第26話「邂逅」
三笠たちはすぐに元の道へ戻って、仮拠点を目指して駆け出した。
「そういえば、その怪我ちゃんと手当てした方がいいんじゃ……」
後方を行く初瀬に向かって問いかけると、彼女は不機嫌そうな声でこう返す。
「どこにそんな暇があんだよ。前見て走れ」
(この様子なら別にいいのかなぁ)
眉を下げながら三笠はそう考える。残り七分。拠点まではまだ距離がある。それでも身体強化の使えない三笠と初瀬にとってはこれが最高速度だ。初瀬であればもう少し早く走れるだろうが、彼女が「お前が殿は嫌だ」と突っぱねたためにこうなっている。
「──! 初瀬!」
今しがた通り過ぎた草むらが鳴ったのを三笠は見逃さなかった。後ろを行く相方の名を呼んでから反転する。反転した三笠の横を初瀬は勢いよく走り去った。あらかじめ決めておいた通りの対応だ。
(このまま……気配を感じた場所に、ぶっ放す!)
広範囲かつ高火力の弾幕が放たれる。射程を伸ばすための魔力を削り、火力の補強に回した。その効果は目に見えて抜群で、白雪が土が落ち葉が舞い上がる。その効果を確認する前に三笠はその場から離脱しようとする。
が、その足をはたと止めて先ほど弾幕を撃ち込んだ方を見る。初瀬も後ろに続いていないことに気が付いたのか少し遠くの方で振り返った。
「すぐ行く」そう言って駆け出そうとした三笠の足元から、何かが飛び出した。
「な──!?」
正確には、地面が盛り上がって何かが生えてきた。黒く艶を持ったそれは真っすぐに上へ伸び、そのまま三笠目掛けて崩れ落ちるようにして落下する。
咄嗟の判断で横に転がるようにしてそれを回避する。三笠が先ほどまでいた場所に食い込むようにして黒い何かはまた戻っていく。その姿は蛇のようにも、龍のようにも見えた。抜けかけた腰を落ち着けながら、必死に状況を把握するべく辺りを見回す。
(聞いていたのと違う?!)
再び魔力の気配がする。己目掛けて突き出してくる黒蛇を三笠は次々と躱していく。
「術者は……!」
体力が尽きるよりも、時間切れが訪れるよりも前に仕掛けにかかる。捜索用に持ってきていた魔術探知の魔道具を取り出す。懐中時計型の複雑な術式が組み込まれた高級品だ。
三笠はそこに仕込まれていた術式を起動し、その捜索の手を広げる。
「そこだッ!」
少し離れた場所、初瀬の向こう五十メートル先に術者らしきモノを見つける。
三笠は照準を定め、力いっぱい魔力弾を撃ち出す。
湿った落ち葉が焼けるほどに昂った魔力は、すぐさま収束してその一点へ向かっていく。初瀬も三笠の動向を見守っていたおかげで余裕をもってそれを回避する。
「おまっ、三笠、どーするんだよ!」
「叩きに行く」
短く答えた三笠の方を初瀬は眉根を寄せて見やる。
「モズの魔力と似てる。モズかもしれない……!」
その言葉で初瀬も寄せた眉根を解いた。すぐさま頷き、二人はその場所目掛けて走り出す。そして。五合目の仮拠点、そこへの道を塞ぐようにしてその人は立っていた。
「……」
その立ち姿は八年前と何一つ変わっていない。体格からして男に見えるところも、黒いローブも全てだ。あの夜と何一つ違えぬ姿でその人はそこにいる。全身の血の気が引いていくのを三笠は感じる。初瀬もまたその人物への心当たりがあった。その人は静かに手を上げる。それと同時に周囲の魔力が一気に動いたのを三笠は感じ取った。
先ほどまでの勇み足はどこか遠くへ行ってしまった。恐れと若干の好奇心と、そして警戒心が三笠の心を食んでいく。黒く、艶光りする槍が形作られる。
「おい、しっかりしろ三笠!」
「っ!?」
初瀬がその声と共に三笠を突き飛ばす。モズ、らしき男は次々と黒い槍を作り出して三笠目掛けて撃ち出す。それを初瀬がていねいに全て叩き落としていく。そんな光景がやけにゆっくりと三笠の目に映った。視界がぐらぐらと傾く。
「お前いい加減にしろよ」
初瀬の叱責と殴打で一気に引き戻される。
「あ、ごめ……」
(一時的な魔力酔いだ、なんでこんなところで……!)
己の顔を数度叩き、思い切り息を吸って相手を見る。得物は可変の黒い槍。その動きに型はなさそうだ。
「どーすんの!?」
「一気に畳みかける!」
一気呵成に術式を組み直す。
「行け! 『春日雨』!」
十文字に展開された弾幕がその人を包み込むようにして着弾する。力んだせいかいつもより派手に爆炎が上がった。
「なっ! 馬鹿! 視界が……!」
初瀬がそう言った時にはもう遅く、男は爆炎に飲まれてすっかり見えなくなっていた。三笠もそれに気が付いて臍を噛む。後の祭りだ。標的を見失った二人は必死に辺りを見回す。
「──っ上!?」
不意に感じた気配に顔を上げた三笠は驚愕する。男は高く跳び上がり、今度こそと三笠目掛けて槍を突き立てようとしている。さすがの初瀬でもこの距離では間に合わない。急いでよけようとするが、完全な回避はもうできないだろう。どう避けてもどこかしら負傷するのは確実だ。三笠は咄嗟の判断で決戦術式を展開した。
天地が回る。鋭い痛みが全身を走った。
「っは……!」
叫びにならない息が、白く霧に溶けていく。決戦術式は間に合わなかったのか、それとも無理な起動で不具合を起こしたのか不発に終わった。反撃の一手は出さえしなかったのだ。
己の腹部を貫くものを確認しようとするが首が回らない。痛みに顔をしかめることで精いっぱいだ。頭や胸は熱いが、末端はどんどんと冷えていく。そんなちぐはぐな状態に目が回る。涙が出る。
凍てつくような魔力が己の内に入り込むのを感じた。
「!」
見上げたところには、知らぬ顔。浅縹色の瞳に、深い黒髪。その瞳、目元はどこか見覚えがある。
「……え、は……」
「辞世の句はそれでいいのか」
男はそんな三笠を他所に淡々とそう話しかけた。訊いたとはいえ、返答を待つつもりはないらしく彼の元から溢れる魔力が露を、身を凍らせる。
「そんな、わけ、ないだろ、お前がくたばれ……!」
歯を食いしばり己の上に馬乗りになった男に掴みかかる。傷が広がる嫌な感覚と痛みで思考がかき回される。それでも鋼の意志で一生懸命に食って掛かる。男もこれは想定外だったらしく、一瞬の隙が出来上がる。それを三笠は見逃さなかった。凍てつくような魔力を追い出すかのように、心臓に火が入る。
「『燎原之火』!」
ぽっと橙が飛び出したかと思えば、それは瞬く間に大火へと変化する。男はすぐさま三笠から飛びのいた。それよりも早く火は燃え移っていた。
「!」
ふらり、と三笠が立ちあがる。
男も気が抜けない、と感じたのか術式を組み始める。莫大なその魔力に、三笠は眩暈がした。
「……魔力漸増術式展開!」
掠れそうな声を抑え込んではっきりと詠唱する。よく知った魔術だ。それで男もようやく、三笠に懐の物が奪われたと気が付いた。
白く輝く、正四面体の物。表面には金で補助式が刻み込まれている。
魔力炉が開き、術式を模る。取り込まれた三笠の魔力はゆっくりと確実に増えていく。高速で行われる反射に合わせて周囲の温度はぐっと上がった。雪が解け、霧が薄まる。視界は開かれた。
「一陣の風、鳴動するは星の嘆き。地を這う竜よ、その力を此処に──」
詠唱と共に複数展開された術式が脈打つ。一つの生き物のように、一体化して血液のように魔力が巡る。身が凍るほどの寒さは今やなく、三笠のこめかみからは汗が滴った。
「奔れ! 『竜哮一閃』!」
膨れ上がった膨大な膨大なエネルギーの塊が放たれる。照準は定めていない。それをカバーするかのように横に広く光の束は走る。すさまじい力を目の当たりにした初瀬は思わずその身を屈めた。
息も絶え絶えな状態の三笠は、片膝をつきながら的の方を見る。爆炎が消え去った薄暗い霧の中に、男は立っていた。
「っ! 防御魔術……!」
傷一つ付いていないその姿に驚愕する。男の前に展開されていた術式がふっと消える。
「……未調整が仇になったな。元々欠陥のあるタチの癖に。さて、返してもらおうか」
その言葉に三笠は唇を噛む。まだ魔力は残っている。もう一度増幅させればいくらでも魔導砲を撃ち込むことができるだろう。
「……」
だが、男が言う通り本来、魔力炉は術者に合わせて細やかな調整が行われる。今回、それを完全に飛ばして三笠は魔力炉を使った。その点が三笠は不安でならない。
「……あ、っく」
不意に胸の内が焼けるように痛み始める。
「それ見たことか」
三笠にもその痛みの正体は分かった。
──炉心の暴走だ。
無秩序に魔力が生み出され、それは魔術で接続された三笠の身体を蝕んでいく。
(解除しないと、でも今解除すれば無防備な状態に……)
生命の危機を感じている。耳元で心音がのたうつ。ジワリと飲み込まれていきそうになる自我を必死に捕まえながら、三笠は術式を一つ一つ解いていった。術式の消えた体はどんどんと重くなっていく。そのうち、踏ん張ることすらできずに三笠は地面に倒れ込んだ。
無防備になったその瞬間を狙い撃つべく、男の元から黒い波が立ち上がる。先を尖らせた高波は一直線に三笠の元へと向かう。
「させ、るかッ!」
その前に初瀬が立ちはだかり、一気に魔力を解放する。それは水郷祭の花火のように、勢いよく魔力が花開いて弾けて飛び跳ねる。爆発的に発生した魔力は一気に黒い波を押し返した。何かが焦げるような、嫌なにおいが地に伏せる三笠の鼻をついた。
男の方から舌打ちが聞こえる。
そのまま激しい白兵戦が繰り広げられた。斬りかかっては斬り返し、受け流してまた突っ込む。初瀬の動きは明らかに時間を稼ぐときのそれだった。男も初瀬の意図に気が付いたのだろう。
「!」
強い金属音と共に刀が宙を飛ぶ。
一瞬の間ができる。大きな隙ができた。その場の誰もがそう思った。
しかし彼女は隠し持っていた拳銃を素早く抜いて構えた。それに驚いたのだろう。男も動きを一瞬止める。
三発分、銃声が響く。
「……当たらないか」
初瀬は悔しそうに顔を歪めながら、男を睨みつけた。男はというと、身じろぎもせずにそこに立っている。
「次動いたら撃つ」
警告は手短に、はっきりと告げられた。
静寂はどっしりとその場を重く締め付ける。二人は息を止めて彼の反応を伺う。男は両手を上げるわけでもなく、かといって攻撃を仕掛ける様子もなくたたただ黙ってそこに立っている。初瀬はそれが不気味でならなかった。早々に決着を付けようと指を動かした、その時だった。
「……は!?」
初瀬の斜め後ろ、ちょうど死角になっている場所。そこを見えない何かが刺し穿つ。野性的な勘を持つ初瀬でも、見えない何者かの接近を察知することはできなかった。その表情は驚愕に満ちている。嫌に鮮やかな鮮血が舞い、白雪を染める。
彼女の手から転がり落ちた拳銃は、三笠のちょうど目の前にやって来る。
そこからは無我夢中だった。黒く冷たいそれを拾い上げて、まず最初に初瀬を刺す何者かを撃つ。幸か不幸か初瀬の血でその形は綺麗に浮かび上がっていた。二発。そのどちらもが命中し、透明な何かの身体を弾けさせる。
そして、もう一度構えなおし、男へ向けた。ボロボロの姿に見合わない、妙に綺麗な所作で拳銃を構える三笠の横顔は初瀬が見たこともないほど冴えていた。
「……そんなに死に急がなくても」
「いいえ、僕は死ぬつもりなんてありません……!」
──だって死ぬのはお前だから!
その言葉の代わりに三笠は引き金に指をかけた。狙いはしっかりと、急所へと。
「ぐ、この!」
マズい、そう直感した初瀬は軋む身体を無理やり起こし、こぶしを握り締めた。予備動作一つなく指へ力が込められる。コンマ一秒、銃声と共に三笠は初瀬に殴り倒された。初瀬も一緒に倒れ込む。銃弾はあらぬ方向へと飛んでいく。初瀬は三笠にヘッドロックをかけるような形で床に押さえ込んだ。
「てっめぇ……それ誰が責任問われると思って……!」
「う、ぐぅ、ちょ……」
満身創痍のはずの初瀬は歯を食いしばり腕に力を込める。その馬鹿力に三笠はたまらず拳銃を手放す。がちゃり、と地面に落ちる音がすると同時に初瀬は脱力した。派手に動いたせいか治まりかけていた出血が再びその激しさを増す。後悔と怒りと、その他諸々の感情が混濁した頭の中で渦巻いた。体温が流れ出ていく感覚に身を震わせる。三笠の方は初瀬の締め上げによって気絶したらしく起き上がる様子はない。胸の上に乗ったままの腕からは鼓動を感じられる。生きていることはすぐに分かった。それが確信できた瞬間、初瀬も電源が落ちるようにして意識を手放した。
──遠くの方で富士が何やら叫んでいる声がした。
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