第21話「二森とヒルコ」

 春河と別れた後に初瀬は三笠と合流した。その後いくつか駆除の仕事をこなし、少しの休憩時間に入ることになった。かなりスペクターとの戦い方に慣れてきた初瀬だったが、今朝春河に話した通り、魔道具である刀の刃こぼれが酷くなっている。心なしか切れ味も悪いように感じ始めていた。一番最後の駆除の際には刃物としての機能が完全に失われてしまい、初瀬はスペクターをほぼ力づくで叩きのめした。そのせいか疲労もいつもより割り増しだ。


「ごめん、僕が応急修理くらいできたらよかったんだけど」

「さすがに専門外じゃないの? まぁ、くれた人のところに持って行くのがいいんだろうけど……どこにいるのか分からないし」


 そう言って初瀬は首を横に振る。


「そうなんだ。その人は魔道具師?」

「さぁ……本当に数回しか会ったことなくって」

「な、なんというか怪しい気もするけど……」

「まぁ今考えれば怪しい所しかなかったなぁ。鳩の被り物被ってたし、ポケットから飴を出してずっと食べてたし……」


 恩人の特徴を羅列していく。思えば思うほど不審者である要素を詰め込んでいる。声は女性のものであったが身体つきは特別女っぽい感じでもなかった。かと言って男性的な要素はほとんどなく、喋り口調はよくある仙人キャラのようなものであった。


「な、なんかすごい人だね……それなら目立ってフラワーおじさんみたいに噂になってそうだけどなぁ」

「そうなんだよね。でもそれからその人っぽい話も聞いたことないし」


 そんなことを話しているうちに目的の日の出堂に着く。相変わらず周りに人はいない。寂れているようにも見えてしまう。三笠たちが口をそろえてここは評判がいいと言うのだから、この魔道具も何とかしてくれるだろう。半分藁にもすがるような思いでその敷居をまたぐ。


「あ、いらっしゃいませー! 三笠さんと、この前のお姉さんですね。今日はどうされましたか?」


 そんな調子のいい、よく通る声で出迎えたのは先日と同じ鷦鷯明里だった。


「あ、いや。今日は僕じゃなくて……」

「すみません。わたしです」

「あ、そうでしたか! それではとりあえずこちらへ……」


 鷦鷯明里に初瀬たちは奥の部屋へと通された。この部屋は接客に使うらしく、玄関口と比べてだいぶ物が少ない。


「それで、今日はどういったご用件で?」


 茶の用意を済ませた鷦鷯明里はにこやかにそう言った。ひどく愛想のいい子だ。その笑顔にどこかほっとさせられる。


「わたしの使っている魔道具が限界みたいで……もう手遅れかもしれないんですけど、直せるかどうか見てもらおうと思いまして」

「なるほどです……一旦お預かりしてもいいですか?」

「はい。お願いします」


 そんなやり取りをして鷦鷯明里は初瀬の刀を受け取った。鞘から抜かれたその白刃はところどころ刃こぼれしている。連日の連戦、激闘によってついたであろう誉傷がいくつもできている。美術品であれば有名武将が使ったモノでない限り、傷物として扱われてしまうだろう。


「こ、れは……なかなか使い込まれていますね。それでも何と言うか、元々戦闘用だったのでしょうけど……かなり荒々しいといいますかなんといいますか……」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら鷦鷯明里はその魔道具を眺めている。恐らく何かしら独り言が出てしまう癖があるのだろう。三笠も初瀬も黙って彼女の返答を待つ。


「あの、こちらは一体どこで……どう見ても魔道具というより生き物、なのですが」


 ひとしきり刀を眺め、鞘に納めた後に鷦鷯明里は控えめにこう尋ねてきた。『生き物』という言葉に初瀬はぎょっとする。


「い、生き物ですか。これはわたしが高校生のときに……大体八、九年前に公園で人から貰ったものなんです」

「も、貰ったんですか!? こんな値打ち物をですか!? あ、すみません。落ち着きます」


 初瀬の返答を聞いた鷦鷯明里は思わず、といった様子で机を叩いて瞬きを繰り返した。すぐさま大きく深呼吸をした彼女はゆっくりと口を開く。


「……こちら、魔道具とおっしゃいましたが完全に魔道具とは言い難いもの、だと思います。すみません。私ではなく師匠であればすぐに分かると思うのですが、私自身初めて見るものですから……それで、こちらの刀ですが本来であれば自己修復能力があると思います」

「え、えぇ……?」


 思わぬ事実に初瀬は混乱する。


「その、さっきも言ったんですけどこれはスペクターの一種を憑依させた魔道具……というよりスペクターに近いモノだと思います。これ、戦闘以外に一体何に使われているのですか?」


 鷦鷯明里は心底気になる、と目を輝かせて初瀬に詰め寄った。


「これは……この刀を鞘に納めていれば、ギフトが抑えられる、って聞いてたけど……」


 刀を貰ったその当時に言われた言葉をそのまま口にする。それを聞いた鷦鷯明里は小さく息を飲んだ。


「は、初瀬さんのギフトについて伺っても……?」

「ま、魔力生成」


 初瀬の返事を聞くなり鷦鷯明里は立ち上がった。そしてそのまま奥へ引っ込んでしまう。彼女が入っていった奥の方からはごたごたとしきりに物を動かす音が聞こえる。その音も次第にしなくなり、完全に静かになった後に彼女は接客室に戻って来た。手には何やら紙束と分厚い本を持っている。


「すみません。恐らくですがこちらの魔道具類だと思います。魔道具、というよりはやっぱりスペクターなんですけど……」


 そう言いながら鷦鷯明里は手に持っていた紙束を初瀬たちに見せた。そこには手書きの文字で『竜食い』と書かれている。


「形状は様々なんですけど、大体武器類の形をしているそうです。使用者の魔力を勝手に食ってしまう、という重大な欠点がありまして……初瀬さんにそれを渡した方は、その欠点を補える、と思って初瀬さんにこれを渡したのでしょうか。とにかく癖が強く、あまり数も存在していないんです」


 鷦鷯明里の説明を聞いて初瀬の脳内に電流が走った。初瀬のギフトで生成される魔力をこの刀が食べていたために、初瀬自身ギフトが働いていないと錯覚していたのだ。通常通り今も生成されているであろう魔力は全てこの刀の腹(?)の中に収まっていたのだろう。


「それじゃあ……修理は難しいですか?」

「本来ならそうなんですけど、幸い材料はあるので応急修理くらいであればどうにかなります。さっきも言った通り、本来であればこの刀はスペクターです。魔力さえ食べていれば自己修復能力が働くはずです。……今は働いていませんが」

「あ、あらら……」

「とりあえず自己修復能力が戻るように少しいじってみます。本当は師匠に見てもらいたいのですが……生憎、師匠はお出かけ中でして。一応連絡してみます。本当は預かりたいですけど……お仕事、ありますよね?」

「そう、ですね……まだまだありそうです」

「分かりました。それでは三十分ほどお時間いただきます」

「うん、ありがとう」


 鷦鷯明里は恭しく一礼した。初瀬はそんな彼女に前金を渡して礼を言う。


「そんじゃ次行くよ、次」

「次!?」


 ぎょっとする三笠を置いて初瀬は県警へ向かった。



 県警のこれまた端の方、零課の反対側に位置する部屋へと初瀬は一直線に向かう。この場所へ来るのは一週間ぶりだ。心なしか雰囲気が暗いその部屋の前に立つ。後ろから慌てて駆けてきた三笠の呼吸が整うのを待つ。


「こ、ここは?」

「入れば分かるよ。ただまあ、ちょっと問題があって。特に人格。色々と逃げ出したくなるかもしれないけど我慢して」

「え? どういうこと?」


 嫌な予感と困惑に眉根を寄せる三笠を放って、初瀬はその戸を開けた。


「うわぁっ! びっくりした! 静かに開けてっていつも言ってるじゃん!」


 戸の向こうで騒いでいるのは髪の長い男だった。男は『働いたら負け』と書かれたTシャツを着ており、警察署内であることを忘れてしまいそうになる。毎回毎回、この部屋へ入るたびに初瀬は「他人の部屋に間違えて入った」と罪悪感を一瞬だけ覚えてしまう。


「いい加減にしてください。ここは神聖な仕事場じゃないんですか?」

「はえー……年末に引っ張り出しておきながら何を言ってんだか……」


 初瀬の言葉に、男は不満そうに口先を曲げた。そこそこの長さのある後ろ髪を右で一つにまとめているこの男──二森翼にもりつばさはやっと立ち上がった。その様子を見届けた初瀬は少し大げさにため息をつく。


「残念ですね。今回もちゃんとお礼を持って来たんですけど」


 ぴくり、と二森の眉が動く。


「それなら話は早いね。また男を連れて来たもんだから何か絞られるのかと思ったよ」

「男? あぁ……これはただの部下です。あの時は貴方が変にもったいぶったからでしょう」

「違う違う。アレは──いや、いいや。とりあえずそっちの人に自己紹介ね。俺は二森翼。一応鑑識やらせてもらってまーす。御宅はどちらさん? 一課?」


 さらりと自己紹介を済ませた二森は三笠に詰め寄る。いつもの距離感が測れない二森の悪い癖だが、初瀬は相手が三笠であることを理由に、散らかり放題の机の上を覗く。


「いや、僕は警察の人ではではないので……」


 両手を前に出し、控えめに三笠は答える。


「え? 普通の人? ちょっと、初瀬さーん?」

「なんですか」

「どういうこと? 本当に本当の彼氏を連れて来たってコト?」

「そいつ魔術師ですよ。わたし今は故あって零の手伝いをしてるんです。だからそれは同僚ですよ。それでモズ関連の結果はどこにあるんです? この辺ですか?」


 困惑する二森を放ったまま初瀬は机を漁ろうとする。その手を二森が掴んで止めた。


「ちょ、ちょ止まって! 勝手に触んないの! ていうかゼロに異動したの!?」

「手伝いです。異動じゃありません」

「ふーん、なるほど……さては上のゴタゴタに巻き込まれたね?」

「そうらしいですよ」


 初瀬の言葉に二森はやれやれ、と軽くリアクションをした。


「それでモズの何が知りたいの? ま、今あるのはヒルコの解析結果だけだけども」


 あっさりと異動の話を終えた二森はシャツの裾を直しながら二人に訊く。この切り替えの早さに三笠はついていけない様子だが、待っていられるほど暇でもない。


「それでいいです。教えてください」

「はいはい。ちょっと片付けるから待ってて」


 そう言って二森は机と床上を片付け始める。その頃合いを見計らって三笠が小声で初瀬に話しかけた。


「人格に問題があるって距離感が近過ぎるってこと? そんな逃げ出したくなるって程でもなかったと思うんだけど」

「それもだけど、もっとヤバいのがある」

「え?」


 三笠が身を固めるのを見て初瀬は思わず吹き出しそうになる。ここまでは何の問題でもない。距離感がおかしい人間なんて一定数──三十人に一人くらいは必ずいる。さして珍しくもない。


 そんなやり取りをしているうちに二森がホワイトボードを引きずってきた。それを二人の前に設置した後に彼は写真をそこへ貼り始める。


「そんでヒルコの話だよね。解析したのは雑賀里香の身体に残ってたやつと、廊下で硬化してたやつね。どこからどこまで聞きたいの? 一応この辺の魔術も齧ってるけど」

「そうだったんですか。さすがですね……」


 二森は距離感が少し近過ぎるが、かなり勤勉な人間だ。当たり前のように提案されたヒルコの話をするよう頼んでしまったが、さらりと流したということはそれなりに自信のある分野なのだろう。少しの期待も込めて頷き、初瀬は話の続きを促した。


「そもそもの話、このヒルコ変なんだよ。本当はこんな風に硬くなったりしないんだって。調べてみた感じ、基本は液体みたい」

「ってことは? 三笠」

「え、えぇーと、そういう魔術を使ったのかな」


 急に話を振られた三笠は困惑しながらもそう答えた。すると二森は満足げに大きく頷いて話を続ける。


「そう! つまりこうなる魔術を使ったって話ね。しかも変質させるタイプのヤツ。変化じゃないよ。変質ね。ナマ卵煮てそのまま放置! っていうのが近いかな。この場合はお湯が魔術だよ」

「へぇ、そうなんですね」


 初瀬は頷きながらメモを取る。もちろん例え話のくだりは抜いてだ。


「そんで解剖の結果から鑑みて、恐らくヒルコは被害者の血管、それも内蔵辺りのちょっと太めのヤツの内側から出た感じかな。まぁ即死だよね」


 そう淡々と話しながら二森は一枚の写真を貼る。マグネットで留められたそれは現場で撮られたであろう遺体の写真だった。その凄惨な画面に二人は息を飲んだ。


「どこから侵入したのかは分からないけど、ヒルコの性質を考えるなら経口か傷口からの侵入かのどっちかだと思う」

「経口、ですか……」


 ここで三笠が少し唸った。それを二森は見逃さない。


「経口はあり得ないって?」

「あ、いや、そんなんじゃないです! あぁでも、そうと言えばそうかもしれないですけど……祖父母は他人から貰ったものはあまり食べなかったので、それだと変だなって思いまして……」

「祖父母? ていうか名前聞いてなかったね。名前は?」

「み、三笠です。三笠冬吾」

「ミカサ……どっかで聞いたような」


 三笠の名前を聞くなり二森は話を中断して書類を漁ろうとする。初瀬はそれを片手で制しながら説明を加える。


「こいつは八年前の事件の被害者家族、被害者たちの孫です。たぶん二森さんが思い浮かべている三笠で合っていると思います。話を続けてください」

「あぁ! そういうこと。そうだね。話を戻すけど経口に関しては疑問視されている点がいくつもある。いくら自在に操れるからといっても、ヒルコはミクロ単位で小さくなれるとかそういうものじゃないからね。でもどうしてか体の内からこう……炸裂した形になってるわけよ」

「それはもう確定なんですか?」

「確定。解剖で判明してるからね。かなりの勢いで炸裂したっぽいんだよ」

「それなら、切りつけてヒルコを忍ばせて、それから──っていうのはできそうですか?」

「うわ……」

「えー……」


 二森も三笠もドン引きしている。三笠は特にその時の光景を思い出してしまったのか少し青い顔をしている。二森は少しだけわざとらしい咳払いをしたのちに頷いた。


「できるだろうね。その説は鑑識内でも出てた。あんま想像はしたくないなぁ。それで本題。このヒルコの術者なんだけど、知り合いの魔術師に当たりまくって訊いてみたんだよ。これって難しいー? って。そしたらなんて返ってきたと思う? 『そもそもヒルコとかマイナー過ぎ』とか『一瞬で変質・硬化ってかなりの術者じゃない?』だって」

「……」


 二森はヤレヤレ、と大袈裟にジェスチャーをする。その目は初瀬に向かって『止めておけ』と言っている。その意を汲み取ってなお、初瀬は続きを促した。


「まぁ悪いことは言わないよ。初瀬さんに関してはどうせ意味は無いと思うけど、一応言っておくね。やっぱりモズは手強い魔術師だ。何よりどんな方法で殺したのか分かっていないから尚更ね。……追いかけるにはあまりにも強大だと思う。ただの人間ならともかく、相手は正体不明の魔術師。初瀬さんは? 魔術師じゃないでしょ。ゼロの手伝いって言ってもここまで深追いするほど人手が足りないわけではないんでしょ?」

「それは……そうですね。でも、これでもわたしは刑事ですから。事件解決ができるように身を粉にして働くだけです」


 珍しい二森の忠告に初瀬はいつも通り返した。『わたしはわたし』そう訴える目に負けたのか二森は床に視線を一瞬だけ落した。そして。


「さて! それではお楽しみの時間といこうか……! お礼はあるんだよね! これまだ一課の連中にも零課のウラくんにも言ってないことだから、そりゃもうとびっきりの──!」


 テンションを急上昇させ、早口で彼はそう言った。逸る気持ちが抑えられない。そう言わんばかりにホワイトボートを叩いている。珍しいこともあるものだ。彼が人を本気で心配するなんて、と思ったのが急に馬鹿らしく思えてきてしまう。そしてやはり、二森のテンションについていけなかったのか三笠は瞬きを繰り返しながらフリーズしていた。だがこれは序の口。ここからが勝負だ。


「下着!」

「!?!?!?!?!?」


 驚きのあまり三笠が派手な音を立てて椅子から転げ落ちてしまった。初瀬はそれを横目で見ながら、持って来た紙袋を二森に差し出した。


「前に言っていたメーカーのやつを探してきました。サイズは言われなかったので適当に」

「やったー! 助かるよ、やっぱ要注意人物認定されちゃってるみたいでさー。あ、あとでレシート送っといて。お金返すから」

「ちょ、え? 何ですか!? ソレ、何なんですかッ!?」


 三笠が膝を付いたまま紙袋を指さす。


「女性ものの、下着。こいつはそういう趣味なんだよ」

「えっ、えっ、え…………?」


 初瀬が紙袋を指さしながらそう告げると三笠は「信じられない」といった顔をして尻もちを付いたまま後ずさりをした。そんな様子の三笠に、二森が寄って行く。


「あ、もちろん新品だよー。何が楽しくて使用済みを貰わなきゃいけないのさ。そういうのに興味は無いんだよ」

「えぇ……?」

「あれ? もしかして変態だって思われたの……? 心外だよ。あのさ、大人しそうなザ、草食系です! って顔して意外とむっつりだったりするの? 君は」

「ちっがいます! いや、普通びっくりするでしょう! 目の前でそんなやり取りされたら! しかも仕事仲間の!」


 二森の返しに三笠は耳を赤くしながら強気に言い返す。初瀬はそれを腕を組んで眺めていた。それもそうだ。初瀬はこの二森という男にすっかり慣れてしまったが、初見時はこうだった。なんとなく懐かしさを覚えながら顛末を見守る。


「まぁまぁ、落ち着けって。何も俺は他人を害そうというワケじゃないからさ。ただ単純に設計が素晴らしいから集めたいだけ。ほら、見てみなよ。これはオーダーメイドじゃないから一人一人に合わせた造形とは言えないんだけどさぁ。それでも重力に上手く逆らうように、バストを支えるようにできているこの空間が」

「聞いてないですって!」

「……二森さん、その辺で。今仕事中なんですから」


 さすがに三笠がかわいそうになってきたので、初瀬は間に割って入り二森を止める。彼は話を止められたからといって不機嫌になることはなく、そそくさと大人しく元居た場所に戻った。紙袋はしっかりと大事そうに両手で抱えているが。


「もう……なんなんですか……」

「あんたもしゃきっとしてよ。この程度、魔術師内じゃ珍しくないんじゃないの?」

「それはとんでもない偏見だって! なんでそんな慣れてるのか全然分かんないんだけど……っ!」


 三笠自身混乱しているのか、強い口調でそう突っ込む。その顔は酷い困り顔だった。そんな彼の肩を二、三度叩いてから初瀬は話を戻す。


「はいはい。それで二森さん。まだありますよね、言ってないこと」

「あるね。でもまぁ、報酬は貰ったし、次もよろしくってことで特別に教えてあげよう。先にバラしたのは俺的にも面倒だから当然言わない。いつもどおーり、ね!」


 わざとらしくウインクをする二森に初瀬はほっと息をついた。これまでも何度かこうして彼の求めるものを代わりに買ってきていたが、二森が「先に情報を渡す、渡したことは言わない」という約束を違えたことはない。どうしようもない変人ではあるが信頼はできる。


「助かります」

「いいよいいよ。俺もそっちも男所帯で思うようにいかないことあるし。──それで、ヒルコを使うってことで、雑賀さんを殺したのはモズで間違いないと思う。断言できる。他に複数の魔術師が関わっているかもしれないけど、ヤツがいるのは間違いないんじゃないかな」

「そ、れは……」

「ま、それが分かっただけでも結構な進歩でしょ? どうするかはそちらに任せるんだけど」

「そうですね。ありがとうございます」


 淡々と返す初瀬の横で三笠は戦慄していた。何度も何度もあの男に自分は会っていたということだ。今まで生き延びれたのは幸運だったのだろう。次があることを考えると気が重くなる。変な緊張感を飲み込もうとする三笠の横で二森は机を指で叩く。


「そうそうヒルコとのことなんだけど、他にも分かってることがあるんだ。ま、これは俺の独自の見解もあっての話なんだけど」


 ふと、真面目な表情になって二森は話を切り出した。


「このヒルコなんだけど、変質させるには魔術以外に条件があると思うんだ。そうでなきゃ君らがられていないのは不自然だ。そうだろ?」

「……確かに。その通りですね」


 二森の指摘に三笠も初瀬も頷く。無条件で相手の体内に忍び込み、任意のタイミングで殺すことができるというのなら初瀬も三笠もとっくに死んでいるはずだ。となれば、そうできない理由があると考えるのが妥当と二森は言いたいのだろう。


「んでその条件として考えられるのが一つ。『低温環境であること』かな。元々高山とかの寒冷地や清流に棲んでいるらしくて。ここに変質する前のヒルコがいます」


 そう言って彼が取り出したのは封印がされた試験管だった。その中にはなんと黒くぬめった光を放つ小さなヒルコが入っている。


「これはモズのとは別のヤツ。この前知り合いが魔道具屋から買ったっていうのを買い取ったんだよね。産地は白山だって。ちなみに未開封」

「う、売ってるんですか」


 思わぬものの登場に初瀬も驚いてしまう。スペクターは使い魔として売買されると以前目を通した書類にもあったが、こうして目にするのは初めてだ。


「高かったよー。そんで本題。高温に耐えられないから夏は活動できないんだろうね。牛と一緒で高度のある場所にしかいないんだって。あとそうだね。水が綺麗なところ。そして何より──魔力があるところ。俺が思うに、モズは多くのヒルコを飼っているはずなんだよね」

「あ! 小さくならないヒルコを、一度に持ち歩くのは無理だから……竜脈を利用して飼っているかもしれない、ということですか?」


 三笠がぴんときたのかがばりと立ち上がってそう言った。


「それで竜脈を乗っ取ったり流れを変えたりしているのか……? その影響でスペクターが飢餓状態になって暴れて──」

「待って。それだとちょっと辻褄が合わないな。確かにスペクターが暴れている要因はモズかもしれないけど、そんなリスクを冒してまでやること? いくら魔力がないからって竜骨にトツするとかある?」

「う、それは……確かにそうかも……ヒルコに命狙われてるとかそういうのかもしれないけど、ちょっと無理か」

「ヒルコってこうやって見れるってことは、元々攻撃性はないの?」

「あんまないよ。だって元は出来損ないの神様だから。手も足もない。口も顔もない。出来損ないだって流されたのがヒルコ。環境変化にものすごく弱いらしいよ。その分ちゃんと育てたり管理をしてやったりすればとんでもない隠し玉に化ける、って店主は言ってたらしいけど。そういう手間暇がかかるっていう意味でもマイナーなんだろうねー」


 やれやれ、と大袈裟に二森は首を横に振った。引き続き思考していたであろう三笠はぼそりとまた呟く。


「……んん、違う、逆か? もしかして、八雲山の竜骨にヒルコがいる……?」

「よりによってあそこに?」


 二森がツッコミを入れる。それで三笠は思考が中断されたらしく、顎に手を当てたまま目をぱちくりとさせた。


「よりによって、ですか?」

「うん、まぁヒルコのバックボーン調べてみなよ。まぁ無理ってわけでもないだろうけどさ。でもその説はあると思うよ、俺も。ヒルコって一応自我は持ってるみたいだし。三歳児程度の知能もあるってさ」

「え、じゃあ喋るんですかね」


 初瀬の思い付きで放たれた言葉に、二森は「訓練すれば」と言って頷いた。声帯があるようには見えないが、おそらく作ることができるのだろう。そうとなればなかなか侮れない相手だ。二森がいつもと違ってわざわざ忠告したのは、そういった未知数の生態を知っているからなのだろう。


「まぁ、もう少し色々調べたいからさ。本当はモズの使役するヒルコそのものがいいんだけど、そんなのいくら支払おうが手に入るわけないし」

「まぁ、難しそうですね……」


 初瀬は眉間に皺を寄せながら答えた。


(やっぱりモズが竜脈を盗った理由が分からない。メリットがあるように見えないのに、どうしてそんな危険を冒してまで──)


 このままだと初瀬の中でのモズはただの自殺志願者になってしまう。ただ、彼がそれだけでないことを初瀬は何となく察していた。他に何かしら理由がある気がする、そんな願いにも似た直感は日に日に強くなっていっていた。

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