第5話「違い」
目撃情報を元に全員で辺りを見て回る。しかしそれらしき姿は一つも見当たらず、途方にくれた三笠たちは暗く、水気のある場所を中心に捜索をすることになった。
「今回目撃された小動物に近い形のスペクターは、大体水路とか暗くてじめじめしたところにいるらしいのでそこを探してみましょう。あぁアレに限らずスペクターは大体そういうところにいるんですけど」
四人の中で最もスペクターに詳しい赤鴇の指導のもと、三笠たちは探索を開始した。水の都と呼ばれることもあって、水路は街のあちこちに張り巡らされている。常に水をたたえているそこを探し続けるのはなかなかに骨が折れる作業だ。
三笠は用水路を見た後に、道の端にある雨水を流すための小さな溝を覗き込んだ。
「……あ」
ばちり、と溝の中にいた何者かと目が合った。その次の瞬間には、三笠と目が合った何かが道路へと勢いよく飛び出していた。
「! 出ましたね!」
それを一目見た赤鴇が声を上げた。どうやら当たりだったらしい。道路に飛び出してきたのはぱっと見、大型のげっ歯類に見えた。近いものとしてはヌートリアだろうか。ごわごわとした茶色い毛が全身を覆っている。ヌートリアと違うのはその尾が二股に分かれていることと、大きく突き出した切歯が異様に鋭く長いことだろうか。
目は血走り、非常に獰猛な表情をしている。初瀬も春河も赤鴇の声ですぐに反応しネズミを追いかけ始めた。一番最後に動いたのは、そこを覗き込んでいた三笠だった。
ネズミは走って来た車に驚いた後に、近くにあった中学校の校庭へと飛び込んだ。それを見た初瀬と春河は足を止める。赤鴇だけが中学校の敷地内へ侵入していった。そこへ三笠もようやく追いつく。
「マズいなぁ。渚ちゃん、三笠と一緒にトキくんについてくれる? あの子戦いは不得手なんだよ。ヤバそうだったら撤退して! オレは浦郷さんに連絡して、学校側に呼びかけてくる!」
「分かりました」
春河の指示に二人は頷く。今日は平日だが、幸い校庭で授業を行っているクラスは無いようだ。それでも生徒がいるであろう校舎がすぐ近くにある。早くネズミを無力化しなければ、と三笠たちは校庭に飛び込んだ。
ジグザグと不規則に動き回るネズミ目掛けて赤鴇が何かを投げた。彼の手元から放られたそれは、宙で姿を消したかと思えばネズミの目の前に勢いよく突き刺さった。
赤鴇が投げたのはダガーナイフだった。それが三本、見事に地面に突き刺さっている。相変わらず軌道が上手く隠されているな、と三笠は感じた。
それに驚いたのだろう、ネズミが勢いよくその身を翻す。
「そっちに行きます! 先輩!」
「えっ!?」
咄嗟のことに準備中だった三笠はぎょっとする。赤鴇も三笠が準備中だったことに今気が付き、顔を青くした。気が立ったのかネズミは勢いよく飛び上がり、三笠目掛けて切歯を突き立てんとした。
「呆れた!」
鋭く研がれた切歯を、三笠とネズミの間に割り込んだ人物が弾き返す。金属と金属がぶつかり合うような、強い音がした。長く黒い、ポニーテールが風に揺れる。パンツスーツを着こなしたその人は、手に持った長物を振るってネズミを振るい落した。
一瞬だけ十分な間合いが取られる。それを起点にし、初瀬は居合の構えを取った。その瞬間膨大な魔力がその場に発生した。三笠は息を飲んで、その背を見る。三笠自身そこまで魔力に敏感ではない。それでも肌で感じるほどの量だ。
「え、何が……」
訳が分からず混乱する三笠を放って戦闘は続く。
白刃が翻った。
抜刀と共に炸裂するエネルギーは風を、熱を生み出した。溢れ出た余剰魔力は火花のように弾けて飛ぶ。酷く手荒い使い方だ、と三笠は感じた。魔術師のように繊細に術式を編み出すわけでもなく、スペクターのように研がれているわけでもない。その辺で拾った石をそのまま使っていると言わんばかりの荒々しさだ。
一閃、その勢いに気圧されたスペクターは致命傷を受けたのか後ずさる。しかし、前肢が傷ついたせいか上手く動けずにその場で震えた。もう一歩も動けそうにないのは一目瞭然だ。
「おい、ちょっと。大丈夫なの」
それを確認した初瀬は三笠の方へ振り返った。三笠はというと、ぽかんとしながら尻もちをついている。その様子に呆れたのか、初瀬は目を細めた。
「……魔術師?」
「じゃない」
三笠の問いに初瀬はキッパリとそう答えた。予想通りの回答にどこかほっとしつつも、三笠の疑問は拭えない。困惑したままの三笠を放って初瀬は刀を鞘に納めた。それと同時に辺りに溢れかえっていた魔力が薄まっていく。
「とりあえず立ったら?」
「あ、あぁ……」
未だに立ち上がらない三笠を冷たい浅縹色の瞳は見下ろす。三笠は急いで立ち上がり服についた砂を払った。初瀬の攻撃を受けたスペクターは小さく震えてはいるが、それ以上動く様子はない。
「あ、そうかこいつは……」
そこから香る、甘い香りに三笠は気が付いた。群れで行動するスペクターには連帯感が強い種類がいる。自分がやられるとそれを周囲の仲間に知らせるために、こういった強い香りや魔力を発することがある。このスペクターは香りで知らせるのだろうか。段々と強くなっていく甘ったるい香りに三笠は口元を覆った。
とめどなく溢れるその香りに初瀬も異常を感じたらしく、顔をしかめた。
「これは……どういうこと?」
「恐らくですけどスペクターの危険信号だと思います」
「なにそれ」
「ここに『俺らの敵がいるぞ』って知らせるやつですね。瀕死状態になると出す種類がいるんです」
「瀕死になると? じゃあ死んだらこのにおいは無くなるってこと?」
「たぶんそうです。って何やってるんですか?」
納めていた刀を抜き、スペクターに突き立てようとする初瀬に三笠はぎょっとする。
「は? 何って、危ないからとどめをさすだけ。こんな所に集まって来られたら子供が巻き添えになる」
「……それは、困ります。ここでまとめて仕留めないといたちごっこになる。僕らの管轄外に出られてもややこしいことになりますし」
そう言って三笠は初瀬の腕を掴んでその手を止めさせた。管轄をまたいで行動されると責任の行先など、面倒ごとになりかねない。三笠は一度だけそんな面倒な事案に関わったことがある。あの苦労は二度と味わいたくないし、何より今後の安全に関わる話だ。
「ちょっと? 本当にそうするつもりなわけ? 管轄がどうって、そんなこと気にしてる場合?」
三笠の言葉に対して初瀬は興奮気味に訊き返す。
「このまま斥候やら労働個体が走り回る方が危険なんじゃないですか。前回は怪我人がいたから追撃はしませんでしたけど……! 逃がしたのが何をするか分からないんですよ」
「! ……いや、それを考えても今この場所でおびき出すのは賛成できない。最近スペクターの活動が活発なんだろ。暴れ出したら止められるの」
三笠の反論を飲み込みつつも初瀬は食い下がる。二人の視線はぶつかり合い、火花を散らした。三笠も初瀬の言い分を理解してはいるが、これは滅多にないチャンスだ。この機会を逃せば、またこの群れを探して歩き回ることになる。
「先輩!」
無言で競り合う二人から少し離れた場所で、赤鴇が鋭く声を上げた。その声にハッとした三笠は周囲を見回す。南側のフェンスのその向こう、道路を駆けてくる大きな茶色い毛玉が見えた。それは勢いよく跳び上がりフェンスを越える。一番大きな個体に続いて小さな個体が次々とフェンスを越えていく。それを目にした初瀬はこめかみに脂汗を滲ませた。
「本当に守り切れるんだろうな……!」
「それは僕の仕事じゃない」
怒気を漂わせる初瀬の言葉を三笠はすっぱりと切った。
「僕たちはあくまで魔術師であって、警察官じゃない。僕はまだ仮登録だから貴方の指示に従わなければいけないけど……それでも僕らの仕事は駆除。そして貴方たち零課の仕事は駆除の補助と安全の確保、だったはず……です」
三笠は先ほどの穏やかな様子とは打って変わって強く一線を引く。
「要するに指示に従えってことか」
まるで突き放すかのような言葉に初瀬は苦々しい顔をする。中学校の方を振り返ってみれば、状況は変わるどころかよくない方へ進んでいた。窓際の生徒の数は増え、外廊下の近くでは教師と生徒がもめている。
初瀬は未だ納得できていない様子だったが、状況を飲み込んだのかすぐに臨戦態勢に入る。三笠は腕まくりをしながら前に出た。
「僕が出ます! 赤鴇、サポートお願い!」
「了解ですっ!」
深く息を吸ってあらかじめ編んでおいた術式を展開していく。赤鴇と初瀬は校舎前に陣取って警戒をする。スペクターの波はすでに校庭を半分横切っていた。
(今は範囲の方が欲しい……)
ネズミの数を数えながら魔力を使って術式を活性化させていく。その数は十。とても少ないとは言えない数だ。魔道具も魔力もフルに使って攻撃準備を完了させる。
ぱっと辺りに見えない力が満ちて気温が上昇していく。見えないエネルギーたちは一瞬のうちに三笠の手元へ収束していき、装填された小さな魔力の結晶はネズミの頭上へ降り注ぐ光弾となって発現した。砂埃が派手に立ち上がる。その砂埃はすぐに冷たい風が攫っていった。
「まだ、まだ!」
二回目、今度は少しだけ着弾地点を調整して撃ち出す。光の礫が雨あられとネズミに向かって降り注いでいく。三笠の魔術を一気に叩きこんでしまうと、あの程度のスペクターはすぐに殺してしまう。
(少しずつ削って撤退させるのがいい……けどどうだろう。引くのかな)
まだボスらしき姿は見当たらない。
風が強いおかげで、爆炎や砂埃で視界が悪くなることは決してないだろう。それを幸運と捉え三笠は次発の準備をしつつそちらを凝視する。弱い個体はこの二回の攻撃でもう動けなくなってしまったらしい。どう出てくるのか、身構えながら考えていたその時だった。
「! なんですかアレ!?」
「さっきの、ボスじゃなかったのか!」
赤鴇が小さく飛び跳ねながら変な声を上げた。三笠も思わずそちらを見る。赤鴇の視線の先、校庭と市街地を仕切るフェンスの向こうに茶色い大きな何かがいた。
何ですかアレ、と驚いていながらも赤鴇はその正体にすぐ気が付いたらしくまた身構える。その間にも大きなソレはフェンスを跳び越え三笠たちの方へ向かって来る。
まな板のように広い横幅を持つ切歯が、曇り空を鈍く反射している。毛ヅヤの良さはその栄養状態がいいことを示していた。確実にこれまでの個体とは違う、いわゆるボス個体だと確信できる風貌をしていた。目は血走り、太く大きな足は鋭く地面を掴んで蹴っている。
「わぁ、怒ってますねアレ」
「そんなこと言ってる場合!?」
初瀬が赤鴇につっこむ横で三笠は温存していたもう一つの術式の展開を始めた。
展開された術式は即座に魔力と詠唱によって活性化する。
「一陣の風、鳴動するは星の嘆き。地を這う竜よ、その力を此処に。奔れ! ──竜哮一閃!」
三笠が簡易詠唱を完了させるとボス個体目掛けて光の束が撃ち出された。熱風が巻き起こり、周囲を圧倒する。先の攻撃を生き残った個体諸共三笠の魔術が吹き飛ばした。
爆炎も熱風も木枯らしがかっさらっていく。薄くなったそれを割るようにしてボス個体が飛び出した。
「っ!」
錯乱しているのか、ボス個体は攻撃した三笠の横を素通りしてその後ろ、校舎の方へと向かっていく。踊るようにして手足をばたつかせ、前進するその姿は化け物以外の何物でもない。その鼻先が中庭へ入る、その瞬間にボスは地面に殴り落とされた。
「……危なかった」
どさりと重さを持って落ちた肉塊の横で、初瀬が刀を納めた。
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