第16話「因縁」
「あの、言われていた通り調べてきました。どう見てもシロっぽいですけど」
そう言いながら初瀬はメモを机に向かっていた男に手渡した。彼は机の上のパソコンから目を離さずにそれを後ろ手で受け取った。
「……あぁ、やっぱりな」
それだけを言ってまた男は手作業に戻る。
(またか)
そう思いながら初瀬はげんなりとした。今回も『また』ただの確認のためだけに駆り出されたのだろう。一課に配属されてからというものの、任された仕事はそのほとんどがこれだった。
他は茶くみか荷物持ちである。新人だからまだ信頼されていないのだろうと思って周りを見てみれば、同期は誰一人として初瀬と同じことをしていなかった。
「……それから」
ためらいながらも初瀬は口を開いた。彼が反応を示すことは無い。それでもこれは共有しておこうと話しを続けた。
「被害者女性のもう一人の友人とコンタクトが取れて、話を聞きに行ったのですが」
男の手が止まる。
「話を聞いた限り、被害者は性的虐待を受けていたのではないでしょうか」
「ん? なんでそれを黙っていたんだ?」
初瀬の話に興味を持ったらしく、男は振り返ってそう尋ねた。
「それはやはり……思い出すのも辛い出来事だったから、だと思いますよ。友人もそれを理解して黙っていたのかと。『私が隠れて言うことが侮辱になってしまうのではないか』と気にしていましたし」
「はぁ……これはまた考えなおしになるな。最初から話してくれればいいものを」
忌々し気に先輩刑事は呟いた。
確かに、この情報があるのと無いのではこの事件の見方はかなり変わってしまう。それでも初瀬には彼女たちが話さまいとした理由が分かってしまう。こんな男たちが相手では話せるものも話せない。
「手柄だな」
──この言葉は今でも覚えている。驚くほど感情のこもっていない声で言われたあの言葉。それになんとなく期待している初瀬を先輩は綺麗に裏切った。
※※※
手元の煙草から上がる煙を見ながら、初瀬はぼーっと昔のことを思い出していた。
(ま、よくあることだし)
そう思いながらまだ半分以上も残っている煙草の火をもみ消す。ここ数日、一本吸い切った記憶が無い。
現在は警察署に戻り、富士から頼まれていた資料を貰うため待機しているところだ。初瀬は三笠を休憩所に置いて喫煙室に一人で来ていた。
皆忙しいのか。いつも必ず誰かしらがいる喫煙室には誰も居なかった。それを幸運と思う反面、どこか寂しくも感じる。結局前に出ていたいだけではないか、と己を諫めるように初瀬は首を横に振って歩き出そうと一歩を踏み出した。
「あっ、すみませ……」
不意に目の前に現れた人を避ける。衝突を回避してからそちらを見てみれば、初瀬にぶつかりかけたその人は眉根を寄せて初瀬の方を見ていた。
「なんだお前か」
「……お久しぶりですね」
視線を落としながら初瀬はそう言った。
「最近顔を見ないと思ったら、お前、ゼロに異動してたんだな」
その言葉の意図は簡単に読み取ることはできない。
「まぁ、一時的なものですけどね。年が明けたら戻りますよ」
「ふーん、そうか」
先輩刑事である
(……こうして見ると三笠は頑張ってる方だな)
若干の呆れと諦めのようなため息が出た。
「……よかったじゃないか」
「はい?」
唐突な千代田の発言に初瀬は目を丸くして振り返った。彼は何でもない様子で話を続ける。
「
皮肉めいた言葉に初瀬は目を細めた。一課の人間に『優秀だ』といわれるのはいつものことだ。それでも今日ばかりは千代田の言葉が気に入らない。
「そうでもないですよ。価値観の違う人間と関わり合うのはかなりのストレスでして。手伝いも楽じゃないですよ」
声に棘を含ませながら初瀬は言い返した。
「それはこっちでも同じだろうよ」
「結局どっちでも大変って話です」
これまた言い返しながら初瀬はつま先を喫煙室の外に出した。そこでふと、一つ気にかかっていたことを思い出す。
「あの、零課に入るには二人以上の推薦が必要だという話はご存じですか」
「……急になんだ?」
振り返って見た千代田は怪訝な顔をしていた。その目は「もったいぶらずに早く言え」と訴えている。これもいつものことだった。すぐに答えを知ろうとするのはこの人の悪い癖だ。初瀬は仕方ない、と言わんばかりに肩を落として口を開く。
「わたしを零課に推薦したのは貴方ですか」
千代田は沈黙する。そして返事の代わりに一つ、長く長く紫煙を吐いた。
「そうだったとして?」
挑むように問いかける千代田に、初瀬は首を横に振って答えた。
「確認したかっただけです。恨むことも疎ましく思うこともしません。それだけです」
悪意を持ってそうしたとしても、それで初瀬の能力が下がるわけではない。そうでなければ初瀬としてはもはや食って掛かる必要も無いことだった。
(結局、わたしが手伝うという判断をしたわけだし)
以前であればあの挑発的な問いに食ってかかっていただろうが、今はそんな気も起きない。なによりやるべきことがある。そう言い聞かせて初瀬は喫煙室を後にした。
去っていく初瀬の背を見送りながら千代田は苛立たし気に煙草の火をもみ消した。
「すがすがしいくらいにマ人間だな」
恨めし気に呟かれた言葉はすぐに紫煙とともに、冷たい空気の中にかき消えた。
「……早く行こ」
ペットボトル片手に休憩所で待っていた三笠に声をかける。彼はすぐに立ち上がった。手には書類を持っている。
「もう貰ったんだ」
「うん。さっき渡されたよ」
「三笠、あんたもうちょっと休めば?」
初瀬に疲労を指摘された三笠は目を丸くした。
「え、そんなに?」
「んー、あからさまではない」
三笠の手から書類を受け取り、それを眺める。見てはいけないとは言われていない。とはいえ初瀬の場合は禁止されても見るのだが。
「何が書いてあるの?」
「特別気になることは書いてないっぽい。雑賀里香についての情報がだーっと書いてあるだけみたい。……うん?」
詳細を読み込もうとした時だった。三笠が携帯を取り出した。着信があったらしく彼はすぐに電話に出る。ごく短いやり取りをした後にすぐに三笠は初瀬に向き直った。
「市役所の方でスペクターが暴れてるみたい。警察官じゃ対処できないから近くのメンバーは出てくれってさ」
「分かった。わたしが行くから三笠は休んで……」
「駄目だよ。行こう」
初瀬の言葉が言い終わるより早く三笠は首を横に振った。そこで初瀬も己が監視官であることを思い出し、口をつぐむ。
外へ飛び出せば強い強い横風が三笠と初瀬を出迎えた。冷たい大ぶりの雪が容赦なく身体に打ち付ける。コートはすぐに白く斑に染め上げられた。風が強いおかげか、つもりはせずともホワイトアウト一歩手前の荒天となっている。
(午前中は雨が降ってたのに──!)
天気の移り変わりの速さに初瀬は顔をしかめた。こんな中を走っていくのは気が引けるが、駐車場に停めているバイクで出るわけにもいかない。
とりわけ市役所の方は宍道湖畔、つまり風を遮る物のない場所だ。そんなところへ二輪車で出ていくのはあまりに無謀だ。
三笠もこの天気に気がそがれたのか二の足を踏んでいる。それでも初瀬としては同僚のためにも駆け出すほかない。ワンテンポ遅れて三笠も吹雪の中に飛び出した。
天気が荒れているせいか、街には誰一人としていないかのように人気がない。そんな異様さを飲み込んで辿り着いた路上。そのど真ん中に大きな黒い影が見えた。
暴れる横髪を押さえつけながら初瀬は目を凝らした。高さは三メートルほどだろうか。遠景に映りこむ信号機の半分ほどの高さまであるように見える。肢体は蜘蛛のようにいくつもに分かれてアスファルトを掴んでいる。
「う、牛鬼だ──」
目を凝らしていたらしい三笠が唸るようにそう呟いた。徐々にその姿と状況が掴めて来る。理解が追い付いた初瀬は息を飲んで飛び出した。背後で三笠が何か叫んでいるが風が唸るせいで一つも聞き取れない。初瀬は勢いよく牛鬼と、その前に座り込んでいる人の間へと割り込む。
牛鬼から気を逸らさないように背後の人──恐らく一般人を逃がすために居残ったであろう警察官を確認してみれば、足を怪我しているらしく思うように動けない様子だった。肩に刀を袋から取り出して構えながら初瀬は必死に対処を探る。
(怪我の程度は分からない、けど、意識はあるっぽい)
そんな乱入者に腹を立てたのか、それとも新たな得物に歓喜したのか牛鬼は血走った眼をぎらつかせながら咆哮した。濡れた鼻先が勢いよく持ちあがり石臼のような平たく重たい歯が見える。吹雪は牛鬼の叫びに呼応するように、そこかしこで渦を巻く。
いつも通り居合の構えを取って刀を抜き払えば、己の魔力が溢れ出る。弾けるそれに気が付いたのか牛鬼は初瀬に焦点を当てた。後ろの人は、まだ動く様子はない。
「こっちに来てみろよ……!」
挑発するように初瀬は駆け出す。牛鬼はすぐさまそれに乗っかった。一メートルほどの距離を保ちつつ前を駆けて行く初瀬目掛けてその豪脚を振り下ろす。振り返りつつ初瀬はそれを横に避けた。
(攻撃に使うのは前の二本だけか! なら時間稼ぎはできる!)
意を決してその正面に立つ。蜘蛛のような肢体の根元には般若のような顔があった。その側頭部からは二本の黒く太い角が聳え立っている。改めて目にしたその姿に初瀬は息を飲んだ。
その気が緩んだ一瞬を突いて牛鬼が動く。想定以上の素早さに初瀬は目を見張った。それでも反応速度は初瀬の方が早い。転がるようにして再度振り上げられた前脚を躱す。風圧で舞い上がった雪が顔にも容赦なく叩きつけてくる。
すぐに攻撃は止む。
(攻撃と攻撃の間隔が広い……なんだ?)
違和感を覚え、構え直した初瀬目掛けて牛鬼が噛み付きにかかる。初瀬は顎が上がった瞬間にその下へと滑り込んで事なきを得る。しかし、牛鬼はそのまま元居た場所目掛けて駆け出した。
「な!?」
想定外の行動に初瀬は慌てて納刀しながら駆け出す。追いつくことは可能だ。しかしそれでもその攻撃を止めさせることはできない。初瀬は意を決してその攻撃を受けにかかる。警察官の方は気絶してしまったらしく、もはや自力では動けないらしかった。
抜き払った勢いそのままに牛鬼の前肢を受け取める。高まる緊張と共に魔力が溢れ出ていくのが分かった。頭痛がする前に決着を付けたい。その一心で押し返そうとするも、明らかにパワーがケタ違いの相手だ。押し返せるわけもなく、段々と初瀬の膝が地面に近付く。刀の峰が軋むような嫌な感覚が走った。
「このっ!」
鞘を使い、斜め後ろの方へと無理やりにその攻撃を受け流す。無茶な動きが祟ったのか、鞘にひびが入った。しかし牛鬼も上手で受け流したそこへもう一本の足を使って追撃を放つ。それは初瀬の腕を掠って地面に服ごと初瀬を縫い留めた。生暖かい感触が、じわりと左腕を濡らす。
(マズい、殺される──!)
生命の危機を感じた初瀬は身を固くする。
「させるか!」
光が弾ける。ほんの一瞬、吹雪を溶かすような熱波が辺りを支配した。そしてそれと同時に一条の光が牛鬼の側頭部を穿った。黒い液体が散る。
「もう一発!」
その掛け声と共に放たれた弾幕は見事に牛鬼を絡め捕った。何かが焦げるようなにおいが初瀬の鼻をつく。その猛撃の効果か、初瀬を縫い留めていた足が少し浮く。それを合図に勢いよく初瀬は体勢を立て直した。そしてすぐに、近くで倒れている警察官を抱えて走り出す。彼の意識は完全に無いどころか、苦しいのか呼吸を荒げている。
「初瀬!」
すぐに三笠が駆け寄って来る。
「この人、結構ヤバいかもしれない」
「……早く潮田先生のところに連れて行かないと」
初瀬が肩を貸している警察官の容体を見た三笠は呻くようにそう言った。
「そうだね。怪我の手当てを──」
「違う、牛鬼は毒を使うんだよ。いかにして相手を嬲るかを重視しているから……!」
「!」
初瀬もそこで己の異変に気が付く。傷口が妙に痛む。ずきずきとその痛みは段々と腕から肩へ広がっているようだった。三笠も初瀬の容体に気が付いたのか目を見開いた。
「は、初瀬」
「くそ、どうするか」
「僕はまだ動ける、から囮くらいなら」
「……おい三笠」
段々と余裕が削られていく中、初瀬はいつも以上にぶっきらぼうに三笠に話しかける。
「あんた、準備に時間がかかるけど火力は誰にも負けないんでしょ」
「だ、誰にも負けないとは言ってないけ」
「そういうのいいから。わたしがチャンスをどうにかして作るから、一点集中で一気に突破する……二人でだよ、いいね。わたしは囮にはならないし、お前もならない。誰かを犠牲にする方法は却下」
深く呼吸しようとすればその胸が痛む。浅い呼吸を繰り返しながら初瀬は身構えた。三笠もまた、これしか方法が無いと感じたのか牛鬼へと目をやった。牛鬼は吹雪の中、三人の方へ向かって移動してきていた。目が悪いのだろうか、先ほどとは違い、そのスピードはそこまで早くない。不意打ちをするのなら今だ。
一気に足を踏み出す。まだ足の方へ毒は回っていないようだった。動けば毒の回りが早くなるだろうが、そんなことを気にするつもりは、初瀬には毛頭なかった。決して捨て身なわけではない。初瀬が駆け出したのを合図に三笠は温存していた火力増強用の宝石を取り出す。術式を組み立ててその方向を定める。慎重にそれでも確実に、言い聞かせるようにして牛鬼を睨む。
勢いよく駆けて行った初瀬を牛鬼の赤くなった双眸が捉える。狂喜するかのように鋭い爪を持った前脚が動いた。身構えた初瀬を裏切って牛鬼は身を低くしてその角で初瀬を突こうとする。勢いよく掬い上げるようにして動かされた頭の上に初瀬は飛び乗った。
硬いその甲を初瀬は挑発するように蹴る。牛鬼はまんまと挑発に乗って暴れ始めた。それと同時に身を翻してアスファルトに着地する。あんなものの上で持ち堪えられるほどの体力はない。既に初瀬の視界は揺れ始めていた。
ぐっと奥歯を噛み締めて、ただひたすらに三笠を待つ。
前脚を弾き返す。避けて転がって、ひたすらに逃げ続ける。標的を変えようとするものなら、挑発して意識を向けさせる。そのうちに毒はすっかり回ったらしく、ついに初瀬は立っていることすら難しくなった。
(早く──!)
猛吹雪に交じって詠唱する声が聞こえる。もう少し、もう少しだ、と膝を叩いて立ち上がる。牛鬼は狂喜するかのように、一つ大きく吠えた。もう一度そんな牛鬼を翻弄すべく初瀬は構える。
その時だった。
キラリと吹雪の奥で何かが光る。直感的に初瀬は身を伏せた。真っ白な視界を塗りつぶすように光線が右から左へと渡る。真っすぐに撃ち出されたそれは牛鬼を飲み込んだ。熱が発生し、アスファルトが解けた雪で濡れる。初瀬も思わず目を閉じてしまう。再び冷気が頬を撫でる。恐る恐る開いた目に飛び込んできたのは、焼かれながらもその場から一歩も動いていない牛鬼だった。あろうことか、牛鬼は怒り狂ったように三笠の方へと突進する。
「! だめ──!」
意志に反して全く動かなくなってしまった体を初瀬は恨めしく思う。
吹雪の向こう、吹き荒れる風を割って牛鬼が飛び出してきた。突然の出来事に三笠は思わず後ずさりをする。それでも真後ろ、足元にはまだ息のある警察官が倒れ込んでいる。さすがの三笠も、彼を見捨てることはできなかった。
「ま、護らなきゃ」
恐れを飲み込んで術式を展開し、即座に装填した宝石を撃ち出す。いつもなら高価ゆえに一回の戦闘に一度まで、と決めている宝石だが生命の危機を感じる今は気にしていられない。幸か不幸か牛鬼が近寄って来たおかげで照準を修正する必要はない。
光弾となった宝石は牛鬼に当たると同時に榴弾のように弾けた。一瞬その足を止めることに成功するが、それでも牛鬼は突っ込むことを止めようとしない。このままでは正面から吹っ飛ばされてしまう。クールタイムも、術式の保護も忘れて三笠も必死に抵抗をする。それでもどんどんと距離が縮まっていく。榴弾がその目を潰そうとも、牛鬼の足は止まらなかった。
「頼む、止まってくれ!」
再度装填した宝石を撃ち出そうとする。が、過熱状態だったのか、それとも術式に故障が生じたのか、宝石は撃ち出されることなくその場で弾ける。どっと冷や汗が噴き出た。マズい。その言葉が思考を掻っ攫った。
ぐるぐると空回り始めた思考に、視界へ飛び込む牛鬼の般若づら。
「──させません!」
凛とした声。それと共に何かが牛鬼を殴り飛ばした。その後ろ姿と、魔力に三笠は覚えがあった。
「…………ふ、富士先輩」
名を呼ばれたその人は黙って一つ頷くと殴り飛ばした牛鬼に追撃の蹴りを放った。ぐらり、とあの巨躯が傾く。そこをこれまた見覚えのある赤い糸が絡め捕っていく。ぎりぎりと音を立てて絞まっていくその様を三笠は息を飲んで見守った。牛鬼はすぐに抵抗を止め、動かなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます