第4話「顔合わせ」

 二〇一五年十二月二十七日。


 島根県松江市の住宅街にあるアパートで二十八歳の女性が死亡しているのが発見された。第一発見者は大家で、被害者の部屋の真下に住んでいた。事件当時は部屋にいたが、聞き慣れない物音がしたため、被害者の部屋へ行ったと証言している。


 また、本事件には魔術師およびスペクターと呼ばれる非生物が関わっているとされる。


 ──よって、零課に預けること。



 初瀬が零課に入って一番にされた通達はそれだった。


 翌日、いつも通り暗い曇り空の下、初瀬は出勤した。一課の横を通り抜けて、零課へと向かう。寒さのせいか、しっかりと閉じられたドアの向こうからはあの怒鳴り声が聞こえてくる。


 それを聞かなかったことにして初瀬は零課のドアを開けた。


「あっ、来た来た」


 出迎えたのは聞き覚えのある、よく通るテンションの高い声だった。声の主は嬉しそうに初瀬の前へやって来る。明るい茶色の短髪をした若い男だ。一課にはいないタイプの人間に初瀬は少し動揺する。


「ね、初瀬さんだよね! オレ春河進一はるかわしんいちっていうんだー。よろしく、ってか渚ちゃんって呼んでいいっすか?」

「え、あ、お好きにどうぞ……」

「やったー」


 まるで大型犬のように喜びを全開にするその様子に初瀬は呆気にとられる。髪色と言動のせいでかなりチャラついて見えるのだが、彼は本当に警察官なのだろうか。そんな疑いをかき消すように奥にいた浦郷が二人に声をかけた。


「おい、春河。寒いから早くドアを閉めろ」

「あ、はーい」


 どたどたと音を立てながら春河はドアを閉めに行く。その流れで部屋の中に入った初瀬を浦郷は手招きする。


「こっちだ。やかましくてすまない」

「いえ、慣れてます。うるさいのは向こうも一緒ですから」

「……それもそうか。悪いがアレが今日お前に色々教える役になっている。まぁ、悪いヤツではない……それは当たり前か。一応警官だしな。そうだ。今日から昨日言ったスペクター駆除の手伝いと、仮登録魔術師の監視官をやってもらう。詳細は昨日送った通りだ。分からないことがあれば春河進一に訊いてくれ。仮登録魔術師とは現地で集合することになっている」

「分かりました」

「ソイツについては春河進一も知っているから、すぐに分かるはずだ」


 そんなちょっとしたやり取りをした後に初瀬と春河は外へ出た。相変わらずの天気に気分を下げつつ、二人は今日の仕事の現場へと向かう。その道中、春河進一はほとんど黙ることが無かった。


「ねぇ、そういえば元々一課にいたって聞いたけどホント?」

「本当だけど」

「へーすご! オレ一課の人初めて見たわ。それって魔道具? 渚ちゃん魔道具使うん?」


 春河は話題をころころと変えた。初瀬が息をつく間もなく次から次からと話題を引っ提げて来る。その最中、初瀬が持っていた長物に気が付いたらしく、指摘をする。


「まぁ、そうですけど……魔術師にとっては珍しくもないんじゃないんですか?」

「んー、確かに魔術師からしたら普通かー」


 初瀬は春河の相槌に違和感を覚えた。まるで自身が魔術師ではないと言わんばかりの相槌だ。


「あれ? 春河さんって魔術師ではないんですか?」

「え、そうだけど。しかもオレは魔道具とか使えないし、有用な異能力(ギフト)も持ってないよ! かんっぜんに一般人と同じ! あ、もしかして……署内の噂、丸のみにしちゃった感じ?」

「鵜呑みですか」

「あ、そう。鵜呑み。零課は魔術師しかいないーって話。アレ真っ赤な嘘なんよね」

「えぇ……」


 初瀬は思わず立ち止まって困惑する。署内ではもっぱら『零課は魔術師だけで構成されている』やら『むしろ魔術師なら誰でも入れるところだ』やら、その他黒い噂がささやかれていた。そんな初瀬の困惑をかき消すように春河は首を横に振った。


「事実! オレはマジで普通の人だし、浦郷さんも魔術師じゃないよ。てかあの人魔術師のこと大嫌いだし。なんで零にいるのかよく分からないんだよねー。魔道具を使う人は松島さんくらいで、他にもメンバーはいるけどオレが知ってる範囲では魔術師は一人もいないんすよ」

「なるほど、そうだったんですか」


 春河の説明に初瀬は困惑しながらも頷く。やはり噂はアテにしてはいけないのだろう。


(それでわたしに声がかかったのか。魔道具使いですらいないから……)


 松島が少し強引な手段に出たのも頷けてしまう。


「てか敬語止めてよー。なんか距離を感じるからさ」

「距離を取ってるんですが」

「えぇー」


 初瀬が正直にそう返すと分かりやすく春河はしょげた。本当に正直な人だ。浦郷が話していた通り──当たり前だが、悪い人ではないのだろう。


「まぁそのうち! そのうち敬語止めてくれたらいいからさ! どうせほぼ同い年だしってか渚ちゃんの方が年上か! え、渚さん……?」


 ぴたり、と動きを止めて春河は初瀬の方を見る。


「好きな方で呼んでくださいよ……別に、ここじゃ春河さんの方が先輩ですし」

「うーん、なるほどなるほど……じゃあこのままでいいか! そういえば今日の仕事なんだけど、オレが全部説明しなきゃいけないんだっけ?」

「わたしは何も聞いてませんが」

「おけおけ、スペクターについては説明しなくてもいいって言われてるから省くけど。最近スペクターの活動が活発でさー、こうやって毎日目撃情報があったところに行って、駆除をするんだよえーと、渚ちゃんは魔道具が使えるんだよね。んじゃ駆除の仕方も知ってるの?」


 首を傾げながら訊いてくる春河に、初瀬はしっかりと頷いた。隠すべきか少し迷ったが、自身の手札をむやみやたらに隠しても仕方がない。絆されているようで少し嫌だが、初瀬から見て春河は脅威に感じられない。決して馬鹿にしているわけでもなく、ただ純粋にこの人は悪い人ではないと感じられた。少しうるさくはあるが。


「すげー、知ってんのかー。オレはさっき言った通りそういうのはダメダメだから、あんまりアテにしないで欲しいな。戦闘になったらマジでオレは自分の身を守るのに必死になるから! そこんところよろしく! ま、オレらの仕事は見守るだけだけど! 自分の身は自分で守らないといけないけどねー」

「分かりました」


 ちょうど話が途切れたところで待ち合わせ場所である月照寺に着く。人通りの少ない駐車場の隅に二人、立っているのが見えた。春河はそちらへ駆けて行く。初瀬もそれに続いて二人の前へ移動した。


「あっ」


 待っていたうちの一人、背の高い方が初瀬の顔を見るなり声を上げた。それで初瀬もその人のことを思い出す。同じくらいの背丈に、橙色の瞳。髪色は特徴的な鈍い銀色の──


「あの時の警察の人、ですよね」

「そうだけど……」


 魔術師であることはあの時に分かった。まさかその人が、自分が監視する対象になるとは思ってもいなかった。見たところ荒々しさ欠片もない穏やかそうな男だ。虫も殺せそうにない、そんな頼りなさにも似た優しい雰囲気をしている。


(魔術師っぽくないな)


 改めて対面して初瀬はそう感じた。初瀬がこれまでに会ってきた魔術師と違って何もかもが柔らかそうだ。


「えぇと、僕は三笠冬吾っていいます。その、よろしくお願いします」

「よろしく。わたしは初瀬渚」


 初瀬は差し出された手を軽く握り返し、すぐに離した。


「なんだ、先輩のお知り合いだったんですか」


 ひょっこりと春河の横から顔を出したのは、非常に小柄な少年だった。白いパーカーの上から市内の高校のブレザーを羽織っている。その胸元には『Ⅰ』の形をしたピンバッジが付いている。彼は初瀬の視線に気が付いたのか、背筋を伸ばして一歩前に出た。


「ぼくは赤鴇昇星あかときしょうせいっていいます。今年登録魔術になったばかりです。よろしくお願いしますね」


 赤鴇はそう言ってぺこり、と綺麗にお辞儀をする。高校生でも登録魔術師になれるのか、と初瀬は驚いた。魔術師になるのに年齢は関係ないと聞くが、まさかまだ下があるのだろうか。初瀬はその制服に見覚えがあった。


「もしかして、北高の子?」

「はい。今年入学しました!」


 元気よく答える赤鴇に初瀬は少しだけ表情を柔らかくする。そんな初瀬に笑い返した後に赤鴇は春河の方へと向き直った。


「……ところで進一、今日のお仕事はどうなっているんですか?」

「ん、えっとねーこの辺でネズミ型のスペクターを見たっていう通報があったから、それの調査と駆除かな。トキくんやる気だなー」

「そりゃそうですよ! やっと先輩と一緒にお仕事ができるんですから。ずっと楽しみにしてたんです」


 赤鴇は嬉しそうにそう話す。三笠はというと、照れ隠しなのか右上を見たまま静止している。


 そこへ不意に、強い風が吹いてきた。冷たい風は容赦なく四人の体温を奪っていく。


「うわっ」


 変な声がしたと思い、初瀬が三笠の方を見ると三笠の顔にレジ袋が張り付いていた。三笠は驚いたのか、だいぶもたつきながらそれを取る。その様子を見ていた初瀬はとてつもない不安に駆られた。


(本当に大丈夫なんだろうな)

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