第20話「春河の本懐」
翌日、十二月二十九日。
街は完全に年越しムードになり、年末セールや正月準備で騒がしい。ところどころ、ものぐさな店主がいるのかクリスマスの飾りがされたままになっている店がある。風に乗って落ちてくる雪は見事に重く湿ったボタン雪になっていた。
朝起きて一番に初瀬は携帯を確認した。何の連絡も入っていない。逆にそれが不気味だ。
道行く人の少ない大通りを早足で駆けて行く。ボタン雪がコートの上に乗りすぐに解けていくのが見えた。
「あ、渚ちゃんじゃーん。おはよー」
横断歩道で信号待ちする初瀬に話しかけてきたのは春河だった。朝七時ではあるが、いつも通りはつらつとしている。寝起きがいいタイプなのだろう。
「おはようございます」
さらりと返された挨拶に春河は嬉しそうに頷いた。
「これから寒波の影響でドカ雪が降るんだってさー。これからどーなることやら」
「……そういえば怪我は大丈夫なんですか? あれから会っていませんでしたけど」
そう言いながら春河の方を見る。ぱっと見たところ怪我をしているようには見えない。赤鴇が力づくで押さえていたことを考えると、そこまで重傷ではなかったのだろうか。
「あー、それかぁ。おかげさまでなんとか……」
春河は嫌なことを思い出したと言わんばかりに目を泳がせた。
「もしかして病院がき」
「いや、そんなことはないよ! いやあ。あの時は反省点がいっぱいあってさぁ。ホラ、オレって魔術師じゃないじゃん」
唐突な話題転換に瞬きをしながら、初瀬は頷いた。
「でも自分より年下を前で戦わせるのはなんつーか、ほらねー? あんますっきりしないっていうかさー」
語尾を伸ばしながら春河は一生懸命に喋りながら、喋る言葉を考えているようだった。それを黙って初瀬は待つ。その間に信号が青に変わる。春河は歩き出しながらまた喋り出した。
「何もできないのは分かってるけどもやるんよね、っていう話」
結局言いたいことがまとまらなかったのか、春河はそこで話を切る。少し黙って歩いた後に今度は初瀬が口を開く。
「それは……分かります。わたしも見ているだけっていうのは、あまりしたくはないですね」
「だよね! あーよかったぁ。前にこれを浦郷さんに話したら、お前は戦う術を持ってないんだからしょうがないだろって突っ込まれちゃってさぁ」
浦郷のドストレート正論を食らったのだと少し肩をすくめながら、春河は話す。
「浦郷さん……」
「まぁ松島さんからは『モテないタイプ』って聞いてたし、そんな予感はしてたからダメージはなかったんだけどね。でもあの人魔術師嫌いじゃん? もしオレが戦う術が欲しいって言って魔術師になっても、上司として振舞ってくれるのかって思うと……ちょっと分からないところがあるんよねー」
「あ、あぁ……」
腕を組み、首を傾げる春河に初瀬は微妙な返しをしてしまう。何せ話題の人物である
昨日のやり取りを思い出しながら「そうかもしれない」などと思いつつ、初瀬は適当にぼやかした返事をする。
「なんてーか。第一中学校でネズミ軍団と戦った時に、渚ちゃんが前に出てってすげーびっくりしちゃったんだよね。『え!? そんなのいいの!?』ってさ」
「見てたんですか?」
「そりゃあ! だって実況しなきゃいけなかったし、相手の規模によって対応が変わってくるからさ! 魔道具だって護身用で持ってるのかと思ってたんだよねー」
「あ、そういえばそうでしたね……まぁ、あれは咄嗟だったというか、なんというか」
初瀬の返答に彼はゆるゆると首を横に振る。
「それでもさー。そういうことができて正直『羨ましー』って思ってたわけだよ。咄嗟でもそれを乗り切れる技術力があるってコトだし? あ、オレはねって話なんだけど。ホント、変な意味とかじゃななくってさ!」
「……もしかして、これは妄想ですけど城山でお怪我をしたのは……その、無茶といいますか、前に出たんですか?」
初瀬は出過ぎたことであると思いながらもそう指摘する。あの時、潮田診療所の廊下で出会った時のことを思い出しながらだ。
「な、なんでそう思うの……?」
「なんでってそりゃ……背中側に傷、無かったですよね。ほとんどの傷は身体の前面にありませんでしたか?」
「あー……ホラ、やっぱり敵わない。内緒にしてよ? マ、ジ、で!」
苦笑いをしながら春河はそう言った。
「気づいてると思いますけどね」
「それはそうだけど! ……そういや今朝はなんもなかったね」
これ以上は敵わないと感じたのか、春河は話題を変える。何もなかった、というのは例の件のことだろう。指示も、追加情報も未だ受け取っていない。
「そういえばそうですね。連絡が無いってことは引き続き市内のスペクター駆除ですかね」
「だと思うよー。んーオレもなにか魔道具を使ってみようかなぁ」
「高いらしいですよ」
「えー……うーん、じゃあやっぱ生身でやるしかないのかなぁ」
眉を下げながら春河はそう言った。
「あ、そういえばさ。これは訊いていいのか分からないっていうか、嫌なら無視してもらってもいいんだけどさ」
「なんですか?」
「いや、渚ちゃんてどうして一課に入ったんかなって」
曇りなき眼は初瀬へそんな問いを投げかけた。
「あぁ……そういえば。なんというか、お世話になった人がいるんです。一課に」
「え!? ……えっ!?」
「あ、違いますよ。助けられたんです、一課の人に」
初瀬は春河の勘違いを訂正する。彼は分かりやすくホッとして見せた。別に初瀬もずっと品行方正な優等生として生きてきたわけではない。ちゃんと反抗期を過ごしてきた。それを鑑みればそういう意味でお世話になった、とも言えるのだが誤解が拗れても困る。初瀬は淡々と話を続ける。
「だからその人のもとで働きたいって思ってたんですよ。よくある感じです」
「はぁーそうだったんか……それで本当になれちゃうのってすげえや」
彼は目を丸くしながら感心したようにそう呟いた。
(まぁこうやって零課に手伝いに来てなければ、今頃はその人と働いていたはずなんだけどな)
そんな他愛のないことを話しながら春河と共に零課へと向かう。明日は大晦日だというのに、警察署内は相変わらず騒がしい。慌ただしく新人であろう若者が廊下を行ったり来たりしている。そんな中を逆行するように初瀬たちは上へと上がっていった。
「あぁ、引き続き市内の警戒をする魔術師の引率を頼む」
今日の仕事内容について浦郷に問えば、それだけが返ってきた。彼はボールペン片手に何かを一生懸命書類に書き込んでいる。邪魔をするのも忍びない。そんな雰囲気を察知した初瀬と春河はすぐに部屋を出た。
「この後どうします?」
「……わたしは日の出堂に行かないといけないですね」
「……? サボり?」
「いえ。この魔道具がそろそろ限界かもしれないんです」
そう言ってさっき取って来たばかりの刀を掲げる。袋に入ったままのそれを見た春河はきょとんとして初瀬の方を見返した。
「……まぁ、先日少しヘマをやったんです。それで道具の方が駄目かもしれないんですよ」
「へぇ、渚ちゃんでもそういうことあるんだね」
「…………わたしのことなんだと思ってるんですか?」
初瀬は思わず絶対零度の瞳を彼へ向ける。ほぼ反射のようなものだった。それに対し春河は慌てた様子でこう付け加える。
「あぁいや! 悪い意味じゃなくって! なんというか、ギフト持ちって聞いてたし、オレよりスペクターに慣れてるのかなぁって思ったりしててさ。でも実際はそうでもないっぽいし、言い方は悪いけど……オレとあんま違わないかもって! えぇっと、親近感的なね!」
「な、なるほど」
「ご、ごめん……」
初瀬の反応を見た春河は分かりやすくしょげる。やっぱり大型犬みたいだな、と初瀬は思いつつフォローを入れた。
「いやいいよ。いつも言われるおじさんの愚痴より全然いいです。なので……気にしないでください」
「あ、本当!? それならよかったー。それじゃオレはトキくん迎えに行くんで、その後また会ったらよろしくねー」
フォローの言葉を受けた春河はすぐさま顔を上げ、テンション高めにその場を去っていく。
(ずっと一緒にいると疲れそうだけど、たまーに話すくらいならちょうどいいな)
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