第18話「赤鴇」

「牛鬼は残酷な性格をしていますので、得物をいかにして虐めるかを考えているんですよ」


 少し得意げに赤鴇がそう付け加えた。


「それで毒が遅効性だったんだ。なるほどね」

「それにしては効きが遅い気がするって、潮田先生言ってましたけどね……」


 赤鴇は苦笑交じりにそう話す。潮田は初瀬の予後を診た後にすぐ部屋を出て行ってしまった。部屋に残された初瀬は赤鴇から、その後と詳細について聞いていた。その最中、初瀬は唐突に話題を変える。


「ねぇ、魔術師って普通は何ができるの?」

「……はい?」


 赤鴇は紅の瞳を大きくして訊き返す。初瀬は慌てて両手を上げて振り、こう付け加える。


「えぇと、ごめん。標準的に何ができるのかなーって。わたしはよく知らないから……」

「あ、そういうことでしたか。そうですね……まんべんなくできれば上々、ですけど得意な魔術一つと、回復魔術か自己強化、サポートに使えるような魔術があれば問題ない、ですかね……意外と魔術師内での標準ってグループごとの偏りが激しいので難しいんですよ」

「そうなんだ」


 彼の言葉に初瀬は頷く。要求されることはそれなりにハードルが高いようだ。そんな質問に、赤鴇はもしかして、と初瀬にこう尋ねた。


「先輩のことですか?」

「んー、まぁ……つくづく足並みが揃わないからさ。でもよく考えたら、わたしはスペクターのことも魔術師のこともよく知らなかったんだよね」

「そうだったんですね。詳しい事情は聴いていませんが……ぼくも実は、魔術師の家系の出ではないんです。だから初瀬さんが思ってること、なんとなく分かります」


 赤鴇はうんうんと頷きながらそう告白した。思わぬ告白に初瀬は驚いて赤鴇の顔を見てしまう。彼は袖のボタンを弄びながら話を続けた。


「ぼくは先輩に魔術を教わったので、だからさっき言った標準について本当にぼく独自の考えかもしれないんです。そこは容赦してください」

「あ、うん。分かった。それじゃあわざわざ自分から魔術界そっちに突っ込んだってこと?」

「はい。でも登録魔術師にはぼくが先になってしまいました」

「優秀な弟子だったってわけね。それで……」


 初瀬はようやく三笠が赤鴇に対して向けていた目線の意味を知った。要するに『複雑な親心』だったわけだ。どこか卑屈だったのも、周りにあんなに厳しい目を向けられても歯向かいすらしなかったのもそのせいだったのだろう。そもそも自分が面倒を見ていた歳下に先を越されているのだから。


「ま、まぁ……えっと、そうですね。あと魔術は二種類あるんです」


 そう言って赤鴇は魔術の種類について話し始める。


「速成魔術式と既成魔術式っていうんですけど……字がこんな感じでして。意味はほぼ文字通りです。よく言われる『魔法』のイメージは速成魔術式の方ですかね」

「へえ……速成の方が早く作れるの?」

「はい。基本的に速成はその場その場で作ります。既成魔術式はあらかじめ組んでおいてそれを持ち運ぶって感じですね。先輩は……速成がちょっと苦手で、既成が得意って感じなんです。ただ既成は、大きな魔術の効果を得られるのですが、詠唱が長かったり起動に時間がかかったりしちゃうんですよね。大きいものは時間がかかるって感じです」

「なるほど、それであんなに苦戦してたんだ、あいつ」

「そうですね。先輩の場合は完全にスピードを捨てた感じでしょうか。命中率は悪くないけどって本人も言ってました」

「速成の方は?」

「そちらはその場その場で組むので所有する数に限りがないんです。流派にもよりますけど、詠唱もいらないことがありますね」


 赤鴇の話す魔術の種類を簡単にまとめるとこうなる。


 速成魔術式は回復魔術や身体強化魔術に多い。効果範囲や規模が狭く、細やかな調整を要する。しかし同時使用や準備にさほどコストがかからないというメリットがある。


 既成魔術式の方は規模が大きい魔術で、基本複数の魔術式を組み合わせて作成される。その性質上、いくつも持ち歩くことはできないのだという。詠唱が長め、起動に時間がかかるというデメリットはあるものの、得られる効果の大きさ、有効範囲の広さや安定性というメリットもある。


「結局状況に合わせて使い分けるっていうのが必要なんですけどね」

「それもそうか……」


 お手軽に色々できる、というのが魔法ひいては魔術のイメージだった。しかし初瀬が見聞きする限り、あまり自由なものではないようだった。そうでなければもっと、魔術が表世界に出ていただろう。赤鴇も「魔術で火をつけるよりライター使った方が早いんですよ」とおどけて言う。


「ところで初瀬さん」


 談笑を打ち切り、赤鴇は姿勢を正した。


「は、はい」

「やっぱり、ご不満ですか?」

「え?」

「八束さんから聞いたんです。無理やり零課に引っ張ってこられたって。それで無理をしているんじゃないかと進一と一緒に心配していたんです」


 心配そうに赤鴇は初瀬の顔を覗き込んだ。その瞳に偽りは一切感じられなかった。心配させまいと、初瀬は言葉を一生懸命紡ぐ。


「あぁいや、そんな。最終的には自分で決めたことだし、そもそも臨時って話だからそんなに気負っては……いや、でも、なんというかハードだなとは思ったかな……。色々違うしさ。わたしは魔術師じゃないし」

「そうですか……」


 そんな初瀬の言葉に、赤鴇は目を伏せた。心配させまいと頑張ったものの、彼には見抜かれたらしい。厄介だ、直感的にその言葉が脳裏に浮かぶ。


「でも、えぇとね。い、居心地は悪くないよ」


 初瀬はつっかえながらそう言った。紛れもない本音のつもりだ。何よりも、放っておかれるのが心地よかった。いちいちねちっこく文句を付けられることは無い。自由に動けるわけではないし、己の役割を厳格に認知しなければならないが、それでも悪くないと思えるのだ。なんだか小恥ずかしくなってきた初瀬は話題を変える。


「あのさ、赤鴇君とあいつの関係って、どういう……? 兄弟じゃないよね?」

「あ、ぼくと先輩の関係ですか? 師匠と弟子みたいなものですよ。ぼくに魔術を教えてくれたのは先輩ですから。付き合いとしては六年ほどですがね」

「なるほど……」


 誇らしげに胸を張る赤鴇の様子に、初瀬の頭の中で何かが繋がった。


(あいつ、さては弟子の出来が良すぎて、余計追い詰められたんだな?)


 三笠が赤鴇に対して抱いている複雑な感情の正体を少しずつ看破していく。元来卑屈な性格であるようだが、それ以外の要因として赤鴇の優秀さが挙げられるのだろう。歳下かつ、魔術に関しても彼の方が成長が早く、歴も短い。


(……でもこれ、赤鴇君は解ってそうだな)


 何となしにこの赤鴇昇星という少年は他にはない聡さを持っているように見える。この少年の前では嘘をついてもバレてしまいそうだ、いつしか直感で読み取ったソレは間違いではないのだろう。


「そっか。赤鴇君は三笠を信用してるし、尊敬してるってことか」

「……! はい。大事な大事な先輩です」

「それじゃあたぶん、わたしよりもあいつに詳しいと思うから訊くんだけどさ」

「はい、なんですか?」

「あいつがあんなにウジウジしてるのって、なんでだか分かる? 根が深そうな問題っぽいんだけどさ。とりあえずなんとなく理解はできたけど、まだ何かある気がする」


 何かしら他の要因が重なっているのは確かだ。証拠があるわけではないが。思い切って踏み込んだ初瀬の質問に、赤鴇は目を泳がせた。


「それは……ぼくも詳しくは知らないので、なんとも……」


(この子、嘘を見破るのは上手いけど、嘘をつくのは上手くないな)


 これ以上彼に訊くのはよくない。初瀬はそう感じた。申し訳なさが勝ったのだ。


「あーあ、もちょっとちゃんと知ってから文句付けるべきだったなぁ。ま、一朝一夕でどうにかなる問題でもないだろうけどさ」

「すみません、いくら身内だからって年下がこんなに首を突っ込んでしまって」


 赤鴇は身を縮めながら小さく謝る。


「いやいいよ。ありがとう。それにしても春河さんから『小さいことによく気が付くタイプ』って聞いてけど本当なんだね」

「えぇ? 進一がですか?」

「そうそう」


 「過保護にするのもなんか分かる」そんな言葉を飲み込んで初瀬は黙って頷いた。


「んじゃあ、ちょっと出るわ」

「あ、へ、どこへですか?」

「ちょっと言いたいことがあるから」


 そう言って初瀬は扉を開けに行く。



 時刻は午後八時。外を見てみれば、路面にはうっすらとみぞれ雪が積もっていた。雲の切れ間なのか、見上げた空には小さく星が散っている。より一層冷えた空気を吸い込んだ鼻先が冷たい。


「あ」


 そうやって立ち止まっていた廊下の先、横を見てみれば雰囲気の緩い人の好さそうな銀髪の青年がいた。彼も彼で、初瀬がいたことに気が付いたのか少し目を泳がせた。


「あー、」


 初瀬は気まずさを紛らわせようと口を開く。三笠はそれに黙って頷いて返してから、口を開く。


「その、さっきはごめん」

「いいよ別に。お互い疲れてたし。わたしもごめん。わたしはそっちのことあんま知らないからね」


 互いに頭を下げ、謝罪する。顔を上げた二人は目を見合わせてほっと息をついた。


「えぇとその、」

「あぁ、そういうこと。わたしも赤鴇君から色々聞いたわ。あんたが卑屈な理由がよーくわかった」

「卑屈……」


 初瀬に卑屈だと指摘された三笠は眉を下げながら申し訳なさそうな顔をした。


「もうちょっと周りの評価とか無視すればいいんじゃないの?」


 そう言いながら初瀬はその時のことを思い出す。後から名前を知ったが、眼鏡の男は鷦鷯、白い上着の女は東というらしい。二人の厳しい態度が新人ゆえの三笠の信用の足りなさから来ているのは感じ取ってはいたが、それを三笠自身が取り戻そうとしないのも原因ではないかとも初瀬は思った。つまりなめられているのだ。腹が無性に立ったのもそれが原因だろう。


「んー、まぁよく言われる気がする……でもあの時逃がしちゃったのは確実に僕の判断だし、逃がさないって頑張っても仕留め切れたとは限らないしなぁ」


 腕を組み、首を傾げながら三笠は言う。


「そういうところだぞ」


 初瀬はもっと文句を言ってやりたかったが、寸でのところでこらえる。


「あはは、でも、本当はあの時どうすればよかったんだろーなぁってずっと気になってたんだよね。今朝、殺された人とかさ、本当は死ななかったんじゃないかなぁって。牛鬼の時は、なんだかんだで僕が守り切れたってわけではないし」


 罪悪感を滲ませながら三笠は吐き出した。


「だから……初瀬はすごいと思う。本当はスペクターと戦うなんてしなくてもいいのに、自分から立ち向かっていくから。ちょっと無謀な気はするけどさ。僕にはできないから」

「まぁうん、あんたに守りは向いてないかもね。でも、わたしは攻撃手段がないから。一長一短、できるできないははっきりしてるよ」


 初瀬の言葉に三笠は「そうかな」と小さく呟いた。初瀬は続けて言葉を紡ぐ。今度こそちゃんと伝わるように丁寧に慎重にだ。


「『守れたかもしれないのに』っていうのは──結果論でしょ。いくらでも言える。正しい選択肢とかないんだから。確かにあそこで逃がさなきゃあの人が死なない未来もあったかもね。でも逃がさないって選択した先で誰も死なないとは限らないじゃんか。あんたのことだから、そっちを選んでも同じように悩んでたと思う」

「……」

「だったら、選んだ道がいいものになるようになるよう頑張るだけだろ。──まぁ、これは他人の受け売りだけど」


 恩人の顔を思い浮かべながら初瀬は自分に言い聞かせるように呟いた。今までもこれからもそうしていくつもりで初瀬は生きてきた。最善を選ぼうとするのは大切だ。だがそれ以上に気を付けなければいけないのは、最善を最善のまま保ち続けること。間違ったとしても最善にしていく努力をすること。


「それに、あの時はわたしが『手伝って』って言ったからさ。責任はわたしにもあるんだわ。一人で勝手に悩まれても困る。それについてはわたしも考えなきゃいけないから。それになにより──あんたがここで落ち込む必要は全く無いし、裁かれる必要も無い。もっと別にいるだろ、裁かれるべきヤツが」

「……モズ、かぁ」

「そ。結局のところあいつが全ての元凶なんだから、まずはとっ捕まえないと。あんたが落ち込んだり罪悪感を覚えたりするのは後でいいんじゃないの」


 初瀬の頬が緩む。久々に口角を上げたせいか、酷い違和感を覚えてしまう。


「うーん、そう、だなあ。そうかなぁ」


 煮え切らない様子だがこのまま押してしまえばいけそうだ。初瀬は確信して新たな話題を切り出した。


「とりあえず、わたしは一つ確認したいことがあるんだけど……時間外労働って許せる?」

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