第28話「凍える世界」
底冷えのする廊下を三笠はふらふらと歩いていた。不毛であると自覚していようがやはり気にかかってしまうのがサガだ。
「あっと……すみません」
そうやってふらりと曲がった先で三笠は誰かにぶつかりかける。それを寸でのところで回避し、反射的に頭を下げた。
「あ、おう。気を付けろよ。てか三笠お前、大丈夫か?」
「富士先輩でしたか」
三笠がぶつかりかけた人物は富士だった。彼はスマホを片手に心配そうに三笠の顔を覗き込んだ。
「ちょうど探していたんだが……本当に大丈夫か?」
「いえ、お気になさらずに。怪我の方は潮田先生に診てもらいましたので」
ゆるゆると首を振る三笠を富士は疑うように見ていた。
「……まぁいい。とりあえず、言われた通りに小型魔力炉を師匠に預けておいたぞ。状態の解析もすぐに終わったらしくてな。それを伝えに来たんだわ」
「ほ、本当ですか」
三笠は顔を上げる。
結局持ち帰って来た小型魔力炉は、故障して起動すらできない状態になっていた。無論三笠が無理な使い方をしたからだろうが、長い間手入れがされていなかったのも原因だろう。
家宝とはいえ、三笠の手に負えるものではない。開発には一切かかわっていないからだ。その使い方と仕組みは知っているが、設計図を知っているわけでもない。さらに言えば最新型、その試製品だ。盗まれた、ということを聞くまで三笠はその存在すら知らなかった。
「その……どうでしたか」
「師匠なら直すのも、お前に合わせた調整もできるそうだ。だがまぁ、それなりに作りこまれたものだし、急ぎでやるから完璧にすることはできんとな」
「それは仕方ないですよね……でもよかったです。直せそうな人が他にいないので」
三笠はほっと胸を撫で下ろした。富士もその理由を思い出したらしく顎に手を当てながら頷く。
「それもそうか。……親父さんに連絡はしたのか? 一応家宝なんだろ?」
「あー……それはまだです」
三笠は緩く首を横に振った。
「ま、今は忙しいからな。とはいえ遅れるとお前が不利になるかもしれんし、早めに連絡はしとけよ。修理代、大変なことになってたからな」
「で、ですよね……」
後に来るであろう請求書の、その桁数を想像して三笠は肩を震わせた。あの魔力炉のことだ。特殊な素材も使っているだろう。借金はほぼ確実だろう。それでも三笠は直るという報せにどこかホッとしていた。
「そんじゃ、会議の報告会あるから二十一時には梅の間に来いよ」
「分かりました。ありがとうございます」
富士を見送り、再び静かになった廊下に三笠は座り込んだ。冷えた床をジワリと己の体温が温めていく。廊下の灯りが庭の雪の上に影を作り出す。そこへ目掛けてボタン雪が被さっていく。明日の朝には真っ白になっているだろう。夜中に降る雪は大抵積もる。今日は特に寒いから路面も凍結するだろう。
明日のことを思いながら、三笠は電話帳の奥の奥、底に眠っている番号を引っ張り出した。二、三度迷い指を画面の上に這わせたが、思い切って発信をする。寒くてしょうがないのに汗がにじむ。
『はい。もしもし』
低い男の声がする。その声から機嫌を伺うことはできない。
「あ、あの、冬吾です。……今時間大丈夫ですか」
『問題ない』
電話の向こうの声は低いトーンのままそう答えた。緊張はぐっと強まる。声が震えそうになるのをなんとか抑えながら三笠は話を切り出した。
「あの……小型魔力炉、見つかりました」
他にも話すべきことはあるのだが、声が震えそうになるために話し続けることはできない。電話の向こうの相手は黙り込んでいる。それがどうしてなのか三笠は検討がつかず、落ち着こうとしてぐっとこぶしを握った。
『……なるほど。状態は?』
「故障を起こしていました。ので、……僕の独断で信頼できる魔道具師に預けました」
『そうか』
拍子抜けするほどあっさりした返答に、三笠は止めていた息を吐いた。どうやら機嫌がいいらしい。まずここで一つ、怒鳴られると思っていたのだ。今日は運がいいのかもしれない。
『……それで修理費はどうなった』
「まだ請求書は来ていません。修理が終わってから出すそうです」
『そうか。……盗人の方はどうなった?』
「それがまだ……逃げられてしまいました」
警戒していた質問に跳ね上がった心臓を押さえながら三笠は正直に答えた。電話口の向こうでため息のような音が聞こえる。
『……また料金が分かったら電話するといい。次はすぐに出る。失望させてくれるなよ』
そう言って父は電話を切った。緊張が解けて、三笠は廊下で脱力する。虚ろな目で見やる庭先は深い闇に飲まれていた。
己の声も、父の声も雪のせいかずっとくぐもって聞こえた。嫌な記憶がじわりと浮かび上がる。嫌に静かな空間を、その記憶をかき消すように小さく口を開く。
「はぁ…………、失望ねぇ……とっくにしてるんじゃないの」
愚痴にもならない言葉はすぐに、乾いた床板と風雪に吸い込まれていった。
※
三笠冬吾は困惑していた。
他でもない初瀬に、叱られたということが意外だったからだ。混乱の果てに何を言い返したかは正直思い出せない。
どうも自分は「そうじゃない」とか「それは違う」とか。頭ごなしの否定ではないそれに困惑しているらしい。怒られたら否定された風に思ってしまうのは当たり前だ。他者の映す自分が壊れたら、それはもう「おしまい」なのだと。他者の評価に身を委ねているから不安になるのだ、と姉に言われたような気もする。
叱ると怒る。それぞれの言葉は違うと後々三笠は知ることになる。
魔術の練習は実に分かりやすかった。
壊せば合格。そうでなければ不合格。人間関係も同じだった。気を悪くさせたらおしまいで、そうでなければすべてよし。相手が離れるというのであれば引き留めないし、その原因が自分にあるというのならばなおさらだ。失った信用はもう元には戻らない。ガラスのコップを直そうとすると手を怪我してしまう。そんなことは父とのやり取りでよく分かっていた。
テストの問題もそうだ。部分正解なんてものはなく、マルかバツか。たったそれだけの話。
今回、自分は間違えたのだ。それならそれは違う、と言うだけでいいはずだ。いや、今回もだ。今回も、こうしないといけないだろ、と言わんばかりに彼女なりの正解を示された。
答えを考えながら三笠は自分の短絡さに自己嫌悪しつつあった。
(じゃあ、あの時僕はどうするべきだったんだろう。捕縛?)
初瀬の示す答え通りならそうだ。では、魔術師としては? 家宝ともいえるべきものを盗んだ相手を、自分は取り逃がした。殺していれば正解だったのだろう。父の反応だってきっと違った。どちらかを選ぶべきか。それとも、どちらのことも無視して、自分の思う道を取るか。
(……道、道か)
そんなもの思いつかない。だってそれを、二人が良しとするかは別問題だからだ。自分がいいと思っても、他の人がいいと思わなければいけない。その他の人の意見がここまで綺麗に割れるのは想定外だった。
※
──二十一時過ぎ。
思考が上手く回らない、沈んだ気持ちのまま三笠は会議に参加する。今回の会議は敷宮のメンバーのみが狭い部屋に集まって行うものだ。集まった面々の中に当然初瀬はいない。それから赤鴇も未成年ということで外されたのだろう。彼の姿も見当たらなかった。
話の内容は主にモズについてだった。
「んで、今回モズと交戦した三笠から有益な情報が得られてな。やはり串刺しには条件がいくつか設けられているらしい」
「条件、ですか。確かにそうでなければ辻褄が合いませんしね」
鷦鷯が確信したように頷く。条件が一つであれば三笠たちはとっくの昔に殺されていただろう。となれば、条件が複数あるのは確実だ。
「これについては鑑識からも同じ意見が出てるんだが……まず一つは『気温が低いこと』だ。これは冬だからな。外気温に関しては、クリアできている」
最後を強調して富士は話す。
「! なるほど、体温もダメなんですか」
「そうだ。ヒルコ自身の体温が低いせいだろうな。人間の体温ですら火傷をするらしい。魚と一緒だな。つまり、だ。殺したい相手の体温も下げる必要があったわけだな。魔力の質もそれに応じたものらしいし……」
「ってなると術式も凍り付き、反撃も難しくなると。反応速度によりそうですが、魔術師によっては反撃の機会さえなさそうですね。俺とは相性が悪そうだ」
鷦鷯は眉根を寄せる。そう話す彼の魔力の質は変幻自在の水だ。他の魔力に比べて温度を伝えやすい。魔力の質は使う魔術式にも大きく影響を与える。いわゆる相性のよし悪しが存在するのだ。水を操作する魔術を扱いたいのであれば、水に近い性質の魔力を持っている方がコスパがいい。元よりコスパのよろしくない魔術において、魔力と術式のいい相性は不可欠だ。
富士は鷦鷯の言葉に頷きながら話を続ける。
「おれはお前ほど相性が悪いわけじゃないが……有効打を持っているわけじゃない。対面しても撃破できるとは思えないな。対策はしっかり練るべきだろう。向こうもそこに関しては対策済みだとは思うが」
富士は顎に手を当てながらそう付け加えた。魔術師たるもの、己の魔術の欠点は補っておかねばならない。やって当然、知って当然の範疇だ。こちらがそうであるならば向こうも当然そうであると考えねばならない。
「向こうの対策としては霧ですかね」
「あぁ、そうだと思う。炎系は消費が普段より多いそうだ。持久戦は避けるべきだな」
「となれば一気呵成に、高火力で決着をつける感じですね……」
鷦鷯と富士の視線が三笠の方へ集まる。当人はというと、どこか上の空で手を止めてメモを見つめている。
「──おい、おい。疲れてるなら出ろ」
「! あ、す、すみません……大丈夫です」
隣にいた鷦鷯は小さく三笠を小突いてそう言った。三笠は二、三度かぶりを振って意識を覚醒させようとする。
「鷦鷯、三笠。ちょっと冷えてきたからお茶淹れてくれ。その間おれらも一旦休憩するわ。ちょうどいい」
「分かりました。おい、行くぞ」
「わ、分かりました」
鷦鷯は頷き、すたすたと廊下へ出て行ってしまう。三笠も慌ててその後を追った。
(気を遣わせてしまった)
「おい」
やらかしてしまったと苦い思いを噛み締めている三笠の方を鷦鷯は横目で見る。
「怪我の調子はいいのか?」
「へ? そ、そうですね。潮田先生のおかげで今は何とも……」
予想外の質問に困惑しながらも答える。その答えでは不十分だったのか鷦鷯は眉間にしわを刻んだ。
「そうか」
それにもかかわらず鷦鷯はそのまま歩を進めた。すぐに給湯室に着いてしまう。
そこから少し、黙って茶の用意をする。お湯を沸かす僅かな時間にふと、鷦鷯が口を開いた。
「……お前を評価するのは、お前の親父だけじゃない」
「はい?」
唐突な話の展開に三笠は目を回した。そんな三笠にお構いなしといった様子で鷦鷯は茶葉を計りながら続ける。
「お前は周りの評価を気にしているようで、全く気にしていないだろう。たった一人の下すそればっかり見ている」
「あ、あの。もしかして電話の声、聞こえていました……?」
「全部は聞いてない。そもそも向こうの声は聞こえてないしな。盗み聞きをしたことは謝る。すまんかった」
「……」
三笠は瞬き繰り返す。何事かと脳内は混乱しているが、段々と思考が追い付き、彼の意図が読めてくる。鷦鷯の表情はいつもと変わらない。違うのは声色だけだろうか。まだまだ混乱の残る頭を抱えた三笠を一瞥する。
「……難しいな。とりあえずそこまで落ち込むことは無いんじゃないか。俺は、仮登録にしてはよく働いてると思っているが」
湯が沸く。
(え、もしかしてこの人、僕を慰めようとしてるのか!?)
混乱と興味と、嬉しさが混ざり合って口の端を上げさせる。三笠が何を思っていると解釈したのか、鷦鷯は口下手なりに慰めようとしている……ように三笠には見えた。
「……」
「自惚れていいんじゃないか。卑屈なお前にはそれくらいがちょうどいいだろう」
三笠の疑うような視線にふいとそっぽを向きながら鷦鷯はそう言った。
「──あ、ありがとうございます……あの」
「なんだ」
「僕は……どうするべきなんでしょうか」
三笠に質問に鷦鷯は足を止めた。それから少しの間もなく鷦鷯は答えを示す。まるで最初から用意しているかのようだった。
「好きにすればいい。ただ、あまり敵を作るのは勧めない。これまでの努力が無駄になるようなことも止めておくのが吉だ。誰に評価されたいのかにも、よるけどな」
「あくまで俺はそう思う」と、最後に鷦鷯は付け加えてまた歩き出す。その言葉を噛み砕きながら三笠もその後ろに続いた。
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