第17話「亀裂」

「──あ」


 目を開いて周囲を確かめる。見覚えのある場所だ。潮田診療所、その病室の一つだ。三笠はゆっくりとその身を起こし、もう一度周囲を確認する。すぐ隣、一メートル開けたところにあるベッドの上で初瀬が頬杖を付きながら虚空を見ている。その腕には点滴針が取り付けられていた。


「あ?」


 初瀬も隣の気配に気が付いたのか、目をそちらに向けた。


「ご、ごめん」


 第一声はそれだった。最後の最後、結局富士が割って入らなければ死んでいただろう。それが気にかかって仕方がない。半ば反射のように言葉が飛び出す。


「やっぱり僕には上手くできなかったよ。期待に応えられなくて、本当にごめん」

 申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいになりながら三笠は頭を下げた。

「……はぁ?」


 初瀬から返ってきたのは、許しの言葉ではなく、不機嫌そうな声だった。


「訳分かんない。なんで謝ってんの? どういうつもりなワケ?」


 いつになく嫌悪感をむき出しにした初瀬の声は責める。三笠は訳が分からず黙り込んでしまった。


「はぁ、そういうところだよ。言い返せよ。呆れた」

「え、えー? いや、別にこれは僕が悪いと思ってるからで……!」

「何が悪いんだよ、言ってみろよ」


 挑むような初瀬の瞳に三笠の内で何かに火が付いた。


「最後の最後、半分パニックになって術式を暴発させた」

「あぁ」

「そもそも一撃で仕留め切れてない」

「あぁ」

「命中安定を取ったせいで威力が拡散したから……! 僕が、ビビったから! それで初瀬を、後ろにいた人も危険に晒して、しまったから──」


 言葉にすればするほど、気持ちは深く沈み込む。悲しいというよりも悔しくて仕方が無かった。


「から? ホントそういうところ、見ててムカつくわ。しゃんとしてりゃいいだろうが」

「……できるわけないじゃん! そんなに気丈じゃないし、僕だって気にかけることくらいあるし!」

「お前さぁ」

「だって、二人共僕のせいで死ぬかもしれなかったんだよ、今回は運がよかっただけ!」

「そうだな、運がよかったんだよ。それだけだろ。なんでそんなに──」

「初瀬は魔術師じゃないから分からないだろ」


 苦し気に三笠はそう言い捨てた。初瀬が眉を跳ね上げる。そんな彼女が言い返そうと口を開いたその時だった。扉が動いた。


「おう、怪我人ども。回診の時間だ」


 勢いよく開かれた扉の先には仁王立ちする潮田がいた。その両脇には思い切り気まずそうな顔をした八束と赤鴇が立っている。その圧倒的な絵面に初瀬も三笠も口をつぐんだ。




 そのまま潮田の流れに飲まれた三笠は、八束と共に別室へ移動し追加の手当てを受けることになった。


 その手当てがひと段落した三笠は小さくため息をついてしまう。腕のいい医者が揃っているおかげか、痛みはするものの怪我の状態はいい。何度か己の手を握ったり開いたりしていると、八束が気まずそうに口を開いた。


「あ、あの……」

「な、なんですか?」

「もしかして、何かトラブルでも……」


 先ほどのやり取りを聞いてしまったのだろう。それを聞いた上で黙っていることができなかったらしく、八束は三笠の顔色を窺うようにこう尋ねた。それに対し三笠は黙って首を横に振った。


「本当にですか?」

「や、本当に……本当に問題ない、ので……」


 そう言いながらも三笠は初瀬の怒りの原因がなんなのか、気になっていた。なんとなく予想はついている。とはいえ本人に訊くことはできないだろう。


「……あのう、八束さん」

「あっはい。なんでしょうか」

「一課にいたんですよね。初瀬って。そのときってどういう感じだったか知ってますか」


 思い切ってした質問に八束は目を丸くした。そして少し考え込むように首を傾げる。


「えぇと、そうですね……といっても、そんなに今と変わらないと思いますよ。真面目で、己の信念を貫いて、警察官としてのプライドを持ったお方ですから。堅い、といえばそうなんですけどね」

「あ、あぁ……確かにそうですね」


 八束の言葉を聞きながら三笠は彼女のことを思い起こす。猫のようにドライであると思えばその芯はは強く、折れ曲がることが無い。どんなに傷つこうが心だけは折れない。


「周りに何と言われようと己の考えを曲げない。良くも悪くもって感じです。向こうにいる時は男所帯なもんですから結構息苦しかったんじゃないでしょうか」

「結構バシバシ言いますね」

「努力に対する評価は正当に行われなければいけませんからね。頑固で話を聞かないと言ってしまえばそれまでですけど、目的のためなら努力を続けていける人です。それが眩しく感じる人は少なくないでしょうね」


 悲し気に八束はそう話す。その言葉で三笠はハッとする。県警の休憩所で一人、時間を潰していた時のことだった。刑事であろう男二人組が休憩所へやってきて、大声で立ち話をしていた。


『優秀だ』『若いし、松島さんのお気に入りだから』『女なのによーやるわ』『真面目だ』


 そんな陰口にもならない皮肉が三笠の耳に飛び込んできた。向こうは当然、三笠が初瀬と組んでいることなど知らないのだろう。その他小声で飛び込んできた言葉はどれも、心の底から喜べないような誉め言葉にもならないものばかりだった。枕を疑う言葉さえも聞こえてきたのだから。


「……あいつもあいつで大変なんですね。なんか納得しました」


 そんな少し前のことを思い出しながら三笠は小さく呟いた。


「あいつ、僕がなんというか、遠慮するたびに変な顔してたんですよ。さっきもでしたけど」

「それは遠慮ではなく卑屈ではありませんか?」

「うっ、そ、そうです……そうです……」


 八束の鋭い指摘で三笠は致命傷を受ける。違いない。


「なんというか、なんとなく分かりました。それでもなんかこっちに踏み込んでくるのは困りますけど」

「そうですねぇ。でも三笠君は衝突を避けるタイプでしょう? 避けるのは技術がいることです。でも、それがいつもいい結果をもたらすとは限りません」

「ね、姉さんみたいなこと言いますね……」

「初瀬さんからしたらちょっとうっとおしかったんですかね? まぁ確かに、私もちょっと女々しいなとは思っていたのですが……」


 八束は顎に手を当てながら言葉を選ばずに三笠を分析する。その冷静かつ的確な分析に三笠は見事に撃沈した。自覚はあった。己の嫌なところであると理解もしていた。とはいえ、こうして他人に言われると受け止めきれないものがある。


「ま、まぁ……あはは。そうですね……女々しいですよね……」

「そういうところですよ」

「……ですね」


 三笠は困ったように眉を下げた。それに対し八束は続ける。


「こうやってちょっかいを出すのも、私なりに心配なんですよ。やっぱり。以前、不仲から殺し合ってしまったバディもいましたから」

「えっ」


 衝撃的な八束の発言に、三笠は絶句してそちらを見る。八束は小さく「詳細は伏せますけど」と付け加えた。


(それで……あんなに先輩方が不満はないかって訊いてきたのか)


 過保護気味だった周りの行動に納得がいく。やはり魔術師とそうでない人の差は大きいのだろう。相手が警察官であるならば、尚更か。


 八束と話し、何となくではあるが三笠は彼女の立場と心持を理解する。


 共感するようなしないような、そんな微妙に揺れる気持ちを飲み込みながら三笠は続けようと口を開く。それを八束が手で制した。


「待ってください。それは私に言うんじゃなくてですね。もっと言うべき人がいるでしょう? ほら」


 一切甘やかすことなく八束は突き放した。彼女は真面目な顔でドアの方を指さす。


「あ、はい! い、行ってきます!」


 三笠はその指示に逆らうことなく小走りで部屋から出ていく。

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