魔道の蒐集人 ーside Episode-

悠季

曇天から差す光

 冷たいようでどこか温かさも感じる土と落ち葉の感触。目の前を通る小動物たち。森の奥から聞こえる鳥の鳴き声。髪をなぜる冷たい風。

 夕刻も半ばを過ぎて、人の通りも全くないこの山中。丸二日食べていない体はもう限界、ここで力尽きた。誰かが見つけてくれなければ、もう終わり。

 ここで土に還るのも一興だけど、やっぱり嫌だなぁと思ったその時。

「ひ、人……?」

 子どもの声が聞こえた。

 イリスが勢いよく顔を上げると、目の前には十一、二歳くらいの少年の姿。いきなり顔を上げたのに驚いたのか、目を丸くしてこちらを見ている。

 そんな少年を見て、イリスが発したのは。

「食べ物、ありませんか……」


 ***


「お姉さん、何日食べてなかったの?」

 少年の問いに、口にパンを頬張りながら答える。

「んぐっ、えっと、丸二日ですかね」

 少年から差し出された水をイリスは素直に受け取り、口に含んだ。喉を冷たい水が潤おしていき、生き返った気分になる。

「はぁっ、ありがとうございました」

「うん、どういたしまして」

 水を返して、一度伸びをする。そんな間にも隣からの視線を感じる。少年はイリスをちらちらと興味深そうにうかがっていた。聞きたいことがあってウズウズしているよう。

 こっちから話題を出してあげようとイリスは少年に向かって自己紹介をする。

「私はイリス、イリス・オーヴェルと言います。さっきは助けてくれてありがとうございました」

「僕はリュカ。えーっとイリスさん、どうしてこんな山の中で倒れてたの?」

「えっ。そ、それは……」

 途端に歯切れが悪くなる。少年――リュカから目をそらして近くの木を見つめた。

「実は、一緒に旅をしていた仲間とはぐれてしまって……食料も彼が持っていたので、手持ちの分が尽きた私はこんなところで倒れる羽目に……」

 とても気まずそうに段々と語尾を小さくさせながらも、少年に経緯を説明する。

 二日前に任務を共にするバディとはぐれてしまい、途方にくれたイリスはそのまま任務先に向かおうと思った。しかし、食料もないまま先に進めるはずもなく、ここで力尽きてしまったわけで。

「で、でも大丈夫です! これ見てください」

 胸元からペンダントを取り出して自信満々にリュカに見せる。真ん中には小さい宝石が埋め込まれていて、何かに呼応するように光っている。

「ただのペンダントに見えて実は追跡の魔術がかかっているらしいのです。い、今頃、仲間が私を探してくれていると思いますよ!」

 それを聞いて、リュカは何やら考え始めた。あごに手を当て、思い悩んでいたが、すぐにイリスの方へ顔を向けてこう言った。

「それじゃあ、うちの村にいるといいよ。僕の家は一人でちょうどいいし、動き回るよりいいんじゃないかな」

「いいんですか……? じゃあ、お願いします!」

 リュカの言葉に一瞬の不安を覚えたものの、頼れるのがこの少年しかいないイリスは、リュカの申し出をありがたく受け入れた。

「じゃあ、行こう。もうすぐ日も暮れちゃうし急がないと」

 先導するリュカの後に続いて山を下り始める。あれだけ迷っていたのに、リュカについていくと、すいすいと道を進んでいく。

 小一時間ほど歩くと、リュカの言う村が見えてきた。畑が広がり、作業を終えたのか人々は家に帰ろうとしている。

 山を下り、村に入って歩いていると、前方から怒り気味の老人がどしどしと足音を立ててこちらに向かってくるのが見えた。

「おい、リュカ! 何をしてたんだ! もうすぐ儀式だというのに、フラフラされてはかなわんと何度言ったらわかるんだ!」

「ごめんなさい。山に山菜を取りに行ってて……」

「ぐっ……だがな、もう時間がないんだ! あまり出歩かないように。わかったな!」

 老人は己の言いたいことを言い尽くすと、またどしどしと大きな足音を立てて、来た道を戻っていった。

 二人はしばらく立ち止まり、間に沈黙が広がる。下手に触れない方がいいとイリスは話題を変える。

「リュカくんの家、案内してくださいよ」

「え、ああ、うん……こっちだよ」

 案内されたリュカの家は村の奥、他の家とは離れたところにあった。近くには森があり、本当に村の外れの方にあるのだとわかる。

 家には誰もいなかった。そのわりに部屋は二つもあって、一人で暮らすには大きく、おそらく家族と暮らしていた家なのだとイリスは察した。

「ベッドはこっちの部屋にあるから使って。明日シーツも洗うね」

「何から何まで……ありがとうございます」

「いいよ、どうせあと三日で使わなくなるし」

「……?」

 リュカの言葉に違和感を覚えるも、聞けそうな雰囲気ではなく、イリスは口をつむぐ。

 ぐぅぅぅぅぅぅ。

 イリスの腹の音が静かな部屋の中に響き渡る。

「く……ぐぅぅぅって。さ、さっき食べてたのに、あはは、お腹鳴って……!」

「ご、ごめんなさい! やっぱりまだお腹空いてたみたいで……! 二日分の空腹はあれだけじゃどうにもならないみたいです……」

「ううん、大丈夫。僕もお腹空いたし晩ごはんにしよう」


 ***


「ごちそうさまでした! 美味しかったです」

 リュカと一緒に作ったシチューと用意されたパンを食べ終わり満腹になる。二日分の空腹は桁知らずらしく、一人でかなりの量を食べていたイリスに最初は驚いていたリュカも、美味しいという言葉に頬を少し赤らめて喜んでいるように見えた。

「食事どころか、寝床まで貸してくれるのですから、私にできることなら何でも言ってくださいね! お手伝いしますよ」

「いいの?」

「はい!」

「じゃあ、明日の洗濯を手伝ってほしいな。僕一人じゃシーツまで洗うの大変だし」

「もちろん、いいですよ」

「あとは……」

 少しの躊躇いを見せた後、リュカは口を開く。

「えっと、イリスさんは旅をしてるんだよね? その……旅の話なんかを聞かせてほしいな」

「そんなことでよければいくらでも。私もリュカくんのお話聞きたいです」

 そう言ってイリスはこれまでの旅の話をし始めた。仲間と初めて会った矢先にトラブルに見舞われたこと、あまりにも迷子になるので追跡の魔術がかけられたペンダントを持たされたこと、魔物が巣くう町へ行き封印したこと、時が止まった町へ行ったこと……。旅先での色んなことをリュカに話した。もちろん、話せる範囲のことだけを。

 その間、リュカは目まぐるしく表情を変えていた。次から次に飛び出す話にワクワクと目を輝かせ、先ほどまでの暗い顔をしていた少年とは思えないほど、年相応らしい表情を見せていた。

 ひとしきり話したところで、イリスはお茶を飲む。リュカの顏を窺うと、とても満足そうな笑みを浮かべていた。それを見てホッとする。

「ありがとう、イリスさん。とっても楽しい話が聞けたよ!」

「喜んでもらえてよかったです」

「それでね、そんな楽しい話の後でなんだけど……」

 口を閉じて俯くリュカ。何やら話したいのか、口を開けては閉ざしてを繰り返している。

「さっきも村長が儀式とかなんとか言ってたと思うんだけど、この村近くの山には昔から神様がいてね、神様から怒りを買わないために数年に一度、生贄を差し出すんだ」

 イリスの瞳をしっかりと見つめて話すリュカ。その目はすがりつくように潤ませている。

「僕、その生贄に選ばれて……三日後には生贄として捧げられるんだ」

「そんな……」

 先ほどの老人の言葉にも納得がいった。生贄となる子どもが山に行って、何かの拍子に怪我や死なれでもしたら都合が悪いのだろう。

「あと三日の命、好きなことでもして過ごそうと思うんだ。イリスさんに会えて、いろんな話も聞けたし」

「……」

 先ほどのリュカとは反対に、イリスが口を閉ざしてしまう。

 こんな小さな子どもが生贄に。決められた定めを思うと旅に出るまでの自分と重ねてしまい、胸が痛くなる。

「そういえば、イリスさんは何のためにこの辺りまで?」

「あっ……えっと、探し物があって。多分この辺りにあると思うんですけど」

「僕でも探すの手伝える?」

「いや、ちょっと難しいですね……」

「そっか、見つかるといいね」

 沈黙が広がる。気まずい空気が流れる中、リュカが突然立ち上がり、口を開く。

「そ、そろそろ夜も更けてきたし、寝よう! 僕こっちの部屋にいるから、何かあったら言ってね」

 パタンと目の前で扉が閉まり、静寂が訪れる。

「……私も寝ましょうかね」


 *** 


「くそっ、あいつ、いったいどこまで行ってるんだ……」

 さっき仕留めたうさぎを焼きながら、エルリオの心境は複雑だった。

 またイリスが迷子になった。この前、追跡の魔術をかけたペンダントを渡したのは保険だったのだが、実際に使う羽目になるとは。

 掌のペンダントは青く光りつつも、一筋の光を伸ばし、もう一対のペンダントがある方向に向かっている。

「……また面倒ごとに巻き込まれてたら容赦しないからな」

 焼けたうさぎの肉はあまり美味しくなかった。


 ***


「へっくしゅっ!」

「大丈夫?」

「はい。なんでしょう? 誰かが噂してるのですかね」

 リュカと一緒に洗濯をしていると、不意にくしゃみが出た。寒気がするわけでも体調が悪いわけでもないから、誰か――例えば一緒に旅をしている仲間が何か言っているのかもと一人納得する。

 今日は晴天に恵まれた。なので、昨日リュカが言っていたように洗濯をすることになった。近くの井戸から水を汲みあげてきてリュカの洋服やベットのシーツを洗う。しばらく洗濯をできていなかったイリスの洋服もついでに洗うことにした。

 イリスが大きな桶の中にシーツを入れて踏んで洗っている間に、リュカが洗濯物を干す。

 なかなかの重労働をこんな子ども一人でやっていたのかと思うと、気にしてはいけないのに家族のことが気がかりになってしまう。

「リュカくん、あの」

「昔はね、お母さんとお父さんと一緒によくこうやって洗濯してたんだ。僕とお父さんが洗って、お母さんが干すの」

 リュカが口を開き、イリスの言葉が遮られる。このまま話を聞いていようとイリスは開いた口を閉ざした。

「楽しかったな……でも、元々体の弱かったお母さんが病気で死んじゃって、その後にお父さんも仕事の事故で死んじゃって。僕、独りになっちゃって」

 無理をしているように笑ってみえるリュカの表情に胸が締めつけられる。

「リュカくん……」

「僕が生贄に選ばれたのも、こんな子ども一人、村から外れたところに住んでいて面倒だからなんだよ、きっと」

 洗濯物を干すリュカの手が止まった。俯いている彼の表情はこちらからはわからない。

「ごめんね、こんな暗い話しちゃって。さぁ、続きやろう!」

「……そう、ですね」

 リュカになんと言葉をかけていいのかわからなくて、それからしばらく二人は黙ったまま、洗濯物を洗っていた。


 その日の夜、ベットの中。

 ふいに思い出して懐からシェルシの書を取り出す。イリスの掌よりも二回りも大きい本は、赤くうっすらと発光していた。

「この近くにあるはず……聞いていた話の通りならおそらく……」

 確かめるのはまだ先。今はまだ無闇に動けない。

 窓からは月明かりが差し、夜空には星が輝く。こんな綺麗な夜空も三日後には見れなくなるリュカは、今どんな思いでいるのだろうか。

「……時が来るまで待たなければ。絶対に、何とかしてみせます」

 毛布を被り、寝に入る。なかなか寝つけずにいたイリスも、しばらくすると夢の中へと誘われていった。


 ***


 三日はあっという間に過ぎていった。リュカと一緒に料理を作ったり、森に散歩に行ったり、家で色んな話をしたりもした。イリスの旅の話。リュカの両親が生きていた頃の楽しかった話。

 儀式の日当日。村の広場には生贄となるリュカ以外にも、リュカを送り届けるであろう大人やこの前の村長もいた。

「では、リュカくん」

「……うん。短い間だったけど、楽しかった。ありがとう、イリスさん」

「まださよならではないです。待っててくださいね」

「……?」

 よく理解できていないリュカをよそにイリスはその場を後にした。向かった先はリュカが生贄として捧げられる山の頂上。

 彼らよりも先回りするために、イリスはエルリオからもらった強化魔術の紙を破り、身体強化した。

 山の頂上にはものの数十分でたどり着いた。それほど大きい山ではないから、強化していた体ではものともしないほどだった。

 頂上には山小屋が一つ。リュカ達の姿はまだ見られない。先回りには成功したようだ。

 小屋の影に潜んでリュカ達が来るのを待つ。

 彼らはそれから一時間ほどで頂上にやって来た。

大人達が小屋の前までリュカを送り届け、村に戻ろうとしたその時。

 何かの叫び声が辺りに響き渡った。

 次の瞬間、イリス達の目の前に現れたのは、大きな蜥蜴。口から火を吐いていて、大きな尻尾を地面に叩きつけるとかなり抉られていた。

「やっぱり、あれがっ……!」

 隠れている場合ではないとリュカ達の前に姿を表す。

「イリスさん!? どうしてここに!?」

「今は後です! 危ないから下がって!」

 暴れまわる大蜥蜴。尻尾や鋭利な爪で地面は抉られ、大蜥蜴自体もだんだんとこちらに近づいてくる。

「予想した通りなら……っ!」

 懐から取り出したシェルシの書のページを開いて、向かってくる大蜥蜴の前に突き出す。

 すると、イリスの目の前に透明の壁が現れ、突進してきた大蜥蜴の動きを止めた。

「やりました! やっぱり魔道書の魔物!」

 後は弱らせるだけ。でもイリスにはその一手が足りない。

 イリスの胸元のペンダントは先日と違い、青く発光している。そして伸びる一筋の光。

 イリスはすぅっと息を吸い込むと、大声で彼に呼びかけた。

「エルリオさん、すぐ近くまで来ているんでしょう! お願いします!」

 イリスの叫び声に反応した大蜥蜴がこちらに向かって炎を吐いてくる。

 ガサリと音がしたかと思うと木々の間から一人の男が飛び出してきた。

「そんなに大きい声で呼ばなくても聞こえてる!」

 男――エルリオは落下しながらも、腰からペンの形をした杖を取り出すと、宙に文字を書き始めた。

『呼び起こすは風 放つは刃 我が敵を切り裂け!』

 詠唱に呼応して文字が光ったと思うと、風の刃が出現し、大蜥蜴の体を切り裂く。攻撃に苦しんだ大蜥蜴は、尻尾を振り回した。

 防御壁で炎と尻尾を防いだイリスはある一点に向かって走り出す。大蜥蜴の背後、落ちている何かに向かって。

 イリスに気づいた大蜥蜴はそれを守ろうとするのか、火を吐いてイリスの進路を妨害しようとする。しかし、エルリオが再び魔術を使い、その軌道を逸らす。

「これで、終わりです!」

 大蜥蜴の背後に落ちていた一冊の本のもとにたどり着くと、ページを開き、そこにシェルシの書を重ねる。

 すると、大蜥蜴は光に包まれ球体になり、本のページへと吸い込まれていった。

「っはぁ、魔道書、無事に回収完了です」

「おい」

「あっエルリオさん、ナイスタイミングでし、あいたたたたっ!」

 唐突にエルリオに頬を引っ張られて痛みを感じる。

 イリスがちらりと見たエルリオの表情は鬼のようだった。金の瞳がギラギラと光り、眉間に皺をよせている。

「お前、また俺からはぐれたな」

「ひゃい」

「ペンダントを渡したのははぐれてもいいってことじゃないんだがな」

「ひょめんなひゃい」

「ったく……まぁ、でも……やったな」

 エルリオがイリスの目の前に拳を突き出す。どういうことか理解して。

「っ、はい!」

 喜んでイリスはコツンと彼の拳に己の拳を当てた。


 ***


その後は何事かと村の広場に集まっていた村長や村人達に経緯を説明した。

 村の人達が神様だと思っていたのは、魔道書に封印されていた大蜥蜴であったこと。無事に封印して回収したので、これからは生贄なんて出さなくてもいいこと。

 自分達はその魔道書を回収しに訪れていたこと。

 それまでの態度から一変して、村長からは感謝の言葉を伝えられた。謝礼も出すと言われて、大したことはしてないのでと断りをいれたかったが、エルリオが貰っておけと言うので素直に受け取った。

 リュカはこれからもあの家で暮らすが、村の人達が面倒を見てくれるという。

「イリスさん、ありがとう」

「いいえ、リュカくん。私は自分の仕事を果たしたまでですから」

「おい、さっさと来る」

 エルリオに声をかけられて、名残惜しくも別れの挨拶をする。

「はーい! じゃあまたね」

 駆け出したかと思うと立ち止まり、振り向いたイリスは満面の笑みを浮かべて、

「これから、楽しいことがたくさんありますように、リュカくん!」

「っ、イリスさん」

「それとー、叡知が集まる場所、イクレシカ図書館をどうぞよろしくお願いしますね!」

 イリスはそれっきり振り返ることはなく、エルリオの後に着いていく。

「次はどこですか、エルリオさん」

「お前なぁ、はぐれたことを忘れるんじゃねえぞ」

「わ、わかってますよ!」

 ふと上を見上げる。今は星は見えないけれど、雲一つないきれいな青空とそこに輝く太陽がこの結末を祝福してくれますように。そう願って、イリスはシェルシの書を抱え直すのだった。


 その後、リュカはこんなことを言っていたという。

「いつか、アドニアにイクレシカ図書館に行くんだ! そしてイリスさんに会うの」

 少年と少女の再びの出会いがあるのか、それはこの先の未来の楽しみに。

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