますし」


「富士さんってすごいんですね」


 自信満々な八束の様子を見て初瀬は思わず感心の言葉を口にする。その言葉に八束は酷く満足げに笑う。どこか誇らしげなその笑顔は彼女の複雑な感情を露わにさせた。


「そうですよ。ここでしっかり気を持ってくださいな。末端が冷え込んだら組織は終わりなんですから。あっ、でも……あの人一個だけ困ったところがあるんです」


「なんですか? 酒癖とかですか」


「ううん、お財布がね」


「財布ですか」


 八束はわざとらしく肩を落とし、ほうと小さなため息をつきながらこう呟いた。


「マジックテープのやつなの」


「そ、それはまた……なんというか、困ったところですね……」


 初瀬は目を丸くして八束の方を見てしまう。異性に対して疎い初瀬ではあるが、それだけはないと言える。もし仮に「ここは出すよ」と言われて出てきた財布がそれだったらと考えるとあまりにも……惨い。残念の一言に尽きるだろう。


「ふふ。昔の話ですよ、今はそうじゃないんですけどね」


「そ、そうだったんですか……」


「でもよかった。お会いした時からずっと思いつめた様子でしたし。もう少し笑ってくださいね。せっかくの美人さんが台無しですよ」


 そう言いながら八束は初瀬の頬を優しく突いた。慣れない年上の女性からのからかいに初瀬はどう返してよいか分からず黙り込む。それでも気が解れたのは確かだった。


(本当に目がいい人だ)


 緑目の彼女は優しく微笑んだ。

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