第15話「赤い糸」
三笠が怪鳥との戦闘を始める少し前、初瀬は八束の指示に従って前へ出た。
「ごめんなさい、私前衛向きではないんです。でもサポートならお任せを!」
後ろの八束が申し訳なさそうにそう言った。対峙する雷獣は威嚇なのか、猫のように背を高くし毛を逆立てている。これだけならかわいらしいものだ。しかしその周囲では静電気のようなものが走っている。雷獣、というスペクターに関して知識のない初瀬だがなんとなくその生態は予想できる。
「いきます! 私が隙を作ってお守りするので構わず突っ込んでください!」
(んな無茶な)
初瀬は八束の指示にぎょっとするが刀を構えて駆け出す。雷獣はすぐに動いた。閃光のような目のも止まらぬその動きを八束はどう捉えるというのだろうか。
「──巡る廻るは千のゆかり。撓み、移ろい、途切れることなく続く遍く連鎖よ。八束水臣津野命よ、引き寄せたまえ。想起せよ、『天下一遍林立縁起』!」
凛とした声と共に温かな風が吹く。そして一瞬にして視界に赤い綱が張り巡らされた。
「!?」
「初瀬さん! 気にせず進みなさい!」
一瞬困惑し足を止めかけた初瀬だったがそのまま突き進む。赤はどうやら、初瀬の行先を塞がないようにその手を伸ばしているらしい。雷獣はその赤い綱に困惑しているのかその速度が明らかに落ちている。
(雷獣の目標はあの男性か?)
初瀬が刀を持つ手に力を込めるとそれに答えるように鍔が鳴る。左右の自由が無いと見た雷獣は上へと跳んだ。
「ぬかったな!」
初瀬もそれを追って跳躍する。雷獣は飛べるタイプではない。地に足がついていなければ向こうは空中で回避ができないだろう。
(届……かない!)
しかし高さが足りない。刀を振るってもギリギリ届かない位置だ。落ちる、その瞬間に初瀬の足元に赤い綱で土台が作られた。精いっぱいそこで踏ん張っても撓まない強度のそれを力いっぱい蹴る。呼吸と共に一気に魔力が解放される。その勢いに任せて刃を横一文字に振るった。
しかし雷獣も綱を使って二度目のジャンプをし、それを回避した。初瀬は舌打ちをする。雷獣は赤い綱にもう慣れたのか、それを足場に後衛である八束の方へ向かっていく。
「八束さん!」
八束はその動きを予想していたのか、すでに身構えていた。かなり失礼なことは承知しているが、初瀬から見て八束は素早く動けるタイプには見えない。言動もどこかゆっくりとしている。が、この位置からでは八束を庇いに行くことは不可能だ。
八束が一瞬、素早く手を動かした。その直後雷獣が八束の元へ突っ込み、彼女もろとも地面に倒れ込む。どちらの動きも早かったため、少し遠くにいた初瀬の目にはその結末が映らなかった。急いでそちらの方へと駆け寄る。
雷獣は八束の灰色のコートに噛み付いた状態で拘束されていた。拘束しているのはあの赤い綱と、どこから取り出したのか、黒くて細いワイヤーのようなものだった。それが赤い綱の下に絡みついている。
「だ、大丈夫ですか?」
「えぇ、はい。やっぱり戦いは慣れませんね」
そう言いながら八束は手袋を外し、コートを上手く使って雷獣を絞め殺した。あまりにも早い手業に初瀬は呆気にとられる。よく見ると黒い皮手袋の指、その根元部分からワイヤーが出ている。
「あの、これって……」
「あぁ、これですか! 使い捨てなので使うか迷いましたが……やっぱりそういうことは考えない方がいいですよねぇ」
そう言いながら八束が見せるそれは暗殺に使われると聞いたことのあるものだ。手袋の中指と人差し指部分の根元にワイヤーが仕込まれている。
「うわ……かっ……じゃないか。なんというか、口では戦いは苦手って言ってますけど、結構な武闘派なんじゃないですか?」
「そうでしょうか……まぁ、これでも元警察官ですし、一般人面するのは許されないですよねぇ」
頬を掻きながら八束はそう返事した。こんなものを普段から持ち歩いているとは、と初瀬はそのギャップに面食らった。初瀬たちはすぐさま三笠と男性の方へと駆け寄る。
「三笠君、無事ですか……って鷦鷯さん! これはどういう……!」
八束が悲鳴のようにそう言った。初瀬もその光景に息を飲む。何があったのか、一瞬で読み取れないほどの複雑な状況だった。
雨の中、路肩で三笠の上に男が倒れ込んでいた。その男の上半身はバラバラになって辺りに落ちていた。下半身だけが空しく黒い何かにもたれかかっている。黒い塊は何かしらの強い力を受けたのか、ぐにゃりと曲がっていた。断面からの出血は留まるところを知らず、水たまりを伝って道路全体へ広がっていっている。その薄赤い水たまりが、早めについた街灯に、風に吹かれるたびにてらてらと輝いている。
「それは──俺が訊きたい」
鷦鷯は戦慄したように呟いた。彼の表情は、眼鏡が光を反射しているせいで初瀬には読み取れない。
「と、とりあえず……三笠君、無事ですか?」
八束が恐る恐る三笠に無事を確認する。
「あ、はい……無傷です……」
当の三笠はどこか上の空ながらもしっかりとそう返した。
「鷦鷯さん、初瀬さん、手伝ってください。とりあえず安全確保と連絡をお願いします」
「わ、分かりました」
八束の的確な指示に従い、初瀬たちは通報を済ませ、周囲の安全を確保していく。次第に付近を見回っていた魔術師らが集まってくる。そのおかげかすぐに初瀬もちょっとした休憩に入ることができた。軒下に入り、もう意味もないだろうが、濡れたジャケットをはたいて水滴を落とす。それから携帯を取り出してある番号にかけた。
『はいはい、何用? こちとら冬休みのところを叩き起こされてヤな気分なんだけど』
「知ってます。すみません、初瀬ですけど」
初瀬は一言、イラついた声の電話の主に謝った。向こうはそこまで本気で不機嫌ではないようで、声の調子はまたいつも通りになった。
『おー、なになに? また取引?』
「あぁ……まぁ。そうですね」
『ふーん、何が欲しいの?』
「あの黒いのについて、知りたいんです。そちらも担当していると聞いたので」
初瀬はもったいぶることなくそう告げた。三笠はというと、よほど心に来たのか着替えてくると言ったきり自宅に籠っている。あの黒いのについては既に、雑賀里香の家で回収された物が鑑識に行っているはずだ。先ほど見た黒い物体と、アレはよく似ている。早ければすでに答えは出ているはずだ。
『なるほど? 確かにあったなぁそんなサンプル。なるほどね。それが知りたいのね。それじゃあ……まぁ……いつも通りでよろしく。後でメールしとくよ』
そう言って電話の向こうの彼は一方的に電話を切った。約束を取り付けられたと確信した初瀬は電話をしまう。
(とりあえずはこれでなんとか)
そう思いながらまた現場の手伝いをしに戻った。
現場での処理がひと段落したところへ富士が現れた。
「すまん、遅れた」
そう言いながら現れた富士はどこか疲れたような顔をしている。そんな様子の富士に八束は心配そうな眼差しを向けた。
「とりあえず事後処理はこれでいいらしい。助かったよ、お疲れさん。三笠も災難だったな。んで……」
富士は皆に労いの言葉をかけた後に本題に入る。
「お前らが戦っているくらいだったかな。師匠から色々と連絡があったんだよ。例の雑賀の家から消えたであろう魔道具なんだが、やっぱり偽物だった。他に何があったかは正直分からんと」
「そうですか。それならもうどこかに捨てているやもしれませんね」
鷦鷯が顔をしかめながら呟いた。彼の言うことはもっともだ。
「かもな。でも師匠が言うには『贋作でも全くもって効果が無い、ということはない』そうだ。つまり使い方によってはなんとか使える物ってことだな。もしそれに犯人が気付いているのなら捨てていない可能性が高い、とも言われた。まぁこれが分かったからどう、というワケではないが……」
「それにしてもよくこんなにすぐ結果を教えてくれましたね。あそこいつももったいぶるじゃないですか」
「んん……まぁ……な」
鷦鷯の指摘に富士は思い切り酸っぱそうな顔をした。どうやらかなりのものを引き換えに差し出したらしい。
(やっぱり苦労人だなぁ)
初瀬は初見時の印象を思い出しながら内心で頷く。
「各班にもこれから伝達する。それでなんだが──市内の状況が悪化したってことで、おれら敷宮探偵事務所は一度捜査から離れることになった。これからは警備に力を入れることになる」
「! それはまた……」
三笠が反応した。何か反論するつもりだったのか彼は口を開いたが、すぐに申し訳なさそうな顔をしてその口を閉じた。
「全体の針路変更だからな。仕方ない。それから零課もこの警備に追従するように、と伝言を預かっている」
「ぜ、零課もですか?」
「あぁ。特に初瀬、お前はしっかり監視官としての務めを果たすようにと言われている」
富士の言葉に初瀬は目を丸くした。いよいよ今回の手伝いは左遷の一歩手前の段階なのではないか、と感じてしまう。押し込めていた不安がじわり、と滲みだした。それでもここで文句は言えない。何よりここに、初瀬直属の上司はいないのだ。
「とりあえずそんな感じだ。各々役割を違えるなよ。一度休憩に入ってくれ。追って指示をする」
そう言って富士は踵を返した。少し気の抜けてしまったとはいえ、他に人がいる場所で気を抜くわけにもいかない。少し視線を落とし、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「それじゃあ私は事務所に行って富士を手伝ってきますね」
「あ、それじゃあ僕も手伝います」
「あらあら、いいんですよ。休息はちゃんととってください」
八束は手をひらひらとさせて優しく笑ってそう言った。そこへ鷦鷯が割って入る。
「どうせできることはたかが知れている。それよりも次の指示があるんだろ、今の内に休んでおけ。……間違って人を巻き込まれても困る」
冷たくそう言い放って鷦鷯は八束に付いて行った。二人が見えなくなった後に初瀬は三笠を小突きに行った。
「ちょっと、なんで言い返さないの」
初瀬からすれば何となしに腹立たしい光景だった。それでも当の本人は眉を下げてはいるが首を横に振る。
「いやいや。あの二人は僕よりもすごいから。言い返せるわけないよ」
「はぁ?」
一つも笑えない返答に初瀬は腕を組んだ。とはいえこれ以上突っ込むのも野暮な話だ。以前も似たようなことがあったな、と初瀬は回顧する。本当によくあることなのだろう。彼の性格も含めて、そういう関係が既に出来上がっているらしい。
(呆れた)
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