第3話「魔術師と警察官とスペクター」

 慌ただしく廊下を行く警官を横目に、初瀬は零課を目指して歩いていた。日はすっかり沈んでいるが師走の県警では皆忙しそうに動き回っている。ふと見た廊下の先では、元同僚たちが駆けて行くのが見えた。それを忘れるように視線を下に落とし、零課の部屋に向かって歩く。そうしていると、すぐに目的地へとたどり着いた。


(とりあえず報告したら帰ろう)


 そう考えながら初瀬はドアノブに手をかける。その時だった。ドアの向こうからどたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。初瀬はすぐに誰か来ると察して、ドアノブから手を離し一歩後ろに下がる。そこへジャケットの上からコートを羽織った男が飛び出してきた。


 明るい色の短髪に利発そうな目元の男だ。彼は初瀬に一目もくれずにドアの内に向かって一言だけ言う。


「んじゃ、せっかくなんで見回りしてきまー!」

「ちょ、お前! 春河進一はるかわしんいち! 待て!」


 一言言い残して廊下の向こうへ去っていく男──春河進一に向かって内にいた人物は叫んだ。が、彼の足は止まらずに階段の方へと消えていった。その様子を若干引き気味に見ていた初瀬に、廊下に出てきたその人は気が付いた。


「ん、来客か」


 困ったように廊下を覗き込んでいた彼は顔を上げて服の裾を直した。


「あ、客ではないです」

「……あぁ、もしかして例の大型新人か?」

「……かもしれないですね」

「報告だろ。入ってくれ。まぁ、暖房が壊れているから冷えるけどな」


 男が招くままに初瀬はその中へと入っていく。元々は倉庫だったのだろう。雑多な世界のど真ん中に、机と椅子が無理やり五つほど置かれている。


 その机の上もまた散らかっているものがあったり、背丈と同じくらいの高さに段ボールが積まれたりしていた。ごちゃごちゃとした空間に気圧されながらも、初瀬は男の勧めに乗って近くの椅子に腰かけた。すぐ隣りに置かれたストーブから、熱気が漂ってくる。


「えーと、とりあえず俺は浦郷うらさと。月子さんから話は聞いてる。初瀬……で合ってるか」


 浦郷はメモ帳をめくり、そこから目を離さずに初瀬に問いかけた。初瀬が「そうです」と返すと、浦郷はゆっくりとメモ帳から顔を上げる。


「改めてここについてちゃんと説明するように言われている。……報告が先にしたいならそれでもいいが、どうするか」

「説明を先にお願いします。本来ならもう聞いているはずなので」

「それもそうか。そこに関してはつ……松島さんに文句を言ってくれ。俺は現場に出ることはほとんどない、秘書的な役割を担っている。各員に情報共有の連絡やら、指令、他の課との連携をする。それで……ゼロについてはどのくらい知ってる? 詳しくは知らない感じか?」

「そうですね、署内で聞く程度なら」


 そう返しながら初瀬はその噂を思い出す。確か『魔術師がらみの事件を担当する、魔術師で結成される組織』だったか。他にも『魔術師と癒着している』や『出世から一番遠い場所、島流しの先』というあまり外聞のよろしくない噂が多く聞かれる。尾ひれがついているのは当然だろうが、あの魔術師と絡むことのある課だ。ロクなところではないだろう、というのが初瀬の見解だ。初瀬の言葉に頷きながら浦郷は話し始める。


「そうか。基本的に零課は魔術師が絡む事件事故、それから登録魔術師の監視、スペクターの駆除の補助を行っている。他にも雑務があるが……大きな仕事はこれだな。初瀬、悪いがお前については色々調べている。だから知っているであろうことは説明しないからな」

「! それは……」


 浦郷の言葉に初瀬はぐっとつばを飲み込んだ。そんな初瀬の表情を見た浦郷は小さく鼻を鳴らしながらこう続けた。


「言っておくが脅しじゃない。零課は経歴を見たうえで、複数人の推薦が無いと入れないからな。それで、今回初瀬に頼みたいのは仮登録魔術師の監視だ。その過程でスペクターの駆除やら調査やらすることになるだろう。その辺に関しては明日別のヤツが教えることになっているから、その時に訊きたいことがあったらソイツに訊いてくれ」

「わ、かりました……」

「ちゃんとした零以外の人間に監視官を任せるのは異例っちゃ異例だが、こっちも人手が足りないんでな。おろそかにすると市民に危険が及ぶ」


 浦郷は真面目なトーンでそう話す。初瀬もそれは理解していた。


 スペクターというのは、いわゆるUMAや妖怪、幽霊などの科学的に存在証明が難しいもの全般のことを指す。あまりにも指すものが広い、実に曖昧な言葉だ。スペクターはその性質から様々な事件や事故を引き起こすことがある。その対処には相応の専門知識と経験がいる、というのは世間でよく知れたことだ。避けて通っていた初瀬ですらそれは知っている。


 魔術師について自分は何をするのか、スペクターなんて相手できるのかなど気になることは山ほどある。しかしそれよりもさらに、初瀬には訊かなければならないことがあった。


「一つだけいいですか」

「なんだ」

「わたしを推薦したのは誰なんですか。それなりに気を付けていましたし、そもそも零課って──」

「悪いがそれを言うことはできない。と、いうか俺も知らない。推薦者を知っているのはたぶん、松島さんだけだ」

「そうでしたか……」


 浦郷の返答に初瀬は肩を落とす。


 初瀬が秘密裏に行っていたことは他人、特に同じ職に就く者には絶対に知られてはいけないことだったのだが。今後の立場に関わることだ。不安でしかたがない。


 全く見当のつかない推薦者が何者なのか、それだけで初瀬の思考はいっぱいになりそうだった。


「……色々と大変だとは思うが、これだけはアドバイスしておく」


 思考が鈍り始めた初瀬を気にかけているのか、少し柔らかい口調で浦郷はこう付け加える。


「仮登録魔術師も、登録魔術師も気に食わなければ撃っていい。まぁ年内、一週間くらいだがこれだけは忘れないように」

「え、それは……」

「これも零課の仕事だ。お前だって、いやお前なら魔術師がグレーな存在なことは解るだろ」


 がたり、と音を立てて浦郷が立ち上がる。


「そういうことを、零課はやる必要がある。さて、もう疲れたろ。報告は事前に受け取ったメールだけでとりあえずは十分だ。詳しいルールは家に送り付けてある。どうせ明日には情報更新しなきゃいけないしな。帰った帰った」


 追い立てられるようにして初瀬は部屋を出た。時計を見てみれば、もう二十三時になりそうだった。この時間帯になればさすがに誰も廊下にいない。人がいる場所は仮眠室か喫煙室だろう。


「……痛」


 一層冷え込んだ空気に身震いをした初瀬は、痛みを訴え始めた頭を抱え、帰路につく前に喫煙室に寄ろうと歩き出した。

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