第25話「救出作戦」

「よし、とりあえず準備はいいな。さっき説明した通り、最大で三十分の活動が可能だ。それ以上は必ず襲撃されると思ってくれ」


 ぐるりと集まった魔術師たちを見回し、話を切ったのは富士だった。初瀬は先ほどの説明を書き取ったメモを見返しながら脳内で要点を反芻する。


「無茶はしないこと。遺体があったら、できる限り持って帰ってきて欲しいが……身の安全を第一に行動して欲しいからな。とにかく帰って来ること。普段所属は別だが、今回こうやって協力し合う以上はこちらの方針に沿ってもらうことになる。まぁ、沿わなかったやつは例外なく死ぬと思え。以上」


 話が終わり、各々が八雲山へ出ていくための準備を始める。


 十二月二十九日、十六時過ぎ。救助隊増員に伴って派遣された初瀬と三笠はようやくその準備を終えた。他にも何人か魔術師が集まったが、お世辞にも多いとは言えない数だ。作業効率重視ために少数でチームを組み、哨戒と先行調査隊の捜索を行うことになった。


 五合目、もとい山の中腹より下はすでに捜索済みで、目的は達成されていない。しかし中腹より上、特に山頂付近では『黒い何か』に遭遇する確率が高く、捜索どころではないという問題があった。


 そこで安全の確保できている五合目に仮拠点を置き、そこから繰り返し捜索の手を伸ばすことで安否不明となった彼らを探そうという作戦だ。


「……初瀬、本当によかったの?」

「何がよ」


 不安げに初瀬の顔を覗き込んだ三笠に、初瀬は反射的に聞き返す。


「本当は仕事の範疇じゃないんだろ? 松島さんはああ言ってたけど……」

「あぁ……確かに、今のわたしは出しゃばっているだろうなぁ。こんなの『刑事としての本来の仕事からは乖離している』ってね」


 出雲へ出かける直前のことだった。松島が初瀬にこう耳打ちしたのだ。


『本当はね、ゼロの仕事ではないの。でも今回、試験的にその枠を広げてみようと思って。貴方だって黙って見ているのは嫌な性分でしょう? 私もだから、何かしら行動できないかと思ってね。本来なら私が行くべきなんだけど』


「……正直なところ、どこか引っかかるけど。わたしは納得しているよ」


 そう初瀬が返すと、三笠は少しほっとしたようにその顔を緩めた。それでもどこか、不安は残るらしくその目の色は冴えない。これからへの不安からなのか、それとも別のモノのせいなのか初瀬には判断が付かなかった。




「これは確かに迷ってもしょうがない気が……」


 山に立ち入ってすぐに、三笠は小さくそう呟いた。牛乳を垂らしたような、真っ白な世界。見たこともないような、怪しい濃霧の世界に二人は息を飲んだ。


「五合目に行くのですらきっついな……」


 そこそこの高さの山であると聞いていた初瀬は、私服の中でもアウトドアに向いたものを着てきていた。それでもこの霧の前では甘かったかと思わせられてしまう。


(……まぁ、あまり重装備でもよくないか)


 己を落ち着けるように、内心でそう呟く。それから黙々と歩き、少し開けた場所……目的の五合目が見えてくる。そこから段々と霧の持つ魔力も増えているように感じる。


 時計と睨み合いをしながら二人は足早に獣道を駆けた。行って帰って来ることを考えれば、進むことができるのは最初の十五分の内だけだ。例の黒い何かに抵抗する手段が見つかっていない今は、それ以上の無茶はしてはいけない。


 勇み足を抑えながらも進んでいく初瀬は、ふとその足を止めた。


「うわっ」


 あまりにも急な停止に三笠は反応できずにその背にぶつかる。軽くはない衝撃が初瀬の身を襲った。


「ちょっと」

「ご、ごめ……」


 小さく言われた文句の言葉もすぐに濃霧に吸い込まれていった。前方、二十メートルほど先だろうか。


「……誰かいる」


 初瀬のその言葉に三笠も黙ってそちらを見る。警戒心は最大に、いつでも逃げられるように体の用意をしながら二人はそちらへと進んだ。段々と、その気配の正体が明らかになっていく。


 そこにいたのは、木に身体をもたれかからせた一人の人間だった。血まみれで、どう見ても軽傷ではない。息はしているように見える。しかしその目が開いているかは、近づかないと分からない。


「……よし。三笠。いつでも攻撃できるようにして」


 状況を見た初瀬はすぐにそう判断した。


「え、わ、わかった」


 少し驚きながら準備をする三笠を横目に初瀬は状況を分析する。


(もし敵でも、近距離ならわたしが対応できる。逆にするとマズいから……後ろの道が狭いのが嫌だな。戦いはできるだけ避けて、逃げるしかないか)


 緊張を保ちながら初瀬は一歩ずつそちらへ向かう。そして、すぐ手が触れるという位置まで近づく。


「……だ、れ」


 か細い声で、女は初瀬に尋ねた。どう見ても瀕死だ。初瀬の知る基本的な応急手当ではまず意味を成さないであろう重傷だ。その状態に小さく爪を噛む。が、その状況はすぐに覆った。


 背後、少し下の方だ。そこから声がしたのだ。


(まだ下に誰か──!?)


 完全に不意打ちだった。不意に、重傷に見えた女が起き上がり初瀬の首に手をかけた。


 そのまま二人はもみ合うようにして斜面を転がっていく。三笠がなにか言っているのが聞こえたが、意味のある音として聞き取れない。


「っく!?」


 転がる体が止まったかと思えば、血だらけの女は初瀬に馬乗りになるようにしてその手に力を込めた。ギリ、と嫌に肌と肌がこすれ合う音がする。初瀬は必死にその手をはがそうと掴みかかった。


(な、強い!?)


 思わぬ相手の剛力を前に初瀬の抵抗は空しく、段々と視界が狭まっていく。生存本能が首元へ手を行かせる。全神経が胸から上へ集中しているかのように、下半身は地を蹴ることしかできない。


 必死にその指をはがそうとするがその手は指が逆に曲がろうとも、どんなに爪を立てられようとも力を緩めることは無い。回らない首のせいで、己を絞殺しようとする者と目が合ってしまう。ぱちり、と冷たい瞳が瞬きをした。




 ──反撃の手がしっかりとその顔を掴んだ。親指はちょうど、瞬きの少ない瞳の真下に置かれている。それを力づくで上へ動かしていく。そしてそのまま、初瀬は力いっぱい指を、肉の間に差し込んだ。


 指を手の甲を伝って黒い液体が滴り落ちる。冷たいそれは初瀬の胸元にシミを作っていく。少しだけ、一瞬だけ相手の手が緩められた。その隙を突いて一気に腕を振るって身を捻る。這うようにして距離を取って思い切り咳き込む。涙で視界が歪むが、それを手の甲で拭って情報を得ようと必死にまなこを開く。


 斜面を転がった拍子に刀は手元を離れてしまった。それを探しながら相手の動きを探る。


 顔を上げると同時に女も体勢を立て直す。薄霧の向こうでふらりと立ち上がったのが見えた。必死に次の手を考えるが、それを思いつく前に女が初瀬に向かって駆け出した。


「お前……!」


 突進してきた女が持っていたのは、初瀬の刀だった。鞘を投げ棄て、白刃を掲げる。


 大雑把な斬撃を初瀬はひらりと躱した。力は強い様子だが、技術は素人そのものらしい。そのまま初瀬は女が投げ棄てた鞘の方を目指して走り出す。


 淀んだ空気は風が全く無いせいか流れることなくこの場にとどまっている。せめて霧が無ければ、と初瀬は考えるがどうしようもないことだ。そうこうしている間に女が初瀬に追いつかんと加速した。


「──取った!」


 滑り込むようにして鞘を地面から掻っ攫い、そのまま膝をついて迎撃体勢を取る。そこへちょうど、女が力強く斬りかかってきた。それを鞘で受け止め、そのまま右後ろに受け流す。そして、その腰元に思い切って体当たりを仕掛けた。


 ぐら、と彼女が姿勢を崩す。力は向こうがやや上だが、体格では初瀬の方が勝っている。勢いに乗った初瀬はその手から刀を奪い返そうとするが、女が急に動きを変えたためにその手は空を掴んだ。


 再び二人は対峙する。初瀬が不利な状況であることに少しも変わりはない。


「!」


 初瀬の安心を裏切るかのように魔力が動いた。華やかな魔力は削がれた刃に沿うように、薄刃を作り出す。すぐにそれが、初瀬の魔道具本来の使い方であることが読み取れた。緊張の糸が張り詰めて、どっと冷や汗が噴き出す。


(最悪だ……鞘だけじゃ太刀打ちどころか負けるじゃない!)


 身構える初瀬に向かって女がまた斬りかかる。法則性のない動きに翻弄されながらも、何とか初瀬はそれを回避し続ける。が、緩やかな斜面であることが祟り疲労は確実に積み重なっていく。先ほどの声の主のこともあるし、そもそもここで時間をかけるわけにはいかない。


(つっても対抗手段が何もない──!)


 唇を噛みながらも爪を研ぐ。忍ばせていた小型ナイフがあることを確認し、息を吐く。向こうも激しい攻撃の後だからか、静止して初瀬の方を見つめている。それをチャンスと前向きに捉えて、初瀬は勢いよく地面を蹴った。坂道の、初瀬の少し上の方に立つ女に向かって一直線に突っ込む。ぐっと踏み込めば柔らかい地面は少し抉れた。片手で刀を構える女の、その懐に入り込むべく加速する。女は初瀬の首目掛けて刀を突き出すが、その狙いは外れ、初瀬の左肩を軽く切り裂く程度にとどまった。


 女が伸ばしたその腕に掴みかかり、足払いをかけて坂の下へと転ばせようとする。しかし向こうもそうはさせまいと踏ん張っている。


「っこの、いい加減に……! 転べ!」


 掴んだ腕を引っ張って、無防備な背を暴く。その背に取り付くようにして初瀬はその腕を、胴を抑え込む。


 肩で息をしながらその動きが完全に封じれたことを理解した。


「初瀬!」


 少し遠くでザザッと落ち葉を踏み分ける音がした。


「遅い! 何してんだこの……」


 その声の方へ向かって文句を言いかけた初瀬だったが、寸でのところで抑え込む。感情任せに言葉を使うのはよろしくないと、内心で三回唱えて息を吐く。少し落ち着いたがそれと同時に傷が痛み始めた。女は未だに刀を持っているが、魔術の効果は切れているらしく元の刃の削がれたそれに戻っていた。


「ご、ごめ」

「反省会は後。とりあえずこいつから刀取って。あとあんたザイル持ってたでしょ。それ出して」

「わ、わかった」


 初瀬の指示に従って三笠は、まずザイルを鞄から取り出して渡した。初瀬はそれを使って女を縛り上げようとした。が。


「……?」

「え、どうしたの」

「なんか……死んでる……?」

「えっ?」


 初瀬は目を丸くしながら女の脈を確認する。散々蹴ったり殴ったり、目を潰すなどしておいて今更な感じもするが。


「死んでるわ……」


 息を飲んだ。三笠も口元に手を持って行きながら初瀬の抑え込む女を覗き込む。そして小さくあっと声を上げた。


「初瀬。これ、人じゃないよ。魔術で操作する専用の人形じゃないかな」

「はぁ? こんなにリアルなのに? 肉感とかそれっぽかったのに?」


 三笠の言葉に初瀬は思わず反論した。肉感は人間そのものであったし、今だってそう思える。彼女が流した血は今でも初瀬の胸元を汚している。


「でも……なんだろう、姿を写す魔術とか使ってるのかな」


 三笠がそう考察しながら女をペタペタと触る。が、彼はすぐにその手を引っ込めた。みるみるうちに三笠の顔から血の気が引いていく。


「ちょっと、なに?」

「ご、ごめん……違う。人形じゃなくて、ホンモノだ……」

「本物……はっ? ちょっと。それってどういう──」


 掴みかかるような勢いで初瀬は三笠に問い詰める。三笠は目を泳がせながら困惑した様子でそれに答える。


「悪いけど僕も詳しくは知らない。動いてるところが見れたのは一瞬だったし」

「どっちが先なの──」

「どっちって、ど……あ。えっと……この手のは……どうだろう、死んでからも生きている間でもできる、けど……」


 どちらにせよ不愉快だ。初瀬はそう口にはしなかったものの、術者を心の内で軽蔑した。三笠も神妙な顔をして手を合わせた。そういうことだったのか、と三笠は納得する。初瀬が城山で目撃した人物が、後日三笠の前に現れてあんな最期を迎えたのは。おそらくこの魔術が使われていたのだろう。内に巣食い、自我を奪うもの。


(……モズ、想定以上に器用な魔術師だ)


 そんな相手を、自分がどうにかできるものなのだろうか。不安が募る。


 表情を曇らせた三笠の内心を知らぬ初瀬は、不意に顔を上げて質問を投げかける。


「なぁ、そういえばだけど。どっかそっちの方に人いなかった?」

「僕は見てないけど……誰かいたの?」

「突き落とされる直前に声がしたから、誰かいると思ったんだよね。見たいけど時間がもう無いか……」

「そうだね。僕が見た限りでは誰もいなかったと思うけど……」


 時計を見てみれば、残り十分ほどだった。これ以上は戻ることですら難しくなってしまうだろう。初瀬は三笠に確認をする。


「この人は先行隊の人? 三笠分かる?」

「ちょっと待って。確かリストがあるから、それと名札を……うん。この人はそうっぽい。連れて行かないと。でもどうする? このままだと僕らも危ないと思うけど。連れて行く?」


 三笠の問いかけに初瀬はかぶりを振った。


「いや、一度置いて行く。帰ってここにいることを伝えないと。三笠、何か目印にできるもの持ってる?」

「それなら専用の魔道具を貰ってるよ。これを設置しておこうか」


 そう言いながら三笠が取り出したのは小さな三角コーンのような魔道具だった。その内側には複雑な文様が刻み込まれている。三笠が地面に置くと三角コーンはすっと景色に溶けるようにして消えた。


「専用の道具さえあれば見つけられるし、ナビゲートも可能だから。……こういう使役系の魔術は基本一回きりだから、もう一度利用されるっていう心配も無いと思う」


 初瀬の不安を読み取ったのか、三笠は最後にそう付け加えた。


「……そうか。じゃあ行こう」

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