第27話「懸念」
──初瀬が気を失うと同時に富士が増援を連れて到着した。男は隙を突いて逃走。結局行方は分からずじまいとなった。
また、初瀬が見つけた女性の先行調査隊員の遺体は無事に回収され、本人確認も済んだ。
「つーわけだ。とりあえず落ち着いたか?」
潮田はカルテを丸め、それを手のひらにぱしぱしと打ち付けながらそう言った。
「あ、はい。ありがとうございました」
初瀬はそう言って頭を下げた。
午後二十時。日はすっかり沈み、雪は一際強く窓に貼り付く。これから年越しに向けて、寒波の影響で日本海側では記録的な降雪となる。そうラジオから流れる音声は淡々と告げた。
初瀬の言葉に潮田はやれやれと首を動かした。
「そりゃよかった。ところでお前さん、ひとーつ訊きたいことがあるんだけどよ? 魔術師じゃないんだよな?」
「そうですけど……どうしてそんなことを……」
「ハッキリ言わせてもらうが、俺が治癒魔術を使う前に治癒魔術が使われたあとがあったんだよ。八束も富士も魔術で応急処置はしていないと言っている。もう一回聞くぞ? お前本当に魔術師じゃないんだよな?」
潮田の予想外の言葉に初瀬は眉をひそめた。そんな初瀬の反応を見て潮田は、己の問いの意味が無いことを理解する。
「……となると誰か別のやつがお前を治したってことになるな」
「三笠じゃないんですか?」
「オイオイ、お前知ってるだろう。あのバカが魔術を使った治療ができると思ってんのか。それに……お前が絞め上げたから、どっちにしろ不可能だ」
「あぁ……」
潮田は「バカ」を一際強く言った。
初瀬は頭を抱える。とはいえ、本当に覚えのないことだ。魔術なんて意図的に遠ざけてきた道だ。その組成は当然、使い方も知らない。ギフトは魔術の一種ともいえるらしいが、常時発動するものであるために魔術とは別系統として語らなければならないと聞いた。
「まァ、いい。別に傷の状態が悪いわけではないからな。ちょっとよかった程度で、とんでもない治癒力があったわけでもねェ。特段気にすることではないが、一応確認としてな」
「はい。わざわざありがとうございます」
初瀬は軽く頭を下げて礼を言う。潮田はそれに小さく頷いて「養生しろよ」と言って部屋を出て行った。
もう一度時刻を確認する。
(……確か、夕方にこっちに来てそのまま山に入ったから……二、三時間は寝ていたんだな……)
これ以上寝ていても。そう考えた初瀬は起き上がり、そのまま布団から出る。側に置いてあった自分の荷物を漁り、着替えと筆記用具を取り出した。
「……」
冷えのせいか頭がずきりと痛む。潮田の魔術のおかげだろう、怪我の痛みはほとんど無いがこれだけは勝手に痛み始める。初瀬は顔をしかめて上着に入っていたライターと煙草を取り出した。
必要な物を全て取り出した初瀬はドアを開ける。そのタイミングで隣の部屋のドアが開いた。
「あ、初瀬」
「なんだ三笠か」
気の抜けた声に、初瀬も思わず肩の力を抜く。
「あのさ、ちょっと訊きたいことあるんだけど」
初瀬は三笠の方を見てそう言う。三笠も頷き、こう返す。
「僕も。ちょうどよかった」
そう返すお互いに、酷い怪我の痕はもうない。初瀬には三笠が何を考えているのか、その表情から読み取ることはできなかった。いつもよりも静かで、それが少し不気味にさえ見える。
「……じゃあわたしからいい?」
初瀬の言葉に彼は頷いた。
「あのさ、あの男は……モズなの。それとも、別の魔術師?」
「僕は……モズだと思う。あの時より格段に強くなっているけど、魔力が似ていたというか、魔術もアイツそのものだったと思うし……感覚的な根拠ばっかりだから、断言はしたくないけど」
三笠はぽつぽつとそう話す。伏せられた瞳からはやはり感情が読み取れない。あまりの読み取れなさに初瀬はまだ自分は寝ているんじゃないか、と疑った。
(怒ってるの、それとも悔しがってる?)
一種の不気味さを覚えながら初瀬は続きを促した。
「それで、僕からも一つ訊きたいんだけど、初瀬はあの男の顔は見た?」
「……いや。結局ずっと離れていたから、ちゃんと見えはしなかったな」
「そっか」
そこで三笠は引き下がる。
「なんだよ。気持ち悪いな。言いたいことがあるならハッキリ言えば?」
それでも彼は首を横に振ってそれ以上口を開こうとしなかった。気になるとはいえ無理やり聞き出すほどではない。初瀬は小さく息をついて話を切り替えた。
「まあいいや。あのさ、あんたが拳銃使えるって知らなかったんだけど。あれはどういうこと? 妙に綺麗な構え方だったし、慣れてるようにも見えたんだけど」
「あ、あー……うーん」
「魔術師は皆使えるわけ? ねぇ三笠」
「どうかな。僕の家の魔術が、大砲とか拳銃の仕組みを下敷きにしているから習ったと思うんだよね。だから皆使えるってわけじゃないと思う……」
三笠の返答に初瀬は頷きながらこう返した。
「そう。そこはいいとして、問題はマジで撃ったことだよ。見えないよく分からないスペクターはいいとして、その後。確実に急所を狙ってたでしょ」
あのときの三笠の表情を、目を思い出しながら初瀬は話す。三笠は初瀬を見るのが怖くなったのか、視線を足元に落とした。それが肯定であることは火を見るよりも明らかだ。
「……忘れてない? 早く登録魔術師になるためには、前科が付いちゃいけない。しかも殺人は──仮登録が取り消しになる。あんた、あの時『確実に殺す』って思ってたんじゃないの」
そこから一呼吸おいて初瀬はこう付け加えた。
「それに、犯人は殺さないで。殺されたら事件が解決しなくなる」
「! ちょっと、それ本気!?」
三笠はこれには反論があるようにばっと勢いよく顔を上げた。
「あの時みたいに、逃がしたヤツがまた誰かを殺すかもしれないのに!?」
「っ……それでも。それでも殺さないで。あんたにとってもよくない話でしょ」
「そうだとしても、対話でアイツを止めようって言うの? 無理だろ。初瀬だって、銃口を向けておいて殺すつもりは無かったって言うの?」
「そ、れは……」
三笠の反論に初瀬はぴたりと動きを止めた。真っすぐだった瞳が揺らぐ。
「無かったんだよね。だってそうだよ、初瀬は絶対に殺さないって意志を持ってるもんね。警察官だし。模範的だし、当たり前だよね。……でもさ、次の犠牲者が出なければそれは事件が解決したって言えるんじゃないの。ねぇ、初瀬」
一切の容赦なく三笠は続けて口を開いた。
「殺さないでって言うけど、向こうはどうだったんだよ。明らかに殺しに来てただろ。そんな相手に対して手加減なんて……できるわけがないよ。初瀬は魔術師じゃないから、そんなことが言えるのかもしれないけど──魔術を使う相手に、魔術を使わずに勝つなんて。しかも一方的に抑え込むなんてできない。初瀬の考えはものすごく甘いと思う」
絞り出された本音らしき言葉に初瀬はただただ顔を伏せるしかなかった。お互いに口をつぐむ。
「……そんなことは、解ってる」
己の無力さを呪いながらそう声を、言葉を絞り出す。
「ごめん」
三笠は短くそう言って廊下の先へ足早に消えていってしまった。初瀬はしばらくの間その場に立ち尽くし、冷えた床を眺めていた。
三笠が去った後に初瀬は給湯室へ移動した。すっかり冷えてしまった体を温めようと、インスタントコーヒーを用意しながらぼうっと思考を走らせる。
『殺す気だったのか』という三笠の問いが残響となって頭の中に残っている。結局のところ、拳銃は『抑止力』として携帯していた。浦郷や松島の口ぶりから、ゼロでは本気で射殺するという事態も起きうるのだろう。通常の、魔術師ではない相手であればあの対応で問題は無かったはずだ。相手が同じ銃火器を持っていない場合はそれでいいのだろう。
(あの男……動きはしなかったけど、全く恐れてはいなかったな)
脳裏に焼き付く光景を、緊張感を反芻する。いくら噛み砕こうがしばらくは飲み込めそうにない。ため息が一つ出た。
(──でも、あの時もしあいつが殺されたら、わたしはどうしてたんだろうな。殺す覚悟は正直、してないし……)
己の行きつく先は真っ暗であること、三笠はそれを指摘していたのだと理解する。
紙コップの中にコーヒーフレッシュを入れる。白がくるくるとマドラーに引きずられ、渦を描いて溶けていく。まとまらない思考をまとめようと、初瀬は白が溶け切ってもなお、かき混ぜ続けた。
「! びっくりした」
不意になった着信音に初瀬は小さく跳ねる。急いで確認した発信者は浦郷だった。
「あ、はい。初瀬です。どうかされましたか」
『浦郷だ。急にすまん』
電話の向こうで浦郷は静かにそう言った。妙な雰囲気だ。初瀬は違和感をいち早く感じ取った。
『ちょっと色々あったと聞いてな。事件の情報交換も兼ねて連絡させてもらった。今時間大丈夫か』
「大丈夫です。ちょうど休憩しようと思っていたところなので。浦郷さんこそお疲れ様です」
目の前にいるわけではないが、初瀬はそう言いながら軽く会釈をする。
『そっちこそ。……なんか元気ないな?』
「へ? そうでしょうか」
若干の疲労は自覚しているが、それがばれないようにと思い切り取り繕っていたつもりだった。初瀬は変な声を出しながらそれに答えてしまう。浦郷はそれで確信たのだろう。
『普段はそんな間の抜けた声なんて出さないだろう。まぁ、最近ずっと出っぱなしだったし、ハードワークの鑑のような仕事をしているんだからな。『思ったより自分は疲れているんだ』と考えた方がいいぞ。それともなんだ、また何か魔術師に言われたのか』
「また」の語気を強めて浦郷は問いかける。初瀬がどう答えようかと迷っている間に、浦郷は話を続ける。
『……何を言われたのかは知らんが、別に気にしなくてもいいんじゃないか。どうせお前のことだろうから、倫理的に間違った判断はしないだろうし。目的も責任も違う相手だからな。言うことが俺らと違うのは当然だろう』
「……確かにそうですね」
正しい。浦郷の言うことは間違っていない。ここで初瀬は、ふと疑問に思ったことを口にする。
「あの、前々から気になっていたのですが、浦郷さんは魔術師がお嫌いなんですか」
『…………』
純粋な疑問だった。
「なんとなく避けているように、いえ、棘があるように見え……すみません、踏み込み過ぎました。やっぱり聞かなかったことに──」
電話の向こうの彼が黙り込んで出来上がった沈黙に耐えられず、初瀬は話題を取り下げようとした。
『いい。別に。訊かれたなら答えるのが筋だろう。この際だからはっきりと言わせてもらうが、大嫌いだ。あぁ。いつまで経っても好きになれない。フラットにもなれん』
「そう、なんですか?」
『なんで驚いてるんだよ。そんな感じはしてたんじゃないの?』
「いえ、すみません……」
『いいよ。よく主語が大きいのはよくないって言われるけど、個を認識して嫌うとか器用なことは、俺にはできないからな。まぁその、なんだ。明確に誰かに殺意を抱いているとかそういう話ではない。ただ嫌いなだけ。何をしていようが許せないだけだからな』
浦郷は淡々と他人事のように話し出す。あまりにも素っ気なく、興味の欠片も無く話すその様子に初瀬は酷い乖離を感じた。
『証拠を一切残さないで、人を殺せるような奴らが好きになれない。姿かたちは変わらないし、言語だって通じるが……自分の常識外の生き物であることは確かなんだよな。あいつらと絡んでいると今までの自分の苦労がバカみたいに思えてくることがある』
そう言って浦郷は話を切った。初瀬もその点は共感できてしまうので、同じくして黙り込んだ。この方法があるのなら、鑑識も刑事もいらないのではないか。こんなに早く分かるのであれば犯人だってすぐに捕まるのではないか。
(……まぁ、そこまで甘くはなかったけど)
初瀬は目を伏せる。そんな魔術を使ってしてもモズの尻尾はちゃんと掴めていない。結局のところ、情報が不足していては何の意味も無いのだ。そういう意味では自分たちがやってきたことが全く無駄ではなかったと言えるのではないか。初瀬はそう感じていた。
『初瀬だって最初はツンケンしてただろ』
「あ、はい……そうですね」
零課の手伝いをしに入ったあの日。その日のことを言っているのだろう。初瀬としては今まで遠ざけてきた存在であったから、余計に触れがたいと思っていた。言ってしまえばそれだけなのだ。そこでふと、急に浦郷が思い出したように口を開いた。
『ところで、あのー拳銃についての始末書がだな……』
「あ、はい。すみません、これから書きます。本当にすみませんでした」
深々と頭を下げて初瀬はそう言った。
『緊急事態に当たるだろうし、殺されるところだったと聞く。問われないだろうが……なぁ初瀬』
「はい」
『どうして止めた?』
「……!」
予想外の質問に初瀬は混乱した。彼は何も言わず黙って初瀬の回答を待っている。
電話の向こうのその表情が見たくて仕方がなかった。どんな意図でこの質問をしているのか、声だけでは全く読み取れないからだ。嫌な冷えを感じる。じわとつま先から霜が生えていくのを初瀬は感じた。
「あのまま放っていたら、過剰防衛になってしまうと考えたので、止めました」
『そんなことは解っている』
「どういうつもりですか」
困惑に困惑を重ね、初瀬は質問し返した。
『だから……止めないでそのまま見守っておけばよかったのにって話だよ』
初瀬の目からうろこが落ちた。
(──なんてこと言うんだこの人は)
動揺が身体を走る。浦郷は続けた。
『言っただろう。魔術師同士が殺し合うのは止めなくてもいいって。悪人同士の潰し合いなんだから』
「そ、それは……むしろ好都合だということですか?」
頼むから否定してくれ、そんな願いは淡く掻き消される。
『そうだ。お前からすれば俺も立派な悪人だろうな。それを承知のうえで言わせてもらうが、俺も悪い。でもあいつらの方がもっと悪い。それにだぞ。今回、綺麗に外れたからいいものを、致命傷を与えるなり殺すなりしてみろ。半身不随で責任追及をされてみろ。お前にも責任がかかるぞ』
その言葉で初瀬ははっとする。
「……! だから黙って見ていればよかったのに、と?」
浦郷の言葉の意味を初瀬は理解する。
彼は、
この人は『どうして自ら責任を負いに行ったんだ』と初瀬を責めている。
(なんでこの人はそんなことを言うんだ)
初瀬の中で目まぐるしく疑問が浮かんでは消え、流れていく。押して返す波のように思考がのたうつ。
「貴方は……いえ、わたしは、護るべき人を護ったまでです。責任はちゃんと果たします。そのつもりで、わたしは止めました。それが監視官の仕事ではないのですか」
電波の向こうは静まり返っている。初瀬は息を飲んで彼の返事を待った。
『……残念だな。もしかしたら、君はこっち側かもしれないと思っていたんだけど』
「期待に沿えずすみません。恐らく浦郷さんとは分かり合えないタイプの人間だと思います」
はっきりと初瀬はそう告げた。確かに、得体のしれない、人の姿をした何かに見えることもあるだろう。魔術師は、今のところ『人』というくくりで語るのが難しい存在かもしれない。これからどんどん『人』から離れていくかもしれない。それでも初瀬は見捨てるということを選べなかった。
『一つだけいいか』
「なんですか?」
『お前が助けたいのは魔術師たち、なのか顔見知りの特定の魔術師なのか。それが知りたい』
浦郷の質問で初瀬はハッとする。
「それは……」
『さすがにすぐ答えられはせんか。正直ほっとするな。それじゃ、養生しろよ』
電話が切れる。
初瀬は薄暗い中で、黙って浦郷の言葉を噛み砕いていた。
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